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持病息災夫婦からのお礼

もちお 家族親族 闘病生活 web日記

抗がん剤を止めて五ヵ月。もちおは月に一度血液検査を受け、二カ月に一度CTと胃カメラの検査を受けている。
体調は目に見えてよくなっており、最近はこんなに羽目を外して大丈夫かと心配になる日もある。
とはいえ我慢して、あとで「本当は、やりたかった…」となるのもいやなので、大抵のことは大目に見る。

でも、「明日をも知れぬ命だから」となんでもかんでももちお中心で何もかも大目に見ていた頃とは違う。
告知前の頃のようにガミガミいったり、ぎゃーぎゃー怒ることもできる。
冗談をいって笑ったり、明日のこと、来月のことを話し合うこともできる。

 

こんなにふつうに暮らしていて、大丈夫なんだろうか。
油断していていいのだろうか。

 

検査前日は、意識していなくてもお互い不安でピリピリする。でも、その時間は前よりずっと短い。
以前は一週間、十日前から神経が高ぶって、胃がねじれるような苦しさがあった。
検査結果を聞く瞬間まで、手のひらが冷たくなるような緊張があった。
いまは待ち時間の長さにうんざりしながら本を読み、スマホをなでる余裕がある。

 

検査の結果はずっと横ばいで、これといった大きな変化はない。
でも、これは、すごいことなのですよ。

 

実は、もちおの癌は進行の早さと延命率の低さで知られる種類のもので、もちおは最終ステージにいる。
開腹してから手術ができないといわれ、化学療法に切り替えた。
「治る見込みのないがん」にのみ適用される抗がん剤を、4クール受けた。
そして副作用、主に血小板の減少が基準値を下回り続けることを理由に、薬を止めた。

 

同じ病気で、同じ種類の化学療法を受け、元気にしていた人のブログをもちおは読んでいた。
その人は薬を止めたとたん、あっという間にがんが進行して亡くなった。
わたしもかなり調べたけれど、手術できなかった人で、長期的に安定している人を見つけることができなかった。

 

でも、根拠はないけれど、そうはならないという漠然とした確信がわたしたちにはあった。
あったけれど、そこには根拠も保証してくれる人もいないので不安だった。
とにかく抗がん剤は止めるということだけを決めた。そして副作用を理由に止めた。
医師も数値的に同意せざるをえない状況だった。

 

幸い休薬後もちおの体調は上向きになり、数値的にもよい状態が続いた。
よい状態が続いたどころか、実は日が経つにつれ、ずんずんよくなっていった。
わたしがそのことに気がついたのは、今週検査結果を聞いたときのことだった。

 

「今回の検査でも劇的な進行はありません。もうしばらくお薬はお休みしますか」
医師の側から休薬延期を口にしたのははじめてだった。

もちおは当初、副作用を理由に休薬を申し出たので、数値が回復したら抗がん剤を再開することが暗黙の了解になっていた。
しかし数値が回復しても毎回「もう少し様子を見たい」と投薬を延期しつづけてきた。
再開をすすめる医師もいたけれど、主治医はもちおの要望を尊重してくれていた。


検査のたびに息を詰めてモニターを見て、大丈夫だといわれてホッとする。
ここ数か月のCTと胃カメラの検査結果の変化は素人目にも歴然としていた。
懸念されていた問題は、少なくともモニター上では確認できないレベルに退縮していた。
いまがん検診を受けたら、生検を受けない限りがんを発見することは難しいと思う。

 

でもがんなのだ。がんだから腫瘍マーカーの数値が上がるのだ。
いったいどこまで腫瘍マーカーが下がれば安心できるのか。
腫瘍マーカーって健康な人はどのくらいなんですか」
「これが基準値です」
「え?」

「煙草を吸っている人や、肝臓が悪い人はもう少し数値が上がります」と医師はいった。

もちおの腫瘍マーカーは、数か月前からとっくに基準値を下回り、休薬後も下がり続けていた。

 

