入院している祖父に会いに来るなと言われている

なんとか生活を立て直そう。

買い物に行って食事を作って、契約してる自宅仕事を再開しよう。

昨日近所で名も知らぬマッサージを受けたら、気持ちが、なんだろう、尖ったピンの先がアスファルトの上でぐらぐらしているように不安定だった気持ちが、ぶすっと砂に刺さったように少し安定した。

祖父の人生すべてを守ることはできない。それは諦めないといけない。わたしは全能じゃない。「全能じゃなくてももっと出来ることがあるのに、それをやらなかったからこうなったんだ、わたしは祖父を追い込んだ共犯だ」と思えて仕方がなかった。今もその気持ちと、そうじゃないという気持ちはせめぎあっている。

 

父一家にはいま父と血の繋がらない孫がいる。この子はアトピーがあり、ごく最近までわずかなカタコトしか喋らなかった。継妹は母乳育児を続けているのだけれど、ヘビースモーカーで毎日飲酒している。何度か話をしたが、同じくヘビースモーカーである継母と継妹は喫煙の弊害を頑として認めなかった。わたしは甥が喋れないこと、アトピー持ちであることに責任を感じた。甥がそれらから害を受けているとすれば、そばにいたのに「もっとちゃんと強く」止めなかったわたしのせいでもあると思った。揉めて祖父に会えなくなることを恐れて、虐待を見てみぬふりして自己保身に走ったのだと思った。

 

911テロを主題にした映画がBSでやっているのをちらっと見て思い出した。わたしは911テロが起きたとき、それを自分のせいだと思ったのだった。(そこに至る経緯はいろいろあったけど長いので省く。)客観的に考えると滅茶苦茶だ。でもあのニュースを聞いて反射的にそう思わずにいられなかった。

自分がもっと世界のために尽くしていなかったから、救える人を救えなかったと思った。もう間に合わない。世界はおしまいだ。わたしが自分の暮らしにかまけていたから。

翌日、通勤中に目の前が真っ白になって足元がふわふわしてしゃがみこんだ。その日を境にわたしは普通に暮らせなくなった。立ち上がったり歩いたりが出来なくなって仕事が出来なくなり、日常生活をまともに送れなくなった。あれ以来、ほんの数年前まで寝たり起きたりの暮らしだった。

 

今回の祖父の入院でわたしは何度か足元がふわふわして部屋がぐるぐる回るような感覚に陥った。911の時みたいだ、と思った。

わたしが自分の仕事にかまけていたから祖父がこんな目に遭った、と思った。わたしのせいだ。

 

いまこうして書いていて、実際そうじゃないかという気持ちが大きい。でも、第三者からこういう話を聞いたら、そのせいだとは思わないんじゃないかと思う。仮にそのせいだったとしても、わたしはまだ生きて行かなきゃいけない。自分の暮らしを立て直していかなきゃいけない。わたしのしたことが恐ろしい、重大な間違いだったとしても、やっぱり生きていかなきゃいけない。

それにはご飯を食べなきゃいけないし、ご飯を作るために買い物に行って、仕事してお金も稼がなきゃいけない。

 

夫がいてよかった。夫が驚くべき働き者で、偉大なる呑気者でよかった。

夫は事態を重く見ているけれど飄々としている。夫は悪人ではない。良識人で善人で頭がいい人だと思う。その夫が、わたしの見解はおかしいと言うのだから、わたしの見方はいま何か間違っているんだと思う。

おまえのせいだ、もっとやれたはずだという声は消えない。もっと出来たはずだと思う。祖父がこんな酷い目に遭っているのに安穏と暮らすような、自分さえよければいい人間なんだと思えてならない。

この気持ちと議論するのを止めようと思う。またマッサージに行って、深呼吸できるようになりたい。そして足元をしっかりさせて、それから考えたい。あれがなんだったかじゃなく、いまどうするかを。