wattoさん後援でヒメネーにサンタ業を依頼した話

※記事の終わりにヒメネーレポを追記しました

去年留学中に力尽きてブログ更新が滞っていたあいだ、留学先の学校主催でセブのある小学校を見学にいった。裸足の子がけっこういて衝撃を受けた。調べてみたら見学費*1として徴収された額の数分の一でサンダルが買える。徴収された見学費は見学者たちの交通費と低学年の子供らへのプレゼント(お菓子と塗り絵と質の悪いクレヨン)になったらしかった。こういっちゃなんだけど、こういう切実なニーズがあるのなら駄菓子と塗り絵より靴や鉛筆をプレゼントしたかった。

 

後日マンツーマンレッスン中にシンという名の若い先生にその話をした。ミンダナオ島出身の彼女は電気の通わない村に住む家族に仕送りをしながら休暇を利用してはセブの孤児院で教師のボランティアをしているという。

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クリスマスに食べ物を配るシン先生

 裸足の子を数えて靴をプレゼントできないかと伝えたところ、先の小学校の先生に連絡をとってくれた。全校生徒中裸足の子は101人。靴よりスリッパ=ビーチサンダルが安い、そしてサンダルはコロンストリートというマーケットで買えば安いだろうという話だった。

 

「でもコロンストリートは危ないから日本人ひとりで行ってはだめ。私が一緒に行く」とシン先生はいった。というわけで、後日二人でジプニーに乗り、コロンストリートで靴屋をほうぼう見てまわり、最後に卸しの靴屋を見つけて101足のサンダルを買った。

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卸売らしき店。セブでは珍しい清潔さ

小学校に入ったばかりの小さな子から大人になりかけの子までさまざまなサイズと色のサンダルを買った。2954ペソ、6000円くらい。空港近くのマッサージ店一回分と同じくらいだった。自分で言い出したこととはいえ、「全校生徒にサンダルを買う」と思うとお金が足りるかどうか心配だったが、101足のビーチサンダルが6000円弱で買えた。

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領収書

サンダルを届けたのは日曜日で学校は休みだった。後日サンダルを受け取った子供たちが神妙な顔で並んでいる写真が何枚も送られてきた。ビーサンの寿命は3か月くらいということだったが、雨季の足元がいくらか快適になればいいなと思った。

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ブログ掲載許可済

 

さて、去年に続いて今年もひとりのクリスマスである。あの子らはどうしておるんじゃろうな。今年はセブにヒメネーこと堀井みきさんが滞在中である。かんどうさん、わたしに続いて一芸留学者として今年の春に3Dアカデミーで学んだヒメネーは秋にセブ島へ移住した。わたしも冬の寒さをセブでしのごうかと考えていたのだけれど、仕事の始末をつけらず、ずぐずぐずしているうちにホリデーシーズンに入ってしまった。こんな飛行機*2が高い時期に移動するのはサラリーマンだけである。

 

フィリピン人にお金を送るのは大変だ。あちらで知り合った先生方になんとか個人送金して英語のレッスンをつけてもらえないかと考えたが、なかなか難しい。でもフィリピン在住の日本人が日本で開いた銀行口座に送金するのは簡単なんですよ。というわけで、ヒメネーに「去年世話になった先生を紹介するので、ビーサン買って小学校に届けてもらえないか」と聞いてみたところ、おまかせあれと快諾してくれたのでひとまず一万円を送った。

 

去年裸足の子供をカウントしてくれた先生にfacebookで再調査を依頼したところ、今年の裸足っ子は175人いるという。セブの物価がどのくらい上がっているかわからないが、一万円では足りないかもしれない。ビーサンもこれだけまとめて買うと重いのでマーケットから山の上の学校まではタクシーを使ってほしい。協力してくださる先生方とヒメネーにもお茶代くらい送りたい。加えてシン先生は現在妊娠中だという。妊娠中だというけれど、結婚したという話はない。これは何にしても物入りなのではなかろうか。やはりあと一万円くらい送った方がいいな。

 

