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「人の心を傷つけてはいけない」という間違った考え

「人の心を傷つけてはいけない」という考え方があります。
不用意に人にショックを与える言動を慎み、人の心を思いやるのはどう考えても感じの良いことです。ですから「人の心を傷つけてはいけないと」と常に考えていると、慎重で思いやり深く行動出来そうな気がするかもしれません。
ところがこれはとても間違った考え方なので、これをまともに信じている人は暴君になったりうつ状態に陥ったりすることがあります。
今日はこの考え方がいかに間違っているかについてお話したいと思います。
 
あなたが誰かとごく気楽に、好意をもって話をしたとします。ところが思いがけず話し相手はショックを受けて泣き出しました。こういうとき「自分は人の心を傷つけた」と感じるかもしれません。
また、あなたが心にあふれる悪感情に動かされ、思考力をフル回転させ、卑劣の限りを尽くして誰かに罵詈雑言を浴びせたとします。それなのに先方はまるで天気の話でも聞いているかのように平然としているではありませんか。ちっ。あなたはこの鈍感なヤツの「心を傷つけることが出来なかった」と考えるかもしれません。
 
もしも「人の心を傷つけてはいけない」とあなたが考えているならば、あなたは前のケースでは罪悪感を覚え、後のケースでは忌々しさしか感じないかもしれません。これは正しいと思いますか?
 
もしもこれを正しいと考え、人にも自分にも公平でありたいと考えるなら、あなたは自分の気分を害する人すべてを断罪しなければなりません。たとえどんなに思いやり深く善良な動機でなされた行為であったとしてもです。
たまたま体調が悪かったり、機嫌が悪かったり、あなたが何かを誤解していたのだとしても、あなたがその人との関わりで少しでも心が「さくっ」「カチン」「グサッ」と感じたら、その人は悪いと考えなければなりません。
たとえば自分の幼いころを思い出して、小さなあなたに古臭い民芸品を携えて会いにきたおじいちゃんは悪い、PSPが欲しいと言ったのに、おもちゃ屋を6件廻ってDSを買ってきた話の分からない親御さんも悪いというわけです。
 
また、あなたの心が誰かの悪意に深く傷つけられたとしても、あなたのショックが相手に伝わっていなければ相手が反省しないのは当然と考えなければなりません。何しろ心は見えないのです。あなたが人の心が見えないように、相手もあなたの心は見えません。先方はあなたの態度から推測するしかないのです。
「そんな風には見えなかったよ」と半笑いで返されたとき、相手が何をしたかよりも、当人の心が傷ついたかどうかを重視するなら「傷ついていた」「そうは見えなかった」と水掛け論をすることになります。
 
こんな風に考えているとどうなるか。
 
まず、人は自分は悪いことをしたとは考えたくない傾向があるので、自らの悪意で誰かが傷ついても、その人が傷ついている徴候を無視するようになります。「このくらいは大丈夫」と自分を欺くことはけして難しくありません。2歳児にだってそのくらいは出来ます。
 
また自分の気分を害した人すべてを断罪する人は、やがて自分の周りは悪人ばかりだと気づくでしょう。
そんな不愉快な生活は心身を害しますから、結果的にあなたの沸点は低くなりがちです。あなたは息をするごとに傷つき、どこへ行っても悪意ある悪人と、無神経な馬鹿ばかりという恐ろしい世界が待っています。あなたは人でなしに囲まれて生きていくことになります。
 
ところで人は悪人だと思われるのを好みませんから、そのような人の周りにはより付きません。悪人どもは謝罪しにやってくるどころか、あなたを遠巻きにして楽しく暮らすでしょう。
 
こんな生活は真っ平ですし、人は愛する人を極力断罪したくはないものです。でも人の心を傷つけてはいけないという考えを固守するならば、「悪気がなかった」で大目に見るわけには行きません。
残された道はただ一つ。あなたは傷ついていないということにすることです。情状酌量は出来ないから違反をもみ消す、ということですね。
 
こうしてあなたはあなたの愛する人があなたを深く傷つけたとき、その人を断罪しなくて済むように、無意識に傷ついていないふりをするかもしれません。それどころかあなたを愛する人が誰かを傷つけたとき「その人は傷ついてはいない」と言い張るかもしれません。やがてあなたは人にも自分に対しても鈍感になり、自分を守ることも、人の心を洞察することも難しくなります。
 
それだけではありません。人はふつう悪人になりたいと思わないものです。
それで相手が破壊的な行為、明らかに邪悪な行為に携わっていても「相手の心を傷つけないために」それを是認しなければならないと感じるかもしれません。相手の心を傷つけるような悪人にならないことを第一に考えるなら、それで相手がどうなろうと知ったことではありません。
正常な判断力のない人、未熟で社会経験のない人にも「自分がいちばんいいと思ったことをしなよ」以外のことを言うのは恐ろしく感じるかもしれませんし、正しいと確信して言った言葉であっても、相手が逆上したというだけで無条件にそれを後悔するかもしれません。あなたは言い方やタイミング、自分の話の妥当性について検討することを放棄してしまいます。
 
人の心を傷つけたくない。
あなたの周りにいる人が心身ともに健康で、どんなときも物事を正しく判断する頭脳と、強力な自制心を持っており、あなたに対してあふれる愛情を絶やさないのであれば、この計画は上手く行く可能性があります。
しかし心身を病んでおり、風が吹けば桶屋が儲かると本気で信じがちで、短気で自己愛ばかり強い気分屋が身近にいるなら、あなたが善人でいるのはどう考えても大仕事です。あなたは絶えず自分を断罪せざるを得ません。
 
人の反応で自分の行動の正邪を判断するのをやめなさい。あなたはあなたの行動と良心に責任を持たなければなりません。
良心とは「物事の善悪を区別し、悪を避け、善をなそうとする心」です。あなたが大人になりたいのなら、不完全な親の話を不完全に理解した幼いころのままの良心でいてはいけません。それを精査し、把握し、更新していく必要があります。
 
相手が受け入れてくれたから大丈夫、怒ったからダメと判断し、人に依存し続けている限り、あなたの自己評価は不安定です。
人の心を思いやるのは大切な事です。しかしあなたは相手がどう反応したかではなく、自分の思考力を働かせ、自らの良心に基づいて、自分を裁かなければなりません。
それを怖がらない勇気を持ちなさい。裁判所を出てくる人は毎回刑務所に直行するわけではなく、裏口から逃げずとも無罪を勝ち取ることがあることを考えなさい。
あなたのワンダーランドに不公平で愚かな裁判官を据えておく必要はありません。
 
正しいことをしていれば人の心は傷つけないと思っているとしたら、それは大きな間違いです。
悪人はみな水戸黄門の登場にたいそうショックを受けているではありませんか。
 
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