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勉強家の口パク

思うこと


自分が知らないジャンルの本を読み込んでいる人の話は、はじめて聞くと気づきがたくさんある。でもその人の発見とは限らなくて、他人の褌のパッチワークか、まんま焼き直しということもある。

本が出るほどになるとプロの手が入って内容も現実的、常識的なものになる。以前、湯たんぽを使ったわかりやすくて具体的な健康法の本を読んで感激したことがある。やさしくきれいな言葉で、予想と現実、期待できることと確約できることの区別がとても丁寧に書かれていた。

著者は本を出したあと銀座で無保険の治療院を開設した。高級エステサロンのようなクリニック。でも話をすると総合病院ではまずお目にかからないような、ムーの熱心な愛読者かな、という人で、謎の0磁場装置があったり、瀉血を進めてきたりと本とはまったく違う人だった。しばらく話をしたあとわたしの年齢を聞いたら、急に態度が変わってバカにするようなことを言いはじめた。年齢で目の前の人にあそこまで失礼なことをする人に初めて会った。

後日彼が別の出版社で出した本を読んで納得した。その本は前作とうってかわって徹頭徹尾ムーテイストだった。予想と願望と期待が実績とごっちゃになっている。わたしが読んだ本は優秀な編集者が細かく手入れした本だったのだと思う。後から読んだ本は、はてな似非科学ブクマが集まりそうな内容だった。

書店にたどり着いた本の多くは編集者の力で洗練されている。それに親しんでいる読書家は、未熟で粗削りな独自の考えを披露する書き手より、自信と説得力のある話が書ける。そういう背景を知らずに読むと、受け売りを個人の思想と勘違いしてしまう。

本が好きで、読み書きが嫌いじゃない人なら、自分が好きなジャンルのことをまとめて文章にするのはそれほど難しくない。ゴーストライターの才能がある。でもそういう器用な焼き直しは書き手の生の人格より弱いから、書き手の生き方と大幅に食い違うことがある。

名言好き、教えたがりに勉強家が多いのはこういうことかもしれない。腹から出る声と頭から出る声を聞き分けないと見誤る。後者は口パクみたいなものだ。微妙な音ずれでボロが出る。