自撮りとジムでピッと凛々しく

寡婦の不幸顔を払拭しようと先日買ったスマホには、自撮り用の優秀な補正フィルターがついている。

 

自撮りフィルターをかけると魔法のようにシミもシワもムラもくすみも飛ぶ。陶器のような美しい肌に唇と頬が薄っすら赤みがかって見える。同時に眉とまつ毛は薄れ、目鼻はかすむ。

 

わたしはこのフィルターによって化粧をするたびに悩み続けた長年の疑問、目指すべきゴールが見えた。

 

これは下書き、お手本、テンプレートだ。

 

これをベースにフィルターをかけても消えない程度に眉とまつ毛を書き込み、目鼻に陰影をつけ、フィルターが頬と唇だと認識した位置に赤みを加えればいいのだ。

 

化粧を終えたらインカメラでフィルターあり、なしを切り替えて顔を確認する。

 

シミしわくすみムラを消すことを目的に化粧をしてはいけない。フィルターをかけて美しく、なしでも不自然でないことを目標にする。

 

このメイク方法は想像以上に効果があった。わたしはこれまで化粧をして「きれいになった!」と思えたことがこれまでほとんどなかった。肌に色をのせて顔の印象がよくなるということをどうしても信じられず、上手くいったときと悲惨だったときのプロセスがどう違うのか理解できなかった。何度かプロの手を借りてみたが、「これはひどい」という結果になることは珍しくなかった。

 

効果が感じられないものにお金と時間を掛ける気にはなれない。社会的に求められる場では毎回手探りで一通りの化粧をしたが、やっと塗り上げた顔を夜にぜんぶ落とさないと眠ってはいけないというのが化粧すること以上に億劫だった。

 

もちおは化粧が上手くいけばそれなりに褒めてくれたけれど、化粧をしなくても四六時中愛しい妻を褒めそやしていたし、化粧に失敗すれば誰よりも痛烈な言葉でありのままの感想を述べた。

 

なのでこれまでわたしにとって化粧とは成功してえられる報酬が低いくせに当たる確率も低い高価なクジのようなものだった。しない方がマシだ。

 

しかし自撮り用フィルターによって報酬は飛躍的に上がり、外れる確率が一気に下がった。

 

肌だけではない。フィルタープロデュース画像では白髪が不自然に目立つこともわかった。ということで髪と環境と懐が傷まない線としてヘナ染めをはじめた。正直「これで染まってんの?」と首を傾げる程度の仕上がりだけれど、フィルター越しに見るとそのままのときよりきれいに見えるのでよしとする。

 

 

これらに加えて髪型を変えた。

 

もちおはなぜか髪型にはもの凄くうるさく、妻が気に入らない髪型にしてくるとその場で文句を言い始め、切り直すまで抗議を止めなかった。美容師には都度もちおの反応をフィードバックしていつも最大限もちおの好みを反映する髪型にしてきた。そうすることが楽しかったし、喜ぶもちおをみるのは至福のひとときだった。

 

しかし残念ながらもちお好みの髪型はもちおの愛とともに完成するスタイルで、わたしの悲劇的な寡婦ライフにはよるべのない哀れさを添えるばかりだった。

 

そこで「夫ウケを考えない髪型にしてみたい」と美容師に相談した。「男ウケを狙う方向で」とまでいった。外見だけでも華を盛って幸を偽装していく所存である。

 

さて、美容師という職業の人々、とくに女性の美容師は、油断するとなぜかわたしの頭を美少年風に刈りたがる。なぜだ。こっちは別にハンサムとか、マニッシュとか、そういうの求めてないんですよ。夫もそういうのは嫌がった。懇意にしている男性美容師もそういう髪型は避けてきてくれていた。しかしこの美容師は夫の庇護を離れたいまなら美容師の好きなアレでやっちゃっていいだろうと思ったようだった。

 

「女性らしい丸みのあるシルエットです」と渡された鏡の中にはいかにも美容師が好きそうな、後ろ姿だと性別がわからなくなるフォルムがあった。何もこんなに切らんでも。


しかしこの髪型は女子ウケがめちゃめちゃいい。切った瞬間から熱烈な反響があった。とくに年下の女子らがちやほやしてくれるので、とても気分がいい。

 

こんなに女子にキャーキャーいわれたのは生まれて初めてだ。うれしい。もちおに毎日褒められる日々が終わって沈んでいたけど、お嬢さま、お姉さま方に甘い褒め言葉をもらう日が来るとは華を盛った甲斐があった。

