すでに知っているということを知らないでいることを知ること

ピアノをやめるとき、返しそびれた楽譜を先生がくださったので、今回その曲を弾くことになった。
ところどころ破れて黄ばんだ楽譜の裏には「定価45円」と書いてある。
この曲はピアノ教室ではやらなかった。自分から強く興味をもって、先生にかけあって楽譜を貸していただいたのだ。
 
私がこの曲を弾きたいと思ったのは、ウィスキーのCMで黒人の美しい歌手が、夜明けの草原でこの歌を歌っているのを見たからだ。いっぺんで好きになった。キャスリーン・バトルという人だった。ピアノの先生の前で歌ってみせたら、HandelのLargoという曲だと教えてくれて、楽譜を貸してくださった。
 
私は音符をすらすら読めない。だからときどきドの位置を確認して、ド・ミ・ソと数えて、じゃあファだ、と考え考え弾く。初見ですらすら読めるようになりたいんです、と先日入ったヤマハの先生に私は言った。そうですね。先生は、ちょっと難しい顔をしている。
しばらく話しあったあと、先生は仰った。
「今回は三ヶ月に6回のレッスンですから、お持ちの楽譜を意識して理解することを目標にしてみましょう」

 
ピアノ教室で出された宿題は、ラルゴをパート分けして歌いながら弾くこと。
先生は私の気持ちを見抜いた様子で「めんどくさいですか?」と、やや挑戦的に言って、ご自分で弾いて歌ってみせた。ここが主旋律。次に下、シ・シ・シ、ド・ド・ド。簡単でしょう?
 
私はピアノを弾くとき口が開かない。なので弾き語りが出来ない。
「私たちは、10回弾くなら1回歌えと言われます。ピアノは歌うように弾くものだから」
そうですか。
ということで、今日ようやくピアノに向かって旋律と和音の上下、それぞれを歌いながら弾いてみた。上のソがキツい。キツいけどがんばって歌う。
 
これは文字を音読するのとそっくりで、短時間で音符がぐっと読みやすくなり、私は驚いた。やってみるもんだなー。
  
がんばったので、少し休憩して、ご褒美にすでに弾ける曲を弾くことにした。
せっかくなので、これも旋律を歌いながら弾いてみた。
  
シドニー・ローゼンという人がまとめたミルトン・エリクソンの本に“乾いたベッド”というエピソードがある。
病気の治療のために、膀胱と括約筋が伸びてしまい、親兄弟を含め町中の人に夜尿症を笑われるようになった美しく賢い少女の話。聞くも涙、語るも涙の悲惨な話なのだけれど、エリクソンは彼女にこう言う。
 
「あなたはすでに何かを知っています。だがあなたがすでに知っているということをあなたは知りません。あなたがすでに知っているということを知らないでいることを見つけるやいなや、あなたは乾いたベッドを持つことができます」
 
知ってることを知らない何かに気づけば問題は解決する。
エリクソンがよくこう言っていたことは、他の本にも書いてある。その発見とその後の展開は常に驚きと感動に満ちている。
 
私はコードを知っていた。ピアノを弾くことも出来た。音符を読む方法も知っていた。そしてバッハのヘ長調メヌエットを、10歳のピアノの発表会以来、数え切れないほど弾いてきた。 
そして今日、自分が弾いている音を声に出して歌ってみて、音楽が和音で成り立っていることが初めて理解できた。シューマンの見知らぬ国々を歌ってみて、この曲のメランコリックなサビの部分が、自分がしばしば伴奏に使っているコード進行通りに進んでいることがわかった。
知っていることを知らなかったことを知るのって、すばらしい。ずっとそこにあって、出来ていたのに。まるで自分の中に金鉱を見つけた気分だ。
 
ピアノ教室に通っていたあのころ、私は同学年の子どもたちと自分を比べて常に落胆していた。
何番まで進んだか。いまどの本を練習しているのか。
子どものはてこは誰でも努力すれば同じことができると思っていた。どうして出来ないんだろう。
  
やがて先生は
「あんた、これ嫌いでしょう」
と言って、オーソドックスな教本を使うのをやめて、簡単だけど面白い曲をあれこれ見つけてきてくれた。腎炎で寝込んだときはお見舞いにエリック・サティの子供の音楽集をくださった。
 
ピアノを弾く楽しい気持ちが残っていて本当によかった。
大人になると、知っていることを知る機会が毎日のようにある。たとえ薬指が思うように動かなくても。
 
ピアノとレーシック