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嫌われ松子の価値

エッセイ的なもの レビュー

新札の諭吉にも古札の諭吉にも同じ一万円分の価値がある
という主張に「だがちょっと待ってほしい、古銭収集という観点からはどうか」と思われた方へ。
今回は一万円は一万円論を私が思いついた映画についてお話したいと思います。
 
みなさんは“嫌われ松子の一生”はご覧になりましたか。
私は“下妻物語”にひどく感動し、また中谷美紀エルメスにずいぶんうっとりしたので、珍しく劇場で邦画を観る気になって出かけてあの映画を観ました。
 
そして中島哲也監督が中谷美紀と松子の双方を、擁護も弁護もせず、ある意味情け容赦なく愉快な映画にしてしまったことにとても感動しました。
原作者と原作を支持する人々を猛烈に怒らせるかもしれない視点で松子を見つめ、提示して見せた中島哲也という人は、とても勇気がある映画監督だと思います。
 
嫌われ松子の一生は、嫌われても仕方ないような性格ゆえに破天荒な生涯を心ならずも送ってしまった一人の女性の物語です。
物語は18歳の青年、川尻笙のもとに伯母の遺骨を持った父がたずねてくるところから始まります。
伯母の名は川尻松子。笙は父から亡くなった伯母のアパートの遺品整理を命ぜられ、しぶしぶ出かけていきます。

※以下に物語の核心に触れる記述がありますのでご注意ください。
 
甥は松子の遺品と、松子の関係者から聞いた話を元に松子という一人の女性の生涯を思い描くのですが、控えめに言ってこれが実に酷い。
この映画は堅気の家の長女だった松子が高校教師を首になり、作家崩れと同棲し、その知人と不倫関係になり、ソープランドでNO1になり、ヒモを殺し、逃亡中に床屋と同棲、刑務所に入って辛酸を舐め、出所後に元教え子のやくざと裏街道をひた走り、出所した恋人に捨てられ自暴自棄になり、光GENJIのおっかけをして、精神に異常を来たして殺されるまでのお話です。
 
パンフレットの中で中島監督は松子のことを「問題が起こったら、浅はかな決断をして、すぐ行動しちゃう」「立ち止まって考えない人」と言っています。
松子の出たとこ勝負の決定は本人にも周囲にも悲惨な結果を招き、それは美化もされなければ思いがけない幸運を招くこともありません。
松子が「なんでよ!!」と叫ぶたび、それはこっちの台詞だよ、と私は何度も思いました。
 
そんな業の深い松子の生涯の終わりは、満点の星と遥かに流れる川と、どこまでも天へ続く階段で描かれていました。
この美しいラストシーンは、松子のすばらしい業績や清らかな心をに対する報い、あるいは既存の道徳や常識に縛られない松子の生き方への賞賛なのでしょうか。私は違うと思うのです。
 
うきうきハッピーで不倫相手の家に向かう松子。めくるめく裏街道人生でマドンナとして君臨する松子。バーゲン会場さながらに体当たりで光GENJIのグッズを買い占める松子。
カラフルにポップにコミカルに描かれた松子のめちゃくちゃで悲惨な人生。
あれは松子を皮肉ってあざ笑っているのでも、その生き方を推奨しているのでもなく、中島監督の「松子さんパねぇっすw」というリスペクトのあらわれなのだと思います。
 
「松子は悪い生き方をしてるけど、それは生い立ちのせいだから大目に見てあげようよ」「悪いのは松子じゃなくて松子の周りの人だよね、松子は犠牲者だから責めちゃいけないよね」と松子をかばい情状酌量を訴えるような描写が、この映画にはありません。
松子は明らかに、病弱な妹を気遣うあまり松子に愛情を示すことを後回しにしていた父に不満を抱いています。
いっけん松子が傷つくほど愛に飢えていたのは仕方がないようにも思えます。
 
けれど冷静に考えれば、松子は高校教師としても、風俗嬢としても、はては規律厳しく暗黙のルールが山ほどあるヤクザの世界の情婦としても、常に第一線で活躍してきました。
けして無力で頭の弱い女性ではないのです。どこかで自分の生き方を考え直すことだって出来たはず。
龍が刑務所でのお勤めを終えるのを待っている間、松子はどんなに清楚で常識的な暮らしを送っていたことか。
松子は驚くほど順応性が高く、多方面に才能を持つやればできる女なのです。
 
でも、断じて自立なんてしたくない。一人で幸せになるくらいなら死んだほうがマシ。
「自立したくないでござる! 自立したくないでござる!」
という松子の魂の叫びを誰が咎めることができるでしょう。
 
松子を不運な犠牲者と見る、一見憐れみ深そうな考え方の背後には
「人は特殊な事情や背景がない限り、道徳的な生き方をするべきだ。正しい生き方をしている人だけを認めよう」
という前提があるのではないでしょうか。いささか問題のある人を見て
「でも〜だから仕方がない。大目に見てよくしてあげようよ」
というのは裏を返せばその人の生き方はそのままでは人として配慮に値しないということです。
   
パンフレットには松子は純粋だったとか、一見惨めに見えるけれど見所あるとか松子を擁護するようなコメントがあります。
けれど、私はやっぱり松子は愚かで惨めな生涯を送ったと思いました。
 
松子の不幸はかなりの程度自分で撒いた種だし、推奨できるものではない。
だからといって松子の人として価値が乏しいとか価値がないとはいえない。
それはそれとして松子はすごい。

この映画のすばらしいところは、そんな松子の人生を美しく力強く描いているところだと思います。
人の価値を値積りせず、ただ人として尊重する温かく勇気ある視点、そこに感動しました。
 
他界しようとする松子の魂を描くように、川を遥かに見下ろして走るラストシーン。
誰であれ、人が生まれて生きたということはすばらしいことなのだな、と私は思いました。
こんなに滅茶苦茶な松子の生涯でさえすばらしいならなおさらです。 
 
新札でもくしゃくしゃの札でも一万円が一万円であるように、人の価値は上がりも下がりもしない絶対的なものなのだ。
そう思いました。
 
以上の話から私は古銭収集の話をしているのではない、ということをお察しいただけたら幸いです。