 

男性の反応は微妙。女子ウケするものは男ウケが悪いというが、こういうことかと思う。美容師はお客様であるところの女子にウケる髪型を提案するのかもしれない。

 

真っ向から髪型に言及される仲ではないので、何か奥歯にモノが挟まったような言い方をしてくる人、静かに距離を置いてくる人のほか、面識がないも同然の夫の知人から蔑みまじりにからかわれたりもした。

 

うれしくない。招かれざる客の癖に審査員気取りなおっさん多すぎ。夫がいるときはよその奥さんに意見することは流石に控えていたのかもしれないが、おっさんは赤の他人であってもおばはんが色気づくのが面白くない。そう、「色気づきやがって」ともいわれた!

 

一方で直接会ったことのない男性の中には褒め言葉と共に食事に誘ってくる人、性急に熱烈なプロポーズをしてくる人もいた。うれしい。彼らにはこのまま会わずにどこにもいないわたしを夢見ていてほしい。

 

 

いまでは毎日、基本的にどこに出掛けるにも化粧をする。そうすることが楽しいし、元気が出るからだ。肌の負担にならない化粧品をコスメキッチンで買ったので、化粧を落とさずに寝ても大丈夫。でもいまは化粧を落とすことも苦ではない。

 

もちおと生きる幸せで胸がいっぱいだったわたしの輝きは戻らないけど、スマホがいい塩梅に匙加減をしたわたしにはあらまほしき美しさがある。無加工のわたしにも不幸と哀れさを払拭する程度の輝きがある。少しずつ、いまのわたしが幾重にも重なった薄い皮の奥から生まれて来ている。


今日出先で親族が世話になっている古い知人に会った。挨拶したが、久しぶりに会うせいか、親族抜きで会うのが初めてだからか、随分よそよそしく他人行儀な態度だった。人伝にお悔やみの言葉をくれたと聞いていたので内心少なからず傷ついた。


お互いそのまましばらく他の人と話していたが、かなり経ってから知人はふいにお客様モードから昔ながらの調子で困惑しながら「化粧をしとったけん、わからんやった」といった。続けて寡婦ライフを気遣う思いやりのこもった言葉をくれた。

 

知人が最後にわたしをみたのは看病のあいまに病院を抜けだし、普段着のまま白髪混じりの髪をふりみだし、口紅すら塗らずに親族と気が沈むような暗い話をしていたときだ。


今日のわたしは仕事帰りに友人を連れて、友人とのお出かけに張りきっておめかししていた。


「これまで、化粧してなかったんですか?」と一緒にいた友人がわたしに尋ねた。
「化粧してなかったのよ」
「はてこさん、すごく変わりましたよね」
友人はいった。


「この前会ったときは人生のどん底だったからね」
「でもあれ、まだほんの数カ月前ですよね」
「そうだね。あのときはわたし、上から下までもちおの服着て暮らしたりしてたのよ。靴下からトランクスまで。懐かしいとかじゃなくて、洗濯して服を選ぶ気力と知能が働かなくて。でもあれからジムいって、パーソナルトレーニングはじめて、スマホ変えて化粧変えて服も髪型も変えたのよね」
「いいと思います。はてこさんには生きるチカラがある」

 

という感じで、いま自撮りとジムを励みに生きています。
いよいよ来週に迫ったはてなハイク滅亡にもきっと耐えていこうと思います。

 

 

もっと大変なこといっぱい待ち受けてる。
それはきっと華麗に羽ばたくチャンス。
だからピッと凛々しく。

花を盛って幸偽装

はあちゅうさんの旦那観察日記を毎日のように読んでいる。読むと「あるある、わかるわかる」とあたたかい気持ちになる。幸せな家庭はどれも似ていると言ったのはトルストイだったと思うが、よもやはあちゅうさんとしみけんさんが自分ともちおに似ていると思う日が来るとは思わなかった。

 

はあちゅうさんは結婚報告を境に目覚ましくきれいになった。剛力彩芽と並んでも引けを取らない.。好きな人と結ばれて生きる人の淡い光沢のような輝きがある。

 

歯科医院に勤めていた頃、いたって無口で平凡な顔立ちなのに来院されるたび診療室を花畑のような雰囲気に変える若い女性がいて、お会いするのが楽しみだった。

 

いつしかカルテの名前を見るとうきうきするくらいお会いするのを楽しみにするようになったのだけれど、ある日彼女の背後から花が消えた。服装も髪型も立ち居振る舞いもいつもと変わらないのに、なぜか今日は花びらが乱舞しない。なぜだ。

