“片づけけられない女たち”と片付けられるようになったADHDの夫

片づけられない女たち”という本がありますが、今日は片付けられるようになった男の話をしたいと思います。
片づけられない女たち”はADHD(注意欠陥多動障害)とADD(注意欠陥障害)のことを扱った本です。
状況証拠によると愛しいもちのすけはADHDです。
 
もちのすけと私はたいへん悲惨な結婚生活のスタートを切りました。
既婚者の皆さまはご存知かと存じますが、結婚生活とは異なる基準と背景を持った二人が一致に向けて互いを理解し会う継続的な努力の日々です。
恋した二人が愛を深める過程ではありません。(もちろん結果的にそうなるのは大いに結構なことだと思いますよ。)
 
さて、私たちは日々奮闘努力しました。そして散々な新婚生活と惨めな数年を経て、幸せな現在に至ります。
私が「なんでもいいからこの結婚生活を解消できる方法はないか」と思わなくなったのはここ数年のことです。
私が結婚生活に腰をすえて取り組む気になったことと、自分が自閉症で、夫がADHDだと気付いたことには深い関係があります。
 
自分は自閉症ではないかと思った私は、図書館や医師から自閉症関連の本を借りて次々に読みました。
その図書の中に、自閉症の翻訳者が翻訳した“「わかっているのにできない」脳”というADHDを扱った本がありました。
自閉症ADHDは別のものですが、左利きで色弱、という人が存在するように自閉症ADHDということはありえるので、この本も読んでみることにしました。
 
この本は一口にADHDと言っても色々なタイプがあること、そして効果的な対処の仕方に差があることを説いていました。
私はいわゆる集中力を持続できないADHD、ADDとは違うようでしたが、“過集中型”として紹介されている症例が「いったいどこで見ていたの」というほどぴったり当てはまりました。
そして妻を理解しようと同じ本を同時に読んでいたもちのすけもやはり「いったいどこで見ているんだ」と愕然としたそうです。彼は自分が典型的なADHDの症状を持っていることに気付いたのです。
 
このことは私たち二人にとって大きな転機になりました。
それまで私はもちのすけのことをどれほど責めてきたことでしょう。
 
開けたら閉めて、出したら戻して、使ったら片付けて。
違う、そこじゃないってば。
 
話聞いてる? 今わたしなんていった?
寝てるの? 眠いの? どうして話してる間に寝ちゃうの?
 
もう、急に動かないで、びっくりする!
昨日話したでしょう、分かったって言ってたじゃない。
 
なんでそんなに落ち込むの。誰もばかだなんて言ってないでしょう。
記憶力? 記憶力がない人はジョジョの一部から六部の登場人物なんて覚えられないと思うけど。
 
ウソよ、学校の勉強だって私よりずっと出来てたんじゃない。どうして?
どうして自分のことばかだなんて思ってるの?
 
「どこの夫も同じねえ」と思われた方、私もそう思っていました。
でもね、ふつうこういう旦那さんはあまり奥さんのことを考えていないものです。
新聞は畳んでマガジンラックに入れるもの、と思っているけれど面倒だからその辺に置いておく。奥さんが怒りながら畳んでしまう。こんな感じではありませんか?
 
ところがもちのすけはそうではないのです。
この人は人並み外れて妻を思いやる男で、常日頃から虎視眈々と妻によくしてやる機会はないかとてぐすね引いて待っているような人間なのです。
外では妻をかばい、家でも時間はかかりますが、一度覚えた家事は自分がやろうと張り切る男なのです。
 
残念ながらアスペルガーの妻には、彼のこの熱い愛情がさっぱり理解できず、長い間
「なぜこの人はこんなに鬱陶しいのだろう、人のことより自分のことをしっかりやってほしいんだけど」
と常々不満に思い、何度もそれを口に出していました。
 
しかし、ここに来て私は夫を見る目が変わりました。まあ、あなはたADHDなのね。
わたし、ADHDって授業に集中できなくて、お勉強もあまり出来ないのかと思っていたわ。
もっと挙動不審が目に付いて、もっと衝動的で、もっと暴力的な人かと思っていたわ。
  
(いま思うと私はオリヴァー・サックスの“火星の人類学者”に出てくるチックの外科医みたいな人を想像していたのです。)
  
