好きな歌と人生のシンクロシニティ

今日ね、カラオケ行ったんですよ。久しぶりに。

それで、歌ってて気が付いたんだけど、わたし幸せな歌ばっかり歌うようになってた。

今日は花*花の「あ~よかった」、堀江結衣の「笑顔の連鎖」、藤本美貴の「ロマンチック浮かれモード」、チャットモンチー「シャングリラ」、岡村靖幸「だいすき」、スガシカオSPIRIT」、森高千里「まひるの星」なんかを歌った。ほかに今日は歌わなかったけど、Greeenの「キセキ」は毎回のように歌う。

 

 時代もあるのかもしれないけれど、昔はそうじゃなかった。見込みがなさそうな片思いとか、別れの歌とか、気が付いたらそういう歌が多かった。つきあってるらしい歌でも、いじらしく見返りを求めずそっと控えてるような歌詞。

十代のとき渡辺美里の「彼女の彼」という歌がすきだった。毎日のように歌っていたら、そのとき好きだった人に彼女が出来た。「こういう歌うたってると、そういう目に遭う…!」と思った。思ったけど相変わらずいいなと思った歌の歌詞を調べると報われない系ばかりだった。いつごろからしあわせな歌比率が高まったのか。

 

振り返ってみると、夫に出会ったころからだ。夫とはネットで知り合って「ぜひ!僕と結婚を前提におつきあいを!」と申し出てもらったんだけど、わたしは及び腰だった。遠距離だったし、他に気になる人もいた。

その年にMISIAの「Everything」が流行った。遠距離で熱烈に片思いしているという歌詞がなんとなく夫と重なって、歌っていると夫を思い出した。「あ~よかった」も同じ年で、翌年には「一生いっしょにいてくれや」と三木道三が「Lifetime Respect 」を歌い始めた。これらがことごとく夫と重なった。

とか書くと、「夫と出会って薔薇色になりました」みたいでなんか冷や汗が出るんだけど、よく考えたらそういう歌をぽつぽつ好きになりはじめたのはその数年前、ひどい失恋をした後からだった。

 

そのころは本当にやさぐれていて、運転中ラジオで結婚式場のCMが流れてくると反射的に舌打ちをしてしまうくらいだった。そうなってみると報われない恋愛の歌にもいろいろ突っ込みたくなる。なにそいつ。バカか。浸ってる場合じゃないよ。やめろ、やめろ。もっとあるだろう、ほかに。幸せになる道が。

高校の音楽室で「恋に落ちて」を友だちと歌って甘い気持ちになったりしていたけれど、ああいうことが出来たのは地獄を見ていなかったからだ。呑気にダイヤル回して手を止めてる場合か。

やがて一見幸せそうな歌でも不幸の匂いがする歌には警戒するようになった。カモフラージュされた不倫の歌、一途な片思い風の絶望ソングなんかに敏感に反応して、苦々しい気持ちになった。二番手になるのも、間に入ってこられるのも、ひっそり見守るのも、もうたくさんだわ。

 

ある日Charaの「やさしい気持ち」を聴いた。すぐ好きになって覚えて歌った。歌いながら元彼を思い出してみたけれど、しっくりこなかった。その後も幸せな歌を歌う時「すきなひと」として誰かを想像するとき元彼はことごとくしっくりこなかった。

元彼と出会ったときは「やっと出会えた運命の人」系の歌がしっくりきた。そういう歌を思い出してはうっとりした。でも考えてみればわたしはそれらの歌の「それまで抱えてきた孤独」にシンパシーを覚えていたんだと思う。これまでずっと寂しかった、ひとりぼっちだった、ずっとあなたを待っていた。そういうところ。

 

幸せ系の好きな歌が少しずつ増えはじめ、夫に出会った。夫がそのころ好きだった歌はスガシカオの「愛について」だった。わたしのお気に入りは斉藤和義の「歌うたいのバラード」だった。夫はこういう懐が温まるというか、誰かを好きになることで世界を敵に回すような歌ではなく、誰かを好きになることで力が得られるような歌が好きで、それがしっくりくる人だった。

歌う歌が変わって人生が変わったのか、人生が変わったから歌う歌が変わったのか、よくわからないけれど、歌は人生に影響すると思う。歌詞が外国語で意味を知らずに歌っていても、後から詩を読むとどきっとするくらい思想や心情を反映していることがよくある。

 

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