 

次に来られた時にその理由がわかった。彼女は同時期に通院していたある男性患者と待合室で一緒になる日に咲きこぼれる花を満開にしてあたりの空気を変えていたのだ。相手の男性は平凡なアラサーの巨漢だったが、彼もまた彼女がいる日はこれまた見違えるような冴えたハンサムになっていた。彼は待合室で彼女を前に話しているときだけキリっとしていたので気づかなかったが、彼女は彼がいる日は長く幸せの余韻をまとって診察室に入って帰っていっていたのだった。

 

笑顔は最高の化粧だという人がいる。

これはちょっと語弊があると思っている。最高の化粧は幸だ。

どんなにきれいに笑っていたってそこに幸がなければ鳴らない楽器も同然なのだ。

 

わたしはひとりになってから毎日食事の写真を撮っていた。何を食べて、どの程度自炊ができるようになったのかを記録しておこうと思ったのだ。撮り始めてしばらくしてからもうわたしを撮ってくれる人も、出かけた先で一緒に記念写真を撮る人も、どこにいったか見せる相手もいないことに気が付いた。

 

それではじめは食卓や席の周りを一緒に撮った。それから自分をそこにいれるようにした。そして自分の形相がかつて知っていたときとはすっかり変わっていることに気がついた。

 

自分では普通の顔で、どちらかといえば微笑んで写ったつもりでいるのに、写し出されたわたしは引きつった顔で、表情はいつも暗い。葬儀が終わって帰宅してから遺影の前で妹から撮ってもらった写真はとくに酷い。目元、口元は確かに笑っているのに表情が定まらず、年明けの写真から10歳ほど一気に老け込んだようにすら見える。

 

もちおと闘病に明け暮れた3年間、鏡に映った自分の顔が知らない人の顔のように思えることがよくあった。まじまじと顔を見て「わたし、前からこんな顔だったっけ?」ともちおに聞いたこともあった。本当にはじめて自分の目鼻の形に気づいた気がした。これが加齢というものか、と昔のアルバムを見ると顔立ちは若い頃から変わっていない。でも、こんな顔だっただろうか。

 

おかしい、おかしいと思って暮らしていたが、ときどき「そうそう、これがわたし」と思う顔になっていることもある。何が違うのだろう。精神的なストレス、それとも脳に障害があるのだろうか。

 

そしてひとり暮らし自撮り生活をはじめた頃は「見知らぬ他人のような顔ではあるが、この顔を受け入れるしかない」と思う始めていた。いずれにしても生きていたら人の顔が変わるのは当たり前だ。それにしてもひどい。南国セブの陽光に照らされても、底抜けに明るいフィリピン人と並んで笑っていても、そこに写るわたしは笑顔の形のなんともとりとめのない壊れそうな表情をしている。

 

印象のよしあしは仕事にも影響する。何より生気がなくやつれた不幸な寡婦を毎日鏡で見るのが嫌だ。なんとかもう少し見られるようにならないものか。

 

こうして真剣に自分の顔立ちと顔つきを考えるようになり、まもなく自分の顔が自分のものだと思えなくなった理由と、悲惨な顔になってしまった理由がわかった。わたしは長いあいだ花を咲かせているときの自分を自分だと思って生きていたのだ。

 

「かわいいなあ、かわいいなあ」「自慢のカミさん」「美しい妻がいて俺は誇らしい」「愛してるよ」「ずっと一緒におってな」と言われ続けて「よくそんなこといえるねえ、もちお、すごいね」「はてこも!」「だいすき!」と照れたり笑ったり呆れたり飛びついて抱きしめたりしていたときのわたし、その顔をわたしは長いこと鏡の中にみて、それを自分だと思っていたのだ。

 

もちおはわたしと出会ってからずっと日々愛を語ることで水を注ぎ、妻がけなされることがあれば倍返しで褒めちぎることで手入れをし、抱きしめてキスをして大切に追肥し続けていた。それをうれしいと思っているときのわたしは確かにかわいい姿で動画や写真に残っていた。結婚生活に不満をもってグズグズしていた頃の自分はずっと若い頃の写真でも花園の中にいる様子がない。

 

二人きりで仲良く笑いあっているときだけではない。

 

数年前、知人と仕事の打ち合わせをしているところにもちおが迎えに来たことがあった。知人は夫を迎えたわたしを見るなり突然「あら!あら!あらもう、やだー!はてこさんたらー!」と急にもじもじし始めた。そして「もう、知らなかったわ!はてこさん、急にかわいくなっちゃって。帰りますね!」といそいそ帰っていった。

