欠損女子支持宣言

欠損女子に賛否両論の声が集まっている。普通に暮らすとは多数派に擬態することではない。わたしはあの店を支持したいと思っているので、その理由を書きます。

 

「欠損女子」とはなにか

話題になっているのはこちら。

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写真に写っているかわいいお嬢さん方は琴音さん、幸子さんという。琴音さんは右腕に義手を使っており、幸子さんは右足に義足を使って暮らしている。二人は「切り株」を意味する「ブッシュドノエル」というコンセプトバーで欠損女子好きな客を相手に働いている。

 

琴音さんはふだん精巧なマネキンのようないわば人体型の義手を使っているそうだが、店ではあのフック船長がつかっていたフック型の義手を使っている。それで裁縫ができるというのだからかなり使いこなしている。

「私もフック義手は持っているけど人前では全然つけないですよー。お裁縫をするときくらい。人前で使うとびっくりされちゃうから、普段はいつも、装飾義手。毎日つけてるからコレ、こんなに汚れちゃった」

人体型よりあきらかに便利なフック義手を使わないのはやはり無用な注目を集めたくないからだろうと思う。幸子さんはコスプレイヤーだ。義足キャラは少ないので義足を生足に見せる工夫をしていたという。

「表現することが好きなんですよね。コスプレも、本当は欠損した状態でできたら開放的だと思うんですけど、コスプレ元のキャラが欠損していないので、おのずと義足をつけて、脱脂綿を巻いてうまいこと自分の脚っぽく見せていました」

こうした工夫をするコスプレイヤーは多い。自分をキャラに近づけるため髪を染める、ウィッグを使う、ヒールの高い靴を履いたり、カラーコンタクトをつけたりするのは常識だ。

 

そこにコスプレイヤーの幸子さんではなく、モデルとしての幸子さんに魅力を感じる人があらわれた。瓶底眼鏡や歯列矯正、欠損などマイノリティなフェチを中心に撮影する映像作家のsgutsさんだ。

そんな中、sgutsさんに声をかけられ、はじめて映像の中で本来の自分を出し、そういうのがいいと言ってくれる人がいたってことにびっくり。喜んでくれる人がいるから、私って義足で良かったのかなって

こうして二人はふだんの自分のありのままの姿に魅力を感じる人が集まるコンセプトバーで働く ことにした。琴音さんは人目をはばからずフック義手でマドラーを使っている。幸子さんも生足に見せなければと思わずにすむのは楽だろうと思う。

 

彼女らが暮らしやすく働ける場がみつかって、そこにフェチの人たちが訪れる。これはいいなと思った。これは彼女たちにしか出来ない仕事だ。

 

普通に暮らせという増田

これに異を唱える増田があらわれた。

普通の人たちと同様に扱うなら、そこをアイデンティティとすんの?っていう話だよな

課題はあるとしても目指す理想としては普通の人たちの中で普通と同じように暮らしてもらおうねーって時に(障害者雇用促進とかな)

私達は欠損してます!とか言い出したら、は?って思うのは当然だよな

欠損女子とか超キメェわ

 この増田は普通に暮らすこと=多数派のライフスタイルを踏襲することだと勘違いしている。しかし普通に暮らすとは多数派に追いつけ追い越せを指すのではない。マイノリティであるがゆえに当然の権利を制限されることがないように、社会が当然の協力を惜しむことがないよう配慮すべきという意味だ。

 

これには身体的魅力を誇示することを商売に結びつける権利も含まれる。女優が美貌で仕事をえるのは当然であり、ニーズにあった体型のモデルが雑誌やステージを飾り、高身長の女王様がもてはやされ、小柄な女性がアンティーク着物を見せ付けるのは自然淘汰の結果である。それらの席はごく少数しかない。欠損フェチをときめかせるスタイルを持つ魅力的な女性は少数であり、彼女らがその席を埋めるのは不当なこととはいえない。誰もがウィニー・ハーロウになれるわけではない。

matome.naver.jp 

眼鏡男子がもてはやされる世界があり、童顔がもてはやされる世界がある。魅力的な義手、義足がもてはやされて何が悪いのか。これを非難するのは豊かな胸にさらしを巻いて押しつぶせとか、高身長が目立たないようにヒールを履くのをやめろというのと同じだ。ピーター・ディンクレイジに小人役をやるなというのか。健常者フェチを押し付けるなといいたい。

