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差別で効果的に人を傷つける三つの方法

エッセイ的なもの 思うこと

生活の制限

法に訴えたり、周囲の偏見を助長したりして、生活に制限をかけてやりましょう。大きなところでは結婚、居住地、職業、教育、医療などの制限、小さなところでは職場や教室で座る場所、全員に与えられることになっているちょっとした特権やご褒美、順番に与えられる予定のお楽しみなどもいいですね。

 

これらをまったく受けさせないか、限定する合理的な理由、大義名分を大衆にアピールしましょう。幼稚で排他的なグループならまずは親密な仲間を選んでいたずらっぽい笑顔で提案してみるだけでOK。これといった理由がなくてもそのような制限が通ることもあります。

 

もう少し小賢しい連中を相手にそのような制限を認めさせる場合には、その提案がマジョリティの暮らしをいっそう安全に守るものであることを強調し、それがマイノリティにとってもメリットがあると主張するとよいでしょう。マイノリティにとってのメリットが出鱈目でも大丈夫。マイノリティの自由はマジョリティの生活や利権を脅かさすと大衆に感じさせることができれば、意見は通りやすくなります。

 

レッテル貼りと言論封殺

被差別者に説明書つきの大胆なレッテルを貼り、個々の特徴よりレッテルが目立つように扱い、意見や反論をかわしましょう。大衆から批判された場合は「彼らは少数派なので仕方がないが、あなたは彼らをよくわかっていない。しかし自分は彼らをよく理解している」「一般的にいえばあなたの意見は正しい。しかし彼らは自分たちと違う特殊な人種なので、一般的な常識で考えることはできない」と返して煙に巻いてしまいなさい。

 

被差別者側からの訴えには適当に返し、相手の議論が熱を帯びるよう突っ込まずにはいられないようないい加減なことをいうとよいでしょう。そして意見が出そろったら「それは感情論」「まともな人でそんなことをいっている人はいない」「例外的な思い込み」「コンプレックスから出た発想」「妬み、嫉み」「もっと現実をよく見て」などをアレンジして返しましょう。本気で怒鳴るよりも「これだからこういう人たちは」と疲れ切った表情を見せたりするとより効果的に相手の神経を逆なですることができます。

 

周囲の目がある場合は「でも、それはあなたのせいじゃない」と悲しげな微笑みを見せたり、「もっとよく知り合う必要があるね」と力強く励ますようにいえば、野次馬たちによい印象を与えることもできます。そのとき野次馬どもとあなたの共通点、性別や学歴、出身地などをさりげなく持ち出せば野次馬はこちらに味方してくれる可能性はぐんと高くなります。

 

心理的な断絶

あなたがこれといった権力も社会的立場も影響力もない人で、弁が立つ方でもないし、人に悪意や攻撃心を向けるのが苦手だとしても、差別で人を確実に傷つけることは可能です。気にくわない出来事があるとき、予想外の出来事に出会うとき、問題が自分ではなく相手にあると思うとき、あるいは自分に問題があるかもしれないけれど、それをフォローしない相手にも問題があると思うとき、それを個性や考え方の違いだと考えずに、相手の属性の問題だと考えればよいのです。

 

心の中でちょっとだけ「まったくこれだから○○は質が悪い」と思いさえすればOK。こんな風に相手を見下す習慣を持てば、あなたの脆い自尊心を慰撫することができますし、人を見抜く目が肥えた、洞察力が深まったと思い上がることも可能です。同様の差別心を共有する人の間で歓迎される可能性も高まります。

 

この方法なら自分と相手に特別な問題がない場合でも指一本動かさず、相手の心に深い傷を負わせることができます。わずかな視線の動き、行間、言葉の間。その程度の変化であっても多くの場合、人はそんな風に自分を対等な人間として考えない相手の心にとても敏感に反応するものです。

 

差別的な思想を内面化させるには

これら三つを組み合わせ、徒党を組んで長期にわたって繰り返し実践すれば、どんな相手も疲弊すること間違いなしです。やがて相手はそのような価値観を内面化し、「自分がいっぱしの人間として扱われることを期待することが間違っている」とさえ思うようになるかもしれません。

 