ここでふとわたしはシン先生を知るもう一人のはてなーを思い出した。id:wattoさんである。わたしは留学中、シン先生にamazon wish list の作り方を教えた。シン先生は彼女個人のほしいものリストと彼女が支援する子供たちのためのリストを作った。この話をTwitterで流したところ、はてなあしながおじさんことid:wattoさんが(多額の送料をものともせず)せっせとリストをポチって教科書やらノートやらを送ってくれたそうで、後日彼女から感謝のメッセージが届いたのだった。よし、id:wattoさんにも出産祝いに一枚噛んでもらおう。ということで、はてなでいちばんあしのながいおじさんであるid:wattoさんに連絡した。

 

わたしはシン先生に彼女と赤ちゃんを祝福している人がいると伝えたかった。内訳を伝える必要はないので金額はどうでもよかった。マニラの日給が1800円くらいと聞いているので、千円くらいご祝儀を出してくれたらいいなと思った。しかしやはりはてなでいちばんあしのながいおじさんはそのくらいでは妊娠出産とその後の暮らしに足りないと思ったのか、だいぶ予想を上回る額を振り込んでくれた。おかげで175足のビーサン、行きのジプニー代、帰りのタクシー代と重いサンダルを運んでくれた運転手へのチップ、カウント係の先生へのクリスマスボーナス、ヒメネーと買い物班がジョリビーでお茶をする代金、諸所手数料しめて7500ペソ(約15000円)をカバーしてなおセブでは十分な出産祝いを用意することができた。

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ちなみにヒメネーにはサンタ代行代として先生方と同額の謝礼を提案したが、それはシン先生のお祝いにしたいと受け取ってくれなかった。それどころか先生方へのクリスマスボーナスを手書きのメッセージカードとともにデコった封筒にいれて渡すというサンタぶりを発揮してくれた。幸あれ。

 

画像はヒメネーがいろいろ撮ってくれたと思うので、機会があればヒメネーのブログの方で公開されると思う。

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ブログ掲載許可済なすっぴん

 

「長い話になるからいつか時間があるときに書こう」と考えているあいだに一年過ぎてしまった。なるべく簡潔に起きたことだけ手短にと思って書きました。ひとりのクリスマスではあったが遠い南の島で「ビーサンやったー!イェーイ!」と小躍りする子供らがおるんやったら生きとってよかったよな。メリー・クリスマス。世界に平安と喜びがありますように。

 

ヒメネーのレポートはこちら

ameblo.jp

*1:確か600ペソ=約1200円

*2:「このご時世に個人の娯楽で飛行機乗っていいのか?!」と考えあぐねているあいだにホリデーシーズンに入ってしまったところもある。

はてな近代史の再炎上

一昨日から2015年のはてなダイヤリーの記事がやたらに読まれているので、ちょっと調べてみたら揉め事が最燃焼していた。ホテル代踏み倒して自由恋愛を謳う人に同人者がいっちょ噛みして失恋ブロガーを泣き寝入りさせたアレですね。

 

最後までブロガー個人は謝罪されないまま終わったと記憶していたけれども、同人者の人が「みんなで謝ったのに踏み倒し側から何も話がない(青筋)」とTweetしていてなんだかなと思った。あとこんまりのことをエロいこけしとか言っているのにも引いた。捨てられない人らしいからモノと向き合いましょうといっている人は自分に言っているのでなくても悪感情を持つのかね。2015年か。遠いな。でもこういう話題は風化しないものだね。これからもずっと言われるんだろうね。はてな近代史に疎い方はこのキーワードで2015年前後のエントリーを検索してみてください。

 

かつて泣き寝入りしたブロガーは11月に出産して保育に忙しいことも知った。おめでとうございます。幸あれ。

 

しかし縁もゆかりもない性暴力被害者に同情し、合意なく、あるいは不利な条件を隠してエッチに持ち込むおっさんに怒り立つのは易しいけれど、縁もゆかりもある気心のしれたおっさんがしでかす下の不始末に同じくらい義憤を覚えるのは難しいものですね。杉田水脈やはすみとしこも反安倍側の下の不始末にならそれはそれは深く激しく強い義憤を表明するに違いありません。明日は我が身である。どうか身近なおっさんたちがアホな真似をしないでくれたらいいなあ。

 

ところではてはなダイヤリーのブクマをブログとリンクさせたり、させなかったりしてるのね。どこで切り分けてるの?

