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ドアがほしくて舅頼み

家族親族 web日記 日常 愛とか

仕事場のワンルームは玄関から部屋までひとつづきなので寒い。ドアがほしい。

検索すると枠を作ってポリカーボネイトをはめて引き戸を作る方法が出てくる。

お義父さん、作ってくんないかな。

いや、さすがにそれは図々しいか。

じゃあ本棚の天板を長くして、カーテンレールをつけてもらおう。

 

と、先週思い立ち、舅を招いて「ここをこうして、ああして」と頼んでみました。

高速2時間、下道3時間強の距離ですが、今日持ってきてくれる予定。

 

舅は相変わらずむすっとして嫁と目を合わせない。

わたしと舅は主に図面を通して、また助手席と後部座席で会話をする。

食事を出しても、食べに連れて行っても何もいわない。

お茶でもお酒でもタオルでも「どうぞ」といえば

「あー、すいませんね」と伏し目がちに受け取る。

 

「お義父さん、美味しいですか」

「美味しいとか、美味しくないとか、わからない」

「不味いのはわかりますか」

「不味いのはすぐわかる」

「じゃあ不味くなかったら美味しいんですね」

「美味しいのはわからない」

「これ、不味いですか」

「不味くなない」

「じゃあ美味しいんですね」

「量が少ない」

 

もっとほしいのか。

 

焼酎すきの舅にとっておきの焼酎を出すと「どこがいいのか」と小馬鹿にする。

「親父、これ美味いだろ?」

「俺は美味いかどうかなんてどうでもいいんだ」

「なんだ、せっかく用意しったのに」

 

「はてこさん、もちおがもうやめとけっていうんだけど、おかわりないですか」

「お義父さん、味がわからないっていったじゃないですか」

「いやー、味はわからない」

ツンデレか。

 

義父工房は仕事が早いけれどなかなか打ち合わせ通りにいかない。

「こう使うのでここをこうしてください」

と頼んでも、ちょっと目を離すと作りやすいように仕様変更しようとする。

「そこ違います」というと

「ここはこうするって話したけど?」と強引に通そうとする。

両者一歩も引かず、もちおはいたって呑気にほかのことをしている。

 

先週、舅は息子のために自作した書棚と作業机に囲まれた書斎に泊まって寝た。

舅ともちおは夜通し楽しく飲んでいた。

目が覚めると舅はいなかった。早朝下道でとことこ帰ったようだった。

 

夕方「はてこさん、すぐ親父に電話して」ともちおから電話があった。

「親父が『棚はすきにつけるからな』っていってる」

電話すると時すでに遅し、あれだけ話したのに舅は勝手に仕様変更していた。

ガッデム。

 

予算を伝えていなかったので、今日は謝礼含めて総額いくらになるか、ちょっと心配している。前回書斎作成で渡した謝礼は、一万円だけ受け取って、あとは姑に渡してしまったそうだ。

 

仕事場へ向かう道を舅と二人で歩きながら

「もちおさん、よくなって本当によかったですよ」

といったら

「うーん」

と短く返事した。

鼻を鳴らす犬のような、疲労と深い安堵と感謝の籠った雄弁なうーん、だった。

 

kutabirehateko

今日のダンナ CommentsAdd Starpoolame26Mmc

故郷から訪ねてきた父と書斎で飲み明かす。

「楽しい?」
「うん、オヤジと話あうわ。かみさん大好きで面白くて」

仲良し親子でうらやましい。

 

 

kutabirehateko.hateblo.jp

思い出の抗がんライフブログ

web日記 闘病生活

新しいブログをはじめました。

lovemochio.hateblo.jp

 

去年のことはもう思い出だけれども、現在もこの先も油断せず戦っていく所存です。

 

肥満大敵。ガンは脂肪に宿る。BMI要チェックですわ。

 

わたしは痩せすぎでがん保険の加入を断られたんだけど、体重低下と死亡率の因果関係のグラフはすでに病床で食事がとれず体重減少状態にある人も含めたものなのだそう。要するに亡くなる直前に急激に痩せちゃった人も入っているので低体重は死亡率高いと出るけれど、がんの発症は脂肪たっぷりめのふくよかな人がよっぽど危険なので、まず痩せようということだった。

