読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雑種家族の絆

思うこと 愛とか

わたしには二人の妹がいる。一人は両親を同じくする血の繋がった妹で、もう一人は父が養女として籍を入れた継母の娘。末の妹とは父の再婚がなければ出会うことはなかったが、いまはこの末の妹のおかげで実家との繋がりが続いている。

 

末の妹は上の妹とはまったくタイプが違う。上の妹は色白の器量よしで肉感的、自分を魅力的に見せる術を心得ていて文句なくモテる。人を楽しませる会話が出来るし気も利く。放っておいても男性が集まってくるので人を惹きつける術より怨まれずにあしらう技を磨いてきたタイプ。

下の妹は浅黒い肌のちびっこポニー体型で、いつも「おまえそんな貧乏くさいかっこするな」と父に言われながらTシャツデニムにスニーカーで暮らしており、*1「あたしは典型的なモンゴル顔だからアジア旅行すると現地で違和感がない」とよく言っている。

しかし下の妹は老若男女問わず人懐っこく、屈託がなく、よく気が利いて押し付けがましいところがないから付き合いやすい。どんどん人と知り合うせいか驚くような人脈を持っており、上の妹と負けず劣らず人に好かれ、恋愛遍歴もそれなりにある。

 

上の妹は生まれながらにモテ地獄覇者だった母の血を引いている。しかし下の妹の母である継母も、モテ地獄頂点に君臨する女であった。

 

継母はわたしがこれまでに出会った誰よりも人心掌握の術に長けている。10人が10人見とれてしまう実母とは違い、継母の容姿は「ちょっときれいなちびっこ」であったが、無邪気でお転婆な少女のようなふるまいと、ちょっと暑苦しい母親のような面倒見の良さで多くの男女を虜にし、親から受け継いだ店を切り盛りしてきた。継母はホームドラマの女優タイプなのである。モテ地獄頂点に生きる父はタイプは違えどモテ地獄の勝者にふさわしいと思う女を妻に選んだのだった。

 

こうして二人の母を持っていることのいいところは、*2親を相対的に見ることが出来るということだ。

 

継母と父の再婚は当時のわたしにとって二度と家族が戻らないことを決定づけるものだった。一方で父と弟が女手なしに暮らしていることは気がかりだったので、「なんでもあたしにまかせなさい!」という継母の登場はありがたくもあった。

継母はそれまで実母が一度もしてくれなかったことをしばしばごく当たり前にしてくれた。段ボールで食料品を送ってくる、冬が近づくと「あたしはババアだからもう似合わないのよ」と暖かい衣類を送ってくる、父が手当り次第に買ってくる海外旅行の土産物の化粧品やバッグ、宝飾品を「うちは娘が三人もいるのよ?よその女に渡してどうするのよ!」と分配してくれる。

 

婚約解消されたとき、わたしの重い口をうまいこと割らせて話を聞いてくれたのも継母だった。「はてこはもっと自分の気持ちをママ(実母)に言わなくちゃだめよ」と継母は言った。そんな言葉はそれまで100万回人に言われてきたことだったが、一時間じっくり差し向かいで話を聞いてくれた人が最後に静かにいうと重みが違う。元婚約者にヒステリックな批難の言葉をぶつけた揚句「でもはてこが嫌だっていう気持ちはわかります。わたしもこの子といるより下の娘といる方がいい。あなたは別の方と結婚した方がいいですよ」と言い放った実母とは大違いだった。

継母のほろりとするようなやさしさにふれ、わたしははじめて自分にも実家が出来たような気持ちになった。「いつでも帰って来なさい。ここははてこの家なんだからね」と、小さな体で叱るように諭す継母を見ていると涙が出そうだった。継母が用意してくれた風呂に入りながら「こんなおかあさんだったらよかったなあ」とひとりで泣いた。

 

じゃあ「末の妹はしあわせね!」ってなるかというと、そうじゃないんですよね。

 

一連のモテ農夫関連をお読みくださった方はもうお分かりかと思うけれど、モテ地獄覇者で、かつその立場を自ら掴みとった人は、その魅力に匹敵するような強烈な問題をしばしば持っている。モテようがモテまいが人は何かしら問題を持っているものだけれど、親がモテ地獄覇者だということは子供が被害を被っていることが周囲にわかりづらく、共感もされづらい。また子供自身そのことを自覚し、親と別個の人格、人生を持つことが難しい。

 

ナイル川の氾濫は肥沃な土壌をつくるものだった」とブコメをいただいたけれど、氾濫で家屋が流され、貴重な畑も愛する家族も失う人もいる。強烈な親から恩恵を受けることにはしばしば多大な犠牲が伴う。末の妹もわたしたちとは違う形で親に貴重なものをガンガン壊され、流され続けて生きている。末の妹の生い立ちを見聞きして「うちはまだまだ恵まれた方だったんだな」と痛感する面もちらほらある。

 

そんな風にいろいろな人が家に入ってくると、人を「いい」「悪い」と単純に分類できなくなってくる。自分のことも、親のことも、伴侶のこともそうだし、人生についてもそうだ。

 

自分の生まれ育った家と親を相対的に見る機会は視野を広げる。結婚した相手の家と比較することで、相対的に自分の家庭を見つめなおす機会をもつ人も多いと思う。結婚すると家事のやり方、行事のやり方、お金の扱い方にもさまざまな違いがあるのがわかる。複合家庭のいいところは結婚前からこれを体験できる*3ということだ。

 

血統証つきの犬は親同士が遺伝的に近いため、同じ病気にかかりやすいと聞く。家柄もそうなんじゃないかと思う。同じ階層、同じ背景、同じ文化の家で脈々と受け継がれる伝統の中には、煮詰まった蛸壺のように家族を病ませるものもある。外から違う文化が入ってきてはじめて「これはありがたがるものじゃなかった」「実は貴重なものだったのか」と気が付くことがある。

 

モテひとつとっても上の妹、下の妹、実の母、継母の四人を見ることで考えが広がる。上の妹は去年再婚したけれど、夫婦関係の比較対象は実の両親、父と継母、わたしともちお*4、前のダンナと自分、それぞれのダンナの両親と比較対象がたくさんある。もっと言えば継母をはじめ、それぞれのダンナの親である姑も離婚再婚を繰り返している人で、これらすべてを合わせた数を上回る離婚再婚を現ダンナの祖母が達成している。*5それらを比較していくと「常識的に」「普通の夫婦は」と話を一般化せず、現実に即した個人的な事情に照らして物事を考えざるを得なくなってくる。

 

みんなが同じだったら弱点も同じになってしまう。バリエーションの豊富さと突然変異は絶滅に強い。「家族の絆」というと一律強固な行動規範で暮らすイメージを持つ人がいるけれど、実際には「家族だ」ということ以外、なんら共通項も接点もない人たちが、揉めたり和解したりを繰り返しながら、ゆるく繋がり寄り集まって生きていることを指すのだと思う。

 

*1:でも実は三姉妹のなかでいちばん高価なものをいつも身に着けている。

*2:本当はもう一人いたんだけど、わたしが顔を合わせる前に離婚したので幻の母になった。

*3:せざるをえない

*4:また二人の兄とその連れ合い

*5:すごい美女だったのだそう。