すきなひとの実家のお墓

夫と母と三人で実家の墓参りにいった。父に見つかったら大目玉だし、継母に見つかったら離婚騒動になると思う。しかし母は前からいまは亡き舅姑の墓にいちど参りたいと言っていたので、お忍びでいった。父はわたしの知る限り一度も墓参りをしたことがない。

 

母が前回この墓に参ったのはちょうど30年前、離婚の前の年だった。母はその少し前、理由を言わずに数日家を空けた。そして帰ってくるとわたしたち兄弟を引き連れて墓参りへ行った。ほんの少し前まで母が近所へ買い物にいくだけでも大騒ぎをしていた父はそのことを何も咎めなかった。父はそのころ愛人の家に足しげく通っており、家庭は冷戦状態だった。

盆以外に祖父母抜きでする墓参りはそれがはじめてだった。ひととおり掃除が済むと母は墓前で一枚の紙を広げてなにか口の中で唱えていた。わたしたちはもちろん母が何をしているのか気になったが、母はそこでも言葉を濁して答えなかった。 

 

墓参りの少しあとのこと。祖母が「息子にはいくらいっても拉致があかない、愛人に直接抗議する。息子は追い出す。子供と一緒に面面倒を見るから心配しなくていい」と鼻息荒く出て行った。愛人は祖父母に手をつき涙を流して「一千万円払いますからどうぞ添い遂げさせてください」と土下座した。祖母はなんだかそれにすっかり飲まれてしまい、帰ってくると「一千万払うって言ってるから、もう諦めて別れなさい」と母に言った。

長年祖母とやりあってきた母は徹底的にやりあったからこそ持つ同士のような気持ちを祖母に持っていた。母は祖母の言葉になんともいえない悲しそうな微笑みで返した。一言も抗議せず、そこでは涙もこぼさなかった。

翌年の春、母は離婚して家を出て行った。

 

母が例の墓参りの前に家を空けて東京へ行っていたことを知ったのは母が離婚したあとだった。母は兄にだけ事情を話していたらしい。母はどうやってコネを作ったのか知らないが、当時人気絶頂だった細木和子に会いに行き、なんとか離婚を回避することは出来ないかとたずねたようだった。鑑定料は5万円と聞いた。細木和子は開口一番「先祖供養が足りない!」と母を叱り、何やら手順を紙に書いて母に渡したらしかった。母が墓前で広げたのはその紙だった。

 

兄の妊娠で決まった母の結婚は、はじまるなり父の暴力浮気借金(主に実親へのもので、父は結局粘り勝ちで踏み倒した)など各種の危機にさらされた。母は泣きながら、あるいは激高しながら何度も荷物をまとめて神奈川の実家へ帰り、各方面に諭されては福岡に帰ってきた。父には母と離婚する気がまったくなかった。父は誰の言うことも聞かずしたいように生きていたが、何があっても母だけはぜったいに手放さないと決めており、「そのために四人も子供を産ませたのだ」と豪語していた。

祖父母の風向きが変わってからも父が離婚に同意するまではたいへんだった。抵抗する父に断固籍を抜くと言い張る母。母は東京への進学を反対される娘のように力強く主張し続け、ついに離婚を勝ち取って出ていった。願った通りに望んだとおりに出て行った。ように見えた。細木和子とあの墓参りだけが奇妙な矛盾として残っていた。

 

30年経って当時の母の年齢を超えたいまわかるけれど、母はあの抗いがたい異常な魅力を持つ夫から、けして離れたくはなかったのだと思う。人って本当に一筋縄ではいかない。

夫に正義と道徳の議論を持ちかけたりしないで、すきだからそばにいてほしい、よその女のところへいかないでほしいと言えたらよかった。父はいつもいつも母から愛しているとかすきだとか言って甘えてほしがっていた。父は酔っていても素面でも「おまえらの母親ほどいい女はいない」と常々子供たちに自慢していた。

