パパ、ママが撮る児童ポルノの争点

沢渡朔の“少女アリス”を持っていたことがあるはてこです、こんにちは。
“詩とメルヘン”バックナンバーに出ていた限定グラビアも持っていました。
 
こちらのエントリーを読んで思ったこと。
ややこしくさせている犯人(?)は、“児童エロチカ”かもしれない
 
ええと、何から書いたらいいかわからないのですが、お父さん、お母さんごめんね。はてこはこれからちいさなお友だちのためにお父さんお母さんの名前を汚すかもしれないことを書きます。
 
小学校五年生のとき、階下のリビングで両親が妹の写真を撮っている音が聞こえてきました。
我が家は基本的に8時以降子どもは子ども部屋を出てはいけないという厳格なルールがありました。
ですからとっくに寝ているはずの妹の名前を呼びながらポーズ指定している両親の声を聞いた私は
「これは何か楽しいイベントが発生している!」
wktkしながら階下へ降りて行ったのです。
 
私は「はてこも写真撮って!」と言いながら階下へ降りて行ってはっとしました。
両親はカメラを構えて妹の写真を撮っていましたが、なぜか妹は全裸でした。
そして私の顔を見た両親は形容しがたい奇妙な表情をしていました。
 
もう一度あの顔を見ることが出来たら、もっとずばっと指摘できるかもしれません。
とにかく私は何かいやなこと、まずいことことに巻き込まれたという感じがして、降りてこなければよかったと思いました。
 
写真なんかもう別にとってほしくなかったのですが、なぜか私は自分が感じたやばい感を両親に悟られるのはまずいと思いました。
いま思うと「あんたたちなにやってんの」と思っているのを悟られたら両親は怒り出すと思ったのだと思います。
それで「写真を撮ってほしいならパジャマとパンツを脱がなければ」と両親が言い出したときに感じた動揺も両親に悟られてはまずいと思っていました。
 
どうしよう。そんなの嫌だ。でもここでそんなの嫌だと言ったら怪しまれる。
 
クールを装いながら私は必死で脳みそをフル回転させましたが、結局なんかここから逃げたらただではすまない感に圧倒され、別に何も感じてないふりで
「えー、めんどくさい」
とか何とか言いましたが、自分から言い出したのになに言ってるの、早くちゃんとしなさいとよく分からない理由で叱られて全裸になったのでした。
 
飛んで火にいる夏の虫です。
 
両親はどうやらその夜とつぜん裸の子どもをモデルにした、耽美で雰囲気のある写真を撮りたくなったようでした。
両親は妹を大きな壺を模したスタンドライトの横に座らせたり、階段の踊り場でポーズを撮らせたりしていたことが、あとで写真からわかりました。
児童ポルノというよりチャイルドファンタジーエロスというか、エロティックな芸術写真を撮るアーティスト気分を味わいたかったのではないかと思います。
 
私はピアノの椅子に全裸で座らされました。嫌でした。どうしよう。
私は当時長く伸ばしていた髪で胸元を少しでも隠そうとし、私の前に立つ妹で性器を隠しました。妹を私の前に立たせたのが両親だったか、私がそれとなく手を引いたのかは覚えていません。
いま思うと酷いのですが、妹はまだちいさいから私ほど恥ずかしくないだろうと思ったのです。
 
妹は真っ黒な目をまんまるにしてずっとだまっていました。
妹は親の言うことを大人しく聞くかわいい甘えんぼで泣き虫で、父のお気に入りでした。
そして劇の主役に選ばれるような目だってかわいい子でした。
 
私は両親が一枚写真を撮り終えると、飽きたふりをして早々にその場から逃げました。
よく分からない屈辱を感じ、とても恥ずかしく決まりが悪く、何かがおかしいのに怒りを向ける相手が見つからず、わけのわからない自己嫌悪に陥りました。
後日出来上がった写真はひそかに家族写真の保管場所から抜き出し、誰にもわからないように処分しました。
 
