モテ農夫と荒地の民

モテとは何か、モテ指南とは何かについてブログで考えるだけでは飽き足らず、最近はメールや電話でも人と意見を交換している。*1最近確信が深まってきたのは、モテ農夫がターゲットにするのは幼稚さをもてあましている人なんだろうな、ということだ。メールをやりとりしている方が同様の点を指摘してきたので、返事を書いた。 

>いわゆるモテテクというものが結局男女問わず「ガキにモテる方法」と言い換えることができるんじゃないか

 
これね、わたしも近いことを思いました。
あるいは人の幼稚さを引き出して甘やかす方法がモテテクなのではないか。
この話にそれがよくあらわれているように思います。
 
精神的おむつ替えサービスに対する誇り
 
三省堂新明解国語辞典には「甘える」が
「常識的にゆるされないことをゆるしてもらおうとする」
と説明されていたように思います。
 
「恋人に(あるいは女性に)癒しを求める」とは
「図々しいことを大目に見てもらうことを望む」ということなのではないでしょうか。
 
わたしは夫には「ほかの誰にもそんな風に接したことはない」という幼稚な態度で暮らしております。
夫がはてなブログでもはじめてその辺あきらかにしたら生きていけないくらいの幼稚さです。
 
「これは人として駄目なんじゃないか、いい加減にどこかでけじめをつけなければならない」
といつも思いますが、いちどこうなってしまうと元に戻るのはとても難しい。
 
でも、言い訳をするようですが、家族や夫婦にはある程度こういう部分もあっていい、
むしろそれが出来るのがいいところだ、とも思っています。
 
ほいじゃそれはモテテクと何が違うのかというと
特別な関係にある相手とだけにゆるす親密さを、厚意を勝ちえるために演出する
というところではないでしょうか。
 
「気のあるそぶり」、あれなんかそうでしょう。
「思わせぶり」とは何を思わせているかというと、特別な親密さにあると思わせているわけですよね。
 
セクハラとは親密な関係にある人だけにゆるす行為を強制することです。
モテテクとは親密な関係にある人だけにゆるす行為を擬態することではないでしょうか。
セクハラとモテテクが紙一重なのはそういった理由だと思います。
 
もちろん単に馴れ馴れしいだけでは叩き返されてしまいます。
そこでターゲットになるのが甘えたい気持ちを抱えている人なのではないでしょうか。
 
もちおと出会って思うのは、親元でいい感じに愛されて育った人は
外の誰かの愛の紛い物をありがたがったりしないのだろうな、ということです。
これはモテを駆使する人の方もそうです。
家族や友人の素朴な愛を水や空気のように受けてきた人は
擬態した自分に依存する人を喜んだりはしないだろうなと思います 
 

 

 さて、今朝ネットを見ていたら、ブログあの子のことも嫌いですの鶉まどかさんがインタビューに答えている記事を見つけた。鶉さんは本を出されたそうで(おめでとうございます。買います。)著書の中に離乳食男子という表現があるとのこと。

本を読んでいてすごいなって思ったのが、クラッシャられ体質の男性たちを“離乳食系男子”と命名したくだりです。サークラとしての鶉さんは、まさに赤ちゃんの相手をする保護者ぐらい、手取り足取り彼らを嬉しがらせるようなことをやってあげて、「好き」を引き出す。

男子からの「好き」を集めて自己肯定の材料にしていた。元サークルクラッシャー・鶉まどかの考えていたこと

 槇野さやかさんが「おむつ替え」と表現したことを、鶉さんは「離乳食」と表現している。これはモテ農夫の農業のことだと思った。「男の人ってかわいい」にも通じるものがある。鶉さんはサークラにひっかかるクラッシャられ男性たちと岡田斗司夫にひっかかる女性双方にこのような甘えがあると指摘する。

モテ農夫が指南するモテテクとは、人の中に眠る甘えを引き出してもっともっと甘えたいと思わせることなのだろうと思う。現実を直視させずに相手の幻想のままにふるまう。自分と違う意見、違う人格に直面させず、想像どおり、理想どおりの世界を見せる。そうして自主的に問題に取り組む姿勢をスポイルしていって、自分が提示する意見に乗っかるように誘導する。