けれど母は長年の苦労で怨み骨髄、女の面子にかけてもそんなことは言わなかった。ツンデレがこじれすぎてどうしてもそれが出来なかったんだと今はわかる。でも小学校中学校だった子供たちにそんなことがわかるわけがない。ましてわたしはアスぺだから別れたいというからには別れたいのだと思っていた。だったら別れさせてあげるのが親孝行だと思っていた。自分がそれを望まなくても。

 

子供のため、舅姑のためというのは大義名分で、母は誰より父のそばにいたかったのだと思う。それが叶わないからいつも呪詛を吐き続けていたのだと思う。わたしはそれを真に受けてしまったし、父も真に受けていたと思う。それなのに母には「ここはもう大丈夫だから好きに生きなさい」と言われてなお「本妻は私です」と言い返す図太さがなかった。そして母は出て行った。

わたしたち子供は母を引きとめるに値しなかった。それが出来たのは父だったのだといまはわかる。なのに父は父で面子を捨てることができず、たいして好きでもない愛人と意地になって別れなかった。女房の言いなりになるのは弱い男の印だと当時の父は考えていた。

 

母が去った翌年、わたしも父と折り合いが合わずある日学校へいくふりをしてそのまま東京へ出て行った。一昨年帰郷することになるまで実家の墓に参ることもなかった。母ともちおと三人で墓場の草をむしりながら、わたしは細木和子が書いた紙を持った母のこわばった横顔を思い出していた。

「家出したわたしと離婚したママが墓参りしてるなんて変だね」

「そんなもんよ」

と母は言った。

リア王だってそうじゃない」

 

すっかりきれいになった墓に花を供えて母は墓にしばらく手を合わせていた。「おじいちゃんま、おばあちゃまには本当によくかわいがっていただいた。ありがたいことよね」と母はしみじみと言った。ここ数年母はことあるごとにそう言う。そのたびわたしは「あれだけ口を極めて姑を罵っていたのに?!」と信じられない気持ちだった。でも今日の母を見たら、それもまた本心なのだろうと思った。こういう複雑な感情って善悪白黒で説明できない。祖父母と母は義理の親子だった。実の親子以上の親子関係がそこにあった。

 

墓前に供える花を買いに花屋へ寄ったとき、薔薇の花束あった。

「きれいね。昔はピンクって嫌いだったけど、いまはきれいだなって思うのよね」

と母は言った。

「買ってあげようか。お誕生日でしょう」

「いいわよ。いまうちにお花あるから」

「70歳になるってどんな気分?」

「うーん…19から20になるときすごく抵抗あったんだけど、その後は忙しかったのもあってそのままただ歳を重ねてきちゃったのよね。でもなんだか70っていうのは、受け入れがたい。それより受け入れがたいのは子供が歳をとるってことよ。はてこがもうこんな歳だなんて」

 

「パパは子供の頃体が弱くてね、いつも学校を休んで寝てたんですって。割りばしの先に紙で作った人形をつけて、畳のヘリにこうやってずらっと並べて一人で遊んで立って小姑子さんに聞いたわ」

「だから自分に自信がないのよね。『俺の体はこんなだけどいいか?』ってよく聞かれたわ。痩せてたから」

「パパとつきあってたころね、何度も東京駅に呼び出されて、何日も何時間も待たされた。その間こっちを見てるのよ。何人の男に声をかけられるかって。必ず誰か声をかけてくるのよ。それを数えて喜んでるの」

「何回もよ。つきあってたころは本当に言いなりだったもの。風月堂の前で5時間待ったの覚えてるわ」

 

母は懐かしそうに言った。

もう父と母は会うこともないと思う。離婚した直後は家が平和になってうれしかった。父の再婚が決まったとき二度と家族が戻らないことに打ちのめされた。母が自分の道を歩いているとわかって、また父が三度目の結婚が長続きしているのを見て、やっぱり二人は別れてよかったと思った。いまはまたちょっとわからない。ただ心底惚れぬいている人と夫婦になって別れるのは、なんにせよ想像できないくらいつらいだろうなと思う。

 

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