ここまでくればこっちのもの。どれだけ人生を制限しようが、意見の相違を封殺しようが、相手はあなたに抗う気力を失います。魂を殺すならこの方法が確実です。

 

差別的な思想を内面化させるためにもっとも大切なことは、あなた自身がその思想に完全に染まること。「こんな思想を持てば相手を傷つけることができる」と考えるようではまだまだです。真の差別者とは視界の中にある自分の鼻を意識しないのと同じくらい、自分の差別心を意識することがありません。他人から鼻を殴られてはじめてそこに鼻があることに気づくのです。

 

「あなたは○○を差別している」といわれてきょとんとする。それどころか「○○を差別するのはよくない」という意見に涙を流して賛成する。差別する相手を心底傷つけることができるのは、このように差別的思想が血となり肉となってもはや自分自身と切り分けることが困難な人なのです。

 

それでも支配できないケース

上記三つを組織的に繰り返せば相手を十分傷つけることができると保証します。しかし以下のような場合、魂を殺して支配することは非常に困難になります。

 

  1. 被差別者に互いを肯定しあう仲間がいる
  2. 被差別者があなたの承認を求めていない
  3. 被差別者が所属する世界を複数持っている

 

たったひとりでも被差別者の人間としての尊厳を当たり前に認める人間がいる場合、その人を傷つけることはいくらでもできますが、傷の回復を遅らせることは難しくなります。過去にひとりでも互いに肯定しあう仲間をえた人は自分が敬意と尊厳を払われるに値する人間だという事実を知っています。そして差別者におめおめ従う理由は何もないと考えます。差別で人を確実に傷つけ、立ち直れないようにすることを望むなら、被差別者たちを互いに対立させ、絆を分断することです。

 

被差別者を感情的、精神的、物理的に依存させることも大切です。人は承認を不要とする相手の差別心にはひどく傷つきますが、承認されたいと思わない相手の価値観を内面化する力はそれほど強くありません。あなたが不愉快な人間であることは被差別者の心を傷つけるには効果的ですが、拘束する点では威力が乏しくなります。嫌な奴の話は魅力的な人の話ほど影響力がないのです。不快な待遇を強いる点でも同様で、「ここまでされるいわれはない」と思われたら最後、被差別者はあなたの価値観を拒絶するようになります。長期に渡る束縛を目標にするなら常に恩を感じさせ続けることが大切です。

 

そして価値観の多様化。これはなんとしても食い止めなければなりません。情報を制限し、人間関係を広げることは、断固阻止しなければなりません。多様化した価値観のなかでは、あなたは被差別者の上に立つどころか、人として見下げはてた最底辺の人間であると認識されているかもしれないのですから。

 

以上、ハラスメントの三つの手口とそこから抜け出す三つの秘訣でした。

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「グラフィックボードをオーブンで修理する」をヒートガンで代用した話

web日記 日常 家にいた もちお 闘病生活

最近めっきり書斎から出てこないもちやまさん。仕事で使うアプリの開発をしているのですが、余暇は海外オークションで入手したPC機器を手入れして国内で売りさばくという転売ヤーライフをお楽しみ中です。

 

わたしはこれまでもちやまが自分のジャケットの埃を払ったり、靴を磨いたりしているところを見たことがありません。しかし転売ヤーとしてのもちやまは商品の手入れに余念がなく、書斎からは毎日「ッシャーーー」とエアーで埃を飛ばす音が聞こえてきます。年季の入ったいわくつきキーボードのキーを全部外してアルコールで拭いている姿を見たときはびっくりしました。

 

「パソコン2台買ったんだけど、2台ともグラフィックボードが壊れてたんだよね。それでネットで調べてみたら、グラフィックボードをオーブンで焼くとはんだが溶けて直るって話があってさ」

 

まさか、わたしが寝てる間にオーブンを…?!