 

なんてめんどくさいことでしょう。

 

こんなことが続けられるのは詐欺師とモテ農夫だけで、彼らは収穫の喜びを知っているからがんばれる。でも鶉さんは農閑期を経験している。

 私も結局、さっきも少し触れた初彼が出来たことで、サークラはすっごい虚しいっていうことに気付いたんですよね。その人と会った時に、「こうやって誰かと一対一で深い関係を築くのってすごい楽しいんだ」とわかって、これまでしてたことってそんなに楽しくなかったなってすごい思ったんです。(中略)私がリードして手取り足取り離乳食を与えてあげなくても、すごく楽しい。「あ、普通に対等に人間と話せるってこんなにいいことなんだ」って。ただ、その彼に振られてから、また自暴自棄みたいになってサークラを始めたりもしちゃうんですけど(苦笑)。 

 そうなんだよ。こんな風に手間隙かけて人をスポイルして得られる関係は、凸凹はあっても対等な関係でえられる楽しさに比べたら砂を噛むようにむなしいのよ。

 

こういうことをやろうとする人としない人の分かれ目はどこにあるのかを考えていて、8月にちょっと書いたんだけど短くまとめられずにいる。昨日メールの終わりにはこんな風に書いた。

さて、モテテクニシャンのみなさんは相手の気持ちを察してそこを満たすことを推奨しますよね。
チャットの件でお伝えしたように、わたしもやろうと思えばそれができます。
Uも気が利く子なので職場でそんな風にやりとりしているそうです
しかしUもわたしもそういうことに甚だ疲れてしまう方で、意中の相手にそういうのは出来ない。
モテを自在にあやつる側の人らと何が違うのか。
 
思うに、親の気持ちをなだめるために奔走した子は察して応えることはできる。
そこで親を手玉にとっていい思いをした子はモテを肯定的にとらえてモテ農夫になる。
親の暴走をなだめるために全力で察したけれど、特にいい思いをしなかった子は農夫にならない。
後者はナイル川の氾濫を食い止めようと右往左往するエジプト奴隷のようなものです。
 
モテ農夫は相手に求めるものを自覚しており、要求するのが上手ですが
われわれ奴隷組はひたすら「氾濫がおきませんように」と祈っているだけでそれ以上が浮かびません。
なので人の気持ちを察して面倒を見る場面に辟易としているし
自分が人に何か要求できるということが実感としてよくわからないのではないでしょうか。
 
親にさんざん利用されてきたUは、昨日楽しく会話した女性に連絡先を聞かなったそうです。
「せっかく楽しく話したのに、最後にヤリ目だと思われたら残念だから」
「男だったら連絡先を聞いて遊びにいこうって言った」
と言っていました。こういう人は人をだいじに思えば思うほど要求すまいと思うように思います。
こういうやつはモテない。

「氾濫を食い止めようと右往左往する奴隷」と書いたけれど、これはモテ農夫と対比するなら荒地の民かもしれない。そういう人は大雨とともに荒れ狂う濁流に再三悩まされたので小雨程度でもハラハラするが、それを操作するのは不可能だと考えるようになる。川から水を引いて田んぼを作るとか、ダムを作るといったことは考えない。

 

モテ農夫は問題を抱えた幼稚な人を「自分の欲しいものを実らせる肥沃な大地」と考えて世話をする。荒地の民はそういう人を「氾濫しがちな川」と考えて絶えず警戒しつづけるが、そこから何か得られると思わない。荒地の民は見返りのない堤防の見回りに疲れきっているので人嫌いになることも多い。

 

非モテとモテの境界線はここなんじゃないかと思う。

 

荒地の民もモテ農夫もコミュ障だ。でもモテ農夫は対人関係で甘い汁を吸えている自分を誇っていて、荒地の民は奪われるばかりの対人関係で悩んでいる。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

*1:図書館に木嶋佳苗関連書籍をリクエスト中。全冊貸し出し中でびっくり。