隣の部屋から届くもの

昨日ようやく本格的に仕事を再開した。葬儀の翌日からメールを出して、電話をかけて、打ち合わせをしてと少しずつ助走はしていたけれど、やっと本チャンで店を開けた。つもりだった。

 

昨日、今日と続けて店を開けて、夕方に大きな仕事の打ち合わせに出かけようとしたらスマホがなかった。

 

いつもならわたしの仕事用ガラケーを鳴らすのだけれど、家は遺品整理と各種諸手続きの書類でごった返しており、数日前からガラケーの充電器が見当たらない。

もちおがいればもちおのスマホガラケーを鳴らしてもらう。もちおがいれば、大きな声でもちおを呼ぶ。もっちゃーん!ねえ、はてこのスマホ知らない?鳴らしてみてくれる?聞こえた?もちおがいたら。もちおはいない。もう二度とスマホを鳴らしてくれない。

 

スマホがみつからない。もうだめだ。みるみる涙があふれてきた。もう無理だ。こんなこと続けていけるわけがない。わたしはわあわあ泣きながらもちおのスマホから自分のスマホの番号を探した。だめだ。ここで電話したらもちおが最後にかけた履歴が消えてしまう。もちおのガラケーを開いたが、こちらは電池切れだった。もちおのガラケーにわたしのガラケーのチップをいれたら使えるはずだ。なんだこのチップ、どうしてこんな入り組んだ場所に入ってるの。どうして出てこないの。

 

わたしは口を歪めて泣きじゃくりながら爪の先でチップを引っ掻きだそうとした。どうしても出てこない。散乱した死亡届に付随する各種諸書類の山に蓋が外れたガラケーが二台転がっている。テーブルの上にはノートパソコンと、もちおの書斎から出てきた一掴みものUSBメモリが散らばっている。数えきれないHDD、SSD、USB。これらのどこかにもちおと知り合ってから18年分の家族写真が入っているが、それがどれだかわからないということを昨日知った。家族写真を入れていた家族用PCをもちおがいつどこへやったのかがわからない。

 

もうだめだ。限界だ。出口がない。どうしていいかわからない。わたしは泣きながら家中を歩き回った。スマホを探す自分と、わあわあ泣き続けている自分が、互いに干渉しあわないよう配慮しながら同じ体を共有しているようだった。

 

ようやくクロゼットの中からスマホを見つける。今日は無理だ。取引先にメールを出して打ち合わせを延期してもらい、ベッドにひっくり返って泣いた。涙と鼻水で息ができなくなる。しゃくりあげ続けて吐きそうだ。なんでいないの。これからずっといないの。そんなの耐えられないよ。もちおにLINEを打つ。会いたいよ、もちおに帰ってきてほしいよ。どこにいるの。

 

LINEを打つと履歴が後ろへ流れてしまう。今度は泣きながらTwitterを立ち上げる。もちおが息を引き取る少し前からわたしはこういうとき思いのたけをひたすらTwitterに流していた。

 

すると以前ネットで知り合った方から数年ぶりにリプライが届き、続いてHDDを復旧してあげるから元気をだしてというDMが入った。同じタイミングでメールが届いた。さるはてなブックマーカーさんからのお悔みのメールだった。一拍おいてメッセンジャーにも通知が来た。同じく以前ネットで知り合った方からだった。

 

長年疎遠にしていた方とほとんど面識がない方が同じタイミングで連絡をくれたことを不思議に思ったが、すぐには泣き止めず、引き続き大泣きしながらそれぞれの通知をあけて読んだ。読むと気持ちが少し落ち着く。DMでしばらくやりとりするうちに豪雨が小降りになるように徐々に涙が乾いてきた。

 

もちおのHDDとSSDはどこにどのくらいあるのか、野営を張っているパーツの山を確かめた。書斎に鎮座ましましているもちおの遺影に「もちおのばか!」と悪態をつく。画像どこやったんだよ!はてこ、困ってるよ!だから片づけてっていったのに!

