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男女同権なら、童貞でだいじょうぶ 其のニ

其の一はこちら
 
いいかどうかは別として、大正、昭和の男性はこのようにして家族を養う生き方を社会的に求められていました。それが出来るのは自分しかいないんですものね。戦争が始まれば戦地へ行くのは男性です。殺したくない、死にたくないのは男でも女でも同じだと思いますが、「女はどうして出征しないんだ」とごねた人がいたとは聞いたことがありません。いざとなったら女子供のために命を懸けるのは男の役目、いざとならずとも常々稼いで食べさせていくのが男なのです。
 
ゲゲゲの女房のヒロイン、布美枝の実家飯田家は商店でした。父の言うことは絶対です。妻ミヤコがたびたび源兵衛に叱られ、「すみません」と黙るたびに視聴者は「いや、ミヤコさん間違ってなくね?」「もうちょっと話し合ってもよくない?」と思わずにいられません。現代のわたしたちから見ると二人は夫婦と言うより上司と部下。ミヤコは子育て、家事に加え、店の手伝いもします。
 
次女のユキエは「お父さんひどい。あたしはお母さんみたいになりたくない!」とお見合いの話を蹴って家出してしまいますが、紆余曲折を経て、父と母が深く愛しあっていることを知ります。父は家族を圧制しようとしているのではなく懸命に治めているのであり、母は隷従しているのではなく、父を信頼しようと心に決めているのです。*1
 
飯田家は戦前呉服屋を営んでいましたが、戦時中は呉服を買う家もそうなかったせいか、父の源兵衛は家族の反対を押し切って家を担保に借金をして酒屋を始めます。戦時、戦後のストレスを酒で緩和したい人は相当いたでしょうから、これはなかなか目端の利いた選択です。しかしこのとき長年呉服屋を切り盛りしてきた源兵衛の母、登志は先行きの不安から来る心労のためか倒れてしまい、そのまま亡くなります。
 
源兵衛は存外お母さん子なので、これは相当きつかったことでしょう。人によっては自分を責めて、そのまま長い鬱状態に入ってもおかしくない。歳が歳とはいえ、なにもこのタイミングで亡くならなくてもよかったのに。*2とはいえ、もしも家族の言い分に従って呉服屋を続けたとしても、その結果家族が路頭に迷わないという保証はありませんでした。家長は憎まれ役を買ってでも家族を食わせていかなければならないのです。息子が自分の代わりに一家を守ってくれるまで引退はありません。
 
ううむ。これは「早く男の子が産まれてくれないかな」と思うだろうな。「代わりがきく仕事は極力自分に振らないでほしい」と思うだろうな。自分の負担を減らしたいというだけではなく、仕事に専念したい、自分がいなくなったあとも家族がやっていけるように支度しておきたいと思えば、そう考えずにはおれんじゃろうのう。
舅姑、妻の側も、前面に出てくれている家長の負担を減らすには、せっせと子どもを産み育て、子どもだって家の中の仕事はなるだけ自分たちでなんとかしようと思うだろうな。何しろ年寄り女子供じゃ男の代わりになれない社会なんだものね。
 
こう考えると、少なくとも心ある家父長制度を重んじる家ではけして「男は好き放題、女はやられ放題」ではなく、「男は責任負いまくり、女は支えまくり」の持ちつ持たれつだっただろうと思います。役割分担。
 
このような背景を考えると、当時夫婦でセックスをするのはいわば上司と部下でセックスをするようなものだったのではないかとわたしは思いました。職場の雰囲気も色々ですが、日頃から敬語で接している相手に親密な場で意見するのは難しい。それも初めてのセックスで、性に関することは一切口にすることまかりならん、という躾をされてきた女性が自分からものを言うなんてとうてい出来なかったのではないでしょうか。
 
かと言ってこのような場で「おい、お前の経血はどこから出るのか言ってみろ。暗くてよくわからん、灯りをつけるぞ」とまんまんの位置確認を妻に手伝ってもらうわけにはいきません。妻の繊細な心を重んじる思いやり深い夫であればなおさらです。仕事でも子づくりでも夫は常に「だいじょうぶ、心配するな。怖がることはない。俺に任せていろ」と妻に言うものなのですから。
 

*1:言うまでもなくすべての家がこうではなかったことでしょう。

*2:ちなみに、この部分は原作にはありません。