 

「でも丸ごとオーブンに入れると周辺の機器も焼けてダメになる可能性もあるでしょ。だから周辺をアルミ箔で覆って、ヒートガン*1で温めてみたんだよ。そしたら、直った!!」

 

それでいくらの儲けが出るのかわかりませんが、もちやまは小躍りして喜んでおりました。書斎は倉庫じみて来ましたが、なんだかとても楽しそうなので、たぶん身体にいいだろうと思ってほのぼのと眺めております。

 

なんかここ数日「パソコンなんて1万円もあれば買える」と大騒ぎしている人たちがいますが、そういうのはもちやまみたいな目利きが知り合いにいる場合で、素人は電機屋へいって店頭にある商品を店員にいわれるまま買うんじゃないですかね。そこでオプションがどうとかプロバイダーがどうとかいわれて混乱したお年寄りが高額な契約させられたりしてるわけでしょ。

 

「あら!パソコンほしいなら見繕ってあげる、中古でよければプレゼントしてもいい」って人はいないのか。

 

ちなみにわたしのファーストPCは1999年に、知人の会社の人から買いました。windows95を98SEにアップデートしたもので、本体のみ、OSCD-ROMなし、ディスプレイなしで3万円でありました。いま思えば馬鹿な買い物でした。ディスプレイどうしたんだったっけな? たしか別の知人ルートで1万円ちょっとで買った気がします。そのPCはwindows95から98SEにアップデートすると電源長押しでも反応しなくなり、コンセントを抜かない限り操作不能になるというバグを持っておりましたので、OSも結局買うことになり、あれやこれやで最終的に当時の月収を上回る額になりました。素人が中古を買うと高くつくぞ!

 

OSを10回以上再インストールして、最終的には半ギレになった知人から電話越しに手取り足取りクリーンインストールパーティションの仕切り方を教えてもらって解決しました。後年サポートセンターで働いたとき、まさにこのバグの説明があって、これかああああ!!と思ったことでございました。でもこの経験があったからこそサポセンに入社できましたし、ネットを通じてもちおとも知り合ったしで、禍福は糾える縄の如しでございます。

 

例のアニメーター志望ワンピースファンの苦学生の方にとって、このネットリンチの煽りが人生に瓢箪から駒的変化を起こすことを祈る今日この頃です。我が家は現在日本のサラリーマン平均年収を大きく割った給与から傷病手当金を受けての生活ではございますが、いまやわたしも家にパソコンが何台あるか把握できない暮らしをしております。

 

もちおがオークションでいくら儲けているのかわかりませんが、最近は一杯2500円もするジャコウネコのウンコから取り出した豆で淹れたコーヒーを飲みにいってはほくほくしているので、けっこうしあわせにやっていることは間違いありません。

 

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*1:ドライヤーの強力なやつ

「弱者やマイノリティにはやさしくしなければならない」という勘違い

思うこと web日記

すべての人にやさしさを持つのはよいことです。けれども弱者やマイノリティだから無条件にやさしくしてあげなければならない、なんてことはありません。ハンディがあろうがなかろうが自分の境界を侵害する相手から身を守るのは当然ですし、気の合わない人に無理してつきあういわれはありません。ハンディを持つ恋人のDVに耐えたり、気の合わない弱者につきあったからといって偉いわけでもないのです。

 

「彼のことは好きじゃないけれど、眼鏡をかけているからはっきりふるのはかわいそう」なんて思いませんよね。「あなたみたいなハゲを愛すなんて奥様は立派な人ね」と夫に言う人がいたら、わたしは夫を侮辱したその人に怒りを覚えます。*1

 

とはいえ弱者*2やマイノリティには配慮が必要。しかし「弱者やマイノリティにやさしくしなければならない」を金科玉条にすることには大いに疑問があります。この考え方は多くの無用な勘違いや見当違いの深刻な問題を引き起こしているからです。

 

配慮はやさしさとは限らない

礼儀正しいのはいいことです。電車の中で人を肩で押しのけたり、音漏れするイヤフォンをむしり取ったりするのは殺伐とした車内に暴力を生むことさえあります。混雑した電車で奥に詰める。降りる人のために場所を開ける。これは車内マナーとしてよい習慣です。では「車内マナーを守る」とは、誰かに「やさしくしてあげる」行為でしょうか。こうした車内マナーはお互いが車内で快適にすごすためのよい配慮ですが、ふつうは奥に詰めたからといって「今日は特別いいことをした!」とは思わないでしょう。

 

目の悪い親戚に金を無心する人は大きな文字で手紙を書くでしょう。振り込み詐欺にいそしむ人は耳の悪い相手に大きな声で話すでしょう。これは相手に対するやさしい思いやりではなく、自分の目的を確実に実現させるための工夫です。