 

「はてこはだいたい家にいる」の新着エントリーで「はてこはときどき外へ出る」に移行されなかったものがこんなにあるなんて、昨日まで知らなかったよ。ややこしいからひとつにしてほしいわ。本日は以上です。

 

久谷女子の岡田育さん「オトコのカラダはキモチいい」Amazonサブカルチャーベストセラー1位おめでとうございます。 - はてこはときどき外に出る

男女同権とはフリーセックスに同意させる権利ではない - はてこはときどき外に出る

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DV息子を殺す親を責める資格は誰にあるか

息子の暴力が手に負えなくなり、近隣の小学校を標的にしかねないと思った親が思い余って手を掛ける事件が起きた。そこまで追い詰められた加害者に同情する声と、何も殺さなくてもよかったと加害者を非難する声を目にした。

 

わたしは中学生のころ父親の暴力がゆるせず、殺すしかないだろうかと真剣に考えたことがあった。素手では難しいので、やはり刃物を、包丁を使うことを考えた。リビングから続く台所で母を怒鳴りつけ、手を上げる父の背後に迫って包丁を振り下ろすところを細部までありありと想像してみた。そして「無理だ」と思った。自分には父を殺すことができない。

 

腕力の問題ではない。父は毎週のように酔って前後不覚になっていたから、タクシーから降りたままの姿で玄関先に酔いつぶれているところをそっと縛り上げて襲えば、ひとりでも息の根を止めることはできたと思う。殺ったあと隠すことは考えていなかった。とにかく死ねば、これ以上母に暴力をふるうことはなくなる。それで少年院に入るとしても暴力がやむならやるだけの意味はある。でもできなかった。自分には人を殺せないと思った。考えるだけで手が震えた。いまも思い出すと手がしびれてくる。殺せない自分を軟弱で情けないやつだと激しく憎んだ。おまえが弱っちいからあいつは好き放題女房を殴りまくっているんだよ。母が殴られることは自分が殴られるより辛かった。

 

「親に殺された息子」という言葉には強者に殺された弱者という響きがある。けれども70代の老夫婦が自宅に居座る中年男性から大金をせびられ、日常的に暴力をふるわれ、それも単なる動物的な衝動ではなく土下座を強要し、隣近所に響き渡る音量で昼間からAVを流すなど故意に恥辱を与えるような精神的な暴力を振るわれ続けるとはどれほどの苦しみだっただろう。

 

事件は一人暮らしをしていた息子が実家に戻って一週間で起きた。「たった一週間」と書いていた人がいたが、このような暴力を十代からふるい続けてきた男が帰ってきてからの一週間だ。*1手を掛けた父は大変な恐怖を感じたと供述している。

 

わたしの父がもっとも暴力的だったのはまさに三十代から四十代にかけてのことだった。この年代の男性と一日中閉ざされたドアの奥に閉じ込めら、七十歳を過ぎて暴力をふるわれ続けることの恐ろしさはどれほどだっただろう。こうした状況にいた人に、親だというだけで、身内だというだけで、何の訓練も受けずこれほど苛烈な暴力を受けた老人に、肉体的、精神的に追い込まれてきた老夫婦に、理性的で合理的な判断を期待するのはいったいどういうわけだろう。

 

わたしの父の暴力癖は二度の離婚と三度の結婚、そして加齢と病によって徐々に勢いをなくしていった。一方わたしはもう父に依存しなければ生きていけない子供ではない。けれどもこれが兄や弟による暴力だったら、そしてわたしが兄や弟を扶養する義務を負っていたら、その地獄はいつまで続いたかわからない。

 