 

嗚咽も止まるころ、通知をくださった方とは別の以前ネットで知り合った方からLINE経由で一蘭の無料券をいただいたことを思い出した。ひと段落したらあとで食べに行こう。泣きながら書いたツイートについたハートと、ハートをくださった方のアイコンを見る。お会いした方は顔を思い浮かべる。お腹の底にいじけた猫をすっぽり包み込むふかふかの座布団のようなものを感じる。

 

わたしは泣きはらした目で一蘭へ出かけてお悔みのラーメンを食べた。食べ終わるとなにか勇気がわいてきて、もちおがいなくなってから怖くていけなかった温泉へ勇ましい気持ちで出かけた。

 

駐車場を降りるともちおとここで蛍を見たことを思い出した。ほんの数か月前のことだ。最後に来たのは8月だった。懐かしいというにはまだ生々しすぎる。記憶に新しい場所へ近づくと受け入れがたい現実が鼓膜を破る轟音のように迫ってくる。だから温泉へ近づかなかった。

 

でも今夜わたしのふるえる魂は腹の底の座布団に身をすくめたまま、安全に守られていた。もちおの魂がそばにいて、温泉に来たことを喜んでいるように感じた。悲しみも現実の問題も消えたわけではないけれど、ほんの少し、あたたかいものに守られて、もちおがそばにいたときのように安心できる世界が戻っていた。

 

自分のことを世界一思ってくれたもちおがいなくなってしまった。もうわたしが死んでも腹の底から悲しんでくれる人はいない。これだけ泣いてももちおは戻ってこない。目の前で息を引き取って、何度も念を押されて、焼却炉の奥から骨だけ返されたのだから戻りようがない。自分には家族と呼べる人がもういないのだと思った。そもそもこんなに無条件で愛されるとは大変な僥倖だったのだ。

 

でも、いまもどこか遠い隣の部屋にわたしの泣き声を聞いて胸を痛めてくれる人がいるのだと思った。電波を通じて微かにノックの音がする。ドアの向こうから有形無形の贈り物が届く。そういえばもちおもネットで知り合った人で、長年応援してくれた読者だった。 いろいろなものをくれた。たくさんのものをくれた。これから役に立つものも、あるかもしれない。

11日経った

夫が息を引き取った。

8月30日深夜のこと。

ハイクとTwitterに散発的な投稿をした。

まとまった話を書くだけの集中力と気力がない。

大変な苦しみようで、拷問の末に薬でとどめを刺すような最期だった。

声すら出ないほど衰弱した身体で「苦しい、苦しい」とあえいでいると思ったら、口の形は妻の名前を呼び続けていた。

夫は再発以来本当に笑っていたことはなかったと遺影にする写真を選びながら気が付いた。

なぜあんな善良な人がこんなに若くして死ぬより苦しいと思うほどの苦しみにさらされなければならなかったのか。

Hagexさんのことやシリアの空爆、世界各地の飢えと貧困、災害の惨さを思えば人の善良さと平安な生涯には何の相関関係もないとわかるのに、そう思わずにいられなかった。