 

夫とはじめて顔を合わせて挨拶ついでに夫婦仲をほめる体でオーバーに冷やかされたのだろうかと思ったが、後日SNSに「旦那さんといるときのはてこさんは別人のようにかわいくて驚きました」と書いていたのでさらに困惑した。このときもちおはすでに闘病中でわたしももちおもにこりともせず玄関先で用件を伝えただけだったからだ。

 

「ここしばらく顔が違うと思ったが、それはもちおに可愛がられなくなったからだとわかった。むかしの写真を見てももちおと二人でしゃべってるときの動画のわたしは見たことがないようなかわいい様子でしゃべってた。大発見だ」とつきあいの長い友人に話したところ、「はじめて会ったとき、緊張していたのか何かすごい勢いであれこれ話していたので驚いた。でもあとからもちおさん来たらぱっと安心した顔になって『なんだよ、旦那にはやっぱかわいい顔するんだな』って思ったよ」といわれた。

 

 

去年の春から痛みがひどくなり、痛み止めを出してもらえなかったあいだ、そして痛み止めが飲み込めなくなってから、もちおの表情は日に日に険しくなり、水を注いでもらうことが減った。花園は静かに荒れていき、鏡の中には見覚えのない人が映るようになった。そして最期の10日間、もちおは文字通り命がつきるまで全力で愛していると伝え続けてくれた。だから最期に撮った動画のもちおは骨と皮ばかりなのに凛々しいし、涙目で微笑んでいるわたしは咲き誇る花の中にいる。

 

 

きれい、かわいいの正体と花の正体が愛されていること、愛していることだとするならば、いまのわたしは花のない花瓶のようなものだ。しかも欠けてヒビが入っているのだ。それは見る影もなくて当然だ。いまはあちゅうさんのまわりに咲き誇っている花、歯科医院に通っていた女性が漂わせていたあの花は、わたしの容姿や気質とセットではなかった。

 

というわけで、わたしは化粧品を買い、服を買い、はあちゅうさんおすすめのスマートフォンを買い、髪を切り、喉を鍛えて幸を偽装することにした。そしてここしばらくずっといまのわたしの顔で可能な範囲のしあわせそうな雰囲気づくりに励んでいる。「大好き、愛してる」は買えないけれど、親切な友人知人、そして食育に励む母の好意を注意して拾い集め、大切に受け止めて自分に水を注いでいる。自分の中に「大好き、愛してる」を膨らませることはできるしね。

 

スマートフォン越しのわたしは最新技術で盛りにもった透明感のある肌と勝手にいい塩梅に調整された瞳と唇でいい感じで、少なくとも年相応にそこそこしあわせそうに見える。これなら客商売にも差し障りがない。

 

でもGoogle photoが一年前の今日のところに最安値のスマホで撮った口紅さえ塗っていないもちおの横にいるわたしを出してきたりすると、本物のしあわせの威力に打ちのめされる。でも一生に一度でもそういう日々があったことだけでも相当な幸運なんだから、それが一生続かなかったと文句言うのも贅沢な話なのかもしれない。

 

とはいえそれがどれだけ贅沢な話であろうとも、もちおがいってしまうのが早すぎるよと一生文句は言い続けていきたいとも思う。これでよかったとはいわないからな。

取り戻すとき

受け止めきれないことを忘れたひとが、あとで記憶を取り戻す話をむかしたくさん読んだ。


体調を崩して病院へ行ったり、ガンに関するドラマを偶然耳にしたりしたせいか、もちおが最後に自宅で過ごした半月と、ホスピスに入って息を引き取るまでの10日間、荼毘に付されるまでの3日間の細々とした鮮明な記憶がここ数日細切れに蘇ってくる。


蘇るならもちおが蘇ればいいのにな。


何もかも忘れずに覚えていたいけど、深夜もだえ苦しむもちおの腹水を抜いてくれと医師に食い下がったこと、無断で薬を増やされ、あるいは控えられ取り返しのつかない事態に投げ込まれたこと、痛みと恐怖に脅えるもちおの真っ黒な目、土壇場のさなかにかすれ声と瞬きでもちおが伝えたおどけた話、どんなホラー映画よりも恐ろしい形相で痩せこけたもちおが目の前のわたしを他人を見るように凝視したこと、微かな顎の動きで伝えた愛の言葉が、なんども繰り返した「愛してる」「ここにおって」が、胸の張り裂けるような悲しみと腸が煮えくり返るような怒りと、恐怖と憎悪と無力感と絶望が、夢のような幸せとこれ以上ないような愛情とまぜこぜになってばらばらに思い出される。


