サウナ通いと水風呂でクーラーをつけずに若返って夏をこえた話

一人暮らしになって文句なしによかったことがひとつだけある。クーラーをつけなくていいということだ。

 

表面積が大きく血肉の乏しい身体にとってクーラーの冷気は天敵である。ぬるま湯から徐々に茹でられた蛙は熱さに鈍く煮えるまで鍋から飛び出さないというが、クーラーで徐々に冷やされた身体もまた致命的な寒さにおちいるまで危機を感じないのか、気がついたときには凍えきっている。

 

わたしはクーラーで凍えるくらいなら暑さにやられて伸びている方が楽だが、もちおは汗かきの暑がりだったので夏場はいつも揉めた。別々の部屋で過ごせばいいのだけれど、妻と別々の部屋で眠ることはもちおにとって暑さ同様我慢できないことだった。

 

そのようなわけで毎年夏になるとクーラーの扱いが悩みの種だった。しかし今年は誰にはばかることなく自分の裁量でクーラーを自由にできる。そしてわたしはこの夏サウナデビューを果たしたのだった。

 

仕事を根詰めて7月に一度倒れて気弱になっていたところにサウナ狂いの友人の熱心な布教にほだされ、藁にもすがる思いで応じたのがきっかけ。以来一日置きにサウナへ通っている。

 

タナカカツキの「サ道」はもちろん、現在はまんきつとペンネームを改めたまんしゅうきつこの「遊湯ワンダーランド」も全巻読んだ。車にはサウナセット、スマホケースには回数券、webではサウナコミュニティにも入り、出張では周辺のサウナ施設を調べて宿を取る。

 

わたしはサウナが大嫌いだった。入浴施設のサウナは横目で見るのみで入りたいと思ったことがない。サウナは熱くて不愉快、水風呂は冷たいから不愉快である。露天風呂の横に置かれた寝椅子に横たわる人を見ると「よく寒くないな」とおもった。表面積が大きく血肉は不足した身体にとって熱が奪われる行為はすべて敵である。


サウナに先立つこと3年前、わたしはもちおの闘病生活に伴走して温泉通いをはじめたときから温冷浴を実行していた。これはもちおに対する義理でわたしにとって温冷浴は楽しいものではなかった。血肉の不足した冷えやすい身体をせっかく温まったところで強制的に冷やすなんて不愉快極まりない。これは苦行である。苦行と願掛けは相性がいいが、もちお亡き後ただでさえ辛い日々にどうしていまさら苦行に励まなければまならないのか。

 

そのようなわけでかれこれ半年サウナ狂いの友人から「サウナ最高」「サウナのあとの水風呂は至高」「サウナ、水風呂のあとに外気浴をすると大麻をキメたときのような快感がある」と毎週のように聞かされてもわたしの心は動かなかった。

 

この友人は元々サウナ好きで休みになるとスーパー銭湯へいって半日過ごすのが趣味だった。だが今年に入ってタナカカツキの「サ道」でサウナの入り方を学び、名店と呼ばれるサウナで俗に言う「整った」状態を経験してから熱の入り様が凄まじくなった。サウナに溺れ、依存し、サウナへの渇望はもはや中毒症状を呈しており、仕事でもプライベートでも事あるごとに会う人、会う人「サウナへ行け」「『サ道』を読め」と布教活動を行っていた。

 

わたしはその都度「おまえは元々サウナ好きだから楽しいだろうけど、こちとら身が薄くて熱さ寒さは堪えるんだよ、読ませたいなら本を送れよ」と受け流してきたが友人は改宗の希望を捨てない。しつこい。何を言っても二言目には「サウナへいけ」とくる。やだね。


しかし7月のある日、わたしは寝不足で根詰めて仕事をしてひどい目眩に襲われ、あまりの気分の悪さに「ここで一人で死ぬのかな」と思いながら夜を過ごした。一晩で2キロ痩せたことに愕然とした朝、原始キリスト教さながらここぞとばかりにサウナをすすめてくる友人の言葉にわたしははじめて心を動かされた。駄目元で試してみよう。もう二度とあんな怖い目にあいたくない。

 