 

わたしたちは日ごろから状況にあわせて自分の意思を伝え、相手の意思をくみ取り、互いの目的を達成するために創意工夫をこらしています。にぎやかな場所での会話に大きな声を出す。遠くにいる知り合いに大きく手を振って知らせることもそうです。

 

ところがはなぜか一部の人たちは弱者や少数派、ハンディを持つ人とやりとりする場合、自分だけが相手に特別な配慮をしていると思い込むことがあります。それどころかそうした人が自分とやりとりをする機会をえたのは自分が相手を拒絶しなかったおかげと考え、そのこと自体特別な親切だと勘違いすることさえあります。これはとてもおかしなことです。 

 

自分の配慮を過分の親切だと思い込むとき

海外留学を望む人が渡航予定の言語を学ぶことを善良さと結び付けて考える人はいません。しかし手話や点字を学ぶことを人間性と関連付け、褒めたり腐したりする人は大勢います。外国で商売したい人、言葉の通じない相手に恋をして新たな言語を学ぶ人は、これを過分の親切だと思うでしょうか。「そこまでしてくれるなんて」と感謝されるとは限らず、拒絶されても「言語まで学んでやったのに、感謝もしない」と怒るいわれはありません。 

 

意見の違いは誰にでもありますが、自分より経済的に豊かでない人、また教育の機会をそれほど持っていなかった人と意見が食い違った場合「この人は貧しいから頭が悪いのだ」「十分な教育をえた人なら自分に同意するはずだ」と思い込み、個性の違いや相手の意見の妥当性について考えるのをやめる人もいます。性別、人種、国籍、宗教の違いから同様の思考停止に陥る人もいます。その人はレッテル貼りを理解だと思い、異論や反論を相手の知性のなさ、または感情的な問題だと考えます。

 

こういう勘違いをする人は、自分で定めた根拠に基づいて相手の人権をどこまで認めていいかを審議しようとさえします。つまり教育を受ける権利、仕事を選ぶ権利、居住地を選ぶ権利、医療を受ける権利、生存する権利、子供を望み、家族を望む権利、伴侶を得る権利、そしてこれらに関する法的な保護を受ける権利などについてです。 

 

そのような人は自分が弱者やマイノリティについて真剣に心を砕く善良な人間だと考えるかもしれません。しかし実際には人の人権を値積もりする資格が自分にあると思い込んでいるのです。これは斜め上の勘違いであり、明らかで恐ろしい差別です。

 

「やさしくしてあげたのに」

なぜこのような勘違いをするのでしょう。これらの人は「やさしくしてあげなければならない」という言葉を「本来ならふつうの人にはする必要のない特別な配慮をしなければならない」という意味だと思い込んでいます。そして単に相手とやりとりするための創意工夫を特別な配慮だと考えます。そうした過分の配慮を社会的に強制されていると感じる人は、見返りとして特別な感謝や特別な尊敬を受けることを期待します。

 

このように考える人は、相手が自分の特別な贈り物を受けるに値する人格者であること、清廉潔白で、謙虚で、感動的に善良な存在であることを期待します。そしてその幻想が砕かれると裏切られた気持ちになり、相手に制裁がくだることを望みます。  

 

同じ人が二人と存在しない以上、目の前の人は必ずあなたとどこか違うところを持っています。同じ社会で暮らす以上、暮らしやすいように譲り合うのは当然です。意思疎通のための創意工夫もごくあたりまえのことです。自分に示されたさまざまな配慮に感謝するのはよいことですが、自分と違う特徴をもつ人に配慮をしめしたからといって、相手から感謝されることや相手が申し訳なく思うことを期待するのは間違いです。

 

差別とは悪意ある攻撃のことではない

差別的な思想や行為の問題点を指摘されると、「悪意からではない」「善意の行動を神経質に考えすぎだ」と返す人がよくいます。しかしある行為や思想が差別的かどうかはそこに悪意があるかどうかではなく、個人や特定のグループを、自分と対等な尊厳を持つ人間とみなしているかどうかによって判断するべきです。

 

障害を持つ人は障害を持つふつうの人であって、障碍者という人種がいるわけではありません。生活レベル、教育レベルが違う人、性的志向や、感覚、思考の方向性の違い、人種や性別、宗教や国籍が違う人も、やはりあなたと違う点をもったふつうの人です。