 

少数派の身体を消費することは差別行為なのか

「しかし身体的特徴に注目を集めることを望まない人もいる。彼女たちがそれでいいと思っても同様の欠損を好奇の目で見る人が現れれば社会的抑圧につながるのではないか」

と思う人もいる。これはほかの身体的特徴すべてにいえることで、義手義足に限った話ではない。

眼鏡男子がもてはやされ、眼鏡フェチから執拗にからまれて迷惑する男性もいるだろう。貧乳、巨乳関連のまとめは月に何度もホッテントリ入りしている。あれに辟易としている女性もいるだろう。欠損フェチを不名誉なこと、差別的な表現だというのなら、その他のフェチについても同様の配慮が必要なはずだ。 

 

巨漢、高身長、低身長、胸が小さい、大きいなど他人の身体的特徴を「確かにそれはマイナスポイントだけど、自分は寛大だから気にしないよ」と言って来る人は最悪だ。こういう人は貧乳やビン底眼鏡がすきなのではなくコンプレックスが好きなタイプだ。こういうタイプは肉体ではなく見下し対象を消費しているのだ。しかしフェチ自体は必ずしも他者を見下すものとは限らない。

 

見世物とは言い換えればショービジネスだ。金髪碧眼がステージに上がることはよくて、欠損を持つものがステージに上がることは差別だという思想こそが差別だとわたしは思う。それは未熟な子供や認識力があやふやな病人や高齢者を無理やり見世物にすることとは違う。

 

「普通に暮らす」とは個性を表現すること

水森亜土はそのむかし、両手にマーカーを持って歌いながら絵を描いていた。

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ボーダーのシャツにサロペットを着てアクリルボードの前に立ち、即興なのか打ち合わせがあるのかわからない歌を歌いながらすいすい独特のファンシーな絵を描く亜土たんは、あのままのスタイルで75歳になった。いまもジャズのライブとイラストの仕事を続けている。

 

こりん星から来たといっていた小倉優子はママタレに転向して「あれはネタです」と告白した。みなが納得した。しかし亜土たんはキャラ設定で亜土たんをやっているのではない。だから「もうそろそろ・・・」と普通のおばさん、おばあさんになることはなかった。あれが亜土タンの普通だ。亜土タンにサザエの母のような生き方をしろというのは自分を殺せというのと同じだ。

 

多数派と違うことを隠せ、披露するなという人に言いたいのは、多数派はつねに多数派であることを誇示し続けて生きているのに、少数派にそれをやめろというのはどういうことかということだ。それはあんた、わがままってもんですよ。

 

「義手も義足も、メガネと変わらない」

「欠損女子」について思うことは、「欠損」って嫌な言い方だな、ということだ。でもなんかの用語なのかもしれない。医学用語なのかフェチ用語なのかわからないけれど、それで通じる世界があるのだろう。「統合失調」や「自閉症」だってたいがいないわれようだけれど、いまのところそれが正式名称だから話が早いもんな。

 

幸子さんはこう語る。

「面と向かって言う人がいるんですよ、『かわいそう』って。『何がかわいそうなの?』と聞くと、『手がないから。不便でしょ?』って。いやいや、健常者のあなたでも、不便でできないことはあるでしょう?『あなたが出来ないことを私ができることもあるし、お互い様じゃない』って言い返しちゃう」

そうだよね。ほんとこれ。琴音さんはこう語る。

「私たちを見て引いちゃう人もいるけど、別に引くことないですよ。たとえば、今は車いすは有名になって『変』と思う人はいないと思いますが、私たちのことも、知ってもらえればそうなるかなって。義手も義足も、メガネと変わらない、補助してもらっている感覚です。もうちょっと、皆の見方が変わったら嬉しいな」

こういう議論がおきて、いろいろな人が考える機会ができたことも彼女たちとあの店を作った人々の功績だと思う。応援したい。

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