あのころの国 後編

それまでわたしは「猫の森には帰れない」のように

子ども時代を特定の場所のように表現する文章を読むと

詩的な表現ってやつだなと思っていた。

 

でもその日、松田聖子が歌う姿を、声を目の当たりにしたとき

一瞬で心が、晴れ晴れと明るく広々としたあのころの国にいた。

なんのわだかまりもない、ただ楽しくて、それだけの世界。

 

わたしはそのとき特に重い気分を感じてはいなかった。

でもあのころの国で一瞬前の世界を思い出すと

そこがどれほどくすんでよどんでいたかを知って愕然とした。

 

ここ数年の気分が晴れたなんていうのは曇ってないという程度で

いまこの瞬間の空は台風が通り過ぎた後のようだった。

そしてあのころはこれが日常だったということを思い出した。

 

特別酷いことがない限り

わたしの世界は明るく広々として居心地がよく

世界は親しみを込めて喜びと楽しみを差し出してくれていた。

 

歌が終わると気持ちは徐々に元に戻っていった。

強風が止んで徐々に霧が立ち込めるみたいに

気がふさいでいるというほどではない。ただどんよりしている。

それがふつう。もう大人なんだから。

 

 

それからさらに10年が過ぎた。

一昨日こういうことがあって

あれ、もしかして、と思った。

 

あのころの国はある時代の特定の肉体だけが入れる場所じゃなく

つまり80年代の10代の少女だけが行ける場所ではなくて

うまく言えないんだけど

「すべきこと」を離れた喜びと楽しみの中にあるんじゃないかな。

 

ここからもっと、言葉にするのは難しいんだけど

あのころの国の住人たちは、いまでもわたしと遊ぶのは大歓迎で

それなのにわたしはあのころの国の住人たちを役に立てようとしてしまって

役に立たないと思った者を閉めだしたり、逃げられたりしていたんじゃないか。

 

もうちょっと噛み砕いて言うと

わたしはあのころの国を作る側に回ってそれで身を立てなきゃと思ってから

才能や技術や商才で物事を測ろうとして、絶望と自己批判に忙しく

目にするものを楽しめなくなってしまったんじゃないか。

 

そう思ってハイクのタイムラインを眺めていたら

野球を観戦する人は試合を開催する側に回れないことで絶望しておらず

神社仏閣に参拝する人は神職につくことを目指してもいなかった。

大人なのに。「すべきこと」じゃないのに。楽しそうだ。

 

わたしも楽しむことはできるんじゃないのかな。

わたしがすきなものを。

 

 

そんなことを思っていたら「今聴いている音楽」に

salyu × salyu "話したいあなたと"MV Full ver.があった。


salyu × salyu "話したいあなたと"MV Full ver. - YouTube

ぱっとあのころの国にいた。風邪薬でぼんやりするみたいにちょっと眩暈がする。

いま何年で自分が何歳で社会的に何者なのかが曖昧になる。

 

そういうことがあまり意味のない世界にいまいるんだね。

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