そらキツいよな。眠れないのも無理はない。


まるで静かにコトコトいっていると思っていた鍋の圧力弁が激しく震えだしたみたいだ。


こうした気持ちをふたたび感じられるくらいの余裕が出来たと自然はわたしを見ているのだろうか。


それならどうか細部まで、書き起こせるくらいまで思い出させてほしいよ。
いまでは空き家のようなこの家に、確かにもちおと二人で生きていたと思い出せるくらいまで。
思い出して苦しむだけの甲斐はあると思えるところまで。


あの日々を昨日のことのように思い出すと「あのときもちおと一緒に息を引き取れたらよかった、そうすればよかった」と考えずにはいられない。でもいまさら死ぬのは意味がない。それはただの孤独死だ。わたしがしたかったのは心中で、あと追いじゃだめなのだ。


だから次に機会があるまで生きよう。寝込み始めて運動が足らないから頭が暴走しちゃうのだろう。次にわーってなったらジムいくわ。深夜でも。瞑想もするわ。野菜食べて、眠れるまで泣くわ。

発熱日記

いま熱を出して朦朧としている。これはベッドで寝ながらスマホで書いている。
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鼻うがいをはじめて5ヶ月目になる。


おかしな話だけれど、もちおを亡くしてからの日々で最初に心から「生きてるの楽しい!」と思ったのは鼻うがいをしたときだった。長年鼻が悪く、物心ついたときから終始モヤモヤしていた鼻の中をダイレクトに洗うのは楽しかった。こんなにすっきりするとは!



「鼻うがい最高。河豚刺身くらいいい。河豚刺身、カシミア*1、鼻うがいだ」と友人に話して笑われた。



わたしは虎河豚の刺身が大好きなんだけれど、河豚はもっぱら実家の寄り合いに呼ばれて食べるものなので実家と疎遠になってからは食べていない。ノドグロの握り、岐阜の「栗きんとん」も食べると恍惚とするものだけれど、こちらもこの辺で簡単には手に入らない。



その点鼻うがいはいい。手軽で毎日楽しめる。セブにも鼻うがいセットを持っていった。あれで喉をやられなかったんだと思う。



ところが、先週遠出した先で一度、帰宅してから鼻に出来た腫れ物が痛くて二度、鼻うがいを休んだら、てきめん風邪を引いた。



もともと腎臓病に鼻うがいが効くというのではじめたのだけれど、予想外に風邪を引かない記録を更新し続けられたことがうれしかったので残念だ。



昨日は朝から風邪のだるさがあったが、この日は一カ月ほど前から予約した健康診断の日だった。日を改めて待つのが億劫で、一昨々日、耳鼻科でもらった抗生物質を飲みながら行ってきた。



わたしは注射針が大嫌い。見るからに嫌そうな顔をしているのか「これまで倒れたり気を失ったりしたことはありませんか」と訪ねる看護士さんの声がいつも心配そう。細い針にしてもらう。10ccくらいの血液を細い針で採ることがいやでいやでたまらない。「献血では400ccほどを太い針で勢いよく採る」と聞いて献血する人を見る目が変わった。



しかしそれ以外の検査は割合どれも物見遊山で受けている。胃カメラもアトラクション感覚だ。これまで血圧が低く心拍数が高かったのに、血圧はいい感じで心拍数はゆっくりになっていて小躍りしたい気分だった。運動、いいな!他もよくなってるといいな!



枕を替えたせいか去年身長が1.5cm伸びていた。今年は体重を伸ばしたい。まず5kg増を目標に47kgあたりから。



パーソナルトレーナーが顔を見る度「食べてますか」と聞いてくるので意識が高まる。先日はたと「定食を食べるときご飯を大盛にして、トーストを食べるなら二枚にすればいいのだ」と気がついた。正確にはそう考えたときに「でも糖質はがんの餌になるから控えないといけない」という呪縛がこれまでより軽くなっていたので食べることを選べた。



実は健康診断を申し込んだのは医療保険と生命保険を整理するためだった。ひとりになって少し手堅い医療保険個人年金がん保険に入った。失業手当ても退職金も出ない身なのだからこういうところはしっかりせんといけん。