結論からいうと二度目で水風呂の辛さは和らぎ、三度目でハマって足が遠のいていたジムを退会した。サウナには虚弱な寡婦ライフに寄与するメリットがいくつもあった。


サウナの辛さは我慢ではなく入り方で解消された。タナカカツキがサ道で解説しているようにサウナ→水風呂→外気浴の順番を押さえて無理せずまわれば苦しくない。頭が熱くなると苦しいのでサウナでは頭をタオルや手拭いで覆う。それ専用のサウナハットというフェルト帽子もある。

 

上段は熱いので苦しければ下段に座る。慣れるまで水風呂は一瞬でいい。外気浴で休んでくつろぎながらまわる。ちなみに外気浴中は「整った」状態が訪れやすい。

 

さて、わたしは昨年末に深夜の寂しさに耐えかねて24時間営業のジムに入った。真夜中一人きりの家がつらくて人のいるところへいきたかった。顔見知りが出来ればなお嬉しい。

 

しかしジムに来るのは基本的に寡黙でいかついおっさんばかりで22時をまわるとスタッフもいない。緊急事態に備えてセキュリティブザーを下げて利用するよう提案されているが、深夜ひとりでトレーニングをするのは緊張感がある。更衣室やシャワー室の作りも防犯上やや問題があった。

 

一方サウナは深夜営業しているスーパー銭湯の中にあり、営業時間中は必ずスタッフがいて館内を巡回している。利用者は老若男女、家族連れ、友達同士、カップルと多種多様で女一人で出入りしても目立たない。もちろん女湯には全裸丸腰の女性しかいない。深夜のジムとは安心感が違う。

 

またジムではパーソナルトレーナーから有酸素運動を控えるように言われていた。軽い運動や有酸素運動は減量のもとなので、増量と体力向上を目指すわたしは負荷の高い筋トレを中心にメニューを組まれていた。

 

ところがサウナはじっとしているだけで心肺機能が強まり、有酸素運動と同様の効果があるのに痩せない。筋肉痛にもならないのであとで悪夢を見たり気が滅入ったりもしない。もちろんじっとしているだけでは筋トレにもならないが、サウナが空いているときはホットヨガのようにサウナの中でスクワットなど負荷の高いトレーニングを試すこともできる。これは温泉の湯船にはないメリットだ。

 

予想外だったのは十年来のシミが一ヶ月で目に見えて薄くなったことだ。調べてみるとサウナは代謝を上げ、メラニンの排出を促すとあるが真皮に沈着したシミは消えないと聞く。しかしかれこれ十年以上目鼻とともに顔の定位置を陣取っていた5ミリほどのシミが目を疑うレベルでどんどん薄くなっていく。

 

またサウナ上がりの顔は頬も口元もキュッと上がって顔全体が引き締まる。わたしは昔からまぶたが重く、いずれ祖父のように眼瞼下垂手術を受けなければならないかもしれないと考えてきたが、サウナ上がりはお目々ぱっちり、まぶたを開けても額に皺が寄らない。

 

とくに極冷浴と呼ばれる10度以下の水風呂があるサウナではアンチエイジング効果が目覚ましい。毛穴は消えてなくなり、頭皮の引き締め効果か輪郭も違う。

 

そしてもちろん熱さ&暑さ、寒さ&冷たさに対する受容力がめざましく向上する。「サウナは熱いから嫌い、水風呂は冷たいから嫌い、外気浴は寒いから嫌い」だったのに、サウナに順応してくると「サウナは暖かくて気持ちいい、水風呂は冷たくて気持ちいい、外気浴は涼しくて最高」になる。

 

これが高じて自宅でも「夏は暑い→水風呂が気持ちよくてうれしい」「水風呂冷たい→風呂上がりの脱力感が楽しみ」となり、汗をかいては一日に何度も水風呂に入り、上から下まで着替えてさっぱりするという暮らしになった。脱いだ衣類は外気浴がてら残り湯(水)で手洗いする。夏の薄物はすぐに乾く。電気代はもちろん洗剤も水も節約できてエコである。そしてついに一度もクーラーをつけずに夏が終わった。

 