夫に帰ってきてほしいと思うけれど、死の恐怖と痛み止めのことしか考えられないほどの絶え間ない痛みに支配されていた夫をこの世に呼び戻したいわけではけしてない。

苦しむもちおを見るのはもちおを失うこと以上につらいと思った。

愛が何の役に立つのか。

もちおがいない。

骨壺と遺影を置いた寝室に夫とわたしのベッドを並べて眠る。

この二年半、わたしの生活は看護中心だった。

もしもひとりになったら、そのときはひとりだからできることをしよう。

会いたい人にあって、思い切り仕事をして、行きたいところへいこう。

そう考えながら、これは幻想だとわかっていた。

健康で感情的に安定して経済的な不安もない状態でその日を迎えられるわけがない。

自分がいまどれほどショックを受けているかわからないし、社会的、経済的な立場がどう変わったのかもまだ把握できていない。

わかっているのは温かい生身の身体を持ったもちおがいなくなって、二度と帰ってこないということだ。

思うことはたくさんあるけど、何かを書き残すことで事実がゆがめられてしまう気がする。

でも書かないと情け容赦なく記憶は薄れていく。

もっちゃん、もっちゃん、だいすきよ。

もっちゃん、ありがとう、もっちゃんはみんなをしあわせにしたんだよ。

忘れないでね。

何度も何度も耳元でそういった。

愛してる、愛してる。ごめんな。幸せになってな。

意識が戻るたび、声が出るかぎり、出なくなってももちおはわたしを探してそういった。

愛していれば悲しみと痛みは避けられない。

こうなると知っていたらここまで情が移るような暮らしはしなかったのに、まんまとやられてしまった。

Hagexさんが狙われたのかのはなぜか

Hagexさんがなぜ狙われたのか、色々な意見が出ている。

わたしはHagexさんが続けて来られたネットウォッチとその芸風よりも、会場選びと集まりの規模、そしてHagexさんの知名度と風貌によるところが大きいと思う。

地元民としてあの会場が惨劇と関連付けて覚えられるのは辛い。

しかし今後同様の集まりを計画している方にとって、少しでも不安を軽減し、危機管理をする上で何かの参考にしていただけたらと思うので書きます。

 

出入り自由な会場

元小学校だったあの会場は万年文化祭をしているような場所で、起業を夢見る元気で意識高い系の若者と気持ちが若い中高年が仕事なのか遊びなのかわからない服装で四六時中出入りしている。いつ誰が入り込んでも何の用で来たのか誰も気にしないし、TPOに合った服装もないから、その場で浮いている人がいない。Hagexさんはスーツだったが、ラフな格好をしている人も大勢いたし、逆にフォーマルなドレスアップした人が校内を歩いていても「そういう集まりがあるのかな」としか思わない。

 

安価な会費と簡単な受講手続き

会費は2000円で、ニックネームで受付をしていた。個人情報をその場で確認することもないから、紛れ込むこともさほど難しくない。実際受付で「自分のニックネームがすでに払い込み済になっている」と言っている人がいたが、とくに帳尻合わせはされなかったようだった。

 

犯行に及んだ加害者が例の人物だとすれば、一般的な社会生活を送るのは難しい暮らしをしているのではないかと思う。そうした人物であっても2000円を払って、駅に近い誰が出入りしても目立たない会場まで日曜日の夕方に出かけるのはそれほど難しくない。「着ていく服がない」ということもない。

 

印象に残らない参加者

講座はHagexさんの独壇場だったので、質問時間はあったけれど、講座の中で参加者にニックネームで呼び掛けたり、話に参加させたりすることもなかった。どこの誰がどういう動機で参加していたのかわからないし、会場内で見た顔と服装のほとんどをわたしは覚えていない。

 

去年渡辺葉さん主催のタウンミーティングに参加した。100人規模の集まりであったにも関わらず、葉さんはそれぞれの顔と名前とだいたいのプロフィールを把握しておられた。そして会が終わった後は互いに紹介しあう時間を設けて、積極的に会話の輪を作っておられた。あのタウンミーティングのあとに何かあったら、誰が何をいっていたか、ある程度思い出せたと思う。

 

威圧感を感じさせない登壇者

Hagexさんの鋭い論調や芸風が加害者を煽ったのではないかという意見を数多くみた。この説が正しければもっと早く事件に巻き込まれておかしくない人が大勢いる。わたしは単純にHagexさんの見た目が怖くなさそうだったから、反撃されなさそうだったから狙われたのだと思う。

 