同時にこれまで入っていた掛け捨ての県民共済とクレカ経由で入ったがん保険を止めることにした。しかしもちおの経緯を省みるに、かれこれ6年人間ドックも健康診断も受けていないわたしがいまがんに罹患していない保証はどこにもない。どうせなら検査を受けて、罹患していたらもらえるものは全部もらおうと思う。



いま少し生きていることが面白くなり始めたところだから、せっかくなら健康だったらいいなと思う。ご飯を食べて、筋肉と脂肪を増やして、仕事をもっとちゃんとやる。海外へも出る。好きな人にも会う。



もちおだってそうしたかった。でも出来なかった。願うよりずっと早く人生が終わった人たちが大勢いる。わたしがその一人にならない保証はどこにもない。一日、一日が奇跡だ。



その貴重な一日をどうすることも出来ず痛みと苦しみに喘いで過ごす人生だってある。今日は朝から高熱が出て、布団の中で身体を丸めて冷え切った手足をさすりながらガタガタ震えていた。身体が痛くて痛くて身の置き所がない。



痛い痛い、寒い寒いと七転八倒しながらもちおが最期の日々に高熱を出しながら布団をかけておくことも出来ないほど弱り、痛みに喘いでいたことを思い出した。それから一昨年の一月にわたしが泊まりで出掛けているあいだにインフルエンザに罹って高熱を出して一人で寝ていたことも。



なんであんないい人があそこまで苦しみ抜いて命を終えなければならなかったのだろう。最期の瞬間に向けて容赦なく冷たくなる手足をさすりながら「もうがんばらんでいいっていってやって」と姑がいった。「はてこさんのために生きようとがんばっとるんと思うんよ」



わたしはこんなときに手垢にまみれた常套句を言わせる気かと怒りに燃えたが、もちおが息を引き取ってから弟が誰にいうともなく似たようなことをいった。普通はここまでガリガリに痩せてボロボロになるまで生きてない。もちおさんは最後の最後まで使い切って、戦い抜いていったんやね。



戦うなら仮装通貨なんかで遊んでないで温泉いったり、日を浴びたり、運動したりする方向で戦ってくれたらよかったよ!とも思う。それでももちおが最期の十日間なんども「まだこんなに動けることが信じられない」と医師らを驚嘆させるところまで全身を蝕まれてなお生きていたのは確かだ。



あの頃のことは少しずつ忘れていくような気もするし、思い出すことに耐えられるようになってから少しずつ思い出していけるような気もする。



いつかわたしが人生を終えるとき、わたしを看取るもちおはいない。迎えに来てくれるのだったらいいなと思う。「はてこがかわいいばあちゃんになるのを見たい」と泣いていた去年の五月のもちお。



あなたのかわいいカミさんはわたしが思っていたよりずっとたくましくて、時々ついていけない気持ちになるけど、もちおはきっとそれでもずっと奥さんが好きよね。



もちおがいなくなって、わたしは自分のことを遺品みたいに感じることがある。もちおにとっては掛け替えのない宝物だったけれど、わたしの世間的な価値は100円のワゴンに並べてもらうことすら出来ない古本みたいなものなんじゃないかと。



でも別の時はぜんぜん違って、これはお宝ですよ、と思う。だってもちおが長いこと手塩にかけて可愛がってだいじに磨き続けて来たんだからね。



わたしはもちおに出会って無条件に愛されることと、愛される自分を愛すること、愛し合う人生の楽しみを覚えた。



人を大好きだと思うとき、楽しくて何かに夢中になっているとき、悲しみに胸が張り裂けそうなときよりも強くあざやかにもちおが近くにいる気がする。わたしはひとりになったけど、もちおと出会う前の愛を知らなかった頃に戻ったわけじゃないんだなと感じる。



生き返らないなら覚えていたい。わたしはもちおのいない世界に日々なじんでいくけれど、ここにくる前にいた世界のことを覚えていたい。そこでもらったものでいま生きている。

*1:上質のカシミアセーターに頬ずりするときも生きててよかったと思う。

ステーションワゴンに乗って

仕事帰りにジョリーパスタスマホから更新している。

わたしは仕事でいくら稼げているのか把握していない。把握しないといけないと思いながら日々目の前の仕事と持ち越した仕事に追われている。

「生活の為に働く」というが、いまのわたしにとって仕事は食い扶持を稼ぐ手段であると同時に人間らしく社会参画する手段である。

つまり寝て、起きて、着替えて外へいく動機づけになるもの、食べて生きる理由づけになるのが仕事なのである。寝ていても口座にお金が湯水のように振り込まれる暮らしだったら、弱って死んでしまうんじゃなかろうか。