播種も腹水も確認できなくなり*1、転移は見られず、腫瘍マーカーは基準値の半分以下。

「劇的な進行はありません」と医師はいった。
劇的な進行はなかった。もちおは劇的に回復していたのだった。

 

現実だという実感がなかなか沸かず、すぐには踊りあがりたいような気持にはなれなかった。
なんだか狐につままれたような気持で、家に帰ってから検査結果を時系列順に並べた。
わたしは腫瘍マーカーはさほど変化していないと思っていた。
なぜそう思ったのかわかった。わたしは小数点を見落としていたのだった。数値は当初の1/10以下になっていた。

 

もちおは「治る見込みのないがん」なので、治った、ということではない。
でも臓器はすべて問題なく機能していて、検出可能ながんはない。*2
ちょっと頭がこんがらがる。
「がんは慢性病」と読んだことを思い出す。慢性病だから、一生付き合うことになる。
わたしの慢性腎炎のようなものだ。悪化すれば透析が必要になる。間が悪ければあっというまに死に至る。
でも運よく付き合い方がわかればふつうの暮らしができる。
もちおは今日、明日のためにハードな医療を受ける段階から、がんと長く付き合う段階に入った。
そういうことだと思う。

 

ここに至るまでわたしたちはけして医療を放棄して運任せで来たわけではない。
自分たちなりに、文字通り命懸けでがんと免疫について調べ、トライアンドエラーを繰り返し、生活を組み立ててきた。
勝算はあると思った。功を奏していると確信できることもいくつかある。
でも、身体に合う健康法とちょうどいいタイミングでめぐりあうのは運だ。
それを実践する時間や体力や入手する費用が手元にあるかどうかも運によるところが大きい。
そしてそういう運が向くかどうかは、かなりの部分、支えてくれる人たちの祈りによるものだろうと思う。

 

この先どういうことがあるかわからない。
でもいまはこの奇跡のような平穏な日々をただただありがたいと思う。
遠く近く、名前を呼びあって、また名前もつげずに、気遣い続けてくださったみなさんに、心からお礼をつたえたいと思っています。

 

ありがとうございます。
こんなことが起きるとは、医療関係者も含めて、誰も予想していませんでした。

いま病床にある方、看護についていらっしゃる方、大切な方のために祈っていらっしゃるみなさんが、必要なとき、必要な場で、多種多様な幸運に恵まれますように。

kutabirehateko.hateblo.jp

 

*1:微量な腹水はあるが許容範囲内とのこと。

*2:PETや生検だと出るのかな?

使い捨て卓上ゴミ箱の作り方

web日記 家にいた 日常 闘病生活

我が家には使い捨ての卓上ゴミ箱が卓ごとにある。これがまああなた、消しゴムのカスやティッシュのようなちょっとしたゴミを捨てるのに、それはそれは便利なんですのよ。

 

実家で到来物を開封しがてら包装紙を折って置いてきたところ、「便利で手放せない」と折り方を聞かれた。実母のところにも作っていくつか置いてきたら、やっぱり便利だったようで、実母は量産して家中の卓の上に配置していた。もちおが入院していたときはお隣のベッドの方にも差し上げて喜ばれた。

 

濡れたものを捨てないように気を付ければ長持ちするので、世代交代のときに作り方を思い出すまで少し時間がかかる。ここに作り方をメモしておくので、みなさんも挑戦してこの便利さを味わっていただきたい。新聞紙で作れば普通サイズのゴミ箱になるので、捨てられるゴミ箱として使えます。

 

1. 長方形の紙がよござんす。これはちょっと長すぎました。

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2. 長い方を二つ折りにする。

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3. 谷折りした輪を手前に向け、左右を中心に合わせて折る。

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4. 上部を開き、3の折山に合わせて手前に折る。

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5. 折ったところをさらに半分に折る。

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6. 5を3の折山にかかるように折り返す。

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7. 裏返す。

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8. 左右を中心に合わせて折る。

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9. 上部を折山に合わせて手前に折る。

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10. 先端を挟み込む。

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11. 上部に手を差し込んで開き、先端を整える。

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12. するとこんな形になる。実際にやってみるとわかります。これで完成。

