増量10ヶ月

BMIが15.15になった。

昨年9月の13.71から10ヶ月かけて4kg増やした。

金に物を言わせて外食とジムとパーソナルトレーニングを活用した。

短い間だったけど、人を頼んで寝た時間と食べた物を記録してもらったりもした。

思っていた以上に眠っておらず、食べていなかったことがよくわかった。

仕事を減らして食事の時間と寝る時間を増やした。

振り返ってみると、この現状の見える化が一番効果があったように思う。

食事を抜かない、栄養価より食事の頻度とカロリーを優先した。

iharbでプロテインバーとココナッツオイルをまとめ買いして、食事にかける時間がないとき、気力がないときもココナッツオイルコーヒーとプロテインバーで軽食をとるようにした。

プロテインバーは仕事中や移動中に手を汚さず食べられて便利。

すくすくと美尻が育った。

もちおに見せたい。

わたしの尻のビフォーアフターに気づけるただ一人の人が、いまこの世にいないことがとてもつらい。

次は胸筋を鍛えてデコルテの肋を埋めたい。

もちおがいたらいいのに。

7月になってしまって、あと2ヶ月も経たずにもちおが死んだ日が来てしまう。

去年の今日何をしていたか折に触れて考える。

断片的にしか思い出せない。

もちおにはブログはもちろん、わたしのメールアカウントも伝えていたから、悩み苦しむ本音を書いたら病状を悪化させるのではと思いはじめてから率直なことが書けなくなった。

もちおはわたしの一番のファンで、増田も含めてわたしが書くあらゆるものの読者だったから、書いたものを見せられなくなったいまは、ものを書くことがとても難しくなった。

看病で忙殺されていたときは仕事は息抜きだったけど、いま仕事以外にやることは何もない。

深夜寝床で目をつぶると前後の脈絡なしに迫りくる死の影に怯えていた日の細々とした場面が突然蘇る。

それなのに、あんなに長く暮らしたもちおの姿形や声は愕然とするほど思い出せない。

いまですらこんなにおぼろげになった記憶がこれからどれほど薄れていくのか考えるとやり切れない。

身を切る思いでもちおを思い出すとき、渇望するほど思い出せないことを痛感するとき、反射的に死にたいと思う。

悲しみは痛みに似ていて、あまりに強いと他に何も出来なくなるし、それから逃れられるなら何でもするという気になる。

思い出すとき死にたくなるけど、思い出さないと忘れていく。忘れたことに気がつくと死にたくなる。

でも願いは死ぬことじゃなくて、もちおがいてくれること。それか、もちおが離れていてももちおがいるときと同じ気持ちでいられること。たくさんの思い出が心に生きていること。

その願いが叶わなそうだと思うから死にたくなる。

そうはいってもわたしはもうご飯を食べて、お風呂に入って着替えて出かけられるようになってしまった。

台所に立つ時間も増えて、泣く頻度もあきらかに減って、日常生活を送れる程度に正気を取り戻している。

夜はぜんぜん眠れない。昼間寝ているつもりでいたけど、時間を記録して平均を出したら寝溜めも出来てなかった。

でもあの手この手で工夫しながら何とか仕事を続けて暮らしている。

 

あの暗く重く荒んだ冬から、気がついたらもう夏になっていた。

 

もちおにいてほしい。帰ってきてほしい。どこかで分岐を間違えてしまった。

違う世界線のどこかではわたしたちはまだ隣で眠れる人生を送っているのかもしれない。

悲しい。

金に物を言わせてここまで来たけど、金で買えるしあわせにいまこころあたりがない。

日々目の前の仕事をカツカツやっている。

仕事するのは正解なんだろうと思う。仕事と筋トレと食事はいつも正解。

やりたいこととは。ちょっと、違うけど。

政治的に正しくない母娘、伝統的に正しい母娘、現実的で合理的な母娘

2016-07-23に書いたエントリー

むかし書いたらくがき出てきた。当時わたしは一人暮らしで、「おかあさんに甘えたい」と思うつらいことがあったのだと思う。実母はマツコデラックス体型からもちびくろサンボママ*1的素朴さからも程遠い人。

