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“主張”には行動も反応も必要ない。

エッセイ的なもの 性暴力からの具体的な自衛手段

聖子ちゃんタイプの解説にあった、
「自己主張とは本来人を説得するようなものではなく、何も言わなくても周囲を納得させてしまうものです。」
ってどういう意味? という方へ。
 
三省堂新明解国語辞典では主張とは
「自分の意見を相手に認めさせようとして押し通すこと。またその意見」
と説明されています。
だから“青年の主張”では青年は自分の意見を出し、聴衆にそれを認めさせようとします。
  
自己主張なら自分自身を主張して相手に認めさせて納得させればいいんですね。
聖子ちゃんタイプは自分という人間を人に認めさせ、その価値を納得させている人だと思います。

それは自分が立派だとか賢いとか何か秀でたところがあると思わせることではなく、
人としての基本的な価値を認めさせているという意味で。
それで周囲はなんとなく、この人を無下に扱うわけにはいかない、思ってしまいます。
 
(もちろん聖子ちゃんタイプを支持する人は熱狂的に彼・彼女に入れあげることがあります。
 人心掌握に長けた聖子ちゃんタイプは人を喜ばせるのが得意です。それでこそ聖子。
 でも、彼・彼女を支持する人たちは、彼らの弱さだって大歓迎。むしろ力になりたい。
 間違ってもそんなことも出来ないとは見損なった、とはなりません。
 やはり福岡出身ののりピーの涙にどれほどの人が胸をうたれたことでしょう。)
 
いかがでしょうか、少しお分かりいただけたでしょうか。
要するに顔か、と思われた方。そうではありません。
 
あなたの愛する馬鹿猫や老いぼれ犬、あいつらがあなたに対してする自己主張。
こいつらに保険の利かない治療をする価値があるとあなたに思わせるその力。
それが私の言う自己主張です。
 
自分がただ生きていること、一人の人間であることに価値があると周囲に思わせ納得させる。
つまり自己主張ができている。私が念頭においている自己主張とはこういうものです。
そしてそのような自己主張は、まず自分自身に対してなされるものです。
 
「身体がノーと言うとき 抑圧された感情の代価」ガボール・マテ著より

アサーション (Assertion) 主張
 
 受容し、感情に気づき、怒りを実感し、自立性を育み、人とふれあう能力を大いに高めたなら、今度は“主張”の番である。主張とは自分と世間に向かって、「私はここにいる」「私はこういう人間だ」と宣言することである。
 この本には、行動していないと空っぽな気がする、恐ろしく空虚な気持ちになると言う人が何人も出てきた。何かを恐れるあまり、忙しいこと、いつも行動していること、何かを達成することが自分の本質だと間違って思い込んでしまうのだ。自律あるいは自由とは、自分の望むように行動あるいは反応することだと私たちは思い込んでいる。だがみずから宣言するという意味での主張には、おのずと限度ある行動の自由よりも深い意味がある。それは私たちの経歴とも性格とも能力とも世間の評価とも関係のない、自己の存在そのものの表明、自分に対する肯定的な評価である。主張(アサーション)は、自分の存在を正当化しなければならないという心の奥の思い込みに、異を唱えるものである。
 “主張”には行動も反応も必要ない。それは、行動とはかかわりなく、ただ存在することなのだ。
 したがって主張は行動の対極にあるといってもいい。したくないことを拒否するという狭い意味だけではなく、行動する必要そのものから解放されるという意味で。

※原文では赤字部分傍点。
  
私が非モテ・非コミュ・自分に自信のない人が性犯罪やデートレイプから身を守るために大事なこととして
「今日からまずご自分のことを絶世の美女並みに配慮されるとよいと思います。」
と書いたのはこのためです。
そして自分を守るには「元気でいられるように面倒をみて、ないがしろにしないこと」が大事だと書いたのも同じ理由からです。
 
人が自分の人としての価値を自覚すればするほど、周囲に強く自己主張することができる。
そして人としての価値がはっきり伝わってくる人をむげにするのはなかなか難しいことなのです。
 
だからこそ、虐待者は「お前には価値がない」というメッセージを口を酸っぱくして送ってきます。
だって恐れ多くも基本的人権を生まれながらに備えた人を自分が虐待しているなんてことになると、たいへんですからね。
価値がないと思っているわけではなく、価値を下げないといろいろ困ってしまうのです。
価値がないということで双方合意していれば周囲にも目立ちませんし。
 
でもあなたが自分の真価を自覚するようになると事態は虐待者にとって厳しい展開になるのです。