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珈琲

今日は仕事でお客様にお会いした。

 

わたしは知らない人に会うと緊張して黙っていられなくなるタイプ。いちばん苦手なのはまったくの他人ではないけれど、気の置けない関係まではいっていない人と内密な話をすること。でも仕事のつきあいはすべてこれなので、仕事帰りはフラフラになる。いつも通る道を間違えてとんでもないところへいってしまったり、駐車場に停めた車から何時間も降りられなかったりする。

 

でもこういうのは顔に出ないし、仕事中は自分でもそんな感じがしない。空腹で低血糖になっていようが、直前まで寝込んでいようが、仕事中はだいたい平気。お客様や取引先と別れてからグラッとくる。

 

仕事に限らず「実は友達というほど親しくない人とざっくばらんに話す」という状況では同様にてんぱっている。いっしょにいててんぱらないのはもちおだけだ。もちおがいると一人でいるより安心する。

 

昨日はもちおがいなかったので、人に会った帰りに馴染みの喫茶店へいき、「緊張して話しすぎてしまって疲れちゃいました」とマスターに話して珈琲を頼んだ。マスターは「それはそれは」と笑って珈琲を入れてくれて、店にはわたし一人だったけれどあとはずっとそっとしておいてくれた。

 

わたしは美容院やマッサージサロンへいっても話しかけられると調子よく相槌をうち、熱心に話を聞いてしまう。人の話を聞くのが面白くてすきだというのも本当なんだけど、黙っていたくても相手が話したそうだと穏便に話を切り上げる方法がわからない。

 

マスターは黙ってレコードを替え、水を新しくして、目の届く範囲でグラスを拭いていた。わたしは手帳にペンであれこれ書いたり、頬杖をついてぼんやり音楽を聴いたりしながら沈黙を堪能した。一時間ほどそうしてすごして「落ち着きました」とマスターに言ったら「元気でましたか?」と言われた。

 

家に一人でいる間、思う存分黙っていられる。でも緊張は内側で高まってほぐれない。目に入るものに急き立てられてしまうからだろうか。静かな店で音楽を聴きながら珈琲を飲んでそっとしておいてもらうのとはなぜか違う。

 

はじめてこの店に入ったときもお客様にお会いした帰りだった。仕事はとてもうまくいってお客様もわたしも笑顔で明るく別れた。そして帰り道泣きそうな気持ちで、トボトボといくつものバス停を通り過ぎて歩いた。道は一本道だからどのバス停でバスを待ってもよかった。でもどこで区切りをつけたらいいのか、わからなくなってしまったのだった。その通りに喫茶店があった。見るからに上質な店でそれまで敷居が高かったけれど、朦朧としていたのでなんとなく入った。

 

店に入っていよいよ「ここはお金持ちが珈琲を飲むところだ」ということがわかった。でもマスターはいたって普通にオーダーをとり、美味しい珈琲をいれてくれた。そのときも半べそで黙って一時間くらいカウンターに座って珈琲を飲んだ。嫌なことがあったわけでも、困った事態が起きたわけでもなかった。でも映画「BIG」のトム・ハンクスのように、いきなり大人になって元に戻れなくなった子供のような気持ちだった。大人として暮らすあいだ、ずっと大人でいなければならない。もちお以外の人と話したあとはよくそういう気持ちになる。

 

この店で黙って珈琲を飲んでいる間は少しだけ元に戻れる気がする。葉っぱを落とした狸みたいに。座っていると背中から楽になる。「福岡に住んでいちばんよかったのはあの店があること」ともちおは言う。わたしもそう思う。

 

珈琲飲むと興奮状態になるので日ごろ飲まないようにしているけれど、ここぞというときには店に行くか、買って来た豆を挽いて飲む。画像は豆を買ってきて家で挽いていれたもの。