もちおがいたときは家で仕事をすることにいささか支障があったので仕事部屋を借りて、そこへいくために車を使った。

費用の面で言えば仕事部屋も車も処分した方が生活費はかからない。すぐにでも処分するべきなのではと寡婦歴2ヶ月目くらいまで悩んだ。

寡婦歴3ヶ月目でセブ島留学が決まっていたので、「この間どちらも使わないのだからこれを機に」とも思った。

しかし思い掛けない偶然が重なって、わたしは車の車庫証明をとり、名義変更を自力ですませた。図らずも登録日は16回目の結婚記念日だった。

うまくまとめる自信がなくて書かないできたけれど、うちの読者のみなさんは長文をものともしない方々である。書かないで後悔したことが増えていくので、書けるうちに書き残しておく。



夫の愛車は父の会社のものだった。


葬儀を終えて一週間も経たないある日のこと、父から突然車の名義変更の用紙を渡された。


一般的に親から車を譲り受けるとは恵まれたことだと思うのだけれど、このときわたしの胸中はどちらかといえば父から遠まわしの見限り宣言を受けた気分だった。


もちおがいたあいだは通院、療養に車があって本当に助かった。「でも普段の生活なら公共交通で何とかなる。自力で維持するのは難しいから車はいらない」と父に何度か話していた。車を維持するだけの稼ぎをどこから捻出すればいいのか。確か秋には車検もある。


以前書いたが、父はわたしに「生前贈与として不動産を譲る」と東京から呼び寄せた。そしてすっかり引っ越しが済んでから「あれは会社の持ち物だから銀行でローンを組んで買え」と手のひらを返した。


わたしたちは譲り受けるはずだった住まいに寮として住み、もちおは身を粉にして父に奉公し、病をえて遂に亡くなった。


父はもちおが亡くなる数ヶ月前から「万が一のことが起きたときは退職金として住まいの名義をお前に替える」と再び言ってきた。


そして葬儀を終えて10日ほど経った頃、またしても「あれは会社の持ち物だから渡せない」「俺が金を払ってきたものをお前が好きにするのは正直気分が悪い」「はっきりさせておくが、そもそもお前たちがこちらに住みたいが仕事も住まいもないというから提供してやったんだっただろう」と強烈な手のひら返しをしてきた。


このとき「おまえが乗る車の維持費を会社が払うのか」とも言われ、やはりあれは縁切りだったのかとも思った。父がこれまでどれほど無茶な名目で経費を落とし、親族を保険に入れているかを思えばこれはあまりな仕打ちだった。父が葬儀の会場でわたしにいった最初の言葉は「保険証を返せ」だった。


9月にはこういうことをひとくさりの文章としてまとめて書くことが出来なかった。もちおは死ぬ、もちおの病を忌み嫌ってきた父と父を支持する姉妹らとは縁が切れる。幸い「寮」からは追い出されなかったが、援助は一切ない。手元には各種請求書と寡婦スタンプラリーのための手続きが山積みで、体重は過去最低最悪である。


しかしわたしは本当に土壇場に強い女なのである。窮鼠猫を噛むというが、わたしは追い詰められたら壁抜けをする鼠だ。かくして「ご飯食べられないから入院したいので留学する」という計画が実行に移された。


11月に留学を控えた10月のある日のこと。「セブ島へいくまえに車なんとかしなくちゃな…父に返すか…近々車検だった気がするし…」と重い気持ちで仕事部屋へ向かった。


「いつだっけ…セブ島いってるあいだ預かってくれるかな…」この頃は日付どころか曜日も時間もわからず暮らしていたので、いつか確かめなければと思いながら車検の日を確かめていなかった。


「よし、ちゃんとするぞ」と信号待ちでフロントガラスをふと見ると、車検の日付は一昨日だった。
血の気が引く思いがした。


信号が変わって最初に目についたガソリンスタンドに「車検」と書かれた旗があった。これだ。何でもいいから代車を出してもらおう。心臓をばくばくさせながらスタンドに飛び込んだ。



「すみません、車検をお願いしたいんですけど!」「はい、お日にちは」
「もう、過ぎているんです」
「はい?」



結果からいうとわたしが車検の日だと思ったのは定期点検の日で、車検は来年だった。わたしは胸をなで下ろし、これも何かの縁とそのスタンドで名義変更をする決心をした。そしたら名義変更だけで3まんえんもするじゃないですか。