わたしはHagexさんに実際にお会いして「こんなに普通の柔和そうな方だったのか」と驚いた。小柄で、どちらかといえば色白で、全身に文字通りの意味で角がなく、サイズの合っていないグレーのスーツにピンクの開襟シャツでノーネクタイ。声も高めでやわらかい。服装にも態度にも強者男性でございというギラギラしたものがなく、筋肉隆々の大柄な男という風でもない。発言と行動力はすごいけれど、外見からはそれがわからないという点で、エストニアにいる木野寿紀さんに似ているかもしれない。

 

わたしは電車で痴漢に遭ったことがほとんどない。通りすがりに男性から暴言を吐かれるというありがちな被害もない。それは自衛上手だからではなく、単純に体格の問題だ。人は頭で考えるよりずっと、図体が大きいものにはひるみ、小柄な相手には態度が大きくなる。

 

確かにかなり攻めた発言もあったけれど、登壇者がレスラー並みの体格でバリトンボイスだったら、あるいはそうした人たちに囲まれていたら、加害者は加害行為を諦めて帰ったかもしれない。匿名で増田に呪詛を吐くのが関の山だっただろう。

 

「怨みを買うようなことをしたら顔を出すな」

わたしは仕事で会場を借りてささやかな講座を開くことがあるので、今回の事件は他人事ではなかった。上記のあれこれは主催者やHagexさんの不備をあげつらうためのものではないことを念押ししておきたい。

 

「怨みを買ったのは本人の言動のせいだ、自業自得だ」という被害者落ち度論を持ちだすのは加害者擁護にしかならない。確かに「そこまで言わんでも」という話もあったけれど、それで命を奪われても仕方がないという説にはまったく同意できない。

 

わたしは出来る限り仕事相手には愛想よくしているけれど、それでもびっくりするようなところから吹き上がって大変な呪詛を吐く人がときどきあらわれる。そういう人ははじめのメールからおかしいし、会ったときに挙動がやばいとわかる。

 

こういう場合、対個人なら対応できるけれど、こうした講座でシャットアウトすることは難しい。Hagexさんが誰でも気軽に参加できる集まりを開いてくださったことには心から感謝する。しかし会場や参加費である程度参加者を選別できない集まりは、やはりリスクが伴うものだと改めて思った。

 

「病院へいけ」案件

先日Twitter在日朝鮮人叩きをするネトウヨから執拗に絡まれた在日朝鮮人男性が「現実を見ろ、それができないなら病院へいけ」と発言したことを咎められていた。批判する人達は「『病院へいけ』という発言は精神疾患を持つ人間への差別だ、ヘイト行為は精神疾患と無関係だ」といっていた。

 

確かに精神疾患はヘイトに直結していない。しかし精神疾患は現実の認知をゆがめ、人を異常な行動へ駆り立てることがある。異常な言動を繰り返す人物が精神疾患を抱えていないと断定できる根拠はない。

 

Hagexさんも今回の講座で「福祉事務所から精神疾患の診断書を取るようにいわれている」と自ら語る人に粘着された話をしていた。「プリントアウトして病院へ」は冗談ではなく惨劇を未然に防ぐチャンスになることがある。

 

今回の事件の加害者が例の人だとすれば、もっと早く医療上の措置を受けられていたらと思わずにいられない。Hagexさんはただ彼にとって都合のいい条件であらわれたはてな村民のひとりだっただけだ。会場にいた人々が村の誰だか知っていたら、襲う相手を変更した可能性だってある。

 

いま本当に必要なのは100万PVで知名度を上げる講座ではなく、知名度のあるブロガーや特定の属性を持つアカウントへの激しい粘着行為をやめるにはどうしたらいいのかという講座かもしれない。

hagexさん以外考えられない。

福岡赤坂元大名小学校で開かれたhagexさんのブログ講座へいった。*1

hagex.hatenadiary.jp

t.co

17:30開場、17:45分開演

100万PVを目指すブログ術講座

18:45から休憩の予定が5分ほどオーバー*2

休憩が終わると前方右手にいた男性がひとり会場からいなくなっていた。

後半はブログトラブル講座

19:30に終わり、三々五々解散*3

同人誌見本を眺める人、サインを求める人

手土産を渡す人たちに笑顔で応えるhagexさん。

 

