汚屋敷・汚部屋脱出作戦 掃除が辛いあなたへ

あなたは一泊五万円のホテルのスイートルームにいます。
大きな窓からは遠い水平線と小奇麗な港町が見えます。いかにも質の良さそうな布張りのカウチには雛菊と駒鳥が織り込まれ、お揃いのかわいいオットマンがあります。小さなテーブルの上にはウェルカムティー。あなたの大好きなお茶を、ホテルマンは覚えていました。
 
それは何でしょう。挽きたての豆で淹れたコーヒー、ケーキが欲しくなる熱い紅茶、それとも冷たくて甘いハーブティー、十分温めた杯に淹れた中国茶でしょうか。ほうじ茶、緑茶、V.I.P.のために特別に用意された、季節の果物の、作りたてのフレッシュジュースかもしれません。
 
テーブルの中央のカードスタンドには筆跡も美しい支配人からのメッセージ。スタンドの後ろの小さなガラスの花瓶、飾られた花とくるくるヒゲのように垂れる緑の葉の対比。あなたは満足のため息をつき、飲み物を一口飲み、ふと足元に目を向けます。
 
カーペットの上にゴミが落ちています。見覚えのあるゴミ。どうやらチェックイン前に外で買い物をしたとき、ポケットに突っ込んだゴミが落ちたようです。けばけばしいプリントの安っぽい包装紙。あなたはそれをつまんで、優美なゴミ箱にぽいといれます。そして夕飯までの時間に何をするか、思索にふけります。
 
あなたは昨日新居に越してきました。ありあまる選択肢の中からさんざん悩んで大騒ぎで選んだ家具と食器。部屋には真新しい家具の木の匂いがします。どこもかしこもおろしたてのシャツのように清潔です。今日からここであなたの暮らしが始まります。朝の光が壁にやわらかく反射するのを、あなたは笑顔で眺めます。昨日は一日曇り空だったのです。まずはお茶を淹れよう。あなたはキッチンに立ち、飾っておきたくなるような、すてきなヤカンに水を入れ、火にかけます。
 
ふとシンクに目を移すと、スーパーのビニール袋一杯に、昨日の食事に使った紙皿、紙コップ、チキンの骨、苺のヘタが入っています。後片付けは自分でやるから、とあなたは言いましたが、引越しの手伝いに来てくれた友だちが、そっとまとめておいてくれたのです。ええと、これはみんな燃えるゴミだよね。あなたはピカピカのゴミ箱の蓋をひょいと開け、口を縛ったビニール袋を軽やかに投げ込みます。
 
あなたは小さな体で、近所に住む子どもたちと、汗をかきながらリヤカーを押しています。今日は子ども会の廃品回収日。みんな興奮して、今日の収穫について口々に自分の予想を熱く語っています。この分だったら千円は行く、とクラスメイトの男子が断言します。千円は行かないかもしれないけど。少しだけニヒリストのあなたは斜に構えて言います。982円くらいはいくかな。同じじゃん!と年下の子たちが笑います。泡が弾けるような笑い声に、あなたもクラスメイトも釣られて笑い出します。そのとき先頭を歩いていた高校生のお兄さんがサラリと「今のところ三千円くらいだと思うよ」と言いました。どよめきが走ります。ほんとに?! マジで!! すげええ!! なんで、なんで?
 
「空き瓶がかなり集まったし、ちゃんと着られる古着もこんなにあるし、古本も新しい漫画と新書がそうとうあるから。あとで軽トラで回収してる向こうのグループの使える家電品も合わせたらもっと行く。前回はこれよりずっと少なかったけど、四千円になったから」
「着られない古着は?」
「モノによるけど、ウエスとして回収してくれる業者があるんだ。古タオルとか」
あなたは家に大量のぼろタオルがあることを思い出します。そうだ、あれを取ってこよう、今すぐ、走って! あなたはみんなにそう宣言すると全力で駆け出します。
 
さて、ゴミを捨てるのはこんなに気持ちのいいことなのに、汚部屋・汚屋敷に向きあうと、頭がぼうっとして、なんだかドンヨリした気分になるのはなぜでしょう。
ゴミをぽいと捨てるだけでいい気持ちになれるのなら、ゴミをぽいぽいぽいぽい捨てればもっといい気持ちになれてもおかしくないのに、ゴミをぽいぽいぽいぽいぽいぽい捨てて、床が見えるようになったのに、片付け始める前よりウンザリしてしまうことがあるのはなぜでしょう。
 