 

web通販でとてもすてきな傘を見た。まっさきに思ったのは「母の誕生日プレゼントにどうかな」であった。「なぜそこでそう思うんだ。術をかけられてる」ともちおにいわれた。なんでだろうねえ。わたしは昔から母をちやほやするところがある。

 

さいころから書店へいっては母の好きな作家の本や画集を小遣いを貯めて買い、自分のお気に入りのイアリングや傘を母が紛失してテヘペロを繰り返すことに甘んじ、父から送られていた養育費をビタイチ寄越さず着服することを当然だと思い、食事や旅行代を立て替え、いまも母のスマホ代を支払っている。前世のわたしは母に貢ぎ続け「来世では身上潰すまで貢がない!」「でもそばで助けてやりたい!」「娘に生まれればいい感じに距離がとれるはず!」と懲りずに近親者に生まれてきたのだろう。今回で懲りるだろうか。

 

「おかあさんとわたし」に母を巻き込むのは「娘と私」に母がわたしを巻き込むのと同じで、母も迷惑するだろう。これまでわたしは母から理想の娘を押し付けられることをとても苦しく思った。母はおかあさんでなくていい。それでもひとり暮らしをしているわたしを生んだ年老いた女性として親切にしたいと思う。金も体力もわたし以上にあるとしても。

 

父も母も親ではなくひとりの人として見ると強烈で面白いひとたちだ。飽きない。物語の登場人物みたいで感心する。自分とまったく違う。見習いたいところ、学ぶべきところを持ち、同時に反面教師として他の追随をゆるさないやらかし方をするひとたち。だからどうしているかなと気になって仕方がない。ヲチ対象として優秀。物語と違うのは当事者として流れ弾がしばしば飛んでくるところ。

 

よく考えたらあれほど強烈な人たちがふつうのおとうさん、おかあさんになれるはずがない。母はわたしが幼いころからは「お淑やかで雅やかな娘になってほしかったのに」とよく嘆いていた。無茶なことをいう。わたしも母に「包容力があって愛情豊かなおかあさんであってほしかったのに」と無茶をいうまいと思う。美味しい料理、美しい部屋、美しい容姿とユニークな生き方を愛でていればいい。ああ、もしかしたらわたしは、自分を袖にするあの人を諦めきれず、娘に生まれてくれば愛されるんじゃないかと夢見て今生は娘に生まれたのかもしれない。母娘にそんな幻想を持つとは、前世は男だったのだろうな。

 

だから母は娘の女子化を嫌がり、いまもわたしをナイト扱いするのだろうか。いいよ、つきあうよ。102歳で世を去った不思議な力を持つ祖母は倒れてのち駆け付けた娘をみつめて「この世はめぐりあわせ」とつぶやいたと母は繰り返し言うけど、ママ、あなたとわたしの間にも、かなりそういう因縁、あるわよ。いまは嫌じゃないけど。

*1:ちびくろサンボのママ的キャラクターって奴隷制度の象徴っぽいから欧米では撤廃されていそうだ。でも映画ヘルプ 〜心がつなぐストーリーでは「子供らを育てたのは黒人ナニーだから子らが思う母親はナニーなのだ」という描写があった。だったらみんなもっと大事にしたらよかったのに。

瓢箪から美尻

亡き夫を偲んで泣いてばかりいるようなブログを書いているけれど、日頃わたしはそこそこ元気にやっている。

 

年明けから酷い咳の発作が出るようになったのだけれど、何度調べても何でもないという話なので諦めて咳が出始めたら止まるまで咳き込み続けてやり過ごす。数分で済むこともあれば一時間以上かかることもある。でも、それだけ。それで寝込んだり、予定を諦めたりはしない。泣くこと、耐え難く苦しくなること、死にたくなることもこの咳みたいなもので、突然やってきてどうにも抑えることはできない。でもそのまま日常は続いていく。咳き込みながら洗濯物を干し、泣きながら歯を磨いている。