どこまで書いていいのかわからないが、「弁護士を通じて記事を削除しろ、法的措置を取るというメールがしばしば来る」「差出人の背景を辿っていくと反社と繋がりがあることがわかったこともあった」「メンタルヘルスの必要がある読者からメールが来ることもある」と話していた。*4

 

講座のあと外へ出て、近くの店でラーメンを食べた。20:06にもちおにラインをして店を出た。

 

表に出ると通りは救急車と消防車と警察官でいっぱいだった。消防車のサイレンに驚き、この細い通りで火事かと思って辺りを見回した。天神方面から来た消防車が、道幅の狭いところに停車している白いバンのせいで奥へ進めない。運転手は運転席にいるのに、なぜか車を避けないでいる。消防車と救急車がサイレンを止める。動かないバンの横を警察官がぞろぞろ通り過ぎるのを見て、誰か高いところから飛び降りようとしているのかと思った。

 

さっきこのニュースを見た。何が起きたんだ。

www.nikkei.com

 

追記:犯人は自首した模様。

www.asahi.com

追記:被害者のお名前が判明する

news.biglobe.ne.jp

被害者である岡本顕一郎さんの写真があったが、今日登壇しておられたhagexさんその人であった。写真撮影は禁止ということで講座中に似顔絵を描いていた。顎とエラがない特徴のあるお顔、刈り上げに丁髷風のポニーテールと目立つ風貌だった。本業は編集で、7月でお辞めになるといっていた。間違いない。

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これまでhagexさんの open 2ch のまとめ記事を毎日読んでいた。hagexさんには悪いけど、オリジナルのテキストよりまとめの選び方がすきだった。新聞の4コマ漫画を楽しみにするように、毎日更新される短いまとめをいくつか読むのを楽しみにしていた。はじめてお会いして、名乗りもせず、こんな風にお別れすることになるなんて。こんなにショックを受けたのは9.11テロの夜以来だ。どう受け止めていいのかわからない。

*1:猫先生はペットシッターに預けてきたとのこと。

*2:休憩中hagexさんはハイテンションで語る男性に捉まっていた。

*3:報道でセミナー終了時間が19:45になっているのは会場から人がいなくなった時間だと思う。

*4:直接どこからのものかは説明されなかったが、スライドの中でこの記事と写真も紹介された。

悪のデパート日本大学 - Hagex-day info

夫の留守にデリヘルを呼んだ

仕事が入っていない限り、毎日面会時間一杯病室にいる。これが結構疲れる。車で通っているので生き返りの車の運転が危なくなってきた。「生き返り」が誤変換だと気づくまでしばらくかかるくらい疲れている。

 

夫が横たわるベッドの横で「わたしもそこに寝たい」と思い続けている。ときどきベッドの端っこに無理やり入り込んで数分横になることがあるが、もちろんそう長くはいられない。恥も外聞もなく床にヨガマットか何か敷いて、寝たい。しかしベッド周りは機器がいっぱいで椅子を一つ置くのがやっとというスペースしかない。

 

道々「整体」「マッサージ」「鍼灸」という看板が目につく。スマホを眺めれば行き帰りに開いている店はないかとつい検索する。しかし家事をして、仕事をして、食事も後回しにして病室へいき、20時過ぎにふらふらしながら病院を出て、まっすぐ家に向かっても帰宅するのは21時過ぎ。頭が上手く働かないので、駐車場に車を入れるのに何度も何度も切り替えす。この状態で知らない店にふらりと立ち寄るのは厳しい。そして整体、マッサージ、鍼灸院はけしてお安くはないのに当たりはずれが大きい。

 

