こじらせてまずいのは自意識じゃなく自己愛

「自分の人生を刑務所に入ってリセットしたかった」と見ず知らずの女子高生を殺した人について書いた増田がいた。それに対してわたしが書いたことに対する反論をいただいた。

annaohirune.hatenablog.com

東野圭吾の容疑者Xの献身が例にあげられていた。引用したいところがネタバレなのでそのまま書けないけれど、わたしが思ったことは伝わっているなと思った。フィクションのなかでエリートが道を踏み外したことの描写として殺人が出てくることがある。そういう場面で被害者が「まるで小道具のひとつの様に死んでいったのに、強烈な違和感を感じ」る、その違和感をわたしも覚える。

 

一方でid:Annaohiruneさん(以下アンさん)は誰にも保護されることなく虐待されていた6歳の少女シーラが衝動的に犯した殺人未遂についてこう書いている。

自意識を拗らせて、見ず知らずの他人をいとも簡単に殺害してしまう加害者の恐ろしさを、憎しみから加害する者と比較して書かれてある。

憎しみから加害する、シーラという子(私はこの本知ってるけど読んでない)は、自意識を拗らせて加害する犯罪者と変わらないと思う。

21歳男性が刑務所に入りたいから通りすがりの女子高生を殺すことと、精神的にも心理的にも道徳的にも未熟で、社会的に責任を負える年齢でもない少女が、にわかに蘇った過去のトラウマからなかば発作的にしたことが同じというアンさんの感覚はわからない。これが同じなら司法など必要ない。

 

アンさんは「わかりやすい犯罪」をおかすものは害虫を駆除する感覚で犯行を犯しているようなものだと書いている。

くたびれはてこさんは、被害者を、薪扱い と表現しているけれど、自意識拗らせ系犯罪の被害者が薪扱いなら、わかりやすい犯罪の被害者は、その犯罪者にとっては、蚊や、ゴキブリ扱いかもしれない。殺す理由がある者。

タチの悪さは変わらない。

そう?わたしは自宅に入ってきて家族の血を吸う蚊を殺す。ゴキブリは不衛生なので殺す。そもそも入ってこないように網戸もつけるしホウ酸団子をおいたりもする。それはタチの悪いことでしょうか。「殺す理由がある」人に正当性があると判断されることはあるんじゃないの?

 

父親に長年性暴力をふるわれ続けた女性が父親を絞め殺した事件がある。かつて日本では親殺しは見知らぬ人を殺した場合より刑が重かった。親を殺すなんてとんでもないという考え方が司法にもいきわたっていた。でもその女性が何度も堕胎を繰り返させられ、親に縁を切りたいと懇願しては暴力をふるわれ、結婚してなお呼び出されたことで夫が間に入っても突っぱねた父親に手をかけたことには正当性があるとわたしは思う。 

スリルを味わいたくてする万引きと、飢えた家族のために盗んでくるパンは違う。司法も一律盗みや殺人という結果だけで裁くのではない。アンさんのカテゴライズは乱暴で雑だ。

 

蚊やゴキブリが居ない世界は、一見快適に感じるかもしれないけど、そんな世界には、永久には人類は住めない。ていうか、人類が居なかったら現代の大量絶滅は起こってない。またも脱線。

自分に加害行為をはたらくものを害虫として定義するなら、それらがいない世界に永久に住めないからと駆除する理由がないとはならない。なるべく接触しないように事前に手を打ち、遭遇したら戦うのが筋じゃないの?わたしは人が身を守るために戦うことを悪いと思わないよ。

 

アンさんはこのあと生理的、環境的な因子から殺人を犯す人がいて、そうした人は望んでそういう立場に生まれたのではないだろうという。実際にそうした環境や因子があるとすればもちろんそうだ。しかしそれらの因子は殺される側にとっては「なるほど、それは仕方がないですね。あなたの殺人の意義に私も共感します」とはならない。なるのは橋をかけるために人柱になる場合くらいだろう。そういった意味でそこでなされる殺人はくだらない。そしてこれをくだらないことだと自覚しておくことは、自分がそうした衝動に支配されそうになったときにとてもたいせつなことだ。

 

アンさんの主張は最後の段落にある。

犯罪が、想像力の欠如で起こるとしたら、私にも、あなたにも加害者になる可能性があります。時代によって変わる、わかりやすい正しさを盾とした犯罪。ナチス障がい者を大量殺戮したみたいにね。

加害者になる可能性どころか、司法が介入していないだけでわたしはこれまで家族や友人に数え切れない加害行為を働いてきた。あなたは違うの?それとも「加害者」と「そうでない人」いう属性があると思ってるの?

 

原因については自分の気性や育った背景、考え方感じ方の影響が間違いなくある。でもそれを理由に自分が傷つけた相手に免罪してもらおうとか、自分は本当は違う人間なんだと思うことはしない。だって実際やらかしたんだからね。そういう人間だったんだよ。わたしにはそうしないことを選ぶ自由もあった。

 

わたしは自意識をこじらせた人は嫌いではない。加藤はいねさんとか大ファンだわ。でも刑事事件レベルの問題をやらかしたておきながら、その責任を外的ななにかに負わせ、「やることはやったけど、それは自分のせいじゃない。本当はそんな人間じゃないって思ってね」と自分やギャラリーを欺こうとする人は大嫌い。それは自意識をこじらせているんじゃなく、自己愛が肥大しているんだと思うわ。

 

犯罪者の手記を買うことは加害じゃないかと書いていたけど、それも同意できない。わたしは「絶歌」を買わなかったけれど、長年彼を取材してきた草薙厚子さんが彼の手記を解説したことには意義があると思うよ。

 

犯罪加害者を害虫にたとえ、殺人を害虫駆除にたとえ、駆除をナチスにたとえ、そこにはてこをぶっこむ。自分の定義でどんどこ話をすすめてこんな風に加害と被害、故意と過失、はてことナチという具合になにもかもごちゃごちゃにすることを、うちのほうじゃ「糞も味噌もいっしょ」っていう。糞と味噌はわけたほうがいいよ。

kutabirehateko.hateblo.jp

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