 

もちおとよくいった場所に行かなくなった。もちおとよく聞いた曲、とくに去年切羽詰まっていたときによく聞いた曲を聞かなくなった。意図的に避けていたわけではなかったのだけれど、実験の条件を一部変えると違いが際立つみたいに、思い出がある場所へいくとそこにもちおがいないことが強調されて怖い。

 

「もしかしてもう二度ともちおに会えないの?」と一日に何度も思う。答えを出さずに日常に戻る。日常には日常の悩みが山積みなので違う悩みで気を紛らわす。

 

悩みにも緊急だけど軽い悩みや重いけど甘い悩み、贅沢な悩みもあって、悩みながらも「生きている人間のことで悩むのは楽だよな」と思う。じゃあ去年、一昨年生きているもちおのことで悩んでいたのが楽だったかといえばぜんぜんそんなことはない。要するに生死に関わる悩みと比べたら楽だということだよね。

 

とはいえ上手くいかないことはいろいろある。このままいったらどうなるのかと思う。誰か助けてほしい、どこかに頼むと楽になるのかと毎日思う。軽い仕事のはずなのに。自分で出来るはずなのに。前はできてたのに。悩みながらも大抵のことは「旦那を亡くして一年も経ってないんだから仕方がない」と問題の解決を先送りにしている。でもよそさまがそれで納得してくれるとは限らない。そもそも夫の死について知っている人ばかりじゃないから、やっぱりヤバい。

 

それでもどんなに思い詰めてもできないときはできないので、そういうときはジムへいく。ジムから帰ってもできないことはできない。でもスマホをなで続けるよりはジムでむやみやたらに筋トレした方がいい。

 

三食ご飯が出るところへいきたくて留学したが、ジムは「外へ出る理由がいる、人のいるところへ行きたい、顔見知りがほしい」とはじめた。さらに「言葉を交わす相手がほしい」と頼んだパーソナルトレーニングだった。家の近所で24時間営業で好きな時に出入りできるならピアノ教室でも英語教室でもよかった。そもそもわたしは自他共に認める運動嫌いだったから、嫌なことは絶対にやりたくなかった。

 

ところがパーソナルトレーニングとジムが予想外にいい感じで、想定外に筋トレに目覚めた。顔見知りはできないし、周りは男性ばかりで輪に入れる様子もないけれど、できなかったことが少しずつできるようになるのは面白い。体重は増えないけれど「負荷が軽いと有酸素運動になって痩せてしまう」とトレーナーが毎回ハードルを上げるので負荷は増え続けている。いつのまにかバーベルを背負ってスクワットをするところまで来てしまった。

 

気が付けば「膝に座られると骨が刺さる」と幼い頃から母に不評だった臀部に人間らしい膨らみがつきつつある。意図せず四ヶ月かけて天然の肉座布団が育っていたのだ。このままいったら、もしかしたら、硬いところにジェルクッションなしで座れるようになるかもしれない。

 

徐々に興味がわいてきて、筋トレでハッシュタグを検索したり動画をみたりした。モデルやAV女優が美脚、美尻作りのために鍛えまくっている。TOEICスコアを上げるために留学する人がいて、身体が資本の業界人が身体に投資している。寡婦ライフをサバイブしようとはじめたことが知らない世界に通じていてびっくりする。

 

ジムにはもちおの思い出がない。パーソナルトレーナーはもちおを知らないし、いまのわたししか知らない。もちおがいなくなってから知り合った人が少しずつ増えていく。どうやって増やしたらいいのかわからないけど、増えていけばいいなと思うし、関係が深まればいいなと思う。

 