一昨日、いよいよふらふらするので通院途中に飛び込みで整体に入り、その日は病院へ行かずに家に帰った。*1うら若い男性整体師は勉強熱心で誠実さが感じられた。しかし技術はまだまだで、整体に入る前と出てきた後の身体の調子はほとんど変わらなかった。加えて整体院は冷房で冷え切っていた。寒いと申し出て温度を上げてもらったが、店を出たあと初夏の日差しがありがたいくらいだった。一時間が過ぎ、身体は凍え、財布だけが軽くなった。

 

昨日は一週間の疲れが溜まって「誰か家に来て身体を揉んでくれたらいいのになあ!」という気持ちがピークに達した。コンビニで支払いを済ませながらコンビニには話し相手は置いていないのだとふと思った。人と話がしたい、とも思った。帰ったら持ち帰った汚れ物を洗濯して、取り込んだ洗濯物を畳んで仕舞って、部屋を片付けなければいけない。仕事の事務処理もある。でもとても頭がまわらない。

 

誰か女の人に家に来てほしい。家事を手伝って、肩を揉んで、おしゃべりにつきあってほしい。

 

 

するとこんなリプライがあった。

 

 

男性用アロママッサージ、いわゆる回春エステというおさわり厳禁のサービスがあるのは知っていた。あれをデリバリーできるのか。調べてみると交通費上乗せで居住区をカバーしている店があった。店のHPにはプレイ内容のほかに可能なマッサージとして「バリニーズマッサージ」を掲げているお姉さんがいた。タイ古式マッサージファンとしてこの一文にはとても惹かれる。わたしはぐったりしたまま「お店に電話予約」ボタンを押した。時刻は23時を回っていた。

 

デリヘルに電話する 

黒服のような男性が電話に出ると想像していたが、電話に出たのはデパート店員のような中年女性だった。

 

「女性なんですが、純粋にマッサージだけをお願いすることはできますか」

「はい?」

「あの、とても疲れていてですね、この時間に空いているマッサージ店を探してそこまで安全にいく自信もないのでお電話しました。女性対応のお店もあるとうかがったのですが、こちらはいかがでしょうか」

「はい、ええと、少々お待ちください」

 

女性客はまだまだ少ないようで、受付の女性はあきらかに動転していた。しばらく優雅な保留音が流れてから再び受付にかわる。

 

「お待たせしました。こちらは回春マッサージの店ですので、風俗の扱いになるんですね?でも女性のお客様には回春のサービスはございませんが、そちらでよろしいでしょうか?」

 

それそれ、それを頼みたい。いいですか、どうですか。

 

回春マッサージの特徴

いわゆるデリヘルやJKリフレのように最早ヘルスマッサージともリフレクソロジーともまったく関係のない色恋系サービスと違って、男性用アロママッサージや回春エステは健康法的な意味でのリラクゼーションを中心に性的な満足を提供する。施術者は女性だけれど、利用者が施術者の身体に触るのはNG。

 

以前ファッションヘルスから回春エステへ移った方が「こっちはお触りなしで身体が楽。それでヘルスと同じくらい稼げるし。その分マッサージの勉強は必要だけど」と話していたのを聞いたことがあった。

 

しかし表向きはマッサージメインでも、メインは性的サービスでそれ以外のマッサージは形程度できればいいという店もあるかもしれない。一般的なチェーン店のマッサージ店にも時給850円で働く未経験の新人は多い。念のため予約のときに「みなさんマッサージができる方だと思ってよろしいでしょうか」聞いてみたが「はい、マッサージがメインですからそこは大丈夫です。Aさんのマッサージは評判がいいですよ」ということだった。賽は投げられた。

 

料金はマッサージ料、出張代金、店舗により初回登録料金が必要で、このほか指名するなら指名料。わたしは50代のバリニーズマッサージができるというAさんをお願いしたので、すべてあわせて13,000円だった。自宅住所と電話番号、名前を伝える。Aさんは0時過ぎに到着するという。

