ヤマダとヘレン・ケラーと12歳の連れ子

父は、一時期自分のことを「ヤマダ」と呼んでいた。
父はわたしの母と離婚したあと、二度目の結婚と離婚をし、三度目の結婚で12歳の娘を持つ39歳の女性と一緒になった。
「あんたヘレン・ケラーのくせに、再婚するんですって〜?!」と継母はおかま友だちのみなさんから非難された。バツイチ・子持ち・年増という三重苦、かつ39歳というダブルヘレン・ケラーなのだそうだ。
 
「この家でいまいちばん偉いのはツレコ(仮名)だからよ。で、大蔵大臣はミクコ(仮名)」
と再婚後まもないころ、父は電話口で言った。自虐自慢風だった。
「パパは?」
「俺? 俺はヤマダ」
ヤマダってなんだ。
「ヤマダはおまえ、運転手だよ。俺は毎日ツレコを学校まで迎えに行ってだな、『お嬢さま、おかえりなさいませ! ヤマダ、お迎えに上がりました!』って言うんだよ」
え、マジっすか。九州男児家長制度を重んじる父が。でもこれは本当だった。しかもヤマダ稼業は結構長く続いたようだった。
 
星も見えない東京のど真ん中で育った継子は、母親の再婚と同時に福岡の奥地にある田んぼに囲まれた中学校に通うことになり、柄の悪い上級生にたかられてふさぎこみ、毎日自室でパズルばかりして過ごしていたころもあった。学校に行って、帰ったら部屋にこもる。継子の通う中学は自宅から歩いて20分ほどのところにあった。父はそこまで毎日継子を車で迎えに行くことにしたのだった。連れ子と父は養子縁組をしたけれど、母子家庭歴10年の継子はそう簡単に父に馴染めるはずがない。父はまず継子とすごす時間を作ろうと考えたらしい。
 
ツレコは父のことを「チチ」と呼んだ。継母ミクコによると、これは継父の略なのだそうだ。
「ママはチチと結婚したのはいい。でもあたしのパパはチチじゃないから」とツレコは言っている、とミクコは言った。一方ミクコはわたしからおかあさんと呼ばれることを好まず、わたしたち兄弟はミクコさん、ミッちゃんと呼ぶようになった。実母は生きている、わたしはあんたたちの母親じゃない、あたしの子どもはツレコだけだ、とミクコは再三宣言していた。
  
父はツレコが自分を父親として認めない気持ちを、最大限尊重したのだと思う。父は話し合ったり説得したりもしなかったようだけれど、ツレコが心を開くまで放っておきもしなかった。運転手ヤマダとして日々ツレコと過ごした父。
 
そのころ父は仲間内でタミちゃんと呼ばれていた。ターミネーターのように頑強だから、という理由だった。何しろ横暴な酒飲みで、親子の間には話し合いなんてものはない。わたしたち兄弟姉妹は、とくにわたしと弟は父の鉄拳制裁の元で育った。そんな短気なタミちゃんが、よくがんばったものだ、とわたしは思う。
 
父がツレコに手を上げたのは幸い一度だけだった。冷めたチキンライスのすきな高校生のツレコが、ミクコの作ったチキンライスが冷めるのを待っているのを見て「母親が作ってくれた飯に手をつけないとは何事か!」と早合点してびんたをくらわしたのだった。
 
ツレコは高校を卒業して服飾専門学校に入るとすぐ、髪を文字通り七色に染め始めた。
ピアスも開けまくった。へそだかベロだかにも一時期ピアスが入っていた。鋲のついたジャケットを着てライブハウスに通いまくり、煙草も吸いまくった。大学時代アイビー、トラッド、ブリティッシュで過ごしたミクコの機嫌はよろしくなかった。しかし父はツレコの髪の色をからかわず、眉もしかめず、「あいつはそういうのやりたい年頃なんだよ」とミクコをぽんぽんしてやったりしていた。谷山浩子のコンサート会場でばったり男子上級生に会ったわたしを張り倒した父が。「髪はカラスの濡れ羽色、だ!」と言い続けていたあの人が。
 
ツレコの成人式の日、ツレコは仕立ててもらった振袖に根元が緑の銀髪を結い上げ、写真屋を呼んで庭で写真を撮った。父はそれを引き伸ばして飾った。
 
ツレコはいまリュックひとつで中東に旅行に行ったりしながら、花屋で働きつつ平穏に暮らしている。花屋に集う年寄りの相手が好きなのだそうだ。敬老の日には祖父に花を贈ってくる。祖父は孫もひ孫も継孫もわけ隔てなくかわいがる。
 
父は酔うとわたしに家族の話をする。「おまえは俺の娘だ。兄男も弟男も妹子も俺の子だ。おまえの母親は、俺の女房じゃないけど、おまえらの母親だ。俺はもう何かしてやるわけにいかないけど、あれも俺は面倒見るように弟男に言ってある。ミクコは俺の女房で、おまえの母親じゃあないけど、あれも家族だ。ツレコは血は繋がってないけど、お前の妹だ。な、家族なんだよ」。
 
「お前が育った家、あれは俺の家だ。親父とお袋の家、あれも俺の家だ。俺が今住んでるこの家、これも俺の家だ」持ち家自慢ですか、と思いながらわたしは黙って聞いていた。「俺の家だってことはな、お前の家なんだ」。
 
父はおそらく間違いなくツレコにもバージョン違いでこういう話をしている。好いた女の子どもは俺の子だと思っている。手を出す男はぶちくらすと心に決めている。ツレコは未だに父をチチと呼ぶ。わたしにとって父がパパであるように、ツレコにとって父はチチなのだと思う。
 
こういう子連れ再婚もある。新聞の三面記事を賑わさない話は埋もれがちだけれど。
 
婚活関連の仕事に就いて一年数ヶ月、いたたまれなくなって辞めました
http://anond.hatelabo.jp/20100709180815