わたしは寂しいワンコなので、人に好かれたいと思う。これまでもちおに好かれていれば他の誰に好かれようが嫌われようが大きな問題ではなかったけど、いまはいまのわたしと出会う人たちに好かれたいと思う。好きな人がいる人生は前向きな悩みがある。次に会うとき何を着ようかとか、何を話そうかとか、どうしたらもっと仲良くなれるかとか、どうしたら楽しい、面白いといい気分になってくれるかと悩む。生きている人のことで悩むのは楽だ。どうにでもなるし、どうにもならなくても、死ぬことに比べたらたいしたことない。

 

働いて、ジムへいって、服を買って、化粧を研究して、まるで予定があるみたいに、明るい将来があるみたいに、生きている人の世界で暮らしている。将来がなくてもいい。暫定将来があることで今日生きている。涙と咳が続いても。

続・セックスレスの原因は話し合いで解決できないものが多い

*1

今日は人妻だったあいだ書けなかったテーマを書こうと思います。この話の続きです。

kutabirehateko.hateblo.jp

 セックスレスの話題が主に増田で上がるのは性行為の話題がパートナーのプライバシーに触れるものでもあるからなんじゃないかな。少なくともわたしは人妻だったあいだわたしがこの種の話題で具体的な話に踏み込まなかったのはわたしがベッドを共にする相手が誰なのかはおのずと明らかで、わたしだけの個人的な話ではすまないところがあったからだった。でももう書いてもいいんじゃないかと思うので書く。

 

もちおが瞼を閉じることも自力で息をすることも難しくなった最後の数日のこと。わたしはもちおの耳元で「ずっと楽しかったね、しあわせだった。セックスだけは、もっとできたらよかったけど」とささやいた。もちおは顎をかすかに動かして同意した。

 

自分が床上手だったらどんなによかったかと、もちおの闘病期間中ほど思ったことはない。胃がんで食べる楽しみを失っていったもちおに性的な喜びを提供出来たらどんなに気晴らしになったかと思う。最後の数か月はもちおの体力の問題もあったし、生きるか死ぬかの状況でそんなことを真剣に考えていたなんて傍から見たら滑稽な話だろう。でも、個人的には本当に忸怩たる思いだった。

 

性行為はたいていの場合パートナーとだけ楽しめる特別なジャンルだから、上手くいっていないより上手くいっている方がいい。セックスレスの話題が出ると気の毒に思うし、せっかく長いこと夫婦でいたのに文字通りいまわのきわに後悔する羽目になったもちおとわたしが残念でたまらない。

 

わたしはかなり何でも話し合う派で生きてきたけど、この件については問題を解決するのは話し合いではないといま思う。というわけで「ここが違ったらぜんぜん違ったのに」という点をまとめておくので、パートナーと悔いのないベッドの時間を持ちたい方は心に留めておいてほしい。

 

見せるためのAVと違って日常の性行為が楽しく満足のいくものになるために大切なのはエロい演出とか、テクニックとかそういうことじゃない。というか、エロさは細部に宿るから日常生活の中にエロをかき消す要素がないか調べてみることが大切。

 

性行為の満足度をあげるのは集中力

愛がどんなにあっても気が散ると性欲は霧散する。「見られると興奮する」というポルノのシチュエーションはそんな気が散る状況ですら減退しない性欲への憧れを描いているのであって、実際には猫だって犬だって邪魔すれば行為を中断して逃げる。性癖を満たすために行為の観察者を望む人がいるけど、その場合も観察者を含めたプライベートな場が確保できないと台無し。横で何がはじまっても中断できないほど集中できるのは特殊な訓練を経た人をだけで、普通の人がその状態でいられるのは山場のほんの短い間だけ。

 

やりかけの仕事がある、次の予定が迫っている(翌朝早く起きなきゃいけないとか)、考え事や悩み事がある、言いたいことがある。こういう引っかかりがあると「こんなときにはじめられても」と思うし、はじまっても「早く終われ」と思う。

 

