ピアノとレーシック

幼稚園から高校一年の秋までピアノを習っていたのだけれど、私がバイエルを終えたのは中学三年のときだった。
まったく練習しないので、ピアノの先生ははじめ、私をきつく叱って何度も泣かせたけれど、私はやっぱり練習しないで、翌週もピアノ教室へ通った。ピアノを弾くことも、ピアノ教室も、好き嫌いの激しいピアノの先生も好きだった。
この先生は「練習しない子は泣かす。あたしは泣かすの得意だからね」「どんなに上手に弾ける子でも、気にらない子は止めさせる」と公言してはばからない、変わった人だった。
 
ピアノ教室へは早目に行って、だいたい絵を描いて過ごした。
先生の蔵書であるわたなべまさこの恐ろしい漫画や、ブラックジャックを読むこともあった。オリーブという雑誌を知ったのもこの教室だった。夏休みなんか午前中から行って、弾いて、その後も長いこと一人で大人しく遊んで、先生と出かけることもあった。
 
ピアノが弾けなくなり、教室に通えなくなったあと、私は初めてのアルバイトで貯めたお金でエレキピアノを買った。15万5千円だった。
この価格を超えるものを、私は未だに買ったことがない。三台車を買ったけど、みんなこれより安く買った。
 
「自分で楽譜を見てピアノを引き始めた」と手紙を書いたら、先生から返事が来た。
すぐにでも指使いを見てあげたい、あんたが持っていたフランスの童謡の絵本、あれを練習しなさいと書いてあった。そして
「あんたを教えていたときは、まともにピアノを教えるか、ピアノを好きになることを教えるか、どちらにするか迷った」
と書いてあった。私は、自分がまともにピアノを教わっていなかったことにショックを受けた。そうだったのか。
 
いま思うと、私は楽譜がまるで見えていなかったのだった。
私の視力は小学生のころからかなり悪くて、眼鏡をかけずに楽譜を見るには、楽譜を目の前10センチまで近づけなければならなかった。ところが母は私の眼鏡顔が大嫌いで、眼鏡をかけると嫌な顔をして、遠回しにあれこれ言った。
私は黒板の字も見えなかったし、人の顔も見えていなかった。
 
それで私は先生が弾く音を拾って、耳で覚えて弾いていたのだと思う。
目に頼らないで指で覚えると、一度覚えればいつまでも弾ける。シューマンの「子供の情景」にある「見知らぬ国々」を、今も楽譜なしでときどき弾く。作曲もする。歌も作る。でも、それを譜面に落とすことは出来ない。
 
今日は用事があって、郵便局と銀行を回ったあと、隣駅まで自転車で出かけた。なのに出かけた先は休みだった。
それで豆大福を買って、美術館の公園で食べようと思ったら、道に迷った。ずいぶん遠回りをしてやっと美術館について、噴水の脇で豆大福と持参した人参烏龍茶を飲んだ。
 
新緑が綺麗だった。樹々の後ろには重く陰った雲があり、その切れ間からすっきり上品な水色の空が見えた。水しぶきの一つ一つが見える。水面の輝きが見える。噴水のへりで靴下を脱いで、池に脚を突っ込もうとあたりを見回している子どもたちが見える。大福が盗めるかどうか観察しているカラスが見える。
見えるってすばらしい。奇跡でも起きない限り、こんな世界を目にすることが出来る日は来ないと思っていた。
 
帰り道、通りすがりのヤマハ音楽教室に立ち寄って、さっき入会してきた。今夜7時40分から、私はまたピアノを習う。いつか大事なときのために取っておいたお金を使うことにした。
生きていることを楽しもう。予測のつかないことが待っている。

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