すべき思考って、知ってる?

「おねえちゃんさあ、いま話してるような口調で書いてみれば? ブログ。そしたら誤解も少なくなるんじゃない?」って妹が言うので、お試しキャンペーン的にちょっとやってみる。
 
ぼくの妖精
 
ぼくについてる妖精が
眠っちゃいけないって言うんです
あるとき怪我して叫んだら
「泣いたりしてはいけません」
 
つい楽しくてニヤリとすれば
笑っちゃいけないって言うんです
あるときジンが飲みたくなると
「ものを飲んではいけません」
 
あるときご飯が食べたくなると
「ものを食べてはいけません」
勇んで戦に馳せ参じたら
「喧嘩をしてはいけません」
 
悩み疲れてぼくは訊く
「していいこと なにかあるの?」
妖精しずかに答えていわく
「質問してはいけません」
 
<教訓> 汝すべからず 
 「キャロルインワンダーランド」高橋康也より

 
これは「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルが1845年、13歳のときに書いた詩。
以下は高橋康也氏のコメント。
 

彼の作品の中で現存するいちばん初期のものであるが、滑稽めかした書きぶりにもかかわらず、キャロルに終生つきまとった「汝すべからず」という強迫観念がすでにはっきり現れているのは興味深い。フロイト流に言えば、快楽を求める「本能」に「超自我」が暴君的に抑圧しているさまが、ありありと浮かんでくる。

はい! フロイト大好きなみんなはここで「抑圧」「超自我」に反応して上の空になりがちだけどシャンとして。今日の話はこれからだよ。
 
うつ病の思考パターンに自分で働きかける「認知療法」っていう治療法がある。この認知療法の、認知の歪みの定義の中に「すべき思考」っていうのがあるのね。知ってるかな。デビッド・D・バーンズというお医者さんは「すべき思考」とは何かを、こんな風に説明してる。

すべき思考 should statements
何かやるとき、「これを『すべきだ』」「これを『してはならぬ』」と考えてしまうことです。こういう考え方は必要以上のプレッシャーを与え、自分自身を追い詰めてしまいます。皮肉なことに、かえってやる気をなくしてしまうという結果に終わりがちです。「せねばならぬ(must)」と考えすぎるという意味でマスターベーション(musturbation)とも言えます。

すべき(must)思考→マスターベーション(musturbation)→まさに「ひとりよがり」っすな!
 

この「すべき思考」を他人に向けると、自分がフラストレーションを感じることになるのが普通です。あるとき急用ができて、ある患者との診察の約束の時間に五分遅れたことがあります。その人は言いました。「こんなに遅れるなんて勝手すぎます。心配りがなさすぎます。時間ちょうどに来ないといけません。」この考え方は結局、怒りを引き起こし、自分を気まずくしてしまいます。

「コメントにはぜんぶ返信するべきだ」「トラックバックはぜんぶ承認すべきだ」「批判はすべて感謝して受け入れ、すべて反映すべきだ」「表現規制には反対すべきだ」「ブコメにレスをつけるべきだ」「ブクマタワーがのびたら登頂制覇すべきだ」つまり「書き手は読み手が好むのことを、読み手好みに書くべき、読み手を失望させるべきではない」。
 
こういうこと考えてブログ読んでると、マジでうつになるからやめた方がいい。ヤバいって。ムカついて内蔵悪くするだけだって。般若のような形相でゾンビのような顔色になってどうすんの。ホラー映画にでも出るの?

「すべき思考」は日常に無用の感情的混乱をもたらします。もし実際の行動が「すべき」「すべきでない」の基準に合わないと、自己嫌悪、恥や罪の意識を感じることになります。世の中の人の行動も、たいていこの基準に合いませんから、にがにがしく感じることが多く、独善的になりがちです。この結果裏切られたように感じたり、人の行動にがっかりさせられることが多くなります。
 デビッド・D・バーンズ著「いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

 
『人の心を傷つけてはいけない』が間違っているとは極端だ、そのように考えるべきではない」って思った人が結構いた。考えるべきでないと思うのは自由だけどさ、「人の心を傷つけてはいけない」が間違いだっていうのは「人の心を傷つけてもいい」とか「人の心を傷つけろ」じゃないよ。その辺、桶屋が儲かってない?
 
そりゃ人の心を傷つけずにすめば、それに越したことはない。元気づけたり、楽しませたりできればもっといい。
 
でもさ、人に近づくのは一種の賭けだよ。
ぶっちゃけ傷つけないように、ばっかり考えてたら、人を力づけるのは相当難しいよ。はてこなんか「オマエの存在自体が不愉快じゃ」って思ってる人がどこ行ってもいたもん。そいつらの心象をいつもいつも優先してやるわけには行かないでしょ、jk。
 
たとえば電車で席を譲るにしても、相手がスマートに受け入れてくれるかどうか分からないじゃん。
「まだ譲ってもらう年じゃねえんだよ、馬鹿にすんな」
的な反応が返ってくることもあるし。いや、あるよ、実際。ああいうのはダンスみたいなものだから、うまく相手がこっちのリードに乗って座りやすいようにやんなきゃなんないのよ。場数よ、場数。
 
だけどそういうのって結構ショック。
自分に悪意がある時と違うショック。善意を撥ね付けられるのって。
それで、そんな気分でいるのはやだからさ、馬鹿だなー自分。あーもー何もしない方がいいかな、とか思うわけよ。黙ってみんなと同じようにしてればいいかな、そうすれば取りあえず自分だけ非難されることはないしな、とか思うようになるの。臆病になるの。そんで、目の前にヨボヨボな老人とかお腹の大きな奥さんがいても寝たフリするようになったりするわけ。そんなのやじゃん。あたしはやだな。
 
「努力すれば人を傷つけることはない、傷つけるのは配慮が足りないから」
っていうのはさ、言い換えたら全能だっていう前提でしょ? そうじゃん、やればできるんでしょ、何でも。何でもできるってそりゃ神さまだよね。なんか神さまに過剰反応する人がいるけど、人間は全能じゃないんだから、全能だったら人間じゃないよね。
 
自分の行動が人にどんな影響を与えるのかを意識するのは悪いことじゃないよ。
でも、人の反応を自分の意志で制御出来ると考えるのは一種の幻想。
その種の幻想を信じ込んでいると美容と健康と人間関係を害する。
「汝すべからず」じゃ生きていけないのよ。
  
「わたしね、前は悪魔を喜ばせちゃいけない、って思ってたの。
 でも今はね、神を喜ばせようって思う。どこが違うか、わかる?」
 
「悪魔を喜ばせないようにって思うとね、出来ることがどんどん減っちゃうの。
 でも、神を喜ばせようって思うと、することがたくさんあるの」
 
って、むかし、尊敬する年下の女の子が言ってたけど、しちゃいけないこと探すより、出来ることを探した方が人生豊かだから。
「神とか悪魔とか持ち出したらいけない」
って、こんないいこの素朴な言葉を糾弾するのは、やめた方がいいと思うね。馬鹿ばかしい。飲み屋で言えっつーの。
「汝のなせることをなせ」だよ。なんだっけ「はてしない物語」だったっけ?
 
あ、それから今日はピアノの日だから。コメント承認されないとかわーわー言っても家にいないからね。みんなも何か楽しくすごすといいよ。
じゃあね。
 
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