性暴力とがんや難病になりやすい性格論に見られる共通の問題

性暴力に遭った人は自衛手段を見直すといいでしょう。
という言葉を、
性暴力に遭った人は自分の手落ちを反省し、改める必要があります
という意味で使ったり、受け取ったりする人がいる。
  
これは原因と責任をごっちゃにすることから起こる問題だと思う。
 
性暴力の被害にあった原因と、責任の所在は同じではない。
人種差別主義者は被差別対象者をリンチにする。
被害者は被差別対象の人種だったから襲われた。しかしその人種に生まれた責任はない。
 
この種の問題は医療の分野にもある。
緩和ケア専門医であり、サイコセラピストのガボール・マテが“身体がノーと言うとき”の中で、いわゆる病気になりやすい性格についての話になると、かならずこの種の論争が起こることを述べている。
 
ある人が身につけざるを得なかった生き方が、病気になった原因のひとつかもしれないというのは微妙な問題をはらんでいる。 …感情と多発性硬化症乳がんと関節炎の発症となると …患者は病魔に襲われたことに加えて、自分の生き方そのものを責められているように感じてしまう。
 
マテはこの種の記事を書いたとき、患者と医師の双方から袋叩きに合ったと書いている。
 
「どうしてこんな本を書かれたんですか?」と乳がんの治療を受けていた五十二歳の大学教授に言われたことがある。 …「私は遺伝子のせいでがんになったんです。自分のしてきたことのせいなんかじゃありません」
1958年発行の『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』誌の論説は告発している。「病気や死についてその人の落ち度があるように言うことは、犠牲者にさらに責めを負わせる非常に嘆かわしい態度である。患者がすでに病気という重荷を背負っているときに、それについての責任まで押し付けるべきではない」
 
これはyotayotaahiruさんの警告と本質的に同じだと思う。
  
2009-12-25 「男は獣」って渡辺翁の言葉ですから
たとえ、「性暴力被害防止」という善意の目的・意図があっても、「性暴力被害を防ぐには自衛が必要」という言説は、「性暴力被害者は『自衛』を怠った」というメッセージを持ってしまいます。たとえ、そんなつもりがなくとも、です。そして、そのメッセージは、性暴力被害を受けた当事者には、世間一般、女性一般よりも、より強く伝わってしまいます。
 
どうして自衛しなかったんだ、と「その人の落ち度があるように言うことは、犠牲者にさらに責めを負わせ」ている場合がある。
 
「ほとんどの方が自責の念も強く持っていると考えてよいでしょう。」

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