天草の思い出

小学生のころ、夏休みに家族で雲仙に行った。
 
観光スポット的なものは何もなかった。船で天草に渡り、食堂に入ってカレーを頼んだら小一時間またされた。他に見るものもなく、天草四郎のお墓に行った。
 
そこに着くまで私は天草四郎という人が何者なのか知らなかった。
天草四郎は迫害されたキリシタンで、天草では大勢のクリスチャンが幕府に弾圧されて亡くなったのだと両親の説明で知った。ダンアツ。ハクガイ。皆殺し。
 
これは、怨念がありそうだ、と私は思った。私は夏休みには「あなたの知らない世界」を熱心に観て、夜はタオルケットぐるぐる巻きでびくびくしながら寝る子どもだったのだ。出る、きっと出る。出て欲しいのか欲しくないのか自分でもよくわからない。
 
天草四郎の墓だか記念碑だかの写真を撮った。
私はそのとき「心霊写真が撮れますように!!」と熱烈に念じた。
残忍に苦しめられた大勢の人のことは映画レベル程度に受け止めていた。
まったく他人事だった。
 
新学期が始まってから、天草の海で子どもが鮫に食べられたというニュースを聞いてびっくりした。家族で船に乗って沖に出たところ、子どもがしきりに泳ぎたがるので紐をつけて泳がせたのだそう。気がついたら子どもの下半身はなかった。
 
ふと「そういえば、あの写真はどうなったのかな」と思った。
家族で泊まったホテルの写真も、雲仙の景色の写真も焼きあがって届いていた。それは見た覚えがある。でもあのお墓の前で撮った写真は?
 
整理前の写真を投げ込んでいた箱を探すと、果たして墓の写真が出てきた。
母と兄弟で並んだところを父が撮ったものだ。墓だけ撮ったあの写真はなかった。ネガを見ると、確かに数枚墓の前で撮った写真がある。けれども現像された写真の中に墓の写真はなかった。写真はどっさりあるのでこういうことはたまにある。
 
母と兄弟で写った写真には怪しいところはなかった。木の陰、地面の凸凹をあれこれ見立てても、顔に見えるようなところはなかった。なーんだ。ちぇっ。
私の中で雲仙と天草は海に囲まれた退屈なところでお墓がある、という思い出で落ち着いた。
  
数年後。
 
兄弟妹と雲仙天草に行った時の話になった。
「あのときね、心霊写真が写ればいいなと思って頭の中で念じてたんだよ」
「え、お前も? 俺も思ってた」と兄が言った。
「え…」弟と妹が、自分もそう思っていたと言った。
四人でムーを回し読み、心霊写真特集や恐怖特集番組を肩寄せ合って見ていただけのことはある。
「でも何も写らなかったね」と私が言った。
「写ってたよ」と弟が言った。
「写ってたよ、すごく怖い顔をした人の顔が。だからママが写真を捨てちゃったんだよ」。
 
弟の話によると、顔が大きく写っていた写真が一枚、四〜五人の顔が写っていた写真が一枚あったそうだ。
「ぐわぁ! っていう顔だった。みんな苦しそうな怖い顔してた」。
 
後日、私はそのうちの一枚を見つけた。何らかの供養をするつもりだったのか、母の手箱の中に入っていた。墓の前に浮かぶ顔ははっきりこちらを見ていた。見間違いようのない鮮明なものだった。すぐ元に戻して、二度と見なかった。
 
心霊写真特集も、二度と見たいと思わなかった。
あれは遊びじゃないと思った。

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