「忙しくてベッドに取り組む時間と体力がない」より、気が散る方が問題。確かに体力ないときは集中するの難しいけど、ひとりで楽しむときはさほど時間も体力もかけずにすませられる人は多いはず。自分ひとりなら集中するのも簡単。でも相手がいるベッドは気を合わせるだけの余裕がいる。

 

集中力の欠如の前には日頃の善行も、二人の愛の歴史も無力だし、エッチな下着や玩具なんて焼石に水。一度限りの相手と二度とない機会ならともかく、長くパートナー関係が続いているなら「また次がある」と思うから緊張感もそがれる。

 

だから集中力をそぐようなことを徹底的に遠ざけないといけない。金銭面や家事、親戚づきあいなど夫婦関係で問題があるのは集中力をそぐ原因になるので、話し合いが効果的なのはこのときだけ。あとは環境とやり方に注力した方がいい。完全に解決しなくても環境とやり方と体調がなんとかなればうやむやに再開できるし、それで結束が強まる場合もある。

 

長くレスになると関係を再開させて失敗したり恥をかいたり傷ついたりするのが怖くなり、再開させない言い訳として無意識に問題に固執することもある。その場合はやはり話し合っても解決にいたることはないから*2、環境と体調とやり方に注力して機をうかがった方がいい。「話し合い」が「断固おまえとは寝ない」と宣告する場になっちゃうのはお互い傷つくばかりで引っ込みもつかず後を引く。百害あって一利なしだよ。

 

 

寝室の防音効果

我が家の夫婦生活を邪魔した最悪の要因はこれ。結婚してから何度も引っ越しをしたけれど、隣家と寝室が離れた間取りでは心置きなく*3お互いの反応に集中できたけど、寝室が隣家の寝室と壁一枚という間取りでは気がそぞろになってまったく愛を深めることができなかった。

 

とくにいまの住まいは襖かと思うほど防音効果が低い。何より隣人がめちゃめちゃ耳を澄ませているのが怖い。「盗撮用のカメラかマイクがどこかに仕込まれているのでは」ともちおと二人で何度か真剣に家宅捜査をしたくらい。二人でキャッキャウフフとグルーミングしているときは何でもないのに、少しムードが盛り上がってくるとあっという間に聞き及んで、壁に貼りついているのか息がこちらに聞こえてくる。気持ち悪いし、決まりが悪いから声を出せないし、場が白けてお開きになる。本当に何度邪魔されたかわからない。

 

あるとき電動歯ブラシで歯を磨きながら寝室に入ったことがあったんだけど、そのときはなんとおもむろにベランダに出て耳を澄ましていた。何???と思ったけど、振動音にいろいろ妄想を膨らませていたんだろうと友人に大爆笑された。笑えない。ちなみに浴室も隣家と壁一枚という間取りなんだけど、何時に風呂に入っても必ず先方が入浴してくる時期がかなり長いあいだあった。自意識過剰かと思って黙っていたけど、あるときもちおが「隣の人、風呂に入ると必ず風呂に入ってくるよな」といったのでギョッとして天井裏を調べたりもした。わたしたちはよく一緒にお風呂に入っていたけど、こんな状況じゃ盛り上がれない。

 

消去法で断熱効果がいちばん高い部屋を寝室に選んだけど、こんなに早く結婚生活が終わるのなら、満足のいくベッドを楽しむために無理やりでも隣家から離れた部屋に寝て、かわいい声をたくさん聞かせてあげるべきだったと思う。

 

 

寝室のスマホ

深夜に電話してくる人がいると「もしかして緊急事態では」とつい出てしまう。高齢一人暮らしの母もいるし、スマホを切る気になれない。実際普通は緊急時でなければ深夜に電話なんてしないけど、うちには平常運転で深夜に電話してくる酔っぱらいが何人かいた。こうなると朝星夜星で働いているもちおの貴重なイチャイチャタイムが短縮される。ちなみに先方からはなぜかセックスレスだと決めつけられていたけれど、どういうわけなんですかね。

 