 

ふつうの人は人が自分と対等に接したからといってことさら感激したり遠慮したりする理由はありません。もちろん別段尊敬される理由も、傲る理由もないのです。

 

人は自分と同じ属性をもったグループを肯定したがり、不快な特徴は違う属性を持ったグループのものだと決めつけたがります。そして自分にとって好ましくないグループの中に、自分にとって感じのいい人があらわれると、特別に自分のグループのメンバーに入れてあげてようとします。たとえば名誉男性、名誉白人とよばれるものがそうです。「○○はろくでもないけど、あなたは例外。だから自分の仲間と同じように扱ってあげる」。

 

あなたは女だけど、ゲイだけど、インディアンだけど、黒人だけど、日本国籍がないけど、底辺だけど、貧乏人だけど、アスペだけど、片親だけど、年寄りだけど、童貞だけど、非モテだけど、独身だけど、おっぱいが薄っぺらでちんちんが小さくて髪の毛はなくて白髪がたくさんで変な顔で四肢が不満足で女のくせに背が高すぎて男のくせに筋肉がなさすぎるけど、でも、自分の仲間と同じように扱ってあげる。みんなにもやさしくしてあげるようにいうからね。

 

はたしてこれが相手の尊厳を重んじた親切で「やさしい」行為であるかどうかはともかく、わたしだったらそんなとき心の中では敬愛する夫のこんな言葉を思い出すと思います。「『入れてあげる』じゃねえんだよ。てめえのカーストごっこに乗っかるつもりはないっていってんの」。

 

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*1:しかし「こんな奥さんにこんなによく尽くして、なんて立派な旦那さんでしょう」とはよく言われる。あれ、褒め言葉なのか。

*2:薄毛の本質的な辛さは暑さ寒さが脳天を直撃することだ!

リボルバーにはまる甥助

web日記 家族親族

むかし、横浜の駅ビルに歌いながら踊るウサギの人形が売っていた。

その人形の歌が、何度聞いてもこんな風に聞こえる。

 

へにょへにょへにょへにょ へにょへにょへにょり

へにょへにょへにょへにょ へにょへにょへにょり

へにょへにょ%&#”$&  へにょへにょ$%#

へにょへにょへにょへにょ へにょへにょへにょり

 

いったいなんの歌なのか。

もちおと二人で、店の前を通るたびになんども聞き直して首をかしげた。

 

あるとき英語圏の来客を連れて店の前を通りかかった。

わたしは彼女に人形を見せて、「変な人形だよね」と話した。

彼女はちょっと耳を傾けてから

 

Hello Hello Hello Hello Hello Hello How are you?

Hello Hello Hello Hello Hello Hello How are you?

Hello Hello I'm fine, Hello Hello Helllo and you?

Hello Hello Hello Hello Hello Hello How are you?

 

と歌いなおした。おおおおお!そうだったのかあああ!

 

さて、空耳で大人を翻弄する甥助は、最近ビートルズの「リボルバー」にはまっており、ドライブ中ほかのアルバムがかかることをゆるさない。

 

少し前まではフリッパーズギターの「Three Cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった」にはまっていて、それ以外のCDがかかると激しく抗議するので、母である継妹は延々そのCDをかけざるをえなかった。

 

フリッパーズギター熱が高まっていたころの甥っ子は「んんんんーん んんんんーん」と「ピクニックには早すぎる」を全編ハミングで歌っていたが、ビートルズに移行してからは空耳をいちぶ声に出して歌う。

 

お気に入りのサビはこれ。

 

きーおーめーいそ えーたまり

えーたまり えーたまり

 

きーおーめーいそ えーたまり

えーたまり えーたまり

 

さて、なんだかお分かりになりますか。わたしも子供のころ、この歌が大好きだった。

正解はこちら

 

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曽野綾子の高額医療利用者批判

web日記 思うこと 闘病生活

 炎上上手な曽野綾子が、面識のない未就学のお子さんとその親御さんに斜め上から恩着せがましいことをいって話題になっている。紙媒体だと読者がこういう話で頭にきて購買を止めてしまうこともあるから商売として危ないけれど、ネットだとなんじゃこりゃと思われることで閲覧数が増えるからネット向けの作家だと思う。