えー。3まんえん稼ぐのにどんだけ掛かるよ。
「自分で出来なくはないですが、結構大変ですよ」
へー。どのくらい大変か試してみようじゃないか。


「ガソリンとオイルと保険と税金と駐車場で年間…それだけ稼ぐのにかかる時間は…」と何週間も悩み続けていたのに、この瞬間からわたしの思いは「3万円かかる手続きを自力でやれるか試してみたい」に変わった。


よくしたもので、ネットを使えば車庫証明の取り方も名義変更の手続きもすべて公開されている。問題は受付時間にそれらを管轄の窓口で済ませられるかということだけれど、わたしは勤め人ではないのでこれも何とかなる。


わたしは仕事の合間を縫ってこつこつ用紙を埋め、セブ島へいく直前、出張の合間を縫って二週間ほどかけて名義変更の手続きを済ませた。


そして「今日出せなかったら名義変更はできない」という日に書類が揃った。わたしは綱渡りの予定を何とか繋ぎきり、陸運局で書き損じないようにと緊張しながら必要事項を記入していた。


その時ふと頭の中で長いこと聞いていない古い歌が流れていることに気がついた。



ヒーターを切って
コートにうずくまる
つぎの街でカセットを買おう
おしゃべりにも疲れたから



鈴木祥子だ。アルバムの歌だったな。
わたしは静かに歌いながら書類を記入し続けた。



2人の荷物をひとつにして
紙コップのコーヒーわけあえば
自由なんて 簡単に 手に入るものね

ステーションワゴンに乗って
大きな月を追いかけよう
ステーションワゴンを買って
あなたのために何でもやる

私をかわいそうと
思わないでね




次の瞬間、わたしは車検証の車種の欄をみて目を疑った。これまでずっと大型のセダンだと思っていたこの車の車種の欄には「ステーションワゴン」と書いてあった。もちおが知らない歌だったけれど、もちおが歌でわたしに語り掛けている。


留学前は出張と仕事の予定でスケジュールはびっしり埋まっており、唯一空いていた届けを出した日は16回目の結婚記念日だった。車のナンバーには結婚記念日を選んだ。もちおが好きな車だったから残しておきたかった。せめて神無月に出雲へいくという約束を果たすまで手元にあってほしかった。


車を維持する合理的な理由は見つからない。でもいまこの車を維持することはもちおの願いなのだろう。何故かはわからないけど。



ステーションワゴンに乗って
大きな月を追いかけよう
ステーションワゴンを買って
あなたのために何でもやる







私をかわいそうと
思わないでね





あっちこっちと半日がかりで走り回って、最後に陸運局のだだっ広い駐車場でナンバープレートのビスを外して、新しいプレートを取り付けた。


前と後ろ2枚のナンバープレートに8本のビスがいる。ところが、どうしても最後の一本のビスが回らない。どうやらねじ穴が馬鹿になっているらしい。


プレートチェックの係員はプレートのナンバーだけをチラと見ると「あっちでつけてください」とだけいって知らん顔だ。ナンバープレートなしでは公道を走れないが、取付てくれる人はどこにもいない。


「もっちゃん、ビスつかない。手伝って」返事はないけどいってみる。するとビスがするすると…と言うことはなかったが、わたしはくじけなかった。最愛の人を亡くして頼る身内もいない哀れな未亡人に冷たい不親切な係員の前で、惨めな敗北を喫してたまるもんか。


わたしは魔女のようにやせ細った手をバンパーの隙間に突っ込むと、あの手この手で何とかねじ穴を固定し、遂にナンバープレートを自力で嵌めた。


16回目の結婚記念日をたったひとり秋の夕暮れの駐車場で迎えた。これからわたしのステーションワゴンに乗る。維持費も稼ぐ。自分で運転してどこでもいく。あなたのために何でもやる。


こうしてわたしはいまもステーションワゴンに乗っている。いま振り返ってみると車なしには食事や買い物に出る体力はなかった。


仕事部屋もそのままだ。仕事をすべて自宅で完結させることはできる。でもセブ島留学でわかったけれど、いまのわたしには外へ出て人に会う理由が必要だ。生きるために。生きるために仕事と車が必要だから維持するために稼ぐし、生きるために仕事が役に立つから働く。


親族とは9月以来音信不通になった。でもいいの。これは人生の伏線なの。こういう展開と演出が好きなのよ、うちの人生の脚本家は。ぎりぎりのところで盛り返して、ぐいぐい生きていくヒロインが好きなんだと思う。