「ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜」 虐げられた黒人たちとスケープゴートにされた白人娘たち

HELPというのは黒人用トイレのことだと映画解説で読んだんだけど、メイドのことっぽい。
黒人差別が根深い南部育ちのヒロインが、黒人の乳母が知らない間に実家から去ったことをきっかけに、地元の黒人メイドの生の声を集めて出版することを決意する。
 
「鼻持ちならない金持ちの気取り屋白人娘どもが、結婚したのに家事も育児も黒人メイドに全部やらせて、彼女らをいじめてました」「でも慣例にしばられない私たちは仲良くしてあげました」という映画。
南部のお金持ち奥さま階級になにか怨みでもあるのかと思ったら、脚本と監督が「自分たちは南部のブルジョワ階級に育ったが彼らになじめなかった」「我々は幼馴染」「故郷で撮った」などコメントしていた。南部の美しい描写が随所にあった理由がわかった。
しかし学生時代の二人の写真はどう見てもミス・南部とミスター南部であった。脚本家が「自分以外の人間に家族を悪く言われたくない」と言っていたのが印象的。
  
ハウスメイドやベビーシッター、料理人はそれ自体卑しい職業ではない。アガサ・クリスティーは「幼少期出入りしていた使用人たちはみな威厳があり、両親からは彼らに専門家として敬意を払うことを教えられた」と書いていた。
問題は仕事を依頼している黒人の待遇が酷いということで、真の解決策は「奥様が家の仕事をがんばって黒人メイドを友だちのように扱う」ということではない。先方は仕事で来ているのだから、メイドとして誇りを持つプロなら絶好の見せびらかしポイントである豪華な客用玄関や贅を極めたバスルーム(トイレ)を使用人用と分けるのはむしろ当然だと思う。たぶん場合によってはそこの家の子供にも使わせないだろう。
 
メイドたちが自分の仕事に誇りを持ち、雇い主たちが、当主より怖いイギリスのメイド頭・執事頭に対するように「オールマイティーでエキスパートな黒人メイドのプロフェッショナルさに敬意を払い、ふさわしい待遇を提供しましょう」という結論に至らなかったのが残念。やはりこれは「いじめをやめて仲良くしてあげましょう」という映画なのかなと思った。が、実はこの映画は根深い女性差別映画なんじゃないかな。
  
一見女性の強さや優しさ、勇気を描いているようだけど、これは誰もが「いるいる、こういうやな女!」と思う女性への反逆を描いた勧善懲悪映画だ。ヒロインはあくまで「異端児」「例外」として描かれている。その「やな女」の「やな女要素」を分析すると、「なんだこりゃ、やな映画だなー」という気分になる。

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物語は作家志望のヒロインと、今やいいとこの奥様になった地元の幼馴染たち、そして彼女らのもとで働く黒人メイドが中心。本来男性であれ女性であれ、資産と社交活動と家庭を維持するために人を雇うのは悪いことじゃない。しかしこの映画の中では家事、育児、介護を人に頼んでいる奥さまはだいたい悪い奥さまで、どっちかというと黒人差別よりそっちの方で批難されている。
 
奥さまクラブは黒人メイドをこき使いつつ、慈善事業を中心にママ友ランチなどに熱心なんだけど、影で黒人メイドから「お嬢ちゃまのオムツを替えない奥様は母親失格だ」と言われたり、痴呆の母親から「自分の名前は忘れても、実の娘に施設に入れられたことは忘れない」と言い放たれたりする。人に見せびらかすためのお庭はキレイにするがお料理はメイドまかせ。お手製ドレスの後ろ側がきちんと縫えていなくてメイドにため息をつかれたりしている。自分が食べているパイに何が入っているかも把握できておらず、後に町中の笑いものにされたりもする。
  
さて、いじわる奥さまクラブは貧民街出身の成り上がり奥さまを仲間外れにしている。
このミセス・シンデレラの夫はいじわるリーダー奥さまの元彼。「リーダー奥さまは元彼に未練があるから彼女を許さないんだ」という話になっているが、注目すべきは階層違いの女性が自分たちのエリアに入ってきたのが許せないということなんじゃないのか。
だとしたらそれは奥さまクラブがそういう思想を持つにいたった社会背景が諸悪の根源であって、「女の嫉妬醜い」は違うんじゃないのか。「奥さまズってすっごく幼稚で意地悪でしょ!」の描写はほどほどでいいから、そっちを描写してほしい。
 