 

お迎え準備

必要なものがあるか尋ねたところ「軽くシャワーを浴び、あればバスタオルを数枚用意しておいてください」とのことだった。寝室に人を入れるのは夫が嫌がるだろうと思い、仕事部屋に布団を敷き、バスタオルを広げる。

 

小一時間で人が来ると思うと身体が動く。わたしは仕事部屋の隅に積んであった洗濯物を畳みながら風呂に湯を張り、畳んだ洗濯物をしまいながら部屋を片付け、水回りを掃除した。頭が朦朧として、洗濯物の山をカテゴリごとに分類するといった普段無意識にしていることがなかなか上手くいかない。とはいえ「1時間だけ、人が来るまでやろう。このあとは身体を揉んでもらってお風呂に入って寝るだけだ」と思うとまだ少しがんばれる。片づけておけば明日の暮らしの悩みがひとつ減る。

 

わたしは昔から呼びたがりの招きたがりなのだけれど、もちおは家に人を呼ぶのが大嫌い。友人、知人、親戚でも家に招くのは渋る。さらに風俗業に対する嫌悪感が人一倍強い。自分が利用するのはありえないし、妻がその業界に近づくのも嫌。わたしは数年前から熱烈なストリップファンの女性から「一緒に観劇にいこう!」と誘われているが「そこに集まる男たちがどういう状態かを想像したら、妻がそんな場にいるのは耐えられない」と大反対し続けている。というわけで、二人の家ではあるけれど、深夜デリヘルを頼んでいいかと聞くのはやめた。とにかく身体のしんどさを何とかしてくれるサービスがいまのわたしには必要だ。

 

しかし「こんな時間にどこの誰とも知れない人をたった一人で家に上げて大丈夫だろうか」という常識的な警戒心はある。先方が一人じゃなかったら?待機する男性がいて、迎えるこちらが女性ひとりだとわかったら?金目の物は目につかないところへ仕舞って鍵をかけるべきだろうか?

 

「わたし風俗業に対する偏見、結構あるな…」と少し暗くなったが、よく考えてみたら銀のさらだろうがピザハットだろうがヤマト便だろうが深夜に家にあげて布団に横たわった状態でサービスを受けるとなったら警戒するのは当たり前だ。そうよねえ、男の人はまたちょっと違うだろうけれども。はー、どんな人なんだろう。

 

回春抜き、抜きなしの回春マッサージ

0時過ぎにチャイムが鳴った。ドアを開けると綺麗にお化粧をすませ、やや明るく染めた巻き髪に胸の谷間が際立つ黒いトップスを着たAさんが立っていた。野際陽子に少し似ている。キャリーケースと大きめのバッグが深夜に到着した旅行者のようだ。

 

「こんばんは」

「遅くにありがとうございます。どうぞおあがりください」

 

仕事部屋へ招くと、Aさんはカーペットの上ではなく固いフローリングの床に正座された。

「こちらへお座りになってください」

「いえ、ここで大丈夫です」

「そんな固いところへ正座されるとわたしが嫁いびりしてるみたいじゃないですか」

「え~!嫁だなんて」

「深夜に兄嫁呼び出して説教するみたいな」

Aさんは笑っていたが、施術時以外は最後までフローリングの固い床に正座をされていた。座布団を用意するべきであった。

 

最初にどのような症状があるかなど一般的な質問をされる。オイルを使うかどうか。指圧が中心だが、とくによくほぐしてほしい部位はあるか。「バリニーズマッサージがお出来になると読んでお願いしたので、ストレッチがあるコースがいい」と伝えると、指圧にもストレッチは取り入れているという。もう考えるために頭を働かせるのも億劫で、Aさんのご判断におまかせしたいとお伝えした。

 