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13. 底を止めると安定する。包装紙についていたシールやテープを活用している。

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14. 完成。

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 夜明け前の心臓(仮)id:CALMINさんの手仕事リストにどうかしら、と思って書きました。ご快癒をお祈りしています。ご快癒をという言葉はもちおの告知を知ったお友達が書いてくれて知った。快く癒えるっていい言葉だなあと思った。快く癒えていかれますように。

 

エントリーと関係ないけれど、昨日買って爆笑しながら読んでいる漫画。夜中に声を殺して笑って、なんだかいろいろなことを思い出して、涙が出た。大好き。

 

kutabirehateko.hateblo.jp

縦書き便箋に少し慣れた

web日記 家族親族 日常

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レターセットを切らしたので、祖父が遺した縦書きの便箋を使って手紙を書いている。縦にまっすぐ文字を書くことが少なかったので、慣れるまで字が「おっとっと!」という具合によろよろしていたが、最近はまっすぐ立てるようになってきた。

 

縦書き便箋だと文字だけでなく、書き方も手紙の決まりごとに沿って書かなければいけない気がして緊張する。かといって下書きする気にもなれず、反故紙が何枚も出る。そこで消せるボールペンですよ。フリクションペンさいこう。

 

舅姑は形式にこだわる人たちではないが、形式ばって書いても重箱の隅をつつかれることがないので、形式ばる練習を兼ねて手紙を書いている。例のサイドテーブルの使い勝手のよさと、もちおの近況と、書斎改造計画の連絡。4枚書くのに2時間かかってしまった。

 

わたしはノートの裏を横書き文字でびっしり埋め尽くし、折り方をあれこれ工夫して授業中に、放課後に、何かにつけて手紙を書いては友人にまわした世代。平成生まれはメールとスマホなのかしらねえ。紙に書く手紙は読み返すと字や行間の取り方にも個性があって、楽しいのよ。

 

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いちゃもんブコメテンプレート

web日記 思うこと

今泉ひーたむさんのりんご日和。を楽しみに読んでいるのですが、ひーたむさんに過剰な期待をする人が増えていることを危惧しています。

www.ringobiyori.com 

ひーたむさんのりんご日和。はご主人と二人のお嬢さんとの日常を描く子育て絵日記ブログです。淡くやさしい色合いの個性的な絵柄で、子供ならではのハッとする言葉や親子のすれ違いの妙を、まいかい短く印象に残る仕方でまとめられています。

 

わたしはひーたむさんのLINEスタンプを使わせていただいていますが、ひーたむさんのかわいくてちょっと毒のある犬のシリーズは使い勝手がいいです。一目で誰の作品なのかわかる、人真似でなくほかの誰にも似ていない、それでいて悪目立ちしない愛らしさ。こういう絵が描けたらいいなあとうらやましく思います。

 

お話も絵柄も一度見たら忘れられないひーたむさんの絵日記は少し前に書籍化され、先日あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして はkindle化もされました。そして書籍化と前後してりんご日和。はブックマークでいわれない、見るに堪えない中傷を受けるようになりました。

 

残念ながらこのような中傷は、これまではてなブログに登場して人気が急上昇した多くのブログにもなされてきたものです。中傷のパターンはよく似ています。内容がまるで違うブログであっても、中傷するパターンが非常によく似ているのは、そのセオリーに従えば何も考えなくてもあらゆることに文句がつけられて便利だからでしょう。これらのパターンを考察風、あるいは心を寄せている風に書いたコメントやエントリーに「良記事」「冷静な考察」と評価することも、すでにお約束化しているように思います。


形骸化している誹謗中傷のパターンは以下の通りです。

・互助会
・つまらない
・病的である、異常性が見られる

 

互助会

これははてなブログを使っていない方にとっては耳慣れない使い方だと思いますが、実力ではなく、組織票によって人気を得たブログという意味です。

 

