装いと自己実現

推敲しなきゃいいんだ。そうだ。そうすればもっと書ける。ような気がする。

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最近思ったこと。

祖父を見ていて思ったんだけど、人は扱われたように振る舞う。
祖父は脳梗塞をやってから多少記憶が鈍くなったけれど、痴呆の気はない。
でも耳が遠いので会話が聞こえないと適当に相槌を打つ。
そんなこんなで祖父を幼児のように扱うヘルパーもいる。

 

祖父はそういうとき抵抗せず言われた通りにする。
ヘルパーは確信を深め、幼児でも嫌がるようなことを成人男性にやらせて平然としている。そうして嫌な感じの悪循環が出来る。
祖父の目は輝きを失い、行動は鈍くなり、発言は暗くなる。
もともと祖父を年齢相応に呆けた老人だと思っている人は、それらをボケの証拠だと思う。

 

一方で祖父には馴染みの床屋があり、床屋では祖父はこれまで通りに扱われている。
祖父に敬意を払うことを当然としている人の前では、祖父はこれまで通り知的で落ち着いている。
祖父はマイペースでしっかり自分を持った人だけれど
それでも弱っているときは周囲が接して来る態度に左右されずにいるのは難しいのだと思う。

 

祖父を人がどう扱うかは、かなりの部分見た目に左右されている。
人は見た目で人を判断し、判断したことを根拠にその人に接する。
そして周囲から扱われることに応じて人は振る舞う。

 

これは裏を返すと、自分が扱ってほしい人物として装っていると
周りはそういう人物として扱ってきて
そういう人物として扱われると、そういう人物として行動しやすいということだ。

つまり装いは自己実現に繋がるということだ。

 

衣裳が大事だと言われて仕事の衣裳を選ぶようにしたんだけど
これはお医者さんが白衣を着ているようなもので
お客様の期待値や信頼が高まるのと同時に
役割が決まって行動しやすくなるのだと思う。

 

実際にお金を持っているかどうかではなく
お金持ってそうな人、持ってなさそうな人として装うとそういう風に扱われるし
フェミニンに、マニッシュに装っていると、やっぱりそういう人だと思われやすい。
変装ってそういうことなんだろうな。

 

祖父は最近床屋に行っても残るものがないから意味がないと言い出したんだけど
床屋で髪を整えている祖父と
そうでない祖父では
周囲の扱いがより一層違ってくると思う。

わたしも気をつけないと。