深夜に電話してくる人なんてそうそういないと思うけど*4メールでもLINEでもアプリの通知でも、寝室で何か通知が来るというのは気がそがれる状況だからベッドの邪魔。

 

もちおは電話が来るたび激怒していたのに、わたしはもともと電話魔だからつい電話に出てしまっていた。これも失敗だった。

 

 

子供と親類縁者

妹と甥の隣家で暮らすまでは、お互い気分がのれば休みの午後にソファでいちゃいちゃ→からの!という展開もあったけど、絶えず大人の注目が必要な子供がいたり、いつやってくるかわからない親戚づきあいがあると世間が寝静まるまで待たなければいけない。でも気分が乗るのが深夜とは限らないから、時間が限定されるとそのぶんチャンスが減る。

 

うちの親は日曜日の午前中は寝室に鍵をかけて絶対に出てこなかった。うんと小さかった頃、親が起きてこないのでお腹がすいて鉈のような菜っ切り包丁でパンを切ろうとして手の甲を深く切ってしまったことがある。寝室のドアを何度も叩いて訴えたけど、両親はドアを開けなかった。四人の子沢山をパイプカットで打ち止めにする夫婦の集中力はすごいものだと今も残る傷跡を見ながら思う。

 

夫婦の時間はいつでも作れるからと思いがちだけれど、運が良ければいちばん長く過ごす相手だからこそ、長く楽しめる習慣を持てるように優先すべき。*5優先すべきだからって子供の横でおっぱじめようとしたら嫌がられたというのは当然なので、「愛情がー!」「配偶者の権利がー!」と応じる義務を強いてもだめ。集中力が損なわれない環境を作るにはどうしたらいいか考えるべき。

 

 

常時スタンバイ状態か

マムシ飲んでマカを買えという話ではありません。ロケーションの話です。

床が硬い、日中布団を畳んでしまっている、二人で横になれるソファがない。あとパートナーのどちらかが痩せすぎていて、どこでも横になれるほど柔らかい身体がないのも問題になる。逆にいえば家のあちこちに二人の大人が快適に横になれる場所、掴まれる場所があればセックスレスの危機は遠ざかる。もちろんカーテンはミラーレース遮光カーテンにして、光は入るけど外からは見えないようにしておく。夜はカーテンを閉める。

 

部屋はスタンバイ状態にしておいて損はないし、気になるようなら舐められる可能性のあるところはいつも清潔にしておいてこれまた損はない。シャワーは終わってから浴びたければ浴びればいいけど、事前に浴びなければと思っていたらやっぱり機会が減る。機会が減れば「がんばって」気持ちを高めないといけないから大変。

 

 

ラブホの可能性

「ラブホにいけばいいじゃん」と思う人もいると思う。お互いラブホテルが好きで、ラブホにいくこと自体がレジャーになるならそれもいいかもしれないけど、わたしともちおは一度もラブホを利用したことがなかった。一度旅行先で部屋が見つからなくて、案内してくれた現地のおじさんに連れられてそれと知らずラブホのロビーに入ってしまったことがあったけど、もちおもわたしも嫌悪感を感じてしまってラブホだと気づいた瞬間回れ右せずにいられなかった。なのでこれは人を選ぶと思う。

 

ホテルを使うのはお金もかかるし、近場にホテルがあっても結婚してからは近所の人目が気になって面倒だと思う。交際期間なら会えないあいだに気持ちが高まるし、ホテルへいく約束そのものがスパイスになるから「いざ」という状況でも集中力はそがれずむしろ高まる。でも一緒に暮らし始めてからのホテル利用は誰が財布を出すかとか、家計的にどうなのかとか、いろいろ気になることも多くて集中力を保つのは難しいと思う。

 

何より「いまだ!」とその場でなだれ込めるのと、それじゃ着替えて支度して…と二人で出かける準備はじめるのは絶対に集中力そがれる。*6だいたいベッドでやることなんて後で考えたら馬鹿みたいなことが大半だから、ここで冷静になってしまったら「出かけるなら買い物をして、宅急便を出して」と日常モードに入ってしまってホテルにたどり着くのは難しそう。おすすめはやはり住居をスタンバイ状態にしておくこと。

