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庶民の家に家庭内お殿さま養成計画が流行るまで

エッセイ的なもの レビュー

家庭でお殿さまを育てよう運動はいかにして始まったのでしょうか。
ブコメで尋ねられたはてこは「えー息子いないしわかんなーい」と思ったのですが、そういえばなんか一族の存亡が男子の出世にかかっていた、という話を読んだことがあります。
 
昭和五十二年に文化出版局から出された桑井いね著「続・おばあさんの知恵袋」、そうそうこれこれ。
この本は「おそれ多くも今上天皇、そのむかしの迪宮久仁親王(みちのみやひさひとしんのう=昭和天皇)さまと同じ年、明治三十四年」1901年生まれの桑井いねさんという方がお書きになった本です。
 
「という設定で、母の世代のことを書いた本でございます。」と21世紀に入って壮大なネタばれをしてくれた、ある女性の本です。
これは私にとってはネッシーが捏造だったことより大きな衝撃でした。
手元にネタばれ版がないので詳細がわからないのですが、著者はおそらく大正十年代にお生まれの方のようです。
 
大正から昭和にかけての暮らしぶりが生き生きと書かれたとても貴重な本なのですが、このころの男女の生き方、扱われ方がどれほど違うものだったかとてもよくわかります。

 この食い初めが終わると、それまでの黄色いきものから男は男らしいきもの、女は女らしいきものを着せ、ひと目で男女の別がわかるようにいたします。今のように、大人になってからも判別がつかないようなマネは絶対にいたしませんでした。
 着るもの、食べるもの、ことばづかい、ものの解釈、すべて男と女とは扱いが違うのが当然で、人生の目的が違うのですから、それに応じた育て方をするのが親のつとめでございました。
 男の子の寝ている枕もとは通らない。そんなことをすると出世しないと申しました。男の子の衣類は、緯切れ(よこぎれ)は使わない、たとえつぎ一つあてるにしても、布目を確かめて、緯に使うことはいたしませんでした。紐は、縦結びにならないように、オッタテ結びなどすると出世しないと申しました。
 「冷や飯食い」といいますように、冷やご飯は男、とくに長男には食べさせませんでした。お魚の切り身も頭のついたほうは男が、尾のほうは女が食べることに決まっていました。

男子の待遇をよくするという域を超えて、なんだか一種の宗教のようですね。
桑井いねさんは学者の奥さまという設定なのですが、当時の中流、上流階級ではこれがふつうだったようです。
どうしてこんなライフスタイルが定着していたのでしょう。

 昨今のように、日本じゅうが豊かになりましたら、ぼんやりしていても餓死することはありませんが、貧しい時代には立身出世をしないことには人間らしい暮らしはできなかったのでございます。ですから、赤ちゃんのときから偉くなるようにと、みんなで気をつかったものでございます。また、ひとりの男性が偉くなると、周囲の何十人かの人々があやかって、よい生活ができた時代でした。
 「子育て」より

一族の中で誰かが突出して稼いでくれるとみんなが生きていける。
稼ぎ頭をたいせつにすることは結局一族みんなのためになる。
そういう考え方だったようです。
 
誰かが稼いでくれたらいいけど、女が外で名を上げる口はそうそうない。
だから女は家を守って子どもをしっかり育ててね、ということでしょうか。
はたしてこんな生活で主婦に不満はなかったのか。

むかしの嫁姑は、嫁は姑に絶対服従という考えがぴーんと通っておりましたから、今のようではございませんでした。また嫁は、この姑に、そしてこの家に選ばれた誇りがございましたから、少々のことなどこたえませんし、さらには月日が経過いたしますと今の姑と同じ権力を持つこともわかっておりました。

なんという縦社会。
しかし家を磨き上げ、夫と舅姑に尽くすことは、自分が立派な家の立派な旦那様のもとに嫁いでいるという誇りにつながっていたのですね。
 
昭和の奥さまが書いた本をほかに何冊か読んだのですが、確かに虐げられていると鬱屈した感じばかりではありませんでした。
家事はいまとは比べ物にならないほどたいへんですが、手を抜くなんて恥! 家事の手抜きなんて誰よりあたくしがいちばん納得できません! という雰囲気。
この当時の主婦の本ってすごいもんね。野生のプロっていうか、家庭のプロっていうか。主婦雑誌カリスマ主婦とか鼻で笑われそうなレベル。
 
