誇り高く顔を上げるこども エルマーとりゅう / 魔女ジェニファとわたし

これまであらゆる図書館の児童書コーナーで目にしながらなぜか手にとってこなかった「エルマーとりゅう 」を借りた。

エルマー少年とこどもの竜が嵐の海を越えて家路につくまでを描いた冒険のお話。

ひらがなが読めるようになってすぐに読んでおくべき本だったと後悔した。いま読んでもおもしろいけれど、こどものときにこの本が胸にあったら人生のいろんな機会に思い出す楽しみがあっただろうと思う。読者同士感想をわかちあえただろうしさ。

現代では少し古臭い表現ではあるけれど、礼儀正しく平易なことばで書かれているから日本語を学んでいる人にもおすすめしたい。

 

ルーマー・ゴッデンは「人形の家」のあとがきに「児童書を書くのは、大人向けの小説でゆるされる表現のいくつかが規制されている児童書という枠の中で、いかにテーマを表現するかを学ぶ一種の訓練だ」と語っていた。彼女の作品には人生で直面する深いテーマがこどもにわかる明快さで描かれている。

 

「エルマーとりゅう」でとくに印象に残ったのは、竜とその背に乗ったエルマー少年が嵐の海に墜落していく場面。

エルマーは、目をとじて、ちからいっぱい、りゅうにしがみつきました。それから「ないちゃいけない、うちのことも、おもいだしちゃいけない」とじぶんにいいきかせました。
「ごめんね。やくそくが、まもれなくなっちゃって」
りゅうは、とぎれとぎれに、いいました。
「い、いいんだよ。き、み、だって、いっしょう、けんめい、やったんだもの」
とエルマーは、べそをかきながら、こたえました。

絶体絶命の状態でお互いをせいいっぱい気遣う子供たちのいじらしさに胸を打たれる。両親を思い出せば気持ちをこらえきれなくなるから「うちのこともおもいだしちゃいけない」と思うエルマー。こどもはすごく気を遣って生きている。

 

ちゃんとハッピーエンドになるので、ひらがなが読めるようになったお子さんに、ぜひおすすめしたい。数を数えられるようになったらエルマーがみかんがいくつ食べたか数えるのも楽しいだろうな。

 

魔女ジェニファとわたし

E.L.カニズバーグは大貫妙子の「メトロポリタンミュージアム」の元になったと思われる「クローディアの秘密 」の作者でもある。

「 クローディアの秘密」は中学生のときに読んだ。お姉ちゃん扱いで割をくってるクローディアが腹を立てて家出してメトロポリタン美術館に篭城するという話。バイオリン教室へいくと見せかけて手回り品をバイオリンケースにつめていく場面は大貫妙子の歌詞にも出てくる。

 

「クローディアの秘密」は児童書では有名な人気作品で忘れられない本なんだけど、「魔女ジェニファとわたし」はクローディアよりおさない二人の少女の物語。

転校してから友達のいないエリザベスはハロウィーンが近づいたある日、登校中に「自分は魔女だ」と語る風変わりな少女ジェニファと出会う。エリザベスはジェニファの魔女みならいになり、意地悪な少女シンシアに復讐する魔法を覚えようと奇妙な修行にはげむ。

 

これはねえ、別の意味でもっと早く読んで、大人になってもう一度読み返したかった。直接的な描写はないんだけど、格差と貧困のなかでこどもたちが友情を結ぶ物語なんだよね。こどものときに読んだら、どこまで読み取れたかなと思う。もうひとついうと、わたしは主人公のエリザベスはアスペルガー症候群だと思うので、定型発達者と非定型の物語だとも思った。

 

以下はどこでそう思ったかの解説なので、これから読む楽しみをとっておきたい人はブラウザを閉じてくださってよくってよ。

 

スクールカーストアスペルガー症候群

はじめて出会ったときジェニファは木の上からエリザベスをみおろしていたんだけど、エリザベスは「みたこともないほどやせた足」に大きすぎてぬげそうな靴をはいて足をぶらぶらさせていた。

そして出会ったばかりのエリザベスに「チョコレートクッキーを3つくれたら名前を教えて学校までいっしょにいってあげる」ともちかける。

 

この日を境にジェニファはエリザベスにあれこれ理由をつけては食べ物を調達させ続ける。ハロウィンのお菓子をもらいにまわるときは家の裏にワゴンを隠し、家の人に水をねだり、空の袋を取り落として飢えた子供のふりをして大量の菓子をせしめる。んだけど、これ、たぶんふりじゃないんだよね。ジェニファがどれほど飢えているか、そしてそれをぜったいに認めないためにどれほど虚勢をはりつづけているかをカニグズバーグはやさしい目でそっと描写し続ける。