 

 野田氏 息子は、心臓疾患や脳梗塞(こうそく)などで11回もの手術を小さな体で乗り越え、来年からは小学生になります。その息子の治療について、インターネット上にはこんな声もあります。ある人は「野田聖子は国家公務員だ。今、財政赤字で税金を無駄遣いしてはいけない、と言われている。公務員であるなら、医療費がかかる息子を見殺しにすべきじゃないか」と。これを書いた人は、作家の曽野綾子さんの文章に触発されたようです。

 

 −−確かに曽野さんは著書「人間にとって成熟とは何か」で、野田さんについて、<自分の息子が、こんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の申し訳なさ、か、感謝が全くない−−>などと指摘していますが……。

 

 野田氏 私、曽野さんを尊敬していたから、読んだ後に頭が真っ白になって。要は障害があると分かっている子供を産んだ、その医療費は国民が負担する、ならば一生感謝すべきだ、と。私は何を言われても平気ですが、私が死んだ後、一体息子はどうなるのか、と慄然(りつぜん)としました。

相模原殺傷事件 感じた嫌悪「いつか起きる…」 長男が障害持つ野田聖子衆院議員

 

曽野綾子は息子を育てている最中うつに陥ってたいそう苦労されたそうなので、重度の障害を持つお子さんを育てるお母さまの気持ちは親としてきっとよくわかるはず。作家なんだし想像力も洞察力も人並み以上におありでしょう。仕事を持って子育てをする難しさも覚えがあるはずよね。

 

また曽野綾子はクリスチャンなので、親切なサマリア人のたとえにあるよき隣人として生きることを信条にしているはず。もちろん彼女は強盗に襲われた同胞を見捨てて道の反対側を素通りしたパリサイ人のようでありたいとは思っていない。きっと親切なサマリア人のように傷の手当をし、自分のロバに乗せ、宿屋へ連れて行って宿賃も払うような人になりたいと、そう願っていることでしょう。ただ道々怪我人の耳に「あんたの世話にどれだけの金と時間がかかるか、よく考えるんだね、強盗に襲われるなんて申し訳なく思いなさい」とよくよく指導すべきだと、それが人間にとっての成熟だと考えているのでしょう。

 

でもさ、クリスチャンの立場として人工中絶に反対しているなら、クリスチャンの立場として生まれた子はみな神の子として等しく敬意を払っても罰は当たらないと思うよ。赤ちゃんポストも反対なんでしょ? 保護者も子育てが重荷でなければポストへなんていれないよ。人の肩に重荷をくくりつけて自分では指一本動かそうとしない人が権威として威張り散らしてるようじゃ子供も減るわ。

 

この人にずっと仕事があるのは、政治的に正しくないから誰も大きな声では言わない、でも大衆の中ではいまだくすぶっている凝り固まった偏見を、まっすぐ堂々と書いて見せるからだ。それで溜飲を下げる層が一定数いるんだろうな。

 

もう少し狡猾な人だったら「野田聖子議員も望んでこのようなお子さんをお持ちになったわけではないから責めるのは気の毒だ。すでに社会に対して申し訳なく思っておられるに違いないし、それを快く受け入れる社会に対して篤い感謝がつきないことだろう。就学前と聞くが、これからはお子さんにも国民が肩代わりした医療費の負担について言って聞かせるに違いない」と理解、同情を示す体で書いたんじゃないかな。残念だけど趣旨がトンデモでも雰囲気で乗せられちゃう人は少なくないし、思いやってる風の文章は主張を擁護する人たちにとっても都合がいい。でもこれは確信犯じゃないと書けないから、いつも本気な曽野綾子には無理だ。

 

過去の炎上案件である赤ちゃんポストもそうだし、米軍によるレイプ被害の件もそうだけど、この人はありあまるコネクションを活用して問題の当事者に直接会えばいいのにと思う。高額医療を受けている全国の保護者とそのお子さん方と、もっと個人的な接触をもったらどうかな、人の情と現実感覚を取り戻すために。小児科のある大学病院なんかに出かけてごらんよ。車椅子の中の小さな体や寝台で運ばれる乳児を目の前で見ると、さすがに滅多なことは言えなくなるよ。

 

 

 

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