瞑想と自己催眠のケルベロス

一昨々年、瞑想がいいと何かで読んでこの本を買った。

いま見たらkindle化しとった。

 

解説にやや抵抗を感じたけれど、やり方はわかりやすかったので、さっそく始めた。

最初はよかった。

はじめのうち困ったのは、瞑想を始めようとすると顔が痒くなることだった。

痒い。掻きたい。でも掻くと瞑想は中断ムードになって最初からやり直しだ。

そこで痒いな、と思いながらそれを気持ちの中で眺めつつ放っておいた。

ますます痒くなることもあるし、痒いままのこともある。

我慢しきれずに掻いてやりなおすこともある。

でもそれはそれで集中できることもあった。

 

次に困ったのは、呼吸が苦しくなることだった。

ゆっくり息をたくさん吐くと苦しい。

ゆっくり息をたくさん吸うのも苦しい。

頭の中で本で勧められていたマントラを唱えるんだけど、テンポがあわない。

肺活量が乏しいせいだろうか。健康診断の息を吐く検査で何度もやり直しをさせられたし、泳いでいても息継ぎがうまくできない。

日頃浅く短い呼吸をしているのだと思う。

 

これはちょっと変わった方法で解決した。

息を吸う時、頭のてっぺんから光を吸い込んでいるとイメージする。

息を吐く時はその光が全身から皮膚を通して輝きだしているとイメージする。

夜に川沿いの森の木々に蛍が数えきれないほど群がっているのを見たことがある。

蛍はゆっくりと明滅して、ほのかな明かりが暗がりを照らしていた。

その蛍になったイメージでやる。

するとなぜか、ゆっくり深く息をしても苦しくなくなった。

 

痒みと呼吸をクリアすると今度は頭の中のあれこれがある。

言葉にして考えているところを静かにさせるためにマントラを唱える。

すると(マントラ唱えてるな)(今日は痒くないな)とそれを見ている自分がいる。

たとえば、運転しながら喋っていても、信号を見たりアクセルを調節したりはする。

その種の行動は(左折するからウィンカー)とか言葉にしていない。

言葉にして考える部分は、運転しながら喋るところ。

運転中のあれこれは、それとは別の頭を使っている部分。これがマントラでは消えない。

 

わたしはふだん喋ったり、頭の中で言葉にして考えたりしているときも、それとは別に頭の中で歌や音楽が流れていることが多い。そしてそれとは別に身体から入ってくる情報(痒いとか重いとか邪魔だからどけようとか)を意識している。

これをどの辺までどうすればいいのかな?とマントラを唱えながら思う。

どうにもしないでただ観察しつつ眺めておればいいのだろうか。

ひとまずそうして続けてみた。

 

マントラ、うざい。

(これ、いつまで唱えたらいいのかな)と思う。

マントラに合わせて息をするのがうんざりしてくる。鬱陶しくてだんだん頭にくる。

 *1

これでそろそろ3分から5分経っているのでタイマーが鳴る。

よし終わった。ああ、終わった。

よくやった!という気持ちと、これですきに息が出来る!さよならマントラ!解放だ!という気持ちで終わる。すっきりするというよりせいせいする。

それでも終わると顔つきが穏やかになっているらしく、夫が強くすすめてくるようになり、しばらく続けた。

 

あるところまで続けていたら、ある日不思議なことが起きた。

閉じた目蓋の裏の暗がりが端の方から白々と明るくなり、眼下遙かに森の木々が見えた。

それは頭の中に何かを思い描くような曖昧なものでも、夢を見ているときのようでもなかった。目を開けて何かを見ているのとどこが違うのかわからないような、はっきりした視界だった。

日頃瞑想しているときは目蓋の裏は暗い。残像が広がっては消える。特に何も浮かばない。何かを視覚的に思い出すことはあるけれど、それは普段と変わらない。でもこの時はものすごくクリアに枝に茂った葉の輪郭までがくっきりと見えた。

わたしはスーパークリアビューというちょっと特殊なレーシックを受けており、日頃から景色がハイビジョンテレビのようにくっきりと見える。このとき見た景色もそうだった。

その景色は静止画ではなかった。大きな変化は何もないけれど、木々の葉は微かに風で揺れているだった。

移動しようと思うと移動できる。宙に浮いて森を見下ろしているような状態で、しばらく霧にかすむ森の上を行ったり来たりした。とてもおもしろかった。 やめてしまうのが惜しかった。

 

また同じものを見たいと強く思ったが、その後瞑想はなんだか難しくなった。

痒いのとマントラうざいのは変わらなかったが、鳥の目に行けるならそのくらい受容できる。

ところがそのあと、ある程度瞑想が軌道に乗ると身体に快感が押し寄せるようになった。

呼吸をするたび胸がきゅんきゅんして、下腹が熱くてもどかしい。

瞑想中に恋仲にある人から迫られて愛撫されていると想像してみてください。

もうぜんぜん集中していられない。続ければ続けるほど気持ちよくなってつらい。平常心から遙かに遠いところにいる。

仕方がないから適当なところで終わる。

鳥の目のようなおもしろさはない。何かにふりまわされたような気持ちになる。

 

それでもここまで来たんだから、と思ってもう少し続けた。

鳥の目はそれ以来起こらず、キュンキュンはしばしばやってきた。

そのあともう瞑想をやめようと思うことが起きた。

 

目を閉じて瞑想を始めようとすると映像が浮かび、そこに何かしら恐ろしい物が見えるようになった。

鳥の目のような現実の視界ではなく、夢を見ているときのような見え方なんだけど、何かを思い出したり想像したりするときとは違う。テレビや映画のように客観的に見ているのとも違って、自分は確かにそこにいるんだけど、誰かの中から見ているような感じ。「マルコビッチの穴」みたいな状態。

見える場所は子供の頃住んでいた家が多かった。家の中は誰もいない。家の中を歩き回る(ように視界は勝手に移動する)そこに誰か、何かがいる。うわ!と叫んでいきなり瞑想を中断したくなるようなものが。

これは自己催眠や自律トレーニングでもある。

「階段を降りる」とか「エレベーターを降りる」とか、そういった言葉で気持ちの奥に降りようとすると、そこにぎょっとする何かや誰かがいる。

映画「インセプション」の奥さんみたいなもの。雰囲気も登場の仕方も、あれはかなり近いイメージだった。

そこで番をしているケルベロスみたいな何か。目を開けてすぐに誰か人を呼びに行かずにおれないような気持ちになる。もう本当に怖い。すぐに止める。

 

そんなわけで、瞑想や催眠、自律トレーニングといった「目を閉じてゆったりしましょう」系は怖い。以前は毎度ケルベロスが出てくるというほどではなかった。と、書いて思ったけれど、髪の毛や衣服のちょっとした刺激が痒くてたまらなく感じるというのがケルベロスの先制攻撃だったのかもしれない。

 

瞑想も運動もやった方がいいとは思う。でも運動は(水泳以外)すーーーーごく苦痛で億劫で、瞑想はおっかない。

はてな瞑想推進部長id:xevraのご意見をお聞きしたい。

*1:わたしが唱えていたマントラは「オンナームースバーハ」で、これは著者が音の響きから最適と考えたもの。意味はない。