読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画プリティ・プリンセスに見るデートレイプとそれを取り巻く人々

頭を使わない娯楽映画が観たくて"プリティ・プリンセス"を借りてきました。
冴えない女の子が王女さまに大変身! というお話。
「ディズニーの実写映画はどうしてこんなにダメなのか」
と、途中まで斜めに構えて見ていたのですが、予想外に感動的なお話でした。
 
ヒロインのミア(アン・ハサウェイ)は15歳。両親は離婚しており芸術家の母と愛猫二人と一匹暮らしです。
ミアはメガネに強度の癖毛、人前で話をするのも得意ではなく"25年目のファーストキス"ばりのハイスクールヒエラルキー下層民として生きています。
 
そんなある日、父方のおばあさまから「近くに来ているからお茶を一緒に」と招待され、ミアは物心ついてから一度も会ったことのないおばあさまに会いに行くことに。
おっかなびっくり会いに行くとそこは大使館。実はおばあさまは某国の女王で、ミアは亡きプリンスの一人娘、王女さまだったのです。
 
この女王さま役をしているのはアルプスの山々を背景にお歌を歌う跳ねっ返りの修道女役でおなじみのジュリー・アンドリュース
往年の大女優の貫禄と独立心旺盛な暖かい人柄が滲み出る、人間らしい女王を見事に演じておりました。
 
ミアはアン・ハサウェイですよ。"プラダを着た悪魔"でメリル・ストリープとやりあっていたあの子です。監督は"プリティ・ウーマン"の方だそうですが、そういえばアン・ハサウェイはちょっとジュリア・ロバーツと似てますね。
ミアがプリンセスだということが周囲にバレてからいろいろなことが起こるのですが、私が興味深かったシーンはこの二つ。
 
以下物語の核心に触れる記述があるので、これから見たいと思っている方は映画を観てからお読みになることをおすすめします。
 
ひとつはミアが売名目的の不埒な同級生のハンサム(なのか? あちらでは)に騙されてキスを奪われ、そこをスクープされてしまうシーン。
ミアはずっと前から彼に憧れ、暇さえあれば彼とのファーストキスを思い描いてニヤニヤしていたのですが、その実現は惨憺たるものでした。
 
強引なキスとフラッシュから逃げ出したミアを、さらに女子ヒエラルキー上位にいる不埒男の元カノが罠にはめ、ミアは浜辺にバスタオル一枚という姿でマスコミに囲まれ、写真を撮られてしまいます。
 
このことを知った女王はミアの軽率な行動が国に恥をもたらしたと怒ってミアと決別してしまうのですが、ミアは弁解する元気もなくとぼとぼと退場。そこに入れ替わりにSPのジョーイが入ってきます。
「15歳の少女が騙されてキスを奪われたのですよ。その態度は孫に対する祖母としては厳しすぎるのではありませんか」。
 
これ。こういう感じ。デートレイプが起きたときの被害者と加害者、それを取り巻く二次加害者であり二次被害者の縮図がここにあるとはてこは思いました。
その後女王がどう考えたかは映画をご覧になっていただきたいと思うのですが、ミアと彼女のお母さんの対応が、私はとてもすばらしいと思いました。
 
「憧れの彼とのキスが実現するかも!!」
と張り切ってデートに出掛けたミア。でもキスはあくまで同意の上で、本人の気持ちを十分思いやる相手とロマンチックにかわされるべき。ミアはひどく失望して泣きながらその痛みを母に訴えます。
お母さんはミアの肩を抱きながら「泣いてはいけないと私は教わったわ。でも泣きたいのなら泣きなさい」とミアの痛みを認め、それを受け止めます。
 
「まあいいじゃない、結局キスは出来たんだし」とか
「そういう男だっていうことを見抜けなかったあなたもいけないのよ」とか
「絶対に泣き寝入りしちゃダメよ、ママはあの男とマスコミを訴えるわ!」とか
 
合理化したり、説教したり、決定を押し付けたりはしません。
この母にしてこの子あり。ミアも自分を責めたり、傷ついていないふりをしたり、くだらない男に彼の非を思い知らせるため自分をすり減らしたりしないのです。(そしてキスされた瞬間、彼の頭をサンダルで叩いて迷わず応戦したのもよかった!)
 
もちろんキスを奪われるのと貞操を奪われることは同じではありません。でも、キスならいいってわけじゃぜんぜんちっともない、とはてこは強く思います。
恋した相手に裏切られるのは、恋と人を信じる気持ちの両方を一度に酷く傷つけられることです。
その辺思い知らせてやりたいひとがいますが、今頃どこかで思い知っているといいなあ。
 
さて、もう一つ印象的だったのは、ミアのお父さんが娘にあてて書いた手紙。
「勇敢であるとは怖がらないことではなく、恐れを克服しようと決意することだ」。
このお手紙はとても感動的だったので、こちらもぜひご覧になっていただきたいと思います。
 
もう一度観たいと思ったのですが、図書館の貸出期限が過ぎているのでもちのすけがもう持っていってしまいました。
裾の長い優雅なドレスは独立した尊厳を持つ女性であることをなんら否定するものではないこと、誇り高い女性は他人の尊厳も重んじること、礼儀正しさと感情の豊かさは両立できるものであること。
ジュリー・アンドリュース演じる生き生きとした女王を観て、私もこんな風に年を重ねていきたいな、と思った日曜日でした。
 
もうお姫さまに憧れるには、ちょっとね!