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アグネス・チャンとファンドレイジング

アグネス・チャンが豊かな暮らしをしていることがゆるせない人がいる。社会活動に携わる人は清貧であってほしいと願う人が多いからだと思う。マザー・テレサのように生涯自分のためにはバケツと三着のサリーしか持たなかった人を賞賛する人は多い。わたしの母は差別と貧困のなかにいる子供たちを描いた灰谷健次郎の熱烈なファンだったが、彼の家を見てひどく失望した。彼の家はとても立派だったからだ。

 

ウルグアイのムヒカ大統領のリオ会議スピーチは衝撃的だった。彼は国家主席でありながら個人資産を87%寄付して家とトラクターだけで暮らしている。自分のためにはほとんど何も持たず、私財を投げ打つ人に心打たれる人は少なくない。

hana.bi

でも、わたしはある本を読んでから「福祉に携わるものは平均かそれ以下の暮らしをしているべきだ」という考え方は、どうも日本特有のものらしいと思うようになった。著者はファンドレイザーだった。

 

ファンドレイジングという仕事

ファンドレイジングとは簡単にいうと資金を調達する仕事だ。wikipediaにはこう書いてある。

ファンドレイジング(Fundraising)とは、民間非営利団体(Non-Profit Organizations:日本では公益法人特定非営利活動法人、大学法人、社会福祉法人などを含む)が、活動のための資金を個人、法人、政府などから集める行為の総称。主に民間非営利組織の資金集めについて使われる用語であるが、投資家や民間企業に関連する資金集めに使われる場合もある。 ファンドレイジング - Wikipedia

ソウル・オブ・マネー」の著者は世界から飢えをなくす「ハンガープロジェクト」のための非営利団体に所属する資金調達の専門家だった。

彼女はフルタイムで全世界を飛び回り、大企業から貧しいハレムまでさまざまな場所をおとずれ、出会った人々に自らの活動に賛同と支援を求めてまわった。そのための資金は所属団体から出る。所属団体はその資金をどこから出したのか。ファンドレイザーが調達した資金からだ。

 

特定の活動に寄付したお金が1セント、1円残らず困窮した人に届くのが正しいと考えていると、これは不当なことに思えるかもしれない。でも「活動を支援する」とはその活動のために働く人たちを支援することでもある。資金調達のプロを調達することも活動を継続するうえでたいせつなことだ。ファンドレイザーは調達に打ち込み、ほかのメンバーもそれぞれ自分の持ち場の専門家として働き、個々の力があわさって活動全体が支えられる。そのための資金を支援者が提供する。

 

活動に携わる人は生活費を自分で稼いで活動資金には手をつけないようにするべきだと思う人もいるかもしれない。それがちょうどいい人もいるが、資金調達のため国内海外を飛び回ったり、24時間対応することはまずできない。

 

お金の流れを知るには

「生活費相当のお金を受け取るのはいい。でも豪華な暮らしをするのは行きすぎだ」と思う人はどうだろう。資金の大半をメンバーの活動費に充ててしまうなら、本来届くはずの人に資金が届かない。これは困る。

 

では届いているかどうかはどこで調べればいいのか。本当にその活動に関心があるのなら、お金の流れを公開してもらうのがいい。メンバーの暮らしをみてもわからない。

 

ファンドレイザーにも家族がいて、親兄弟がいる。個人的に豊かな暮らしをしているからといってその資金が活動費から出ているとは限らない。裕福な親族がいるからこそ生活の心配をせず活動に打ち込める人もいる。逆に多額の資金に手をつけていても目に見えるように使っていなければまわりにはわからない。

 

活動を支援するのはなかなか難しい。いぜんある団体に継続的な寄付をしていたけど、どうも送られてくる報告の印象が悪く、どことは指摘できないけれど政治的なものを感じた。ある日気になるニュースを芋づる式に調べていたら、その団体が支援団体として出てきた。表に出ていた子供たちは看板で、お金は支持したくない党の政治資金にまわされていたらしかった。

 

活動に興味を持ったら実際にお金の流れや現場の様子を見てみることが大事だと思う。自分たちの活動に関心を持って欲しいと思っている団体なら喜んで説明してくれる。

 

アグネス叩きが産んだもの

とはいえ、アグネス・チャン個人が叩かれるのは彼女のきらびやかな住まいのせいだけではないことは明らかだ。児童虐待である児童ポルノを強く批判し、撲滅活動に携わる彼女を狂ったように非難する人がwebには少なくない。あれがなんかもうほんとうに情けない。

 

児童ポルノの所持に何か有益な点があると思うならアグネスを叩かずともそちらの意見を主張すればいい。単に裸体の割合や局部の問題ではないと思うなら沢渡 朔の少女アリスのような芸術性の高い少女の写真は絵画のように美術品としてみるべきだとか、映画「エコール」や「ぼくのエリ 200歳の少女」のように物語として必然性のあるものは作品全体で審議すべきだとか、それぞれの言い分をまじめに訴えて話し合えばいい。

 

アグネスというひとりの女性をめちゃくちゃになじって、ただただ嫌がらせでアグネスが疲弊するのを待ってもいいことはない。無知な15歳に馬鹿な意見を鵜呑みにさせて殺害予告させただけだ。*1

 

大人がもっと福祉非営利団体について知っていないと子供に教えることもできないよ。ネットは子供も見てるんだから。

*1:こういう子供を出してなおアグネスを叩くひとがいて無責任もたいがいにしろと思う。ポルノに借り出される子供にはなんの咎も責任もない。しかし15歳という年齢で見ず知らずの女性を脅迫した少年を免責していいはずがない。これをいっしょにするってどういうことなのよ。