親に暴力をふるう兄弟に姉妹が手を掛けた場合、世間の目は親が子供に手を掛けるより同情的になるのではなかろうか。姉妹に兄弟を躾ける義務があると思っている人はいない。しかしひとたび関係が親になったとたんなぜここまで暴力にさらされ続けた老夫婦を糾弾する人がこれほどいるのだろう。「子供は親が家庭で躾けるもの」をどこまで拡大解釈するのだろう。まるで血縁以外の人間が抱える問題に社会はなんの責任もないかのようだ。

 

こうした物の見方は親に適切な責任感をもたせるどころか困窮している人を見捨てる口実にしかならない。また圧力を受けた側は我が子として生まれた人間が起こす問題や功績を自分と切り離すことができず、無限のプレッシャーを受ける。実際「親はどんなことをしてでも子供のすることに責任をとらなければならない」の延長にあの事件はあるのではないか。

 

逆らえない相手からふるわれる暴力の辛さは筆舌に尽くしがたい。相手がクラスメイトでも、会社の人間でも、上官でも、親でも、伴侶でも。小さな手足をばたつかせていた頃からみてきた息子や娘にふるわれる暴力であってもその辛さは変わらない。また自分にふるわれる暴力を耐えることはできても、守るべき相手にふるわれる暴力をただ見ているしかないという無力感と自責の念、自己嫌悪は計り知れない。

 

殺された息子に姉が重なったと書いた人がいて、その人に「逃げてほしい」と書いた人がいた。病人として収容された手に負えない人たちを相手にする仕事をしている人だった。「見捨てなさいというけれど、自分が暴力をふるう側だったらどうかと考えることはないの」と書いた人がいた。

 

殺人は暴力の最たるものだ。息子に手を掛けるとは正気ではない。のんびり明るく余生を過ごしている老夫婦は息子を殺さない。殺すしかないと思い詰めるほど追い込まれた老夫婦を対岸から追い詰める声で、いま息を殺して暴力に耐えているたくさんの家族をこれ以上追い詰めても何もいいことはない。

 

父を殺さなければと思っていたあの頃、何をしてほしかったかな。暴れる父に声をかけてほしかったな。わたしや母がすっかり殴られ終えてから「何かあったらいってください」「お父さん自身も苦しんでいるんだよ」じゃなくて。「逃げなさい」でもなくて。人目があるぞと父に気づかせてほしかった。たくさんの人目があれば違ったと思う。

 

「引っ込んでろ」といわれて母が殴られているあいだ周りで指をくわえてみていた従業員の人たちや、わたしが殴られている間中隣の部屋でテレビをみて笑っていた父の愛人は、わたしが父を殺してもどうこう言う資格はなかったと思うよ。あんたたち、なにかしてくれたの?って思ったと思うよ。

*1:犯行の動機は返り討ちではなく、このままでは息子が近隣の小学校を襲いかねないと考えたからだった。このことがなければDVは野放しのまま事件は起きなかったかもしれない。

声がききたい

ここ数日、話し相手がほしくてchat pad へいっている。ご存知ですか、chat pad?一対一でとつぜん会話がはじまるアレ。ちょうど10年前にはてなのホットエントリーで見てしばらくハマった。流行っていたときはいろいろな人がいて面白かった。日頃チャットなんかしない人たちが物見遊山でやってきていたのがよかった。

 

いまはすっかり過疎っていて、いわゆる出会い目的の、挨拶もそこそこに年齢、性別、居住地、社会的立場など聞くおっさん、挨拶もせず単語だけ返して即落ちする人にやたら当たる。雑談したくていくけれど、めったに会話が続かない。

 

話が続くときはだいたい悩み事を聞いている。自分の話をすることはほとんどない。せっせと相槌を打ちながら話を聞いているか、場が盛り上がるような話を選んでしまう。軽い雑談で盛り上がることはまずない。重い話を長々と聞いていることが多い。なので人と話したいと思うけれど、実際話すと疲れる。

 