 

本文中には書かれていないんだけど、挿絵をみるとジェニファは黒人の少女で、他の子たちが当たり前に享受している遊びや集まりから疎外されている。町はニューヨークで働く家族のベッドタウン。お金持ちだらけだ。でもジェニファはいつも「上を向いて」ひとりきりで図書館ですごし、魔法や魔術に関する分厚い本をワゴンで借りて帰る。

 

わたしがエリザベスをアスペルガー症候群だと思う理由はいくつかある。ほとんどアスペルガー同士の感覚的なものだけど、あえていうならエリザベスがスクールカーストをうらやましいとまったく思っていないことだ。もちろん一人は寂しいしつまらないけれど、エリザベスには群れたいという気持ちがなく、そこから疎外されていることに屈辱を覚える様子がない。*1

またまわりの子や大人がなぜ意地悪なシンシアを見抜けないのかわからないところ、スクールカーストどころか社会的カーストの下位におかれているであろうジェニファの立場にまったく気づいておらず、彼女を賢く風変わりなただの少女として見ているところ。*2

 

ハロウィーンの仮装イベントでエリザベスはいとこのおさがりを着て、スクールカースト上位者のシンシアはあつらえたチュチュで気取っているけど、ジェニファは「本物のアンティーク」の衣装を着てくる。ほかの子供たちはジェニファが子供向けの衣装ですらないぼろぼろの古着を着てきたことにすぐに気がついただろう。

エリザベスのそういう輪の空気に気づかない気質がジェニファをくつろがせ、エリザベスの前では生まれ育ちを見下されないよう気を張っている必要がないと思わせたのだと思う。

 

ジェニファは魔女修行と称して自分には美味しいものを持ってくるように、エリザベスにはこどもが嫌う食べ物を食べるように何度も指示を出す。エリザベスはいわれるままにジェニファが望む食べ物を献上し、嫌いな食べ物をあれこれ工夫して食べる。エリザベスの偏食ぶりと、それがゆるされる豊かさ、ジェニファの飢えと妬みから生じたであろう痛々しい悪意の対比が絶妙。

 

シンシアの誕生日パーティー前後のくだりではエリザベスの鈍さ、自分の屈辱や痛みを隠し通そうとするジェニファの抵抗が際立つ。エリザベスは鈍感なのではなく、自分におきかえて物事を考えると黒人や貧困家庭を見下すシンシアの気持ちがあまりに予想外なのだと思う。*3「仲良しでもないのに呼ばれた」ことを不可解に思うエリザベスは友情の基準を個人的なものだと考えているけれど、こんなに幼いこどもたちの間にも差別はある。

 

この貧しさの中で差し出された*4真冬の西瓜がジェニファにとってどれほど大きな犠牲だったかを考えると胸を打たれる。*5ジェニファはたしかに人種やステイタスと関係ないところで自分と向きあうエリザベスに心を開きつつあった。

 

エリザベスをアスペルガー症候群だと思う理由はほかにもある。代々こどもたちが着てきたであろう着ぐるみのちくちくを嫌がったり、町のお菓子工場からただよう香りで気分や体調が左右される感覚過敏ぶり、またさきにあげた偏食などだ。

 

自閉症は心が綺麗という話ではない。それは白人は意地悪く、黒人は誇り高いとは限らないのと同じだ。ただエリザベスが輪の空気を通さずにジェニファを見つめていたことが、ジェニファがただの少女としてエリザベスに姿をあらわす助けになったことは間違いないと思う。これは二人の孤立した個性が共鳴したお話だ。

 

児童文学は馬鹿に出来ない。こんなに短くさりげない話にこれだけのことを描くのは容易ではない。「差別をなくしましょう」「黒人をみくだしてはいけません」「発達障害者を理解しましょう」なんていわれても、具体的にそれがない状態がなんなのかわからなかればピンとこない。

 

物語を通してさまざまなことを感じることはとても大きな財産になると思う。

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:ジェニファはその屈辱を敏感に感じ取りながら、こちらから疎外しているのだという態度をとらずにいられない。

*2:森口奈緒美の変光星っぽい。

*3:「自分だったらどうか考えて見なさい」とか「人の気持ちを考えなさい」といわれて、考えてもみんなが思うような答えが出なくて悩んだあれこれを思い出す。

*4:ジェニファの大好物の!

*5:「魔女には関係ない」ということにしていたクリスマスと新年の贈り物だったのかもしれないなあ。

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