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自助グループとマッチポンプサークラ

アルコール依存者、またアルコール依存者の配偶者やその子供たちが集まり、互いに正直な胸のうちを語り、不健全な生き方をやめ、新しい生き方を選ぶために助け合う、自助グループと呼ばれるものがある。

Al-Anon アラノン家族グループ

 

具体的には数人のグループで集まりあい、互いに自分の話をする。上下関係はなく、匿名性と話の秘匿性は守られなければならない。話をさえぎったり、批判したり、助言したりすることは禁じられている。

 

こうした自助グループはアルコールだけでなく薬物やギャンブル、買い物依存、恋愛や仕事への依存、人間関係などさまざまな問題に取り組むため草の根的にも広がっている。

 わたしも以前参加したことがあったが、日本では歴史が浅いこともあり、適切な指導者もいなくてなかなか大変だった。

 

なにしろ「自分の家と人生は狂ってる、耐え難い、なんとかしたい」と切羽詰った人が集まってくるのだから、出だしから順風満帆とは言いがたい。グループの中で不健全な家族関係を再演するようなことも多々起きる。

発祥の地であるアメリカから大量の書籍が翻訳され、指導要綱だけは山盛りあるけれど、健全さを体感したことがない人がそれを読むわけだから、解釈もねじれやすい。

 

こういうことは自助グループに限らず、距離感を見失いやすい閉じられた人間関係で起こりやすいんじゃないかと思う。

 

俺伝説を「大事な資料」だと思っているイミ

華々しい犯罪歴を華麗に告白して女子大生に膝枕してもらったid:erousuことイミが、ワルだった俺伝説の解説エントリーを書いた。

ymrk.hatenablog.com

先のエントリーも見たくないと書いたひとが多かったのでわたしなりに要約すると、イミが前回のエントリーを書いた理由は三つ。

一つめは自意識過剰で承認欲求が強いから
二つめは、自分の罪悪感が赦されたと思ってテンションが上がっていた
三つめは、自身の性加害歴は性暴力の問題を考えるうえで大事な資料になると思ったから

ここまで読んでなぜか爆笑してしまった。あまりに少年Aっぽくて冗談のようだったからだ。

 

イミは以下のTweetを引用して自分のエントリーが性暴力を減らすものだと主張する。

どういう根拠で犯罪者が心理を語ることが「必ず」犯罪の抑止になると言っているのかわからないが、*1こういった加害者の発言をことさらありがたがる風潮は、イミのような未熟で頭でっかちな人間がおかしな方向へ突き進むあとおしにはなっている。

 

 性暴力を減らす取り組みをしてきた男性によるこの意見は、かなり説得力があるのではないでしょうか。僕も一応、森岡正博さんや杉田聡さんの著作を読む中で、この価値観を共有していたつもりです。しかし、自分の加害者性について語ることはかなり勇気のいることです。責められること間違いなしだからです。誰も味方がいないのにそんなことはできませんでした。

やらかしたことを非難されるのは自業自得である。周囲の反応と処分の重さで態度を決める姿勢には、一貫して反省や被害者の損害を想像する様子がない。そりゃどんな勇気も生まれないだろうよ。勇気は卑怯な人間の胸には宿らないからな。

 

このあとさらにイミは熱に浮かされたように「男は赦されるもの=加害者であることを社会に期待され続けている」「女性は赦すもの=被害者であることを期待されている」などといっそう意味不明なことを書き綴り、*2「少なくない男性が僕の記事に「よく言った」「すごい勇気だ」「尊敬する」などとコメントした」ことがその証拠だという。*3

 

実際にはイミのしたことは「夏にコンビニのアイスケースに入って自撮りして拡散した」と話すことと大差ない。リアル知人も見ているブログで全世界に向けて俺の犯罪歴をつまびらかにするのは確かにある意味すごいことだ。でももっとすごいのはイミがそれをなんだか社会的に意義ある大事な資料だと主張していることだ。

 

何にとって意義があるか。それはイミが主宰する人生の文脈を交わす会のお題目である「生きづらさの解消」と関係しているように思う。

 

「人生の文脈を交わす会」主宰者としてのイミ

イミの話はありがちな話を小難しく解釈して理屈っぽく説明するという特徴がある。過去のエントリーにも映画や本を小難しく解釈した話がつぎつぎに出てくる。癖なのかなと思っていたけれど、よく読むとイミはそれを主に自分が主宰する「人生の文脈を交わす会」という一種の自助グループに向けて書いているらしい。

 

yamassshi.hatenablog.com

人生の文脈を交わす会」は月1で開催され、5名前後で集まって互いに用意した作文を読みあったりしながら語り合う会だ。年齢性別問わず誰でも参加でき、人生の文脈を交わす会 (@bunnmyaku) | Twitterには参加者の声が寄せられている。どれも好意的で、会から得られる気づきとカタルシスのこと、イミの組織力と知見に感心したという話が多い。そして今回イミが語った俺伝説で大混乱したのはイミのリアル知人、なかでも特にこのグループの参加者だった。

 

わたしは当初イミが俺の搾取歴語りを絶賛する人たちのなかに、日ごろ差別や抑圧を真剣に考えている人が多いことを不思議に思った。なんでこんなひどい話を「えらかった!」なんてほめてるの。そして男子の性衝動をカルマか何かように特別視する風潮 を書いたあと、ふたたびTwetterを見たら、「彼を非難すべきではないと思っていたが、わからなくなった」「彼を個人的に知らなかったら彼の搾取を間違いなく批判していたが、冷静に考えることができない」と苦悩するTweetがつぎつぎに見つかった。*4

 