 

確かにもちおは告知前の数年で過去最高に太った。ザ・デブ。ぶっくぶく。それまで太っていなかったので誰この人感がすごかった。車で外回りをする仕事になってからコンビニでアイスを食べまくっていたらしい。あと接待系の飲み食いがとても多くて、福岡中洲にはさんざん飲んで食べたあと、〆に豚骨ラーメンを食べる文化がある。これでとどめを刺していた模様。

 

そうして数年越しで蓄えた体脂肪は食べられなかったのと糖質を制限したのとで一か月で20kg落ちて、一年で最終的に25kgぐらい落とした。ぷりっぷりだったお尻の皮がだぶついておじいちゃんぽくなってた。でもパレオな男さんおすすめのホエイプロテインでブルーベリーとバナナベースの青汁系シェイクを飲みながらキックボクシングを再開して、いまは過去最高にシュッとしている。「痩せると窓口でお姉さんたちが親切にしてくれる…」と驚いていた。思わぬ怪我の功名。

 

去年は義理の親戚がやはり延命率の低い血液のがんにかかって入退院を繰り返していたのだけれど、こちらもソーファットなマダムで間食とコンビニ弁当が大好き。痩せていれば大丈夫ということではないけれど、脂肪が多すぎると何かと身体にさわるのだそう。マダムも入院してからみるみる痩せて、いまでは普通体型。かつての体重は足腰にも負担だったみたい。

 

むっちむちのぷっくぷくって抱きしめたくなるような魅力があるけれど、人類としては危険な領域にいる不自然なものなのだなあと思った。むくみがひどいのに気づいていなかったりもするそうだしね。*1車体が重いと動かすのにエネルギーがいるからお相撲さんみたいに筋肉しっかりついてないと外に出るのもおっくうになる。動かなければ鬱々として頭も鈍る。ほんと運動、瞑想、野菜350gですわ。

 

そして運動、瞑想、野菜350g(そして日光浴)系のタスクって、医者にいけばなんとかしてくれると思ったら大間違いなんだよね。やっぱり自分でやるしかない。もちおがキックボクシング再開してくれてよかったよ。あとはわたしがもう少し太って筋肉つけること。自転車で買い物にいくわ。春になったらね!

 

アンチエイジングと健康増進ブログ「パレオな男」はついに書籍化。

ブログは英語の文献や論文も豊富で最新情報満載。

 健康とガンの話は切り離せないようで、何かと引き合いに出されていていろいろ参考になった。

*1:姑がまさにそれでいまたいへん。

塞翁的日常

web日記 闘病生活 日常

去年もちおがアレだったので、所属先との契約をひとつ切った。 

秋に入ってもちおの容態が安定してきたある日、数年前から受講したいと思っていた講座の受講案内が届いた。

 

期間が長くて受講費がお安くない*1。そしてこれまで所属先と曜日がかちあっていたので見送ってきた。見送っているあいだに少しずつお金が貯まり、いまならもちおさえ元気なら(そしてわたしが元気なら)いけるんじゃないの、というところへきた。どうどう、どうよ。

 

ということで、かれこれ半年その講座に通っている。自分も仕事で講義をするので、畑は違えど教えること、教わること双方の立場で学ぶことが多い。成果が身になっているかというとまだまだなんだけど、滋養になってる感はある。花開く前の桜の樹みたいな感じ。

 

わたしが講座へ通う日、もちおはわたしを送った足でキックボクシングへいく。帰りは駅で合流して一緒に帰る。急激に痩せて痛々しかったあばらと腰回りに筋肉がつき、げっそりとした頬は精悍な顎に変わってきた。わたしの体重も去年なみに戻りつつある。

 

もちおは自宅で過ごす時間が増えたので、もちお父である舅に大々的にリフォームしてもらい、書斎に収納に囲まれた作業机を作った。家ではもうずっとそこにいる。

わたしは去年、過去最低の仕事時間だったのだけれども、近く仕事場を持つことになった。いま少しずつ家具や事務用品をそろえている。

 

「家で仕事がしたい」「ボクシング再開したい」といっていたもちお。

「勉強したい」「仕事場がほしい」といっていたわたし。

お互いガンをきっかけに夢がかなった一年だった。人生塞翁が馬とはまさにこのこと。

 