それでね、さっき気が付いたんだけど、わたし話がしたいんじゃないんですよ。声が聞きたいの。返事してもらうための手段として会話があるの。好みの会話というより好みの声があって、好みの声にわたし宛の返事してもらいたいと思ってるの。

 

意見を聞きたい、議論がしたいという対話したい欲とは別に、安心できる人の声が聞きたい。だからチャットじゃダメなんだよね。朗読やラジオもダメ。わたしに向かって話しかけてくる声が聞きたい。そういう声を考える力を極力休めて聞きたい。そして馬鹿みたいな返事をして、子供か動物なみの相槌をうちたい。

 

うちは父方の家系がみなストーリーテラーの才に恵まれていて、みんな話が面白い。当意即妙で気の利いた言い回しをぽんぽん思いつく。わたしも話す側にいるときはそんな風に景気よく話す。でもしゅんとしているときは声が聞きたい。返事をしてほしい。

 

毎日なんども用もないのにもちおを呼んだ。「もっちゃーん」と呼びかけると「はーい」と返事をしてくれる。気が済むまで何度も何度も呼ぶ。もちおは作業をする手を止めずに「はーい」と返事をしてくれる。ときどき部屋に様子をみにいく。ちょっと首に絡みついてもちおが眺めている本やディスプレイを一緒に見る。そういうときもちおが面白いことをいうと、おかしくてしあわせで楽しくてもうどうしよう!ばか!押し倒して食べちゃうぞ!という気持ちになった。

 

いまもよく「もっちゃーん」と呼ぶ。返事はない。「はーい」というあの声をいつまで覚えておけるのか、口に出すたび少し怖い。

 

声がききたい。返事がほしい。

よみがえらない

少し前にTwitter社がログインしていないアカウントを削除するといっていたので、昨日もちおのTwitterをハッキングした。今日はもちおの hotmail もハッキングしてみた。gmailは他界する10日前に保険のやり取りのことで教えてもらった。もちおが同じパスワードを使いまわす派でよかった。

 

One noteにたくさんのタグがついたnoteがある。パスワードというタグがあり、各種パスワードがまとめられていた。公共料金や支払い関係のパスワードもあった。ここにあったのか。ほかはだいたいプログラミング関係の記事や気づき、メモなどがタグでわけられている。

 

「日記など」というタグに二年で10ほどの記事があった。最後の日記は18年2月18日 1:45で「18/2/18 もう一度、一から 」

 

抗がん剤治療が進み、体力もなくなり、仕事もできなくなり、、、いよいよ何も満足にできない状況に陥っている。 

そして、気づけば自分は、満足できるコードを記述することもでできない、自堕落な一個の肉塊になってしまっている。 

これでは、生きていく気力がわかない。 

 

もう一度、一から、組める人間を目指そうと思う。 

自分に誇りが持てなければ、生き続けることもできない。生きる動機が弱まり、その弱さが生きる姿勢の停滞を生み、死んでいってしまうだろう。 

 

だから、自分を取り戻す。 

 

鬼のコーダー 

ネットワークのモンスターとなる 

 

まずは、一から、一からだ。 

動くものを作っていきたい。 

 

明日から、人の構築したものに足を借りる形でもよいので、画像の線画認識と彩色を行うWebサービスを作成する。 

 

 

メモや日記はどれもあれをする、これをする、何をしたいという前のめりな話ばかりで、人生の始末をつけるといった話は皆無であった。まるでやることリストを長くしておけば死神を待たせておけると思っているようだ。実際にはこの時期を境にもちおの病は坂道を転げ落ちるように勢いを増し、8月30日の深夜に戦いは終わった。

 

退院して最後に家にいた8月に、はじめてもちおの口から死期の話が出た。トイレで血反吐を吐き続け、疲れ果てて冷たい廊下に横たわるもちおの隣にわたしも並んで横になった。もちおは涙で顔をぐしゃぐしゃにして「はてこさん、ごめん。もちおは冬までなんとか生き延びるつもりやったけど、もたんかもしれん」といった。生き延びられるつもりだったんだ、と内心驚いた。わたしはもうとっくに負け戦だと思っていて、どうしたらその瞬間をいくらかでもましなものにできないかと、そしてその後の迫りくる変化にどう対処したらいいのかと毎時毎秒戦々恐々としていたのに。