そして思った。これは自助グループのノリだ。どんなに重い告白も、加害も批判してはいけない。裁きの場ではなく、誰も批判されることなく安心して自己開示できる場を、みんなで作らなければならない。そうした強い抑圧を、このひとたちは外の世界にも適用している。

 

イミは「人生の文脈を語る会」でいじめ加害者と被害者が同じ場で人生を語ったことをTweetし「不思議だった」と書いている。彼はこの自助グループノリで女性への性暴力加害を女性に語り、相手が性暴力被害者だったことを同様の奇跡のようにとらえたのではないか。*5

 

また彼を囲むひとたち、搾取されつづけ、語る場を探していたひとたちも、主宰者の赤裸々なプライバシーを含む加害歴を自助グループノリで受け止め、受容すべきだと反射的に行動したのではないか。

 

おたすけおじさん化するグループメンバー

これは イミが「人生の文脈を語る会」に定期ポストしているTweet。

キーワードは「 生きづらさ」のようで、「生きづらさ」を使ったTweetが全体の78.2%を占めている。というのは嘘です。誰か数えて。見た感じは80%超えだった。

 

@bunnmyakuによるTweetは理知的で親切で読みやすい。先のエントリーにも書いたけど、イミの無神経さ、要領のよさは抜群だ。しかしこれに引き付けられてきた会のメンバーはそうではない。

 

他人が「傷ついている」というとき、自分と同じかさらに深い傷を想像する。また相手の反応に責任を感じやすい。そして人の犠牲になることに慣れている。イミの周りにはこういう人が多い。屋上娘もそうだ。人の心配している場合じゃないのに、「イミが叩かれている!たいへん!助けてあげなくちゃ!」という気のいいあわてんぼうがイミの囲いになっている。

 

イミを書いたものの反響から、したことの結果から守ろうという行為は、実際にはイミの無自覚な傍若無人さを後押しするものであり、イミの成長を阻害している。こうした役割をひきうける人をイネーブラーといい、Dr.林は「お助けおじさん」と読んだ。自己愛と承認欲求の強い庇護欲をそそる人間を周囲から守ろうと自分を犠牲にする人のことだ。会そのものはいたってまじめで健全なものかもしれないが、こういう不健全な人間関係からは即刻距離を置いたほうがいい。

 

物語の至上命題に逆らう難しさ

先日うしじまいい肉さんに教祖の藤島数希が敗れたことで憤っている恋愛工学信徒たちは、「誰がなんと言おうと藤島のやることには恋愛工学的解釈によれば意義がある、バカな一般人にはそれがわからないんだ」と主張している。

 

イミがワルだった俺伝説を「社会の不平等」「男女差」「性嫌悪」だので飾り立てるのはこれと同じだ。彼は自分を「生きづらさ」を抱える人間のひとりだと主語を大きくし、「自分のしたことは我々の生きづらさの解消という点で貴重なことだった」と主張しているのだ。

 

アルコール依存と取り組む会では、依存症克服の努力はなんであれ賞賛されるべきこととして扱われる。イミは閉じたグループの命題をお題目のように唱え続け、*6彼を囲む人々はその物語における至上命題に逆らえない。

 

本来であれば親しい友人知人が彼のやばさを真っ先に指摘するところだけれど、彼を囲む人のなかには本当に彼と親しい人*7はおそらくいない。それなのに家庭内の性暴力や「人生の文脈」といった、これまで誰にも話したことのない深い話をわかちあってはいるので、イミに強い親近感と連帯感を覚えている。とても他人事として批判することはできない。

 

これは孤独な子供が詐欺師の世話になり、擬似家族の温かさを知った気分でいるところにガサ入れが入るようなものだ。悪い人なんかじゃない。やさしくてもろくてかわいそうな人なんだ。自分のことはいい、彼が救われることが自分の救いでもある。こういう関係は病的だから即刻距離を置いたほうがいい。

 

イミは大学のサークルなどに入らず、「人生の文脈を交わす会」がその代わりだと書いている。だとすればイミはサークルの設立者であり、同時になかの人間をどんどん病的な不健全さに追い込んでいくというマッチポンプサークラなんじゃないかと思う。

 

自助グループで助けられることは実際にある。しかしよく似た問題を抱えている人同士の蛸壺で煮詰まると本当に酷い目にあうし、酷いことに加担してしまうこともある。どこまでが自分の持ち場で、どこから相手の持ち場かわからなくなったり、おかしいと思うことを指摘するのが怖いと感じたりするなら、そのグループ、あるいはその人とのつきあいは考えたほうがいい。

 

イミはモテとナンパをめぐる話でかいてきたモテ農夫の典型で、タイプは違うが「失恋ショコラティエ」のサエコに重なる。彼にはこれからも取り巻きが後を絶たないだろう。いたいけで性に未熟な印象をあたえるイミを擁護したくてうずうずしている女性は多いだろう。そういう人に読んで欲しい本を最後に紹介しておく。

 

kutabirehateko.hateblo.jp


kutabirehateko.hateblo.jp

*1:「性暴力被害を減らしたければ繊細な加害者に気を遣え、口の利き方に気をつけろ」という このTweetのあからさまな加害者擁護と被害者への抑圧、巧妙な脅迫については抗議の声がいくつもあがっている。

*2:性そのものに罪深さを問うならそれはむしろ女性に負わされてきたものだよね。

*3:いっぽうで女性からしか反響がなかったとも書いていて、どっちなんだかよくわからない。

*4:イミを批判するのが正常だという意味ではない。黒歴史の受け止め方は人それぞれだ。判断しようとすると傷がうずくのはなぜかということ。

*5:彼の視点は映画「アクト・オブ・キリング」のようで、「ルック・オブ・サイレンス」側の視点はなかった。

*6:会の参加者かどうかは別として

*7:殴り合っても関係が壊れないような