脱「ちゃんと」

ちゃんとしなきゃと奮闘してきたんだけど、ちゃんと出来ない。
ちゃんと出来てるときはすごくうれしいけど、もちおはたいしてうれしそうじゃない。

ちゃんとできるようになると、もちおにも一緒にちゃんとしてほしいけど、「俺はそんなのどうでもいいけど、はてこさんを愛してるからそうするよ」と言う。
わたしは、わたしを愛しているからじゃなくて、そうする必要があるから、大切なことだからちゃんとしてほしい。
たとえば眠る時間、たとえばお金の使い方。

一昨日ふと読んだ文章に「人を幸せにしたいと思わない人はうまくいかない」と書いてあった。ハッとした。

わたしはもちおと違って、「自分にとってはどうでもいいけど、それどころかやりたくないことだけど、もちおを愛しているから、幸せにしたくてしてあげたくてする」と言うことが、ちゃんとする関連の中にほとんどないと言うことに気がついたのだった。

もちおを幸せにしたくて作ったご飯なら、呼んでもやってこないことに腹を立てることもなかった。幸せにしたくて作るご飯なら、もちおに悪いものじゃなければちゃんとしたご飯じゃなくても気にやむことはなかった。

そうした方が後々もちおにいいと思ってしていたことの中には、いまの幸せを台無しにするものもあった。後々どうなるかわからないのに。

もちおに限らず、わたしには幸せにしたい人がこのところいなかった。自分がちゃんとすることが、周りの人にとって、世の中にとっていいことだと思っていたけど、ちゃんとしていることと幸せは同じじゃない。

ちゃんとしてなくても人の幸せのために出来ることはある。こころのやさしい人を神さまは見ている。

そういう素朴な信仰、雲の上の白髭のおじいさん神さまに祈るような信仰が、いつのまにかすっかりなくなっていた。

それで今日はもちおを幸せにしようと思ってご飯を作った。人を幸せにしたいと思ったときに、そうする相手がそばにいて幸せだと思った。

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