男が獣ってどういう意味ですか、渡辺先生

渡辺淳一先生が週刊新潮
男は忍耐力がなく、カッとなるとなにをしでかすかわからない。一瞬で獣になる生きものだ。
と書いていたそうだけれど、二理はないけど一理ある。

全文はこちら獣は檻にいれとけというお話し。さぞ不愉快な思いで書き写されたことでしょう。
  
「男は」「一瞬で」
じゃなく、
「常日頃」「男女問わず」
“欲求を満たすさい食い物にされる側の立場を考えない”という意味で誰しも獣のようなところはあると思う。
 
言うまでもなく獣は無駄に体力消耗させて命がけで獲物を襲ったりしない。
だから“気ままに弱いものを襲う”という意味ではこの比喩当てはまらない。
生活のためにがんばる獣と性暴力加害者を一緒にはできない。
   
けれども、獣が
「ああ、こいつには家族と夢があってまだまだこれからだ。
 こいつを食べるのはやめて肉の硬い年寄りを探そう」
と、獲物の生涯を思いやってはくれないように、
 
「ああ、この人には家族と夢があってまだまだこれからだ。
 自分の性的な嗜好を満たすのはやめて合意できる相手と状況が見つかるまで待とう」
と食い物にされる側のことを考えない獣みたいな人はいる。
  
アダルトビデオを筆頭に、性暴力の露骨な描写やそれを匂わせるものは巷にあふれている。
それは純文学にも昼のドラマの中や子どもの漫画の中にさえあって、それで食べてる人がいる。
渡辺先生もそれでたくさんご飯を召し上がったことでしょう。
  
でもそれに傷ついてる人は間違いなくいるよね。
「いやそんなのテレビ局にも出版社にも製作会社にも抗議するし絶対見ない」
っていう人もいるかもしれない。
だけど大半の人はその市場を悪気なく、深く考えずに買い支えている。だから栄える。
  
そういう意味では自分も獣かもなと思う。
捕食者の人生を深く考えずに欲求を満たして生きている。
程度の差こそあれ質として同じかなと思う。残念だけど。みんな、はてこに注意してね!
 
渡辺の言は古風でげんなりさせられるが、この世には悪(=「獣」)が存在していることについては正しく認識している。それを認めた上で「自衛策」の必要性を説いているのである。ヌルいよ、アヒルちゃん
 
そうだね。私も獣はいると思う。
 
でもね。
渡辺先生の“男は獣だ”っていうのはそういうのと少し違う気がするんだよね。
“ケダモノ”っていうより“獰猛な野獣”さらには“誇り高い野生”みたいな意味があるんじゃないかと思う。
 
「男は誇り高い野生動物、飼いならせるなんて思わないことだ」
 
っていう。
 
「男は獣」って男性が自分でそう言ってしまっていいの?
それって、自分で自分をバカにしていることにはならないの?
 
と、yotayotaahiruさんが困惑していらっしゃるけれど、渡辺先生はむしろ自慢に思ってるから自分で言っちゃうんじゃないのかな。
それが文章ににじみ出てるからなんとも嫌な気分になるのだと思う。
 
「『男は獣』って男性が自分でそう言ってしまっていいの?」などと暢気な寝言をほざいているのは滑稽。
 
AntiSepticさんはいうけど、読んでいて不愉快になるのは渡辺先生が獣である自分を恥じる様子もなく、人殺しの性を得意げに語っているところだと思う。
 
俺たち男は乱暴で、不器用。気持ちが抑えられない“飼いならせない”生き物。
俺らにうかつに近寄ると怪我するぜ? みたいな。


追記

id:NATSU2007
渡辺は"獣"を真に邪悪なものとは考えていない。"草食"であるより獣であれとする。この男性像を温存する為に女性に抑圧をかけ、男性にも"獣はダメだが獣になれない男は男失格"というダブルバインドを仕掛けている。
ヌルいよ、アヒルちゃん - 消毒しましょ! d:id:AntiSeptic

頷きすぎて脳挫傷起こすほど同意。
 

広告を非表示にする