 

わたしはもちおが帰ってこないことがまだ腑に落ちないでいる。だって、まだそんな年齢じゃないし、もちおはふつうの人生だったし、あれだけはてこがすきなんだから、わたしを残していったきり戻ってこないのはおかしくない?という気がずっとする。こんなに困っているんだから「ちょっとタンマ」ってことでカメラを止めて舞台の外からこっちに入ってきてくれていいんじゃないかと思う。

 

幼い子供は人の死を理解できないというけれど、大人は理解できるのか。死んだらもう会えない、戻ってこない、だって身体がないのだからという知識を持っているだけで、大人だって死がなんなのかわかっているかどうかあやしいものだ。

 

難病のお子さんがついさっき息を引き取ったというTweetが流れてくる。ほんの数年にも満たない人生で、こんなに親御さんに愛されている子が、死ぬのか。そして、戻ってこないのか。そうか。こんなに小さくて愛されているのに、みんないてほしいと思ってるのに、死ぬのか。それじゃ、もっと長く生きて大人になったもちおが死ぬのは不当というわけじゃないのかな。

 

水木しげるの戦争漫画で兵士がたったひとり孤独に絶命する場面をキャプチャしたTweetが流れてくる。「そうか、みんなこんな風に誰にも知られず、死んだんだな」と思いながら兵士は倒れる。もちおと同じくらいの年齢のおっさんが、家族を残して大勢死んだ。誰にも看取られず、医療も受けられず、知らない国で死んだ。ここまで不条理でも「これはちょっとあんまりなので補償として復活をゆるす」みたいなことにならないのか。「余命として〇日はよみがえれます」みたいな慈悲もないのか。じゃあ、やっぱり、もちおは戻ってこないのかな、と思う。

 

Hagexさんは元気だった。セミナーでお会いしたとき、長年勤めた会社を辞めて、これから新しいことをするといかにも楽しそうに話していた。あの日もちおは入院していて、わたしは病院からセミナーへいった。病室のもちおと同じ世代の人がこんなに生き生きと順風満帆でいることがうらやましかった。その日がHagexさんの人生の終わりになるとは夢にも思わなかった。あの日のことを思うと「残酷だ」というより「マジで?」という気分になる。そんなことってある?でもHagexブログがもう更新されていないのを見るとやっぱり戻ってこないみたいだなと思う。

 

こうやってひとつひとつ、よそさまの死を目にするたびに「じゃあもちおが死んでもおかしくないのか」と思う。何かとても異常で不当で不条理なことが起きたという気がしてならないが、人類がはじまって以来繰り返されてきたことのひとつらしいと頭で覚える。

 

でもやっぱり腑に落ちない。腑に落ちないけどもちおのnoteは増えない。Tweetもブクマも増えない。やっぱり死んでしまったのだ。そしてどうもよみがえってこないらしい。どうして死んでしまったのかな。なんで戻ってこないんだろう。なんで死んじゃうんだろう。

 

わたしはこれまで人並みに友人、知人、親戚の死をみてきた。けれども、もちおが死ぬまでわたしは死についてほとんどわかっていなかった。もちおが死んで、やっと、自分が死についてよくわかっていなかったということがわかった。死んだらよみがえらない。確実なのはそれだけだ。そして死がどれほどの影響を及ぼすかは、死んだ相手が誰なのかによる。

 

人生の不確実性すごいな。確実に死ぬことはわかっているけど、いつどこでどんな風に死ぬかはわからない。誰に会っても「この人も死ぬのか」と思う。どうせみんな死ぬならなんで生きているんだろう。こんなことを日々思っていると明るく晴れやかな気分にはとてもなれないので、「誰かが生きたかった今日を精一杯生きよう」といった高い志は持てない。生身の身体をもった生きた人間が長いことそばにいないこともよくないのだろうと思う。