病人がベッドを死守すれば結局みんなが助かる

シュバイツアー博士の伝記で読んだ話。
アフリカに病院を建て、ベッドを置いたら病人は床で寝ていて家長がベッドで寝ていた。
シュバイツアー博士は怒って家長をベッドから追い出して病人を寝かせた。
ベッドはとてもすてきだったので、その家族でいちばん偉い人が寝るのがふさわしいと思われた、というエピソード。
 
仕事もせず、家事も人任せで、カウチやベッドでごろごろしているくせに
「愛してるよ。今日のご機嫌はどう? なにか食べたいものはある?」
と何くれとなく面倒を見てもらう人。家族は甘やかしているとしか思えない。
年寄りでもないし、五体満足で熱もない。
 
暴力にさらされた人が後日こういう生活を送っているようにはたから見えることがある。
あるいはこういう生活を送りなさいと医者やカウンセラーに指導されているように思える。
 
誰だって仕事をするのは疲れるし、家事だってやりたくないのに、一人だけ免除されている。
運動しないと身体はなまって当たり前なのに、外に出ようとしない。
せっかくたずねてくれた人ともろくに話もしない。だいたい素直じゃない。
 
これだけしてもらっておいて、突然泣き出したり暴れたり自殺すると周りを脅したりする。
二言目には自分は傷ついていると昔の話を持ち出す。
そんなこと言われなければわからないぐらい普段はふつうに話をしたりしているくせに。
 
こういう風に、自分のことを見てはいけませんよ、と思う。
ほかの誰かにベッドを譲って床で寝ていてはいけません。
 
鞭打ちは事故後何年経ってもお天気や体調によって死ぬほどつらいことがあるけど、外からは見えないものね。
 
「誰かにベッドを譲らなければ、私は床でちょうどいいのに」
と考えてしまう人は、今日から自分を守る練習をすること。
 
守る、だいじにするというのは贅沢な暮らしをさせ、わがままを言わせることではありません。
元気でいられるように面倒をみて、ないがしろにしないことです。
つまり、日ごろ遊んであげない子どもをディズニーランドへ連れて行くことではなく、よく世話をして話を聞くこと。危ないところや危ない人に近づけないこと。責める人がいたら味方になってかばうことです。
 
誰かにベッドから出て床に寝るように言われたら、にっこりしてしらんふりをすること。
ベッドで寝たくて病気に憧れる人には病気の話がちょっと難しすぎることがあるからです。
 
話をするための元気は、ほんとにだいじな人のためにとっておいたほうがよいのです。

自己嫌悪におちいったとき
休むことに関して