私は、たとえば本棚の背表紙が揃っていないと嫌なのです。秩序を愛するのです。
子どものころは近所の玩具売り場で長い時間をかけて、ワゴンに埋もれた縫いぐるみを大きさ順に並べてはうっとりしていたものです。
今でも書店や図書館で棚違いの本を見つけると、そっと戻していい気分になります。
 
私たちの新居は、一人暮らしが長かった私の持ち物で大部分構成されていました。
そしてそれらには長年決まった置き場がありました。新しく家に入ってきたものには居場所を考えてやらなければなりません。
しかし夫はさっぱり秩序の維持に協力してくれず、家政は上手くいっていませんでした。この無秩序と混沌!
 
片付けられない母の元に育った夫は、自分は人並みにきれい好きだと思っていたのに妻がきーきー言うのが気に入りませんでした。
それでも妻にあわせて片付けよう、もとに戻そうとするのですが、うっかり間違いをしてしまいます。
疲れると特に。そして甘いものを食べると特に。炭水化物を大量摂取すると特に。
 
妻はものすごい記憶力で、前回おなじ間違いをいつどこでどう指摘したか、これは何度目の間違いかを言い立てます。場合によっては日記に書いてさえいます。
妻は寝込んでいるときでさえ何時間でも集中して議論討論する用意があります。
しかし自分は半日眠った後でさえ、話の間に頭がぼうっとして眠くなってしまう。
 
やっぱり自分はばかなんじゃないか。小学生以下じゃないか。
書かないと覚えていられない、目に付かないと忘れてしまう、これじゃ子どもじゃないか。
いや、やれるときもあるんだから、妻が言うようにやる気がないだけかもしれない。最低だな。
 
夫はこんな風に考えて、次に何かに気をとられて失敗したことを忘れるまで鬱々としていました。
一方自閉症の妻は、夫が物忘れの対策と無関係な自己憐憫に何時間も何日もかけるのはいったいどういうわけだろうと不思議でたまりませんでした。
なんで俺はダメだなんて言うの。お茶碗の置き場所がいつも違うと気が狂いそうになるって言っただけなのに。
 
さて、私ともちのすけは現在いぜんとは違った目でお互いを、そして自分自身を見ています。
私はもちのすけの特性に適した収納整理、金銭管理、健康管理という視点で家政を見直しました。
一方もちのすけは妻のこだわりを生理的なもの、場合によっては文字通り生きるか死ぬかの大問題だと考えるようになりました。
 
自閉症の私は疲れれば疲れるほどこだわりが強くなり、小さな違和感も見過ごせなくなります。
ADHDの夫は疲れれば疲れるほどぼんやりして、日頃無意識に行っている習慣さえその通りには出来なくなります。
それで私は夫がおかしなことをし始めたら体調に注意するようになりましたし、夫は私が疲れているときには小さなことにいつも以上に気をつかってくれます。
 
自閉症の私にとっては原理原則が大事で、誉め言葉や叱咤は筋が通っていることが何より大切です。
定型発達者で自尊心を損ないがちなADHDの夫にとって、誉め言葉は毎回適切である必要はありません。
それで夫は私に愛情を表現したいときはいつでも現実的な手助けをしてくれますし、私は話の決着がつかなくても夫の気が休まるような言葉をかけるようになりました。
 
何よりたいせつなのは、相手が自分にとって気に入らない、まったく理解できないような不愉快な行動を取るとき、その動機を悪く思うことが減ったということです。
動機を悪く思うと説教したくなり、抗議したくなり、攻撃したくなり、拒絶したくなり、離婚したくなります。
しかし動機は悪くないのです。心の底では愛する人を幸せにしたいと願っているのです。そうです、大半の人がそうであるように。
 
相手の動機について審議する時間を、問題解決の具体的な手段を考え、対策を立てることに当てるとずいぶん生産的な人生が送れます。
もちのすけはどうやって片付けられる男になったのか?
近藤典子信奉者の妻から聞いた片付けのノウハウを実行するために、自分を責める時間を犠牲にしたんじゃないかなと私は思います。
妻はいつ片付けのノウハウを伝えたか? 夫を責める時間を犠牲にしたに違いありません。ずいぶん時間が出来たと思いますよ!
 
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