一方いじわる奥さまクラブと対照的に描かれているシンデレラ奥はプレイボーイのカバーガールのような容姿で、天使か幼児のように頭が弱く「手料理を覚えてダーリンをびっくりさせたいの」「赤ちゃんがほしい」とたいへん家庭的。しかしいまや大金持ちでお洋服は選び放題のはずなのに、なぜかいつも胸元や体のラインを強調するタイトなドレスばかり着ている。下品ではなくかわいい系でピンク率も高め。慈善オークションに来るのに今夜これからご出勤ですかみたいなドレスをチョイス。いったいなぜ。何かの作戦かと思ったよ。ところが白人奥さまには何事にも辛辣な黒人メイドたちは「今夜は奥さまたちみんな戦々恐々ね!」「うちの奥さま、わざわざさえない恰好で来たのよ」とGJ!の嵐。セクシー万歳!いや、ドレスコード的にどうなの。
 
またシンデレラ奥さまは孤立しててかわいそうという話が最初から最後まである。ヒロインはリベラルで活動的ででかいアメ車を自由に乗り回して時間もありそうだからぜひ仲良くなったらいいと思うが、間に入ってる黒人メイドも含め、誰も紹介してやらない。なぜだ。ひとりぼっち設定が破綻するからなのか。苦労人・ドジっ子・頼れるのは夫だけ・巨乳ブロンド・頭弱・家庭的・けなげ…エロゲヒロインだ!そう、彼女こそはこの物語の天使。家庭的で家を離れず、色気たっぷりでもほかの男には見向きもせず、黒人メイドを大事な友だちのように扱う。社会に問題提起をしたりもしない。実は監督が一番推奨している女性は彼女なのだと思う。
  
ヒロインが目指す道を歩む女性編集者はN.Y.在住で、華麗なスーツに身を包み、部下らしき男性を顎で使い、飲みの席でも同僚だか知り合いだか堅気らしき男性を両脇にはべらせながら電話で仕事。「N.Y.の女怖いヨー」ということか。いじわる奥さまクラブ、シンデレラ奥さま、N.Y.バリキャリから伝わってくるメッセージは「やっぱり女はかわいく家庭的で色気がなきゃね」という感じ。キスすらしたことがなかったうぶなヒロインを、制作者は北部へ行かせたくないのが本音なんじゃないかな。
 
ここまで書いて気が付いたけど、ヒロインに紹介される印象の薄いやな感じの男はミスター・南部の象徴だったんだな。ほとんど描写がなかったけれど、「ちょっと顔がよくて金持ちだからって思い上がってる南部の男ってほんとやだよねー」っていう印象だけ残ればいいんだな。監督と脚本の南部青春時代に何かあったんだろう。私怨だと思えば腑に落ちる。
 
全体的に男性に関しては「夫たちはわがままな妻の言いなりでした」「若い女はまともに相手にされませんでした」程度で、黒人メイドを虐げていたという描写は伝聞程度しかない。しかし黒人が通りでKKKに襲われたり、家を焼かれたりを容認する町なんだから、世帯主であった父親や夫の思想は妻や娘たちに相当影響していたはず。酷いセクハラだって相当あっただろう。
それらの罪の首謀者として、当時の南部ブルジョワ階級の中で最も力がなかったであろう結婚したばかりの娘たちをやり玉に挙げるのは、いくらなんでもずるいんじゃないのか。
   
もしかしたら故郷南部のお父ちゃんお母ちゃんが「ハリウッド映画を撮ったんだって?すごいじゃないか!みんなで観るよ!」って楽しみにしてくれてることを思うと、つい「悪いのは私たち物知らずな若者だったんです、それもみんなじゃなくって世間知らずで暇で性格の悪い女が悪かったんです」って言いたくなっちゃったのかもしれない。
「家族を自分以外の人に悪く言われたくない」んだもんね。

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ということで、社会派映画の皮を被った私怨による女ってやーねー!映画だったというのがわたしの感想です。ああ、やだやだ。建物とファッションはきれいだったし、黒人女優の演技はよかった。

ところで「ミス・マーナ」と訳されていた家事コラムのモデルは恐らくジュディス・マーティン。暮らしの手帳社から「ミス・マナーズのほんとうのマナー」というタイトルでから本も出ている。それがモデルだとしたら、ヒロインはともかくヒロインの彼氏、そして原作者兼脚本家はこのコラムをまともに読んでいないと思う。ミス・マナーズは暮らしの便利帳みたいなコラムを書く人ではない。辛辣で厳しく、それでいてユーモアのある現実的なマナーのコラムだ。社交界もそうとう皮肉られている。