性暴力加害者が身近な人の場合の被害者の心情

いたいけな女の子や妹をどうこうしたい! という抑圧された欲求をお持ちのみなさん、こんにちは。
賢者タイムにひっそりお読みになっていただければ幸いです。
 
一般的な性暴力のイメージは限定されている、ということを曽野綾子ミニスカ論争で感じたひとは多いと思う。
具体的にいうと1.自宅の外で 2.他人から 3.暴力的に性を搾取される というケース。
夜半一人で歩いていた女性が暴行され殺されたというニュースが元だったせいもあると思うけれど、みなさまはいかがでしたでょうか。
 
私の個人的な性暴力被害の経験の中で、これはそれほど多くないケースだ。
 
確かに近いところで
1.自宅周辺で 2.面識のない人から 3.暴力的に性を搾取される計画を立てられる
というのはある。加害者は隙を見て機会をうかがっているわけです。これでそうとうお巡りさんのお世話になった。
 
ほかはどうだったかというと
1.自宅または自分の活動エリアで 2.面識のある人から 3.計画的に性的な搾取に持ち込まれる
というケース。前者と後者どちらが酷いかと簡単に比較することはできないけれど、前者はある意味割り切りがやさしい。
 
だってさ、加害者と加害者を囲むひとをよく知らなければ、心置きなく手加減せずに加害者に抵抗できる。
いわゆる二次レイプに対しても徹底抗戦のかまえで向かっていけるし、周囲も加害者と面識がなければ被害者だけに感情移入しやすい。その結果、たとえば加害者が死刑になってもそれほど後味が悪くない。
個人的に強姦と殺人は同レベルの犯罪だと思っている。自業自得でありざまあみろである。
 
だけど面識のある人、自分と家族にたいして大きな影響力をもっている人、それどころか自分や自分の大事な人にとって大事な人から襲われた場合(たとえば大好きなママのダーリン)はぶち殺せばいいじゃん、と簡単に割り切れない。
先方も屈強な身体を武器に向かってくるとは限らないし、標的にされたひとに足りないのは肉体的な力じゃない。
相手が身近な遊び相手や家族だった場合、加害者が加害者で自分は被害にあったのだと自覚することが最初の難関になる。
 
私が最初に性の搾取対象になった記憶は3歳のころだ。
まだ幼稚園に行っていなかったので近所に遊び友達が少なかった。お母さんごっこをしようと空き家に誘われた。
私は近所の女の子と遊ぶときはいつも赤ちゃん役だったので、本物の台所や風呂場のある空き家でお母さん役をしてといわれてご機嫌だった。
私は赤ちゃん役の人形を持ってきていたのだけれど、誘ってきた男の子は自分が赤ちゃん役をやると言った。赤ちゃんは熱心にディープキスを要求してきて、熱烈におっぱいを飲みたがるのだった。
 
私は強い嫌悪感を覚えたけれど、ふだんお姉さんたちとしているお母さんごっことどこが違うのか整理がつかず、混乱した。お母さん役はいちばんいい役なのだ。
頭がぐるぐるした。嫌だった。そして何か悪いことをしている気がして親に話さなかった。それとなく口止めされた気もする。
 
子どもは天使と思うみなさんはちんちんも勃たない子どもに下心なんてあるか、きっと赤ちゃん帰りだよと思うかもしれない。
けれど、いま考えても先方はどんなヒヒオヤジにも引けをとらない熱い下心をもって、脳みそフル回転で計画を練ってきたと思う。
彼はけして実のお母さんにあんなキスを、そしてあんなおっぱいちょうだいを要求しなかっただろう。
 
彼には悪いことをしている自覚があった。彼は向かいの家に住んでいて、普段は私の兄や弟と遊ぶ。はっきり断るまで数回誘われ、いちど私の弟がついてきたことがあった。彼は弟を言いくるめて私の胸をはだけさせる間、弟を外に出した。
 
それ以来、私は自分が何か汚くだめになってしまった感じを抱えながら大きくなった。
何度も何度もふいにそのことを思い出して嫌悪感で胸の中がまっくらになった。まだ誰にも性についての正邪を教わっていなかったけれど、生理的に間違ったことに係わったというはっきりした感触があった。
 
それと前後して小学生の集団にもやられた。こっちはもっと頻度が高かったのかもしれない。
 
兄が読んでいた小学生向けの漫画にいわゆるお色気路線のものがあった。
たとえばこどもの日に鯉のぼりが町中の女の子を次々飲み込んでしまう話。丸呑みにされた女の子たちは尻尾の方から唾液まみれ丸裸で道に吐き出される。女の子たちは湯気を立てながら一様に羞恥に燃えた悲しそうな顔をして、膨らみかけた胸とつるつるの股間を手で押さえ、ぐったりと道端に横たわっている。まだ字が読めなかったのでどういうシチュエーションかわからないのだけれど、衝撃的な絵が忘れられない。
 
これと同じ作者が書いた話に女の子を拘束して股間を開脚させる機械が出てきた。恥ずかしさで悲鳴を上げる女の子。興奮して真っ赤な顔で目がハートになっている男の子。これを男子集団は私を使って実現させようと思ったらしかった。
 
私は空き家と同じ敷地にあった梅の林に連れ込まれ、買ってもらったばかりの長靴を脱がされて取り押さえられた。数人がかりで手足をおさえられて開脚させられる。そのうちひとりは兄である。もがいてもがいてようやくその手を逃れて履こうとした靴には雑草が詰まっている。逃げられないようにするためだ。裸足で逃げようとすると日ごろ意地の悪い彼らが猫なで声と脅しで引きとめてくる。こんなに靴をだめにしちゃったら叱られるよ。
 
こういうことは不断の妹いじめとどう違うのか私には説明できなかった。
でも、わからなくても説明できなくても、子どもはちゃんと不道徳に傷つく。加害者が子どもであっても。
こういう出来事は十代に入ってから、また大人になってからさらされた性暴力に負けず劣らず私の人生に影を落としている。私はいまだ自分で乳首に触ることさえ圧倒的な嫌悪感を覚える。
 
弟と一緒に風呂に入ってもみくちゃになって遊んだ。ちんちんが動かせるんだ、という弟の話を興味しんしんで聞いて感心した。だけどそういうのと、ぜんぜん違う。
 
だから私はなるだけ早いうちに、これは暴力のひとつで、たいへん不当であって、そこから身を守るのはまったく正しいということを子どもに伝えるのはいいことだと思う。
そして我が子、甥姪がどんなに無邪気でかわいくても加害者になることがあるということを忘れないでいたいと思う。そうならないために、たとえ赤ちゃんであってもひとの身体を玩具にするのは実に間違っていると教えたいと思う。
 
でも、加害者に怒りを覚えるのは難しい。だいたいあれは無力な幼女に対する暴力だったと自覚するのだってそうとう難しい。
妊娠するような事態にならなければ、相手の性器が関係しなければ性的に搾取されたとは言えないんじゃないか、自分はゆがんだ性認識と過剰な被害者意識にとらわれているんじゃないかと思えてくる。
これだけ傷ついていて、自覚も記憶もはっきりしているのに。もしよその子がそんな目にあったら100%その子が被害者だと言いきれるのに。
 
被害者の話を聞く余裕もなく、とにかく訴えろ、警察に行けといいたくなる人はこの辺をよく考えていただきたいと思う。
被害者の多くは長期に渡って頭が混乱する。そして虐待が終わっても、加害者と被害者の関係はそこで終わるとは限らない。
相手が肉親であればなおさらだ。
 

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