そよ風のレイプ願望と強姦の違い 後編

その男性は仕事帰りに何度か食事に誘ってくれました。私は仕事のことで注意されるのだろうと思ってついて行きましたが、何度か一緒に食事をするうちに、とても個人的な雰囲気になってきました。
 
あるとき店から駅までの帰り道が逆で、「送ってくれないんですか」と言ってみたら、その男性は「わっがままだなあ」と苦笑しながらほんとにけっこうな距離を歩いて送ってくれました。口ではぶーぶー言っていましたが、ずっと笑顔で嬉しそうでした。性別を意識しあうことの少ない過酷な職場で、せっせと作品を作っているやさしい人でした。彼は気になる年下の女の子に誘惑されたかったのだろうと思います。送ってください、帰らないで飲みに連れて行ってください、私にもレイプ願望はあります。そんな風に言う女の子に振り回されてみたかったんじゃないかなと、当時の彼よりずっと大人になったいま思います。
 
女の子に振り回されるアニメやラノベは大人気です。
主人公はぶーぶーぶつぶつ言うばかりで、時々女の子に凄まれ、わあった、わあった! ちょっと待てよ、とか言いながら結局女の子の言いなりになり、最終的にいい思いをすることになっています。いいよね。一昔前の少女漫画もけっこうこんな感じです。もう、強引なんだから…と男の子についていった女の子はたいていいい思いをすることになっているのです。たとえいい思いが出来なくても、少なくともそうなった責任の比重は強引に誘った側にあると考えることが出来ますから、気が楽です。
 
気楽な立場で誘惑され、普段の自分には出来ないことをしてみたい、という願望は男女問わずあると思います。迫られた挙句断り切れず、あるいは体の自由を奪われて深い仲になり、くんずほぐれつめくるめく熱い時間を過ごすという展開は、少年少女誌からビックコミックオリジナルまで普遍的な人気を誇っています。「体は正直だな」であり「お楽しみはこれからだぜ」であり「おかしくなっちゃう」自分にはどうすることもできない。悪いのは自分じゃない。でも快感は全力で味わう。いいとこ取り。これは現実の暴力である強姦とは似て非なるものです。まったく違うものなのです。
 
昨日大野さんのレイプ・ファンタジーについてのメモ - Ohnoblog 2を読んでいたら、後ろからもちのすけが言いました。「レイプされたいファンタジーには被害者がいない。まったく。でもレイプしたいファンタジーには被害者がいるからね。そこをごっちゃにしたらいけない」。私もそう思います。
 
レイプしたいファンタジーを具現化したレイプモノと呼ばれるポルノを席巻しているのは、誘惑したい、されたい願望を物語に置き換えたものばかりとはけして言えません。そこにあるのは圧倒的な暴力であり、蹂躙であり、一方的で非人道的な性の搾取の肯定です。被害者は心身ともに傷を負い、血を流しています。そしてそのようなレイプは頭の中でのみ起きてるのではなく、現実に起こっているのです。ポルノを通してなんどもシミュレーションした結果実行に移す人がいて、現実の被害が出ているのです。
  
レイプされたい願望を持つ人は、どんなにオープンマインドに見えても内気な人ではないかと私は思います。縛ってもらった方が自由になれるという人もいます。それを陵辱と呼び、それに打ち込んでいる人もいます。※アダルトブログ けれどもそれは現実の陵辱ではなく、陵辱という名の同意の上での愛情表現です。レイプ・ファンタジーの基本は真意を見抜いている人から強引に誘惑されることですが、現実のレイプとは違います。現実の犯罪と同意の上でのごっこ遊びはまったく違うものです。

基本的には、「支配される快楽」というのは「私の望むとおりの、私が心地よいと思えるやり方で」支配されることの快楽であって、つまり、そうは思えなければその関係は解消されうるのであって、その意味で「支配ではない」ことが前提でしょう。疑似支配はあくまでも「疑似」なのであって、支配とは違います。で、真性の支配の中で快楽を感じることはあるでしょうが、そういうのを僕らの業界では「適応的選好」と呼び、ほとんど「定義により悪」です。
小児性愛の問題 MOJIMOJI's BLOG

   
緊縛プレイを愛する人も、レイプ・ファンタジーを愛する人も、現実の陵辱と強姦が蔓延し、暴力と差別が助長されることは望まないのではないでしょうか。そのような性表現に身を切られるような思いをしている人がいることを忘れないでほしいのです。その人が憎んでいるのはあなたでも、あなたのファンタジーでも、あなたの性癖でもなく、ポルノという形で装飾され、肯定されている現実の犯罪なのです。
  
私はインディアンを撃ち殺すという表現が時代とともに自粛されてきたことを考えます。ある種の表現の不適切さが社会的に認識され、より大切なもののために自粛されるということ、それは表現の自由を傷つけることではないと思います。人を傷つける言葉を自由に言い換えることができるのは、表現の自由があるからこそできることですものね。
 
隷属ではなく、陵辱 緊縛は二十歳になってから
男は面子で生きている。女は? レモングラス 縛りと恥らい