疲れているから? やる気がないから? 怠け癖の証拠?
いいえ、騙されてはいけません。それはゴミがあなたを攻撃している証拠なのです。
 
最初の話を思い出してみてください。
ホテルのスイートルームはふつう、あらかじめ入念なゴミ退治を済ませてから、泊まり客を案内します。孤立無援のゴミは電波も微弱で、たいした力を発揮出来ません。いうなれば町の城壁まわりの草原をうろうろしている無力なスライムみたいなものです。こいつらを倒すのはさほど難しくありません。
 
二つ目の話はどうでしょう。ピカピカの新しいものというのは、家具であれ、家であれ、衣類、食べ物であれ、どんなにつまらないものであってもゴミに対して免疫があります。ゴミが仲間として取り込むのは、ふつう老いた無職の宿なしのモノです。ですからよく手入れされ、いつまでもピカピカのものは中々ゴミになりません。こういうモノとこういう手入れをする人はゴミにとって強敵です。管理の行き届いたコレクターのコレクションがゴミにならず、集めたモノに定住先を与えていない蒐集家の部屋が腐海と化すのはこのためです。
このようにゴミ電波の微弱な空間では、ビニール袋一杯の生ごみも恐るるに足らず。あなたはゴミに力を奪われることなく、比較的容易にゴミを叩きだすことが出来ます。ゴミに出来ることといえば「後でいいよ」とあなたを誘惑することくらいです。
 
三つ目の話は、ゴミ退治は勝てば勝つほどレベルが上がるという顕著な例であり、またゴミ電波の及ばないところでゴミ退治を計画することの利点を浮き彫りにした例でもあります。軍勢と化したゴミを前にたった一人で立ち向かうときは、一本の空き瓶を捨てることさえ困難です。あなたは「まあいいじゃん」「ごみの日にまとめてやれよ」というゴミの脅迫に抗うために厳しい戦いを迫られるかもしれません。ゴミは弱い人間に容赦ないので、弱みを見つけると間違いなく付け上がります。
 
こんな卑劣で情け知らずなゴミに、経験値もなく力技と運だけで向かっていくのは、コントローラーの使い方を覚えるなりボスのいる洞窟に乗り込んでいくようなもの。無駄にライフをすり減らし、レベルも上がらず、ゴールドも増えません。あなたはこのゲームが大嫌いになるでしょう。
 
まずスライムです。スライムを倒すのです。そして経験値を上げてください。作業ゲーは楽しくない。俺はさっさとイベントが見たい。その気持は分かります。しかしまずレベルを上げなくてはなりません。手近なゴミをゴミ箱に捨ててください。たまったゴミ袋をゴミの日に出す、あれは地味ですがちょっとしたイベントなのです。ちゃらりらりーん! という音がどこかで聞こえるハズです。聞こえないとすればそれはゴミの断末魔のせいです。あなたのレベルは着実に上がっているのです。
 
また、ライフが0になるまでゴミとやり合わないこと。
言うまでもなく気力体力が有り余っているときのゴミと、厳しい戦いを繰り広げたあと休息もとらずに挑むゴミでは、あなたに与えるダメージが違います。ライフが乏しいときの一撃は命取りになることもあります。旧日本陸軍が気合で八甲田山を制覇しようとしたときのような過ちをおかしてはいけません。「逃げるのか、この卑怯者! 怠け者! 弱虫! 片付けられない女! 不潔男!」というゴミの挑発に乗ってはいけません。ゴミは弱ったあなたを叩いて止めを刺そうとしているのです。好きなように言わせておいて、散歩にでも行きなさい。
 
そしてゴミ電波の届かないところで優雅に作戦を練り、紙に書き、ゴミの日を調べ、ゴミの発生ポイントを冷静に把握しましょう。作戦本部としてお気に入りの店や図書館を探しましょう。ヒット・エンド・ラン、一撃必殺、大物を倒すぞと欲張らない、ゴミの挑発に乗らない。そして懐かしい汚部屋・汚屋敷に、心を鬼にして別れを告げて行きましょう。
 
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