モテ講座に保護してもらえること

サークラの人とミニマリストナウシカの人のファン。

ナウシカの人繋がりでarの人のブログも読んだ。

この方々の育ってきた背景には母との関係が大変らしいという共通点がある。

母親との関係で苦労してたり、母親の男性とのかかわり見て苦労してたりすると

素の自分を封印して、男性受けする自分を熱心に演じる傾向があるのかなと思った。

  

なんて、他人事みたいに書いてるけど、よく考えたらわたしもあったわ。

家出して一人暮らしを始めた二年ぐらいの間

自分に夢中になりそうな男性の気を惹くことにご執心だった期間が。

 

わたしは家族との関係から

「自分は女扱いされない」と思い込んでいたんだけど

家を出たら、まったくの他人の間ではそんなことはないとわかった。

ちょっと創意工夫をこらせば寄ってくる男性はいる。

がんばったら気を惹けると知ってわたしは舞い上がった。

自分に恋する男性がいることの刺激は強烈だ。

期せずして理系大学のオタサーにもちょくちょく顔を出していたし

職場はゲーム会社やアニメ会社だったし

いま思えばその種の活動に理想的な環境だった。

 

でも、もともとそこまで好きじゃない相手だから

いざ気を惹いたあとで収集がつかなくなって

そういう人が複数になったところで時間体力精神力ともに尽きて

胸の中にヘドロがたまっていくような、暗澹たる気持ちが消えなくなった。

でもどこでどう線を引いていいかわからず

キリスト教に帰依して、

「同じ神を崇拝する方と、結婚を前提とした清く正しいおつきあい」

を全面的に打ち出して、いっせいにご破算にさせてもらった。

 

そこからは逆方向に針が振り切って

異性と二人きりになるのはたとえ公衆の面前でも危険

電話やメールもデートのうち

という訓戒を、アスぺらしく文字通りに実践。清く正しく生きようとした。

好きな人が出来ても「まだ若すぎる」と恋心を打ち消そうと日夜奮闘。

現代日本においては涙ぐましいというより狂気に近い制限を守った。

これもいま思えば、相手が神に替わっただけで

「受け入れられるにはありのままじゃダメ」ってことだったと思う。*1

 

「こんな女性は嫌われます」

「求められているのはこういう女性」

「自分を磨かない女性にはそこそこの男しか寄ってきません」

「妥協した幸せでよければご勝手に」

という、強迫じみた言説に人が集まるのは、内心の不安に沿うからだと思う。

 

親からこんなことを言われたら耳を塞いで絶縁するはずなのに

自称成功者が高らかに歌い上げているところに集まる人は少なくない。

言う相手が変わっただけで、言っていることは「おまえは愛されない」なのに。

 

「いや、愛されるよ?」と思う人はそういうところに近づかない。

でも愛されないを痛感している人は「これぞ真理だ」と飛びつく。

 

(そうだ、その通りだ。自分はそのままじゃ人に好かれない)

(自分を好きになる人がいても、そんな人たいした人じゃない)

(妥協せず、もっと素晴らしい人に好かれる最高の自分にならなければ)

 

この声に従っていると、パートナーシップを築くという大仕事から逃れられる。

わたしは変な仕事で結婚を望む人によく会うんだけど

「妥協したくない」

という人がとても多い。

でもパートナーシップなんて妥協なしには築けない。

妥協しないということは完璧を求めるということだ。

完璧な人なんてどこにもいない。

 

モテ指南に打ち込む人は「いい就職先」を探して就職を延期する人みたいだ。

「いつかもっと立派になって、いつかもっといい仕事が来たら就職しよう」

と学び続けていれば働きはじめる日を先送りに出来る。

でも働きながらでなければ学べないこともたくさんある。

 

上辺の当たり障りないモテ系人格なんかで気を惹いても面倒なだけだよ。

かえって自分のよさをわかってくれる人と縁遠くなるよ。

なんでなんじゃろなー。

なんて思っていたけど、家庭で不完全な人同士が愛し合う姿を見ていないと

覚悟を決めて一人の人と向き合う勇気が出るまでのモラトリアムが必要なのかもな。

わたしなんか結婚したのに長いこと「これは仮の姿」って思い続けていた。

これが本番じゃ困る、こんなはずじゃないと思っていた。

  

モテ指南とか婚活情報とかで耳年増になると

交際や結婚を回避する理由がどんどん増えて、安心できる。

外は危ないよ。ここにいなさい。外は怖いよ。おまえは弱いから。

*1:いまは特定の宗教に属さず、宗教行事は世間並にこなす暮らしをしている。

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