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ゆきて帰らぬ物語 吉田知子「お供え」

日常 レビュー

図書館から借りた本の消費が遅れている。やばい。福岡市から怒られる。

寝込んでいた間に吉田知子の「お供え」を読み終えた。

 吉田知子の本は二冊目だけれど、いくつかパターンがある。

ヒロインは決まりにうるさく堅苦しい上流階級に属する女性で

こまごまとした日常の決まりごとを失礼のないように果たしながら

目の前の問題に取り組んでいる間に

いつのまにか得体の知れない不可思議な世界へ迷い込んでしまい

もう元へは戻れないんだろうな、という絶望感とともに物語はぶつんと終わる。

 

どの話もなんともいえない不気味さと怖さがある。今日の晩御飯と新しい靴の手入れといった日常に、ごくごく目立たない形で異世界へ続く入り口がある。入り口はあるけれど出口はない。誰も助けに来ないし、出たい、戻りたいという意識も徐々に自分のものなのかどうかわからなくなってくる。

 

彼女たちはどこにいるのか

むかしFMラジオドラマで「堂々巡り」という話があった。町から出ようとする男が気がついたら同じ場所へ戻っている。おかしい、おかしいと何度も試すうち、男は次第に必死になってきて、もはや死に物狂いで強行突破しようとする。しかし出口だと思った場所はやはり振り出しに続いていた。

 

そこで場面は唐突にかわり、二人の医師が話をしている。「どうだった?」「だめでした。一人は意識が戻りそうな気配があったのですが」「そうか」。男はどうやら現実世界でなにか大きな事故にあい、意識不明の状態のまま息を引き取ったらしかった。

 

深夜枕元に置いたラジオをひとりで聞いていた中学生のわたしは震え上がった。出口がない町にとじこめられ、現実を知ることのないまま息を引き取る結末がいまも忘れられない。

 

吉田知子の「お供え」という短編集は、こんな風に他人と共有できる現実世界から遊離してしまった人の物語ではないかと思う。物語のどこかの地点で語り手は意識を失って倒れたのかもしれず、あるいは物語りがはじまる前からすでに昏睡状態にあるのかもしれない。幻覚と幻聴が現実を凌駕する状態なのかもしれない。しかし本人はそのことを知らない。そして観念の世界の中で、それまで送ってきた当たり前の日常を淡々と送り続けようとする。けれどもその世界にはそれまで通じた物理の法則も時間の概念もない。

 

スノッブな社会の恐ろしさ

痴呆症をわずらう母を息子が描いた「ペコロスの母に会いに行く」という漫画がある。

 母は息子に見えないものをみて、息子には聞こえないものを聞く。息子と世界を共有しながら、同時に息子には共有しえない世界に住んでいる。岡野雄一さんはそんな母の世界をあたたかく、少し胸が痛むようなやさしさで描いている。

 

これのやさしくもあたたかくもない版が吉田知子である。そこにあるのは「ねばならない」「こうすべきだ」というスノッブな決まりごとに縛られた女性たちが、どう考えてもおかしな世界の中においてさえあくまで他人の目を気にしつつ出口を探す姿だ。

 

ペコロスの母は痴呆症の世界で、若く貧しかったころに別れた懐かしい人々と再会し、手をとり、亡き夫と和解を果たす。しかし吉田知子が描く不条理な世界に連れ去られる女性たちはどこまでも孤独で、支援のないまま解決不可能な問題を一方的につきつけられる。

時間がとまった世界には発見も気づきもない。出会いもない。つまりこれまでのパターンを打破できるものがない。長く棚上げしてきた問題、抱え続けた問題に、解決し得ない方法で取り組み続ける人々がそこにいる。

 

意識の混濁と人間の本質

祖父は骨折で入院したとき意識が混濁したことがあった。祖父は病院を自宅だと思ったり、駅だと思ったり、病院の地下に巨大な食品売り場があると言い出したりした。「早く汽車にのって家に帰らなければ」と祖父は何度もベッドから降りようとした。

 

ひ孫の甥太郎がそばにいると思い、「勉強する本がいるならおじいちゃんにいいなさいよ。おじいちゃんが買ってやろう」「夏休みの勉強は海の底の石をひろって写真といっしょに出すといい。そんなことを出来る生徒はそうそうおらんやろう」とやさしく励ますように何度もいった。見えないお小遣いをわたしに渡して、甥太郎に握らせようとしたりもした。

 

祖父はこんなときでも孫子のことを考え、自分が持つものをわけてやろうとそればかり考えているのだと思った。*1わたしは自分が同じ状態になったら、聞かれて困るようなことを口走らずにいられるだろうか。

 

甥介の運動会でもらってきた風邪で、昨日一昨日は熱もあり、長く生々しい夢を見たりした。吉田知子の世界への入り口はいつも日常の隣に開いている。堂々巡りがつづく不条理の世界で、自分が何者かがあきらかになるなら、そこで自分はどんな人間なのだろう。吉田知子の怖さは異世界の不条理さではなく、人の本質はどのような状況でも変わらない、変わりようがないということなのかもしれない。

 

映画「去年マリエンバートで」のヒロインは出口のない迷路にとらえられた。かつてわたしは「自分だったらああいう受け答えはしないから、展開も違うだろうな」と思ったのだった。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:意識が戻ってからは家族に迷惑をかけないようにするにはどうしたらいいかとそればかり考えていた。