クーラーなし生活を送っていると話すと当然ながら熱中症を心配された。拘束時間の長い都心部での外仕事では自殺行為だが、緑を渡る風が吹く地方の自宅仕事で好きなときに水風呂に入れるなら話は別である。盛夏の熱帯夜はややキツかったが捨て時を逃した保冷剤の山をふんだんに活用してまずまず快適に過ごした。

 

近所のスパ銭はサウナ込みの入湯料が回数券利用で一回500円。一日置きに通って一月7000円。ちょうどジムの月会費と同じくらいだ。またクーラーのための電気代と自宅の風呂を沸かすガス代のための光熱費とトントンくらいではないかと思う。

 

ジムにはないサウナのいいところは泣いていても注目されないということだ。

わたしは露天風呂脇の寝椅子で休むときによく泣いている。

夜の露天風呂はいい感じに暗いし、化粧は落としてあるし、汗だろうが涙だろうが顔が濡れている人に誰も注目しない。

整い気味で心が和らぐといろいろな思いが胸に去来して泣いてしまう。

戸を閉じて隣家に気を使いながら自宅で声を殺してひとりきりで泣くより、裸の女性たちが無防備にくつろぐなか星を見上げて裸で泣く方が悲壮感が薄く、日常感があっていい。

 

ひとしきり泣いたらバシャバシャ顔を洗って手ぬぐいで拭いてまたサウナに入って暖まる。ギリギリまで熱くなったら水浴びをして水風呂に入る。終わりのない脳内会議のやかましさが止み「熱い」「冷たい」「気持ちいい」で収束する。

 

心と体にサウナはいい。超おすすめ。

 

寡婦2年生

去年の今日はお通夜で明日は葬儀だった。

深夜を回って間もなくもちおは息を引き取り、そこから葬儀に向けて親族間で揉め事が勃発、5分も経たずに四面楚歌となり深夜にホスピスの廊下で葬儀社に電話をかけまくった。前が見えなくなるくらい大泣きしながら諸手続きと家事を済ませる強烈な一日だった。あの日のことをどこかに書こうと思いながら手を付けられずにいる。

 

葬儀をきっかけに親族との意見の食い違いは時を追うごとに露わになった。あるいはもちおが結んでくれていたすでに脆く千切れかけていた絆が切れたのかもしれない。一月もしないうちに親類縁者との溝は深まり色々あって母ともいまは疎遠にしている。

 

昨夜もちおと近い時期にお身内をなくしたブログ読者の方からお悔やみのメッセージが届いた。今日一日を振り返るともちおの命日に触れてくれのはもちおと一度も会ったことのないそのブログ読者の方だけだった。

 

義実家はわたし以上に宗教行事に無頓着で法事法要の予定どころか遺骨の行処についてもノーアイデアすきにして頂戴という状態である。遺骨との付き合い方をこの一年随分考えた。そしてわたしが骨になるまで然るべき場所に保管しておいて頃合いを見て同じところに埋葬してもらう、というところまで心が決まった。

 

しかしわたしに連絡して合う予定を立てて訪問するのは気が引けるけれど、何らかの形でもちおの墓に手を合わせたい人にとってこういう形は不親切だとあるとき気づいた。とくにもちおの親兄弟、甥姪たちにとってはこういう形は不便なのではないかと思う。いつか甥姪たちがもちおのことを思い出したとき、知ったとき、会いに行ける場所があった方がいいと思う。

 

この話は機会があったらまた別のときにする。

 

とにかく今日わたしには宗教行事に携わる予定はなかった。どう過ごせばいいのかわからず、それでなんとなくいつものように仕事を入れてしまった。

 

仕事を終えたあと久しぶりに髪を切って豪華な寿司を食べに行った。

一人暮らし一年達成おめでとう。後追いしないで偉かった。グレート。I'm proud of me ! ヒューヒュー!という静かなお祝いをやった。

 

来年のいま頃は何をしているのだろう。想像もつかない。世界中のどこにも逃げ場がなくなって気が狂いそうだったあの日も一年後の自分を想像することは出来なかった。

 

