三人目の母

最近変な仕事と自分の性格で悩んでいた。

変な仕事の世界には変な人が多い。これまで社会人の常識と信じてきたものを共有できないことが多々ある。個人開業している医者にも変な人は多いから、もしかしたら職種の問題だけでなく、基本的に自分の世界だけでやりくりする独立採算性なせいかもしれない。とにかく「おいおい」と突っ込みたくなる場面がよくある。

 

わたしは常々、変な仕事だからこそ、その他の部分ではごくまっとうにやっていきたいと思っている。パン屋さんや八百屋さんみたいに。まったくの異業種だけど、指標にしているのは懇意にしている美容院の美容師さんだ。

しかしお客様の方も「変な仕事をする人は変な人だ」とある程度思っておられる。その変さを期待してもいらっしゃる。それで内心激しく突っ込まずにいられない同業者の姿勢について思いめぐらすとき、わたしもああいう風にやった方がいいのだろうかと思うことがある。彼らのやり方にも理はあるのかなと。わたしが四角四面過ぎるだけで、こういう世界ではそういうやり方もありなのかなと。

 

そして「わたしはなぜ彼らを受け入れられないのだろうか」とも思う。心が狭い。わたしがトンデモだと思う仕事ぶりの人であっても、他の人は和気藹々楽しくfacebookで繋がり合い、イベントで呼びかけあっている。わたしの受け入れ許容値は低い。先方が親しみを込めて近づいてきても腰が引ける。こんなことでは友だちができないんじゃないか。わたしが受け入れられるのは仕事のやり方に共感できる人か、おかしいと思ったときに率直に言い合える人だけだ。

 

さて、父は三度結婚したので、わたしには歴代の母が三人いる。一人目は産みの母である実母。二人目は電話で話しただけで顔も見ることなく離婚に至った幻の母。三人目はいまの父の妻である継母ちゃん。

 

継母ちゃんは母とまったく違うタイプの人で、よくハッとさせられる。それまで我が家になかった発想がとても新鮮。さすが血の繋がりがないだけのことはある。先日この話を継母ちゃんにしてみた。すると継母ちゃんは言った。

「ないない。仕事をする上でそういうやり方はありえないわ」

継母ちゃんは戦後の焼け野原に親が開いたお店を継いで、父と結婚する前は一人で店を切り盛りしていた。なので接客業に関しては一家言持っている。

「それは心が狭いんじゃなくて自分の基準がはっきりしているのよ。そんな人とは一本も二本も三本も四本も線を引いてお付き合いしなきゃ」

「じゃあ、そこは大事なところだから譲らなくていいのか」

「そうよ」

客商売に関して辛口な継母ちゃんの賛同を得て、なんだかとても安心した。そうかー、やっぱりないよなー、ああいうのは。

でもね、と継母ちゃんはふっと真剣な眼で言った。

「そういう人に憎まれないようにしなさい。適当にあしらうの。でも適当にあしらってることを悟られたらだめ。難しいけどね」

「憎まれないように・・・」

「そう。好かれなくていいの。そんな人に好かれたらかえって大変なんだから。でも憎まれないようにね」。

 

この言葉がどんなに貴重な示唆に富んでいたか、わたしにとってどれだけインパクトがあったかをかれこれ一時間近く書き連ねてみたけど上手く書けない。明日も変な仕事あるから降参してもう寝るね。

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