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恋してなくても愛してることはあるからだいじょうぶよ

わたしが結婚を決めたのは生活に困窮していたという身も蓋もない理由なんだけど、じゃあ誰でもよかったかといえばそうではない。選べる立場にいたわけではない。うちの魔性系モテ夫婦の問題行動を見て育ったので、あんな風になるなら一人でいた方がいいに違いないと思って育ったからだ。

モテ人間夫婦の子育て - ハイク以上はてダ未満

 

当時の夫は若く、希望に満ちており、毛髪も十分にあった。収入はそれほど多くはなかったが真面目でよく働き、わたしから見れば将来有望の前途洋々たる若者であった。

でもずっと好きになれなかった。というか、こんなにいい人めったにいないと思ったけれど恋のときめきがまったくなかった。

 

夫とわたしは「さるさる日記」で知り合った。いまはなきweb日記文化、「エンピツ」とかね、あったよね。夫はわたしより先に日記を書いていて、さるさるのメルマガに掲載されていた日記デビューした人たちリストからわたしを見つけ、何の気なしに読みに来た。

 

そしてなんだか知らないけれど、読んだ瞬間こんないい人はいないと思ったそうだ。当時わたしはPCをさわりはじめたばかりで、ネットで出来ることのひとつひとつに有頂天だった。歌を歌ってwav音源を上げたり、midiの打ち込みをしたり、描いた絵をスキャンしてアップしたし、プロフィールには自分の写真を掲載していた。

 

もちろん評判のいい写真を選んでいた。でも夫はそれを見て「この人ブスだけどいいこと書くな」と思った、と告白されたあとに言われた。いわなくていい情報だったよね。同時になぜか「俺はこのひとと結婚する」と思ったそうだ。

 

その話をはじめて聞いたとき、これはよくあるネット恋愛の幻想でラリッた若者の与太話だろうと思った。夫はわたしの末の妹と同じ年で、年子の弟に対して常に姉としてふるまってきたわたしから見たらとても恋愛対象とは思えなかった。しかも当時夫はプロボクサーとしてリングに上がっており、世界チャンピオンを目指すなどと日記に書いていたので面白いけど別世界の人間だと思っていた。

 

夫の思惑を知らないまま掲示板の書き込みで交流がはじまった。夫の日記を読んだ。ものすごくいい人だった。親兄弟や高齢の祖母の話、職場の人の話、友人の話、猫の話。どれも素朴な愛情にあふれていた。この子の彼女や奥さんになる人は幸せだなと思った。機会があれば知り合いの女の子たちに紹介したいくらいだと思った。でも一度もこの人の気を惹きたいとか、彼女になれたらいいとは思わなかった。

 

未来のある若者には幸せになってほしいと思った。いい人にはいいパートナーがいたらいいと思った。若くてかわいくてやさしくて健康で、経歴に傷がなくてまともな親がいて、人並みの貯金もある、そういう女の子が彼のパートナーになったらいいな、とほのぼの見守るような気持ちでいた。

 

当時夫とわたしは飛行機の距離に住んでいて、わたしが会わないと言い続けたので顔を合わせるまで一年以上時間を置いた。その間ずっと自分には夫を恋愛対象として見ることが出来ないと言っていた。「いい、いい、それでいい。あー大好きだ!俺はしあわせだなー!」と夫は言った。結婚の話がでたときも、結婚してもその気持ちは変わらないと思うと何度も真剣に話した。しかし夫は不屈の男だった。そして面白くていい人だった。

 

なにが夫にそうさせたのかわからない。ただ、いまも夫はわたしが書くテキストのファンで、何か書くたびそれを見つけて読んでは面白がっている。もちろんこれも読むと思う。夫はこれまでわたしが「そこを直さないと彼氏は出来ないし、結婚もできないよ」と大勢の人に言われたあれこれをとても愛してくれている。そこがいいところだと思っている。

 

姫姉様の気持ち、あたしよくわかる気がする。

でもあたしが思うに、あなたはモテ系で身を固めたあなたをすきになる男といたらつまんないし、たいへんよ。だってあなたの魅力はそんな擬態で覆い隠せない個性にあるのよ。あなたみたいな面白い人がステップフォード・ワイフになってもいいことないわ。そういうのはもっとそれが向いている人にまかせておけばいいのよ。

 

 

アガサ・クリスティーは自伝の中で、人を愛しているかどうかはその人のみっともないところを見たとき愛しく感じるかどうかだって書いていたわ。人は恋する人のみっともない様子を見るとたちまち熱が冷めるけれど、愛しているときそれは魅力になるって。

 

恋愛が舞台の上なら結婚は楽屋裏みたいなものよ。楽屋裏は狭いしやることもいっぱいあるんだから、やっぱり愛する人といた方がいいわよ。恋じゃなくてね。

 

わたしが夫との結婚を決めた理由は三つある。

ひとつは恋愛感情がなくてもこんなに面白くて楽しいなら恋が冷めてもしあわせに暮らせそうだということ。二つ目はこんなに高値でわたしの価値を値積りする人はほかにいないだろうということ。三つ目は夫にまったくときめかなかったことだ。

 

夫に出会う前にわたしは理想の相手と結婚の約束をした。そしてすぐにあっさりふられた。そのあと自分の生い立ちについて深く考えて、自分は愛と執着や承認を求めることをごっちゃにしているのではないかと思った。

夫がしきりにつきあってほしい、結婚してほしいと言っていたときわたしの頭に浮かんだのは、元彼と別れたころに読んだロビン・ノーウッドの「愛しすぎる女たち」という本だった。

これは機能不全家庭に育った男女の恋愛依存を描いた本で、この本の十一章「対等な愛へ」という章には親との愛情関係がまともでなかった人はそのままの自分を愛してくれる人にはときめきを覚えず、逃げ出したくなるという葛藤が書かれていた。「いい人だけどなんとも思わない」「なぜか不安で怖い」「自分をわかってほしいと思っていたけど、いまでは知られることが怖い」

 

そういう人が追いかけるのは、追いかけても追いかけてもけして距離が縮まらない相手なのだと著者は言う。恋人になっても一緒に暮らしても、けして本心から向き合うことが出来ない相手。その人を振り向かせようと必死になることを愛だと思う。自分を愛する人は見る目のない人だと思ったり、本当の自分を知られるのが嫌で逃げ出そうとする。

 

わたしはモテ指南とは対等なパートナーシップから逃げるため、擬態した自分を差し出すことなんじゃないかと思う。大事なのは楽屋裏だ。楽屋裏でぶつかり合いながらタッグを組んで、共に舞台を成功させる。そういう結婚をすればいいと思う。

 

「モテなくてもいいよね!」と昨日夫に言ったら「そうとも。まあこれもモテているようなものだ」と言っていた。姫姉様こと堀井さんにはそっちめざしてほしい。だってあなたみたいな人、なかなかいないじゃない。