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魔性の女と悪魔のような男は働き者の農夫に似ている

人を人だと思わない人はモテるという話を書いた。

 


人だと思うから緊張し、言われたことを真に受けてしまう。傷つければ良心が痛む。でも人っぽい姿で人っぽいことを言っているけど、自分と同じ人間ではなく、キャベツのようなものだと思っていれば腹も立たない。栄養価が高いキャベツをいい状態でいただく、その目的に専念することが大切だ。

 

岡田斗司夫は自分以外の人は犬だと思っていると言った。彼は「悩みのるつぼ」の質問者に鷹揚で親切だ。ホロリとしただろうな、と思うものもある。彼に多くの女性が惚れ込んだのはよくわかる。実際ある種の呪縛から解放された人もいたと思う。

 

その岡田が、サディスティックな性行為を女性に強要したり、非人道的なやり方でもてあそんだりしたと証言する人が大勢出てきた。これは彼のやさしさと矛盾していない。彼はキャベツを美味しくいただくために、彼の言葉で言えば犬が彼の望む躾に応じるために、いくらでもやさしい言葉をかけることが出来たのだと思う。

 

岡田斗司夫は母に溺愛されて育った。異性にモテる人は異性の親や兄弟姉妹に溺愛された人が多い。愛されると溺愛されるは似て非なるもので、肉親を溺愛する人はある意味ちょっと狂っている。彼らは狂人に溺愛される過程で、他者を自分とは違う精神構造を持つ人間、つまりキャベツとして見ることを覚え、その旨味に味をしめるのだと思う。

 

こういう人はキャベツの好意でいい思いをするという旨味をごく自然に求めて生きている。だからキャベツとみなす相手をいい状態に持っていくことに前向きで、ほめたり親切にしたりすることに抵抗がない。いい状態とは自分の都合のいいように自分を見てくれる状態、つまりちょっと狂った状態だ。


キャベツと会話する目的は互いを知ることではなく、キャベツをいい気分にさせることだ。前回ナンパ師の「本当のことを語るより結果が出ることを語れ」と言う趣旨の言葉を引用したけれど、本心ではないこと、事実を誤解させるようなことを言ってもさして良心の呵責を覚えない。キャベツには脳みそがない。


農夫がキャベツに目を配るように、常に周囲の人に気を配る。養分となるほめことばや笑顔を絶やさない。そうするだけの価値があるかどうか相手を値踏みすることを習慣にする。それが「人を見る目がある」ということだと思っている。キャベツとみなした相手に目をかけ、狂っていくのを腰を据えて待つ。これを農夫モテと呼びたい。

 

「チャラオがモテる」「あざとい女がモテる」とよくいうけれど、言われている側は「それはひがみ」「自分は人して当然の努力をしている」と抗議する。

 

実際誠実な人がひがまれているケースもあると思うけれど、驚くような不誠実さや残酷さを持つ人がモテるのは、その人が農夫だからじゃないかと思う。キャベツがすきだからまめに世話をする。キャベツの話をいちいち真に受けないし、キャベツに自分を押し付けない。 

農夫はキャベツに思い入れをしない。空腹でなければ旬を待つ。畑は世話できる程度に広大にする。そして腐ったキャベツは捨てる。