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身体症状にあらわれるストレス 夏樹静子「椅子が怖い」②

レビュー 思うこと

前回は喉の違和感から耳鼻科へいって、芋づる式に婦人科へ、そして心療内科へ紹介された話をした。今日はそのクリニックの待合室で知った夏樹静子の「椅子がこわい」という本を紹介したいと思う。

kutabirehateko.hateblo.jp

 

 

顎関節症、高血圧、拒食・過食症、脱毛

夏樹静子といえば我々昭和世代にとっては薬師丸ひろ子主演の「Wの悲劇」の原作者として有名な小説家だ。同姓同名の別人かと思って読み始めたが、まさにあの夏樹静子本人が書いた本だった。

「椅子がこわい」は夏樹静子が1997年に自身の体験を綴った壮絶な本で、待合室にあったのは夏樹さんがその経験をもとに心療内科を訪れる人々を取材した「心療内科を訪ねて」だった。これは月刊誌『波』での連載をまとめたものだそうだ。新潮社の「波」は文芸誌で医療関係誌や健康関係の雑誌ではない。  

amazonの紹介は以下の通り。

ひどい腰痛に苦しんだ3年間の地獄体験が、著者を心療内科取材に駆り立てた。潰瘍性大腸炎顎関節症、高血圧、拒食・過食症、脱毛……原因不明のすべての症状の裏には、心の痛みが隠れていた。心はあらゆる形をとって警告を出していたのだ。様々な症状に苦しむ人々の体験を語り、大反響のルポルタージュ。腰痛、肩こり、不眠、倦怠……の原因は、あなた自身かもしれません──。

 わたしは名物おばあちゃん先生である野末悦子先生の人柄と不思議ないきさつに博打を打つ気持ちで心療内科を訪れたけれど、自分の喉の違和感や虚脱感が心理的なストレスから来るものかもしれないという見解に、まだ半信半疑だった。

 

しかしこの本をぱらぱらめくってみると、どう考えても身体的な病気としか思えないもの、というより、明らかに身体症状として起きている問題の背後に見過ごされている精神的なストレスがまざまざと描かれていた。「気のせい」とは本当は問題はないという意味ではない。「気のせい」で大きな問題が起きるのだということがこの本を通してよくわかった。

 

口が開かない、髪の毛が抜ける、眠れない、だるい。程度の差こそあれ、こういったことは誰にでもある。そしてちょっとした不調なら人はそれを無視することができる。そしていよいよ無視できなくなったところで病院へいって各種検査を受け、さらにどうしようもなくなってから精神科へ来る。

 

心理的、精神的ケアの必要性を軽んじる文化

精神科、心療内科と聞くと人は「気の持ちようでなんとかなるものだ」と考えがちだ。そして気の持ちようとでなんとかなるなら自力でなんとかしようと考える。筋トレ指導を受けることは不名誉に思わないのに、心理的なゆがみを人から指摘されることをことさら不名誉と考える文化的な圧力は強い。「隣近所の聞こえが悪いから病院へいけない」という人も少なくない。ネットでもメンヘラ、メンヘルを蔑称として使う人は大勢いる。

 

「椅子がこわい」を読むと、夏樹静子さんの抵抗ぶりはすごかった。作家である夏樹さんは座って原稿を書く暮らしを長く続けていらっしゃるが、けして一人で家にこもって運動不足という風ではない。好奇心と創作意欲にあふれ、家族とスタッフに囲まれ、とても精神疾患をわずらう人には見えない。だからこそ夏樹さんはある日とつぜん訪れた腰痛と、メンタルケアを関連付けることに長い時間がかかったのだと思う。

 

椅子に座るときの違和感からはじまった腰痛はやがて立つときも座るときも、それどころか眠ることさえゆるさないほどの痛みになった。

夏樹さんの腰痛治療はまさに戦いだ。病院での各種精密検査はもちろんのこと、鍼灸、あんま、整体、整骨、気功。日々欠かさずプールで歩き、冷えが悪いといわれれば家中のフローリングに床暖房を入れ、各種名医と名高い人に会うため東奔西走し、はては大きな祭壇に山ほどのおにぎりなどお供物を備えてのおはらいを受ける。

それでも腰の痛みはいっこうにおさまらない。それどころか年々その痛みは増し、とどまることを知らないマグマのように、日々じわじわと烈しく夏樹さんを苦しめる。

 

それが心理的ストレスから来るものではないかと指摘されたとき、夏樹さんはほかの治療を受けることとは比較にならないほど大きな抵抗を感じた。しかし腰痛によって実質的に生活の何もかもを奪われ、財産を食いつぶされ、ようやく夏樹さんは心療内科を訪れる。

 

想像上のメンヘラと現実のメンタルヘルス

夏樹さんはそこで心因性疼痛(身体表現性疼痛障害)の診断を受ける。しかしここでも夏樹さんはまだなんとか自分のやり方で治そうと、なかなか治療に向き合わない。結論からいうと夏樹さんはにっちもさっちもいかなくなってからついに白旗をあげ、医師の治療に全面的に協力することにする。そして二ヶ月の入院と12日間の絶食、そして一年の断筆を経て腰痛の完治を見る。

痛み 私の物語(7)「絶食療法」ストレス解消 …作家・夏樹静子さん

 

あとがきを見ると、夏樹さんは治りはしたものの白旗をあげざるをえなかったことがそうとうしゃくにさわったようで、半ば腹いせのようにその後の一年を派手に遊んで暮らす。そして作家として復帰する。夏樹さんの腰を痛めていたものの正体は蓋を開けてみると最初からわかっていたような気もするけれど、「そんなはずはない」としか思えなかった夏樹さんの気持ちもよくわかる。

 

心理的な問題といえば不眠や食欲、性欲など意欲の低下、また妄想や幻聴、幻覚というイメージが一般的に強い。腰痛=心理的抵抗とはなかなか思いつかない。また夏樹さんはエネルギッシュで創造性にあふれ、好奇心旺盛で論理的思考にすぐれている。ステロタイプメンタルヘルスケアに通う人、いわゆるメンヘラ像からはかけ離れた人だ。

 

しかしステロタイプなイメージの貧しさが現実の存在を否定することはよくある。わたしは自閉症についてよく知るまで自分が自閉症だと気づかなかった。自閉症アスペルガー症候群というものを、感動ポルノがかいつまんで見せるような乏しい知識と歪曲された偏見でしか知らなかったからだ。

 

わたしは待合室で心療内科を訪ねてを読みながら、(喉の痛みが精神的ストレスによるものではないかといった耳鼻科医は、それなりに根拠があってそう言ったのかもしれない)と考えはじめていた。

 

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