緊急モードから平常モードに戻れなくて家事と家計の組み立てが上手くいかないこと*2、わたしの体調が去年の火事場モード*3から体力前借分取り立てモードに入ったのか、くたびれはてぶりにもほどがあることなど悩みはある。「せっかくもちおがよくなったのにわたしがこんなじゃ」と泣き言をいってしまうことも珍しくない。

「いいじゃん、生きてるんだから」

ともちおはいう。まあそうだよね。そうなんだけどさ。

*1:当時のわたしにとって

*2:いろいろなことを「緊急事態だから」となし崩しにしてきたので、朝起きて、家事を段取り通りにして、仕事して、昼食を食べて、仕事して、予算内で買い物して、ラジオ聞きながら夕飯作って翌朝の弁当作って、もちおが帰ったら食事しながら映画でも観る、という暮らしに戻れないでいる。毎日が卒業前の学生みたいに刹那的な暮らし。

*3:あんなに動けたのは3.11直後以来だ。

スキルス胃がんステージ4 手術不可能の告知から一年

闘病生活 家族親族 もちお

*1

ブログを休んでいた理由

お久しぶりです。

 

去年ナコルルのことがきっかけでアイヌをはじめとする少数民族のことを調べていたら、身近なところにハッとするようなことがたくさんあって、いろいろ考えてしまった。どこかキリのいいところでエントリーを書いて署名の文言を書いて、それから平常運転でブログに戻ろうと思っていたけれど、ぜんぜんキリが晴れない。

 

年末までに途中経過でいいからとにかく一度書こうと、まとまらないままWindowsのメモ帳に長文を書いたら、書き終えたところでメモ帳が固まった。*2深夜冷え冷えとするリビングでがっくり。そのまま年末進行に飛び込み、親戚づきあいやらインフルエンザやら変な仕事の調整やらしていたらもう2月になってしまったのでございました。

 

はじめようと思っているブログ 

ほいで、2月といえばもちおの誕生日なんですよ。

 

去年の1月13日にもちおはガンの告知を受け、40歳の誕生日に腹腔鏡検査手術を受けた。今年の年末年始の間中、去年の今頃はどうだった、それからこうなった、いまはこうだねと二人で振り返っていた。

 

今年こうしてまた元気に、それも去年よりずっと元気に、考えられないくらいのありがたい未来を迎えられて、このことでまたいろいろ考えた。

 

去年のいまごろわたしはひたすら免疫を上げる方法とガンが治った人の話を探していた。ありとあらゆるキーワードで掘って掘ってネットの地層を掘りまくり、もちおは図書館からどっさりガン関連の本を借りてきて読んでいた。

 

それでも、もちおと同様のケースで手術せず、抗がん剤を受けずに、あるいは中断して治ったという例を見つけることができなかった。もちおと同様のケースで手術も受けられず、抗がん剤も中断せざるをえなかった人はいた。その人は闘病ブログで「誰かこのガンで手術も抗がん剤も受けずに治った人、どっかにいないのかな」と書いていた。

 

いま、今年のわたしたちからそういう人たちに「いるよ」といいたい。

 

「治った」というと語弊がある。ガンは慢性病だし、健康な人の身体にもガン細胞はある。検査に出ないだけで、もちおの全身のどこにもガンがないとは言い切れない。それでも症状がすべて消え、腫瘍マーカーも基準値におさまり、腹膜播種もリンパ節への転移も、腹水が見られなくなったことは確かだ。不可逆な副作用と断言されていた痺れも消えて、いまでは水に手をつけることもできるし、水風呂に入ることもできる。

 

このまま元気で3年か5年経ったら書いてみようかと思っていた。書いたらこの奇跡が消えてしまうんじゃないかという迷信的な恐れもあった。具体的な症状やわたしたちの暮らしを書くと身バレするんじゃないかという不安もある。でも記憶が薄れていく前に書いておいたほうがいいかもしれないと最近思う。わたしはそういう話を、去年切実に必要としていたから。

 

何をしたのか、どんなことを考えていたのか、効果があったこと、いまでは笑い話なこと、読んだものや知ったことを、覚えているあいだに書いてみようかなと思っている。

 

