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1Q84で考える“護身術は自衛手段として有効か”

「強くなれるぞ」と悪い大人にそそのかされて剣道をはじめ、小手の痛さに耐えかねてやめたはてこです、こんにちは。
役に立ったか? 私は汗をかかない子どもだったのですが、真夏に重い防具を背負い込んでむんむんしながら素振りしたりしている間にまともに汗をかくようになりました。よかったね! もちろん自衛手段としてはまったく役に立ちませんでした。
 
1Q84”で青豆(さん、をつけろよでこすけ野郎)がレイプ魔を想定した護身術をスポーツクラブで教えていましたが、みなさんあれは自衛手段として有効だと思いますか?
私は護身術、武道、格闘技の類は性暴力、性犯罪を防ぐ効果はあまりなく、実際的でないと思います。
 
この話がしたくて順に書いてきたのですが、まず性暴力加害者は容赦なくちんこつぶせる相手ばかりではないということ。
 性暴力加害者が身近な人の場合の被害者の心情
言い換えると被害者に必要なのは肉体的な戦闘能力とは限らないということです。
 
体力のないもやしっ子でも折れてない指があれば大人の目潰しぐらいできる。
耳を噛み千切ることだってできると思うんですよね。
でも加害者が自分や自分の親しい誰かにとってたいせつな人だった場合に、躊躇なく最大の防御としての攻撃をしかけることは難しいと思うのです。
 
もちろん怪我をさせずに相手を取り押さえることができればすばらしい。
しかし取り押さえた相手からの精神的な脅しに耐えられるかどうかは身体能力とはまた別の話です。
そしてこの種の脅しこそ性暴力加害者が日夜磨きを入れている武器だと思うのです。
 
特にDV野郎との戦いは心理戦の部分が大きいので身内が成敗するのは難しい。
だから脅しの効かない青豆さんが登場するわけです。
 
次に相対的に弱者の立場にいる人で護身術をならう時間と費用を捻出できる人は多くはないだろうということ。
親元にいる間は費用は親もちですし、自分で通えるかどうかという問題もある。これは老人も同じです。
 
働いている人、それも暗い時間に夜道を歩かざるをえないくらい遅くまで働いている人や、危険な環境と分かっていても一人暮らしをせざるえない状況で働いている人にとって、護身術を習うための時間と費用を捻出するのは別の意味でたいへんです。
 防犯優先で部屋探しTips40
 
確かに自分の命を守るのは優先されるべき大切なことだと思います。
でもね、格闘技でプロデビューした知り合いがいるんですが、やっぱり片手間にできることではないそうです。
結局日々の体作りと練習抜きには強くなれないから生活がぜんぶそれ中心になる。敵のために生活を犠牲にする人生。死ぬ気で生きる。
 
プロはそれで食べてるわけですから、かける時間と費用は結局自分のためだけれど、安全に暮らすためにどこまで犠牲を払えるかは危険度ではなく各人の状況によると思うのです。
すばらしい保障があっても保険の支払いで生活費が圧迫されるようだと暮らせないよね、とはてこは思います。
真剣に護身術身に着けるとかしろよ、と言いたくなる時はそのことを思い出していただきたい。
 
ある程度の経済力と時間がふんだんにある人。まさに"1Q84"に出てきた老婦人みたいな人なら向いているかもしれません。
でもあの蝶々ばあさんもおっかない(こころやさしい)傭兵とおっかない(ほうれん草好きのかわいい)犬を別に雇ってたでしょう。
青豆さんが単身丸腰突き錐一本鉄砲玉生活を送れているのは、あの人が護身術マスターだからではなく自分も含めて守るべきものがないからだと思います。(もうある意味恋だけに生きてるよね。)
   
最後に護身術が有効なのは最終的に戦闘能力が自分より低い相手に限られるということ。
いかに屈強な男性であっても性犯罪、性暴力被害とは無縁ではありません。
 男は強姦されないと思ってる人がわからない
 
狙われるのはひ弱な“男の娘”タイプばかりではありません。
アダルトホモ小説では舞台が相撲部屋というのは古典的です。マッチョのパンツを脱がせて屈服させる動画はお笑い以外の需要があって作られたのです。
 
お正月にマッスル・パークを見ました。
天井の斜面にちょこっ!と張り付いた小石につかまってぶら下がりながら移動するとか、未来少年コナンばりの身体能力をもつお兄さん方に圧倒されました。
あんなのにやられたらひとたまりもねえ。ターミネーターみたいだと思いました。
 
「じゃあなんだ、おまえは護身術も格闘技も意味がないって言いたいのか。
 意味がないかどうかためしてやるから表に出ろ」
と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、どうか落ち着いてください。
 
私は格闘技、護身術で性暴力を食い止めるのは難しく現実的ではないと思いますが、何らかの形で身体を鍛え人に向かっていくことにはそれなりに役立つこともあると思うのです。
そしてそれは戦闘能力よりもメンタル面での効果が大きく、メンタル面が守られることこそ性暴力を含むあらゆる暴力に対する最大の防御だと、私は思います。
いわゆる二次レイプという形の暴力も含めて。だって一番大きな傷はこころの傷だから。
 病人がベッドを死守すれば結局みんなが助かる
 
暴力にさらされて育ち、高校卒業後に格闘技を始めた知り合いが二人います。
二人に共通していることは、格闘技である程度成功してから自分に自信がついたということ。
 
「やられっぱなしだったころ殴られてもやり返さないをモットーにしてきたけど、“本当はやり返さないんじゃなくてやり返せないんじゃないか、自分は弱い人間なんじゃないか”といつも疑問に思っていた。でも格闘技を始めてみて人を殴ることなんか簡単だし、実際自分はかなり強いことがわかった。それがわかると喧嘩売られてもびびらなくなった」
 
と、一人は話してくれました。しかしこの人はプロデビューして拳が凶器として認定されるようになったため、結局喧嘩で人を殴ることはありませんでした。
 
もう一人はとにかくとてもやさしく穏やかになりました。
いま思うと荒れていた当時は不安で押しつぶされそうな生活だったのだと思います。
いまは暴力をふるう側より圧倒的に強い、いざとなったら互角に渡り合って自分の力でなんとか出来るということが安心につながっているようです。
 
「大人になってよかったと思わないか? 自分は二度と子どもに戻りたくない。大人になったから自分のことを自分で決められる。誰かに自分の人生を持っていかれなくてすむ」
と、話してくれたことがありました。
 
格闘技や護身術でいわゆるかたを習っていれば、頭が混乱していても条件反射で身体が動くかもしれない。
不審者を見てもすくみあがらず、逃げる機会を見つけ出せるかもしれない。
相手の戦闘能力を見極めることも出来るかもしれない。
 
いずれにしても肝心なのは“自分は食い物にされるしかない”という絶望の罠に囚われないですむかもしれない、ということだと思います。
この罠にはまって被害にあったあと何年も何十年も苦しんでいる人にとって、
「あのときの自分といまの自分は違う」
と思えるようになることは大きな助けになることでしょう。
 
また身体を鍛えていく過程で、かつての自分の身体能力の限界を痛感させらえることもあるかもしれません。
それは「努力すれば防ぐことの出来る暴力に屈した」という間違った思い込みから自由になる機会になるかもしれません。
そして自由になれる手段は護身術だけではないだろうと、私は思うのです。