もちろんそれについていけない人も中にはいたようで、そういう方はずいぶんご近所から陰口を言われたとのこと。
この陰口のすごさも一読の価値がありますよ。
 
いつか自分も嫁に権力を振るえる日がくることが支えになっていたとありますが、こういう方は自分の番だと思ったら嫁の下克上が認められる社会になっているなんて、さぞ不公平な感じがしたことでしょう。
 
さて、お殿さまに話を戻しますが、これに続く部分に「これはもしやニートの原型では」と思う部分がありました。

 長男の嫁にはまた、本家の嫁としての誇りがあり、本家と分家の差別というか財力も月とスッポンでした。同じ親の息子として生まれながら、先に生まれたか、あとから生まれたかで身分と責任は大いに違い、それぞれの嫁の実家の財力も違っておりました。主人の兄は京大を出ましたが「勤めに出るなんてみっともない」といわれて、終世自分の家で、年貢米を数えたり、親類の冠婚葬祭に出席したり、震災と聞けば大和からお米を持って東京まで見舞いに駆けつけ、分家のお嫁さんが亡くなったら「あと入りさん」がくるまで幼児を何人も引き取って育てたり、肺病で寝ている人には応分の見舞いを持参するなど、桑井一族の世話で一生、結構忙しく暮らしておりました。
 「おばあさんの仕事」

“主人の兄は京大を出ましたが「勤めに出るなんてみっともない」といわれて”
 
働らくなんてみっともない。
 
京大出の方が先日ゆとりのあるニートの代表としてテレビに出演されたのを思い出しました。
本家の長男が働くなんて恥ですよ、恥! そういう文化があったのですね。
でも一般的な本家の長男はけして分家に威張り散らしていたわけではなく、分家パトロールに余念なく終世忙しくすごすもののようです。
 
ところで本家の長男なんて人口比率からしたらほんの一握りしかいなかったはず。
ではなぜど庶民の末端にまで、家庭内お殿さま計画は浸透していったのでしょうか。
 
これは私の推測なのですが、社会が変わる速度に教育が追いつかなかったからではないかと思います。
当時両家の子女を教えていた女学校にこういった男尊女卑思想が深く根付いていたことは明らかです。
そして教育を受ける機会をもつ人が増えたとき、こういった思想の流れを汲む教科書なり教師なりを通して、一般家庭の子どもたちも当時の男女のあるべき姿を学んでいったのではないでしょうか。
 
これらの子どもたちは本家も分家もない百姓の家の子が大半だったのではないかと思いますが、教わったとおりに男を立て、女がかしずく文化が徐々に根付いていったのではないかと思います。
むろんそれ以前に「嫁は家の中でいちばんきつい仕事をするもの」という公然の序列が、程度の差こそあれどの家がもあったことでしょう。
しかしそれがあるべき姿として謳われ、大いに褒められていった背景には公の男尊女卑教育があったのではないかなと、はてこは思いました。
 
だったらそのとき一緒に
「一族の長たる男子は常に親族に気を配り、終世東奔西走するものだ」
という思想も根付いていくとよかったのに。残念です。
まあ、教わってもそういうところはやんぴーと思う方が多かったのかもしれませんね。
 
アラフォーの知人のお母さまは確か戦前の生まれ。
もすこし下がって、ウーマンリブを叫び、私に“新しい女”になれ、とおっかないことを言った団塊世代の私の母も、やはり根底にはこの家庭内お殿さま思想があります。しかもなぜか年を取るごとに強くなっている様子。
 
すずめ百まで踊り忘れず。男尊女卑をはっきりと口に出して謳っていた世代よりも、団塊世代の私の母のような、無意識に“女は本来殿にお仕えするもの”と思っている人々の方が、自覚がないぶんやっかいな気がします。
戦争を知らない子どもたちとして自由を謳歌してきたはずの母は、まさか自分に男尊女卑傾向があるとは、夢にも思わないと思うのです。
 
日本の母と息子、姑と旦那のすてきな夢