アイヌ少数民族のことが済んでからと思っていたけれど、ほかのことも書きながら書けるときに書かせてもらうことにする。*3

 

思い出のガンブログはこことは違うところにするつもり。よかったら読みに来てね。

 

当時励みにしていたblogと本

偶然たどり着いていまでは探し出せない個人HPも多数。

 

もちおと同じガンの人。

momita.blog134.fc2.com

ジョブズと同じガンの人。

pancreatic.cocolog-nifty.com

 

がんを明るく生きる‐末期ガン(癌・がん)からの生還‐余命告知からのがん闘病記

このサイトの詩をなんども読んだ。

 

励みになった本

著者である妻の看病がすごすぎて自分と比較して落ち込んだりもしたけれど、治ったという話は希望だった。

 

治った話百連発みたいな本。不思議な話がたくさんあるけれど、わたしたちも実際こういう体験をした。

 

医師の闘病体験。膵臓がんサバイバーへの挑戦さんが一押しするだけのことはある。

 

慢性病とつきあうという現実的な考え方を教えてくれた本。

 

この本とiharbのリポゾームビタミンCに救われたところが大きい。

 

続けているもの

アンチエイジングで有名なやつ。溶かしたプラスチックみたいな味がする。これのもっと飲みやすくて安いカプセルがiharbにある。1000mg1錠20円くらい。

 

コーヒーエネマには諸説あるけれど、元祖美魔女の夏木マリさんが長年「私は毎日口から一杯、下から一杯珈琲をいただいています」とエッセイで書いていたのでいけると確信。予感は的中。

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*1:鴨川シーワールド カリフォルニアアシカのシャルちゃん

*2:メモ帳って長文向かないのね。

*3:これ書くまでほかのこと書いたらあかんと思いすぎてそのほかの書き仕事もぜんぜん進まなくなって困った。

持病息災夫婦からのお礼

もちお 家族親族 闘病生活 web日記

抗がん剤を止めて五ヵ月。もちおは月に一度血液検査を受け、二カ月に一度CTと胃カメラの検査を受けている。
体調は目に見えてよくなっており、最近はこんなに羽目を外して大丈夫かと心配になる日もある。
とはいえ我慢して、あとで「本当は、やりたかった…」となるのもいやなので、大抵のことは大目に見る。

でも、「明日をも知れぬ命だから」となんでもかんでももちお中心で何もかも大目に見ていた頃とは違う。
告知前の頃のようにガミガミいったり、ぎゃーぎゃー怒ることもできる。
冗談をいって笑ったり、明日のこと、来月のことを話し合うこともできる。

 

こんなにふつうに暮らしていて、大丈夫なんだろうか。
油断していていいのだろうか。

 

検査前日は、意識していなくてもお互い不安でピリピリする。でも、その時間は前よりずっと短い。
以前は一週間、十日前から神経が高ぶって、胃がねじれるような苦しさがあった。
検査結果を聞く瞬間まで、手のひらが冷たくなるような緊張があった。
いまは待ち時間の長さにうんざりしながら本を読み、スマホをなでる余裕がある。

 

検査の結果はずっと横ばいで、これといった大きな変化はない。
でも、これは、すごいことなのですよ。

 

実は、もちおの癌は進行の早さと延命率の低さで知られる種類のもので、もちおは最終ステージにいる。
開腹してから手術ができないといわれ、化学療法に切り替えた。
「治る見込みのないがん」にのみ適用される抗がん剤を、4クール受けた。
そして副作用、主に血小板の減少が基準値を下回り続けることを理由に、薬を止めた。

 

同じ病気で、同じ種類の化学療法を受け、元気にしていた人のブログをもちおは読んでいた。
その人は薬を止めたとたん、あっという間にがんが進行して亡くなった。
わたしもかなり調べたけれど、手術できなかった人で、長期的に安定している人を見つけることができなかった。

 

でも、根拠はないけれど、そうはならないという漠然とした確信がわたしたちにはあった。
あったけれど、そこには根拠も保証してくれる人もいないので不安だった。
とにかく抗がん剤は止めるということだけを決めた。そして副作用を理由に止めた。
医師も数値的に同意せざるをえない状況だった。