互いのブログを読みあってコメントをつけあうことがありますが、はてなブログではブックマークでコメントしあうことができます。ブックマークがつくと被リンクが増えるので検索されやすくなりますし、ブックマーク数の多いエントリーははてなブログランキングやはてなホットエントリーに掲載されます。

 

あらかじめブログ仲間を募って互いにブックマークしあえば人気のあるブログとしてランキングにのることができる。何も知らない人から見れば偶然面白いエントリーにブックマークが集まったように見えるけれど、これはインチキで卑怯なやり方だとものすごく怒る人が大勢います。

 

はてなは分析好きの人が多いので、実際それでランキング入りしたブログがあるか、誰と誰が繋がっているのかを組織的に調査した人が何人もいます。もはや脱税行為を調べるほどの勢いです。実際ブログ指南をする人の中にはそのような方法で人気を集めるよう指導している人もいるようで、こうしたことを表立って書く人は間違いなく糾弾されます。*1*2

 

面白くないブログがはてなブックマークランキングでトップページに並ぶのが嫌だという人がいますが、自分の感性とあわないものに人気が集まることはどの分野でもあることです。「書き手が意図的に周囲の人々を操作して、面白くない物を面白いと言わせている」と思うのは、自分だって同じことをすれば簡単に人気が集まるのだという勘違いからくるのではないでしょうか。

 

執拗に「互助会、互助会」と書き続ける人は面白くないとわたしは思いますが、その面白くないコメントに大量に星がつくのは互助会だからですか。

 

つまらない

内容がない、つまらない、どこが面白いのかわからない。自分の興味を引かない話、琴線にふれない話、面白くない話はいくらでもあります。しかしこれをわざわざ書き残す人が面白くないと思っているのはエントリーの中身ではなく、そのエントリーが注目を集めていることです。

 

どんなにすぐれた作品であっても個人的に評価が低いことはあります。けれども、ある人が口を開くたびに呼ばれもしないのに飛んできて「つまらない、面白くない」という人には問題があります。他人は自分を楽しませるために存在しているわけではないということが理解できていないからです。

 

「つまらない」には「望んだ展開と違う」というものもあります。大河ドラマに熱が入りすぎた人が、史実で亡くなった人物を「死なせないでくれ」と投書してきたという話があります。大河ドラマはエンターテイメントですが、個人が家族の様子を描いた絵日記ブログの家族関係にもっとこうあるべきだ、それは問題だという人を見ていると、フィクションと現実の区別はついているのだろうかと心配になります。「現実だからこそ意見したくなるのだ」と思う人もいるかもしれませんが、そういう方はいつも町中やご近所で見かけた人に家族の在り方を説いたりしているのでしょうか。

 

りんご日和。へのコメントで最近よく目にするのはパパの処遇が悪いというものですが、娘がパパに冷淡なのはひーたむさんの躾けがなっていないからだとぼやく人を見ていると、「こういう人を舅姑に持ったら大変だろうな」と思います。どんなに幼くても母と子は別々の人間です。親の躾けしだいで子供の好き嫌いを簡単に思うままにできるのなら、誰も苦労はしません。

 

長時間一緒にすごす母親に子供が懐くのはよくあることですが、それでも父親にべったりで母親にはわがままを通す子供もいます。子供が父親に悪意ある攻撃を日常的に向けるなら別ですが、親が望むほど子供が親を慕っていないことはむしろ自然なことです。それを母親の手で慕うように仕向けろというのは熱が入りすぎではないでしょうか。「うちの子はこうじゃない」と書く人もいますが、その違いを見るのが育児ブログを読む面白さではないでしょうか。

 

病的である、異常性が見られる

こういうコメントは一目で異常性が感じられるドグラマグラ的な記事にはあまりつきません。このタイプのコメントが意味するのは、書き手のある特徴が過剰で病気の域であるということ、また書き手が狂気にとらわれており、信頼できない人物であるということです。

 

