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「一人暮らし=自立」ではないし「親元=依存」でもない

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夜仕事なのに風邪ひいた。これ書いたら寝る。

 

親と暮らす人に「家を出て自立しろ」っていう人がいるじゃん。あれおかしい。親元にいることが病的な依存とは限らないし、一人暮らしだけが自立というわけでもない。

わたしは17歳から自活していたので、偉いねえと褒めてくれる人がちょいちょいいた。別に偉くない。わたしは親と折り合いがつかなかったから家を出ざるを得なかっただけ。それにひとくちに一人暮らしといっても社会人としてそこそこまともな暮らしから、自堕落で野放図、大家から苦情が出るようなものまでいろいろある。

 

だいたい生活形態を威張るというのがよくわからない。何人家族だったらエラいってなんだそれ。そりゃ家事も家計も貯金もばっちりでいつでも家に人を呼べるし、なんなら困ってる友人知人をちょいちょい食事に呼んだり泊めて話を聞けるというなら立派だと思うけれど、そういう人だったら親と暮らしていようがじいちゃん、ばあちゃんと暮らしていようが、片親だろうが同性カップルだろうが立派だと思う。何もひとりで暮らしていることが条件ではない。

 

わたしは早くに親元を出たけど、弟は進学まで、妹は結婚まで家にいた。何度か書いたけどこの二人は協調性があり、どこにいっても誰とでもまずまず上手くやっていける。だからわたしには耐えられない環境に踏みとどまって、あの親の元に残った。ああいう親でも見捨てらえないと思ってがんばっていた弟妹の対人スキルはわたしよりずっと高い。しかし成人して親元にいる人を親なしに生きていけない人、甘え放題で親に寄生している人みたいに居丈高に言う人がいる。こういう人が想定する家族のイメージはパターンが少なくて貧しい。

 

わたしの母は社会で働いたことがないまま結婚し、長年夫から「おまえは社会で通用する人間じゃない、俺から離れたら絶対に生きていけない」と言われ続けていた。でも40過ぎて資格をとって就いた仕事が水に合ったようで、びっくりするぐらい稼いだ。自分でも驚いていた。

こういう「おまえには無理だ」は親も子供に言う。わたしが家を出て母のもとへ行こうと思っていたとき、叔母と祖母から座敷に呼ばれて正座させられ、生きていけるわけがないと懇々と説教された。

 

「自分が家を出たら家族は困るんじゃないか」「自分に一人暮らしは無理かも」の圧力で煮えてしまって家から出る決心がつかない人が世の中にはいる。そこに何も事情を知らない人が安易に「一人暮らしは甘え」とわかったようなことを言う。わたしはこういうの心底想像力が欠けていると思う。

 家族を繋いでいるのは経済事情だけではない。その辺見落とす人が家政をあずかる主婦や主夫、ご隠居、病に倒れた父親におかゆをすすめる娘を賢しげに馬鹿にする。

 

デビット・D・バーンズは認知行動療法について書いた「いやな気分よ、さようなら」の中で、評価主義者は鬱に陥りやすいとのべた。なぜなら自分自身が設定した評価をもとに自分を評価せざるを得ないからだ。 

生活費を稼いでいるのがえらい、内情がどうであろうとひとりで暮らすことがえらいと思っている人は人の手を借りて生きていかなければならなくなると俄然凹む。でも人生にはそういう変化がそこかしこにある。

 

スティーブン・R・コヴィーは「7つの習慣」の中で「自立は最終的な目標ではない。目指すべきは相互依存だ」と書いた。人は一人では生きていけない。正真正銘の田舎で一人暮らしをするとそれがよくわかる。買い物するにも売ってくれる相手が必要、商売するにも客になってくれる相手が必要。部屋だって大家になってくれる人がいなければ借りられないし、土地だって売ってくれる人がいなければ買えない。

 

空中から一人でお金を取り出して魔法で部屋を作って霞を食べて暮らしたというならわかる。そうでないなら「一人暮らし」といえども人が人に依存して暮らしていることに変わりはない。親元にいる人、家族と暮らす人を見下す理由は何もない。

 

「親元にいたのに一人暮らしをするお金もなかったのか」って?

親元にいる間に貯めたお金で結婚資金を貯めたり、金の延べ棒を買ったり、ダイヤを買ったり、義援金を送ったりするのもやりくり上手だと思うし、それをブログで公開する必要はないよね。もちおは妹弟の学費を負担するため親元に戻って働いていたよ。親類縁者の借金を背負っている人もいる。一人暮らしまっしぐらに貯蓄するべきだとはわたしは思わないよ。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:南こうせつの「神田川」の二人はどんな部屋に住んでいたのかと考えて描いた絵。