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欠損女子について骸骨女子が思うこと

*1

「むかしはDカップだったんですよ。いや、Dはいいすぎかな。Cってところですね」
と、「骸骨女子」モデルのはてこさんは笑う。

 

「でも二十代後半から徐々に痩せてきて。特に食事制限をしたりはしていませんでした。いろいろ重なって知らないうちに少しずつ小食になっていたんですね。気がついたらBMIが15以下になってた。そうすると色々なところが痩せてくる。靴もそうだし、ブラのカップもサイズダウンしてた」

 

「ワイヤー入りブラが肋骨に当たるようになって、痛くてつけられない。サイズがあうものがぜんぜんない。カップつきキャミソールが出たときは『これだー!』って思いました。でもいまはノンワイヤーでもいいブラが増えてきていますよね」

 

ドレスが着られない

「友人の結婚式にブラックフォーマルのロングドレスを着たんですよ。*2ああいうドレスって専用の下着があるんですけど、どれもブカブカ。パットをいれてもデコルテに骨が浮いちゃう。鏡を見てがっかりしました」

「5年くらいまえかな?結婚式をしなかったので、ウェディングドレスだけ着ようってことになったんですね。そのときもデコルテが大きく開くドレスは痛々しくてダメでした。背中が大きく開いているものも写真で見ると骨!って感じでキツい。『ああ、もうわたしは女としての魅力がないんだ・・・』って落ち込みました。ずっと長袖、詰襟でいくしかないなって」

 

骸骨女子ブーム

「だから骸骨女子モデルのオファーが来たときはびっくりしました。こんな体型を魅力的だと思ってくれる人がいるんだなって。それまで女性の身体は丸みを帯びて柔らかくなければいけないと思っていたんです。特にバストとデコルテまわりは豊かなほどいい。おっぱいの魅力って絶大じゃないですか」

 

「はじめて骸骨女子モデルさんを見たときは驚きましたね。医療的措置として乳房切除をしている方もいて、正直痛々しく感じた。でもそこに興奮する人もいると知って、世界は広いな~って(笑) タトゥーをいれている人や、撮影のときヘナでアラベスクを描いたりしているモデルさんもいて、こんな風に胸を楽しんでいいんだ!って目から鱗でした」

 

「これ以上痩せたいとは思いません。やっぱり痩せると風邪を引きやすいし、体力も落ちる。できればもっと太りたいです。それに骸骨モデルは食事制限があって、摂取カロリーが足りてない人、摂食障害がある人は採用されないんです」

 

ありのままでいる開放感

「ふだんはノンワイヤーのブラにカップつきキャミを重ね着しています。タイの女装動画にブラをどんどん重ねて胸を盛るというのがあるんですよ。『あ、これぴったりめのニットにいいじゃん』って思って。ノンワイヤーブラを着けはじめて、キャミをあらためて買うのが面倒だったというのもあります」

 

「着物を着るときも胸元にはガーゼハンカチを入れます。襟元が浮いていると貧相になるから。腰周りにはバスタオルを巻いてます」

 「でもやっぱり面倒なんです。できればこのスタイルのまま似合う服を着たい。この体型でなければ着られないドレスを着たい。体型を世の中にあわせるんじゃなくて」

 

「『骸骨女子』は何も隠さなくていいから楽です。世間基準から離れて自分の身体を再定義する感じ。これをかわいそうだと思う人もいるかもしれないし、摂食障害の人によくないモデルを与えることになるという人もいます。でもそれってわたしの身体が社会的に『よくないモデル』ってことじゃないですか。好みはあって当然だけど、社会的にいい身体、悪い身体があるっていうのは、違うと思うんですよね」

 

少数派の身体は個性か烙印か

「もし自分が社会的に歓迎されない身体的特徴を武器に仕事をするとしたら何かな」と想像してみて、上に書いたようなことを思った。BMI15っつったら摂食障害なら入院レベルだで、十分該当するやろ。せっせと食べとるけれどもなかなか思うようにならんで、服でも靴でも困るわ。

 

欠損を生計の手段とすることには非常にネガティブなイメージがある。かつて身体欠損といえば、本人の意思と関係なく見世物小屋に売られたり、ほかに生計を立てる手段がなく傷痍軍人として物乞いをしたりするものだった。いまでもインドでは貧しい家の子供を買い、故意に身体に欠損を作って物乞いをさせる組織がある。屈辱にまみれ恥部をさらして糧を得る。確かにこうした形で人が追い詰められることはみなでなくしていかなければならない。

 

しかし一方で誰もが少数派の身体を隠して暮らしたがっているという認識を広めるのは間違っている。乙武さんは身体に欠損を持つことは個性ではなく、スティグマ(烙印)として認識されやすいと書いている。ネガティブなイメージを持つ身体的特徴を蔑視する文化は醜悪だ。しかしそのような烙印を押しているのは誰かという問題がある。

 

わたしは痩せていることについてはあまりネガティブなことを言われないけれど、高身長であることについては「お気の毒に。でも自分は寛容な人間なので気にしません」という一方的な哀れみをかけられることが時々ある*3大きなお世話だと思う。

 

実際高身長を気の毒なほど気にして猫背になる女性は大勢いる。「大女」は醜女の代名詞だった。しかし西洋では「丈高く」は肌や瞳の美しさと並べて描写される美の特徴だった。では高身長な女性にどう接するのが「正しい」のか。誉めればいいのか。「それほど高くない、普通だ」と慰めればいいのか。高橋ゆかりはトルコで「幸せじゃないから太らないのだ」といわれてショックを受けた。*4トルコではでっぷりとした女性こそ幸福の象徴であり、日本人の普通体型は貧相なのだ。

 

わたしはこういった問題に正しい態度があるとすれば、誰の身体にも敬意を持つこと、個人的にどう思うかはともかく、うかつに身体的特徴に「良い」「悪い」とレッテルを貼らないことにつきると思う。また本人が望まない場でそれを性的に消費しないことと同じくらい、本人がそれを誇示する権利を抑圧しないことだと思う。

 

「欠損女子」を自称する幸子さん、琴音さんは少数派の身体をもったふつうの女性たちであって、その個性は「障害者」という言葉ではくくれない。彼女たちが望む対応を一般化することはできない。また彼女らに障害者を代表することを求め、行動を制限するのは適当ではないと思う。

 なお、「女子は二十代まで」 というご意見につきましては編集上の都合であって、日ごろ女子を自称しているわけではないことをお伝えしたいと思います。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:バニーガールの面接受けたことがある。

*2:痩せる前に購入した。

*3:これも「スマートなのはよいこと」「高身長は悪いこと」という社会的認知のゆがみからくることだと思う。実際には高身長では困っていないが、痩せていることでは切実に困っている。がん保険に入れなかったり、サイズの合う細い靴がみつからなかったりするからだ。

*4:トルコで私も考えたより。何巻かは忘れた。結婚後、まだ子供がいなかったときの話。