そのとき撮った妹の写真はたくさんありましたが、両親は二度とその話題を持ち出しませんでした。兄と弟はそのことを知っているのかどうか分かりません。妹と私もそのことは大人になるまで話しませんでした。
 
大人になってから、妹がある日
「わたし、お父さんから裸の写真を撮られたことがある。お母さんもいた」
と私に話したことをきっかけに、私たちはその夜のことを話すようになりました。
そして、ようやく私は、まだ幼児だった妹が信頼している両親に裸体を提供させられたことで、いかに混乱し傷ついてきたのかを知りました。
 
母は性に関して気持ちの悪いくらいの潔癖を子どもに強制する人で、
「せ、せんぱいのことが、すきです!」
とかそういうレベルのなかよしの漫画さえ汚らわしいという扱いでした。
父は酒の席での下ネタ談義は男の勲章ぐらいに思っている人でしたが、その種の話題はいたってノーマルでストレートな大人同士の性関係の話でした。
つまり常識的な範囲での道徳心をまずまず持っており、小児性愛を肯定するようなタイプの人ではなかったのです。
 
両親は私が幼いころ不審者に手を出されたとき、烈火のごとく怒りました。
公園で写真を撮らせてほしいと言われた話を聞いて警戒しました。
ただ、児童ポルノも芸術も、撮られる方にとっては大差ないということはわかっていなかったと思います。
 
夏休み、親戚の家に遊びに行って風呂場で従兄弟と大騒ぎしていたら叔母がやってきて、突然写真を撮っていきました。これも同じ種類の嫌な思い出です。
これはちょっと抗議しやすい状況だったので私たちは大いに抗議しました。
叔母はむっとして「かわいいのに」と言いました。そんなの知るかと思いました。かわいくってもすっぽんぽんをとつぜん撮られたくないの。
 
それで、撮る側がほのぼのしていたら撮られる側もほのぼのするというわけではないと私は思います。
それは平素ご自分が人様から写真を撮られるときのことをお考えになればどなたでもご理解いただけることかと存じます。
 
ですから画像が流出するしないとか、意図がどこにあったか、ということは児童ポルノの争点ではなく、子どもを不快にさせ混乱させ親に対する信頼を揺るがしてまでかわいい姿を撮りたいか。その辺が考えどころではないかなと思いますよ。
またそういう混乱と不快感を抱えた大人を増やしていくことは、健康保険の負担額や問題家庭の離婚調停費用、福祉の需要など社会負担を増額させる結果になることも見逃せなません。
そんなお金は自分ががっつり負担するからもっと児童ポルノを! という方は罰金くらいでがたがたおっしゃらないと思いますが、恐らくそのくらいでは焼け石に水です。
警察が取り締まっても被害者の救済にはならない! という意見もありますが、だから持ってていいとは思えませんことよ。
 
娘をモデルにしたAVを撮ろうとした倉木パパが
「(同じモノ造りに携わるものとして、自分の崇高な意図を娘が)いつかきっとわかってくれる」
というのを聞いて、みなさんはどう思われましたか。
私はむしろお前がいつか娘の気持ちをわかるようになれよ、と思いました。
 
と、ここまで書きましたが、冒頭で書いたように、私自身ポルノと芸術は違うよね的な合理化をしていました。
だって少女のエロティックな写真って扇情的なものばかりでなく、とても魅力的で幻想的なものがありますものね。
そういう写真も一刀両断にするのはいかがなものか。これはいいじゃん。持ってても。
と、つい自分に都合よく考えたくなる。
 
でも、わが身を振り返ってみると問題は写真の出来じゃないだろうと思うんだよね。
撮られる側の気持ちを自分の都合のいいように決め付けないこと、撮る行為を自分の都合のいいように正当化しないこと。
医療目的の資料写真であっても、撮られる側の心情は配慮されるべきということは誰もが同意されるのではないでしょうか。
 

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