寿司は美味かった。ひとりで涙ぐんで食べていても寿司が美味いと思うくらいわたしは元気になった。去年の今日、怒涛の一日のあれこれを強烈な色彩で思い出すのに何を食べたのか覚えていない。何を口にしても胃酸が上がってきて口の中が酸っぱかったことは覚えている。

 

一人暮らし一年おめでとう。支えてくださったみなさん、ありがとう。

もちおとハイクなしの日々をサバイブしてはてこは偉かった。

寿命がつきるまでまた生きていこうと思う。

最期の10日間

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2018年8月20日にもちおはすべての治療を打ち切られ、ホスピスへ移ることになった。

息を引き取るまでの10日間の苦しみは筆舌に尽くし難いものだった。

近々死ぬと思われている責任能力のない患者に医療機関が何をするかを2つのホスピスを経て最悪の形で、また非力な人間の力が及ぶ限りで最善の形で知ることになった。

前者の医療関係者をわたしは生涯ゆるさないし、後者の医療機関にも未だ足を運ぶ気にはなれない。

助けられなかった。

 

助けられなかった。

増量10ヶ月

BMIが15.15になった。

昨年9月の13.71から10ヶ月かけて4kg増やした。

金に物を言わせて外食とジムとパーソナルトレーニングを活用した。

短い間だったけど、人を頼んで寝た時間と食べた物を記録してもらったりもした。

思っていた以上に眠っておらず、食べていなかったことがよくわかった。

仕事を減らして食事の時間と寝る時間を増やした。

振り返ってみると、この現状の見える化が一番効果があったように思う。

食事を抜かない、栄養価より食事の頻度とカロリーを優先した。

iharbでプロテインバーとココナッツオイルをまとめ買いして、食事にかける時間がないとき、気力がないときもココナッツオイルコーヒーとプロテインバーで軽食をとるようにした。

プロテインバーは仕事中や移動中に手を汚さず食べられて便利。

すくすくと美尻が育った。

もちおに見せたい。

わたしの尻のビフォーアフターに気づけるただ一人の人が、いまこの世にいないことがとてもつらい。

次は胸筋を鍛えてデコルテの肋を埋めたい。

もちおがいたらいいのに。

7月になってしまって、あと2ヶ月も経たずにもちおが死んだ日が来てしまう。

去年の今日何をしていたか折に触れて考える。

断片的にしか思い出せない。

もちおにはブログはもちろん、わたしのメールアカウントも伝えていたから、悩み苦しむ本音を書いたら病状を悪化させるのではと思いはじめてから率直なことが書けなくなった。

もちおはわたしの一番のファンで、増田も含めてわたしが書くあらゆるものの読者だったから、書いたものを見せられなくなったいまは、ものを書くことがとても難しくなった。

看病で忙殺されていたときは仕事は息抜きだったけど、いま仕事以外にやることは何もない。

深夜寝床で目をつぶると前後の脈絡なしに迫りくる死の影に怯えていた日の細々とした場面が突然蘇る。

それなのに、あんなに長く暮らしたもちおの姿形や声は愕然とするほど思い出せない。

いまですらこんなにおぼろげになった記憶がこれからどれほど薄れていくのか考えるとやり切れない。

身を切る思いでもちおを思い出すとき、渇望するほど思い出せないことを痛感するとき、反射的に死にたいと思う。

悲しみは痛みに似ていて、あまりに強いと他に何も出来なくなるし、それから逃れられるなら何でもするという気になる。

思い出すとき死にたくなるけど、思い出さないと忘れていく。忘れたことに気がつくと死にたくなる。

でも願いは死ぬことじゃなくて、もちおがいてくれること。それか、もちおが離れていてももちおがいるときと同じ気持ちでいられること。たくさんの思い出が心に生きていること。

その願いが叶わなそうだと思うから死にたくなる。

そうはいってもわたしはもうご飯を食べて、お風呂に入って着替えて出かけられるようになってしまった。

台所に立つ時間も増えて、泣く頻度もあきらかに減って、日常生活を送れる程度に正気を取り戻している。

夜はぜんぜん眠れない。昼間寝ているつもりでいたけど、時間を記録して平均を出したら寝溜めも出来てなかった。

でもあの手この手で工夫しながら何とか仕事を続けて暮らしている。

 