Aさんのマッサージはキャリアを感じさせる本格的なものだった。漠然となでさするようなものではなく、手足を特定の角度に固定して、意図した場所をぐいぐい押したりごりごりほぐしたり、迷いがない。こちらのお店に入る前はエステサロンやマッサージ店で働いてこられたそうだ。風俗店で50代女性というのは苦戦を強いられる年齢のようだけれど、これだけの技術があればファンは多いと思う。

 

痛むところ、痺れるところを伝えると「じゃ、ここからこっちへこんな風に痺れるでしょ?」と打てば響くような答えが返ってくる。「ここに疲労回復のツボがあるんです」「ドラッグストアにこういうものが売っているから、それを使うと効きますよ」「100均にあるので、それをこんな風に使うとほぐれます」とちょっとしたアドバイスもくださる。

 

「オイルでリラックス」という予想に反して思ったよりかなり痛かったけれど、「痛い、やめろ」と言いたくなるような外しがない。これを1時間やってもらえるのか。なんだかもう「ありがたい」としか言いようのない時間だった。こんなことをこんな時間に自宅でやってもらえるのか。男性向けのサービス、充実度すごいな。

 結構強めに揉まれたので揉み返しがくるのではと少し心配したが、今朝は寝覚めもよく、久々に腎臓の調子もよかった。

 

デリヘルの働き方

デリヘル系のお姉さんは待機所に集まっているのかと思っていたが、Aさんは朝5時まで自宅待機で、連絡がきたら自家用車で現場へ向かうのだという。入退室時はメール連絡のみ。店にもよるのだろうけれど、送迎の男性が階下で待機しているわけではないらしい。深夜ひとりで知らない男性の待つ部屋へ向かう。かなりリスクのある仕事だ。何割くらい手元に残るのだろうか。

 

「身体が細いですね。ふだんこーんなに大きな男の人ばかり揉んでいるから、いつもとぜんぜん違う」

 

「男性マッサージ師からセクハラを受けて以来、男性マッサージ師と1対1になるのが怖いのだ」と話すと「そんな人がいるんですか!セクハラしてくる客は大勢いるけど」と驚いていた。「触らせてくれそうで触らせないAで通ってますから」と仰っていたが、深夜の密室で大の男を相手に自分の身を自分で守るのはかなり緊張感がある。

 

デリバリーヘルスの可能性

「マッサージの技術がこれだけ確かな方においでいただいてありがたい」というと、お店に長く在籍しているお姉さん方はやはり腕が確かな方が多いのだという。この技術の恩恵を受けたい女性や性的サービス抜きで訪問してほしい高齢者は大勢いると思う。

 

深夜に帰宅する女性、子育てや介護、看護で外出が難しい女性は大勢いる。話し相手にもなってくれる懐深い女性マッサージ師が自宅まで出張してくれたら、どんなにありがたいことか。眠れない夜に背中をさすってくれる女性が訪ねてくれたら高齢者はどれだけ慰められるか。

 

1時間1万円は福岡の収入の相場からすればけしてお安くはないけれど、お金さえ出せばそうしたサービスが受けられるとわかっていれば、いざというときはお願いしようと励みにすることもできるし、親しい方へのプレゼントとしてもとてもいい。施術する側も時給850円の各種保険なし、組合なしでこれだけの仕事をしていれば精魂尽き果てる。

 

この時代に文字通りの意味でのデリバリーヘルスマッサージの需要は大きいと思う。

 家事代行サービスの多くは単発契約その場で呼び出すということができない。「お金は出すからちょっと手伝ってほしい」に答える女性がいてくれたらと思う場面は多い。働く側も依頼者が女性のみなら働きやすい。若く美しく着飾っていなければならないという縛りもない。

 

頼めるのはもちおの留守中限定だけど、*2あったらいいなあ。

*1:翌日病室へいくともちおは「もう来てくれんかと思った」としょんぼり顔でいった。「やっぱりはてこにおってもらわんと」というのが口癖。

*2:これがもちおの目に触れたらもう頼めない。