 

幸い休薬後もちおの体調は上向きになり、数値的にもよい状態が続いた。
よい状態が続いたどころか、実は日が経つにつれ、ずんずんよくなっていった。
わたしがそのことに気がついたのは、今週検査結果を聞いたときのことだった。

 

「今回の検査でも劇的な進行はありません。もうしばらくお薬はお休みしますか」
医師の側から休薬延期を口にしたのははじめてだった。

もちおは当初、副作用を理由に休薬を申し出たので、数値が回復したら抗がん剤を再開することが暗黙の了解になっていた。
しかし数値が回復しても毎回「もう少し様子を見たい」と投薬を延期しつづけてきた。
再開をすすめる医師もいたけれど、主治医はもちおの要望を尊重してくれていた。


検査のたびに息を詰めてモニターを見て、大丈夫だといわれてホッとする。
ここ数か月のCTと胃カメラの検査結果の変化は素人目にも歴然としていた。
懸念されていた問題は、少なくともモニター上では確認できないレベルに退縮していた。
いまがん検診を受けたら、生検を受けない限りがんを発見することは難しいと思う。

 

でもがんなのだ。がんだから腫瘍マーカーの数値が上がるのだ。
いったいどこまで腫瘍マーカーが下がれば安心できるのか。
腫瘍マーカーって健康な人はどのくらいなんですか」
「これが基準値です」
「え?」

「煙草を吸っている人や、肝臓が悪い人はもう少し数値が上がります」と医師はいった。

もちおの腫瘍マーカーは、数か月前からとっくに基準値を下回り、休薬後も下がり続けていた。

 

播種も腹水も確認できなくなり*1、転移は見られず、腫瘍マーカーは基準値の半分以下。

「劇的な進行はありません」と医師はいった。
劇的な進行はなかった。もちおは劇的に回復していたのだった。

 

現実だという実感がなかなか沸かず、すぐには踊りあがりたいような気持にはなれなかった。
なんだか狐につままれたような気持で、家に帰ってから検査結果を時系列順に並べた。
わたしは腫瘍マーカーはさほど変化していないと思っていた。
なぜそう思ったのかわかった。わたしは小数点を見落としていたのだった。数値は当初の1/10以下になっていた。

 

もちおは「治る見込みのないがん」なので、治った、ということではない。
でも臓器はすべて問題なく機能していて、検出可能ながんはない。*2
ちょっと頭がこんがらがる。
「がんは慢性病」と読んだことを思い出す。慢性病だから、一生付き合うことになる。
わたしの慢性腎炎のようなものだ。悪化すれば透析が必要になる。間が悪ければあっというまに死に至る。
でも運よく付き合い方がわかればふつうの暮らしができる。
もちおは今日、明日のためにハードな医療を受ける段階から、がんと長く付き合う段階に入った。
そういうことだと思う。

 

ここに至るまでわたしたちはけして医療を放棄して運任せで来たわけではない。
自分たちなりに、文字通り命懸けでがんと免疫について調べ、トライアンドエラーを繰り返し、生活を組み立ててきた。
勝算はあると思った。功を奏していると確信できることもいくつかある。
でも、身体に合う健康法とちょうどいいタイミングでめぐりあうのは運だ。
それを実践する時間や体力や入手する費用が手元にあるかどうかも運によるところが大きい。
そしてそういう運が向くかどうかは、かなりの部分、支えてくれる人たちの祈りによるものだろうと思う。

 

この先どういうことがあるかわからない。
でもいまはこの奇跡のような平穏な日々をただただありがたいと思う。
遠く近く、名前を呼びあって、また名前もつげずに、気遣い続けてくださったみなさんに、心からお礼をつたえたいと思っています。

 

ありがとうございます。
こんなことが起きるとは、医療関係者も含めて、誰も予想していませんでした。

いま病床にある方、看護についていらっしゃる方、大切な方のために祈っていらっしゃるみなさんが、必要なとき、必要な場で、多種多様な幸運に恵まれますように。

kutabirehateko.hateblo.jp

 

*1:微量な腹水はあるが許容範囲内とのこと。

*2:PETや生検だと出るのかな?