あの暗く重く荒んだ冬から、気がついたらもう夏になっていた。

 

もちおにいてほしい。帰ってきてほしい。どこかで分岐を間違えてしまった。

違う世界線のどこかではわたしたちはまだ隣で眠れる人生を送っているのかもしれない。

悲しい。

金に物を言わせてここまで来たけど、金で買えるしあわせにいまこころあたりがない。

日々目の前の仕事をカツカツやっている。

仕事するのは正解なんだろうと思う。仕事と筋トレと食事はいつも正解。

やりたいこととは。ちょっと、違うけど。

政治的に正しくない母娘、伝統的に正しい母娘、現実的で合理的な母娘

2016-07-23に書いたエントリー

むかし書いたらくがき出てきた。当時わたしは一人暮らしで、「おかあさんに甘えたい」と思うつらいことがあったのだと思う。実母はマツコデラックス体型からもちびくろサンボママ*1的素朴さからも程遠い人。

 

web通販でとてもすてきな傘を見た。まっさきに思ったのは「母の誕生日プレゼントにどうかな」であった。「なぜそこでそう思うんだ。術をかけられてる」ともちおにいわれた。なんでだろうねえ。わたしは昔から母をちやほやするところがある。

 

さいころから書店へいっては母の好きな作家の本や画集を小遣いを貯めて買い、自分のお気に入りのイアリングや傘を母が紛失してテヘペロを繰り返すことに甘んじ、父から送られていた養育費をビタイチ寄越さず着服することを当然だと思い、食事や旅行代を立て替え、いまも母のスマホ代を支払っている。前世のわたしは母に貢ぎ続け「来世では身上潰すまで貢がない!」「でもそばで助けてやりたい!」「娘に生まれればいい感じに距離がとれるはず!」と懲りずに近親者に生まれてきたのだろう。今回で懲りるだろうか。

 

「おかあさんとわたし」に母を巻き込むのは「娘と私」に母がわたしを巻き込むのと同じで、母も迷惑するだろう。これまでわたしは母から理想の娘を押し付けられることをとても苦しく思った。母はおかあさんでなくていい。それでもひとり暮らしをしているわたしを生んだ年老いた女性として親切にしたいと思う。金も体力もわたし以上にあるとしても。

 

父も母も親ではなくひとりの人として見ると強烈で面白いひとたちだ。飽きない。物語の登場人物みたいで感心する。自分とまったく違う。見習いたいところ、学ぶべきところを持ち、同時に反面教師として他の追随をゆるさないやらかし方をするひとたち。だからどうしているかなと気になって仕方がない。ヲチ対象として優秀。物語と違うのは当事者として流れ弾がしばしば飛んでくるところ。

 

よく考えたらあれほど強烈な人たちがふつうのおとうさん、おかあさんになれるはずがない。母はわたしが幼いころからは「お淑やかで雅やかな娘になってほしかったのに」とよく嘆いていた。無茶なことをいう。わたしも母に「包容力があって愛情豊かなおかあさんであってほしかったのに」と無茶をいうまいと思う。美味しい料理、美しい部屋、美しい容姿とユニークな生き方を愛でていればいい。ああ、もしかしたらわたしは、自分を袖にするあの人を諦めきれず、娘に生まれてくれば愛されるんじゃないかと夢見て今生は娘に生まれたのかもしれない。母娘にそんな幻想を持つとは、前世は男だったのだろうな。

 

だから母は娘の女子化を嫌がり、いまもわたしをナイト扱いするのだろうか。いいよ、つきあうよ。102歳で世を去った不思議な力を持つ祖母は倒れてのち駆け付けた娘をみつめて「この世はめぐりあわせ」とつぶやいたと母は繰り返し言うけど、ママ、あなたとわたしの間にも、かなりそういう因縁、あるわよ。いまは嫌じゃないけど。

*1:ちびくろサンボのママ的キャラクターって奴隷制度の象徴っぽいから欧米では撤廃されていそうだ。でも映画ヘルプ 〜心がつなぐストーリーでは「子供らを育てたのは黒人ナニーだから子らが思う母親はナニーなのだ」という描写があった。だったらみんなもっと大事にしたらよかったのに。