誰にでも愛想がいいのは、承認欲求が強すぎるから。更新を続けるのは粘着質だから。自己開示度が高いのは自己顕示欲が強いから。コメントが承認制なのは支配欲が強いから。そのほか自分が気に入らない点はなんでも書き手の病的な精神性のあらわれと書くのが誹謗中傷の流行りです。

 

こうしたコメントは精神病の知識が不十分だというのも特徴です。よくあるのがうつ状態うつ病の区別、精神疾患と非定型発達の区別がついていないこと。中途半端で不正確な知識に基づいた考察をしたがる人もいますが、どこから突っ込んでいいかわからない話にいわれた側は戸惑うしかありません。ちょっとしたことで虐待、トラウマと大騒ぎをしたり、書き手の家族に不自然な同情を寄せる人もよくいます。

 

メンタルヘルスを略してメンヘルと呼ぶこと、メンタルヘルスを受けている人をメンヘラと呼ぶことが定着してどのくらい経ったでしょう。風邪を引いて病院にいくことを揶揄する人はいないと思いますが、精神衛生を整えることを揶揄する点でいまだ戦後を脱していない人は大勢います。こういう人は自分自身に問題を感じることはないのかもしれませんが、精神疾患を忌み嫌い、侮蔑語として精神疾患だと赤の他人に公然と言い募ることを止められない自分の精神状態は、少し疑ってかかった方がいいのではないかと思います。

 

書き手の精神状態を露骨に疑うことで書き手を傷つけること、そして読み手に書き手の信頼を失わせること。そのために時間を割いてコメントをつけにいくこと。そこで精神疾患や非定型発達を侮蔑語として使うこと。どれも最悪です。

 

はてなブックマークの仕組みの問題

こうした陰湿な誹謗中傷が絶えないのは、はてなブックマークの仕組みの問題もあると思います。書き手はブックマークコメントを全面的に非表示にすることはできますが、表示するコメントを選択することはできません。悪意あるコメント、攻撃的なコメントを見たほかのユーザーはそのコメントに異を唱えることが難しく、論争になってもブクマタワーの形で表示されるので、どのような応酬があったのか外部から見えづらい。

 

エントリーそのものが物議を醸す内容であったり、誹謗中傷を含む攻撃的なものであったりする場合、ブックマークコメントが荒れるのはある程度理解できます。けれども個人の子育て絵日記のエントリーにこれほど長期間、判で押したような嫌味や悪口が続くのは異様です。ちょっと安易な流れに乗っかりすぎなんじゃないのかと思います。

 

書籍化されたブログやブロガーについてあれこれいう人はこれまでもいたし、これからもいると思います。読んだものにどんな感想を持つかは個人の自由です。けれども上記の三つは感想というより形骸化されたうっぷん晴らしになっているとわたしは思います。そのテンプレに沿って書けばどんなエントリーにもケチをつけられる。でも便利だからこそ、それにはまるとそれ以外の見方ができなくなる。

 

かつては意外な発想や独特の文章で楽しませてくれたブログやブックマークコメントの書き手が、特定の人を中傷したり、他人の人生が自分のエンターテイメントとして楽しめないと文句をいったりするのを見るのは残念です。

 

もちろんそうしたテンプレ攻撃に疲弊してはてなを去っていく人を見るのも。

*1:個人的には新しくはてなにやってきた人同志がブックマークでコメントしあうことと、古参と呼ばれるはてなブロガー、ダイアラーのエントリーに毎回似たようなメンバーのブックマークコメントが並ぶことのとどこが違うのかわかりません。長年はてなで書いてきた人につく、よく知られたブックマーカーのブックマークは信頼でき、ニューカマーにつく未知のブックマークは信頼できないというのは趣味の問題でしかないのではないでしょうか。

*2:ブックマークをつける仕事があるそうですが、本文とまったく関係ないブックマークが続けざまにつくことがあります。確かにあれは不気味です。ここでいうのは書き手が個人として見えるはてなユーザーのことです。