 

 

最中の言葉

「俺はベッドでは女の子に『かわいいよ』しかいわない」といった友人がいる。*7大正解だと思う。羞恥心をやわらげて気持ちを盛り上げる言葉として、また馬鹿みたいなことをして痴態をさらしているあいだ「自分は何をしているんだろう」と正気に戻らせないために、こんなに簡単で効果的なものはない。「かわいい」はリードしている側がいえばいいので、女性がリードしているときは女性もそれでいい。

 

詳しくはいわないけれど、もちおは初めてのときAVで学んだ余計な一言で無駄に妻の羞恥心と怒りを煽り、後生恨まれ新婚当初の営みを台無しにした。男性向けAVは男性の征服欲を煽るように演出されており、パートナーシップの枠で愛情を深めたいなら参考にしない方がいい。

 

リードされている側は注文をつけるより反応を伝える。わたしは肩もみには自信があるけれど、揉み始めたところでベラベラ喋るやつ、肩を揉んでいるのに首を揉めとか背中を揉めとか手順を無視して注文をつけるやつは揉む気が失せる。わかってるよ!と思う。それより「あー気持ちがいい」「ああ!そこそこ!うーん」と反応してくれた方が百倍やる気になる。それと同じ。相手は労力を割いているのだから頼むなら「お願いしていい?」という姿勢が大事。

 

もちおはいまの住まいになって妻が壁に耳あり障子に目ありに気をとられるようになったため、かけた労力に対して見返りが少なく、自分が達しても満足度が低くなったせいか、ベッド方面より圧倒的にタイ古式マッサージをがんばるようになった。タイ古式マッサージのときにはわたしも遠慮なく(というか、我慢できずに)嬌声をあげて放心状態になるところまでいくのでとても満足そうだった。

 

もちおは日頃から好き好き大好き愛してるかわいいと惜しみなく言葉にしてくれたのに、ベッドになると緊張してしまうらしく*8ハイライト場面以外はとにかく黙って何も言わなかった。「AVで男がしゃべるのが嫌でたまらなかったからそれもある」とも。わたしは黙ってあれこれされると一人で反応することがいたたまれなかったし、不安で仕方がなかった。不安になるとしまいには怒り出すのでこれはよくなかった。いつもみたいに「かわいい、かわいい、大好きだ」といってくれたらそれでよかったのにね。


 

性戯は細部に宿る

リードする側になったら「気持よくさせよう」より「重くさせないように、痛くさせないように、くすぐったくさせないように、びっくりさせないように」を大事にした方が百倍上手くいく。そして重かったり、痛かったり、くすぐったかったり、びっくりさせられたりした側は被害が小さいうちに愛を告白するくらいの思いやりをもって状況を報告するのが大事。

 

自分の身体の重さで相手を潰さない、腰をつかむとき脇腹のくすぐったいところを触らない、おっぱいは脂肪の塊ではなく乳腺の塊だから握らない、などなど人体の扱いには注意が必要。様子を見ながらそっと動けばうまくいく。

 

もちおはとても器用で肩もみマッサージにかけてはこれまで出会ったどのマッサージ師もとうてい敵わないゴッドハンドを持っており、どこに触れても絶対ポイントを外さなかった。でもベッドについては思い入れが強すぎるというか、目の前のことしか見えなくなってしまって、ちょっとした、そして致命的なミスをよくやった。

 

たとえば中指でその先に触れようとして、気づかず手前の鼠径部、つまり足の付け根を執拗に親指でこする。くすぐったい。わたしは昔からくすぐられると激怒する性分なのであっというまに気分はそがれて怒りはじめる。あと手触りのいいところ、目についたところから触ろうとして敏感なところにいきなり触る。びっくりする。脅かされるとわたしは激怒する性分なのでどうかすると反射的に突き飛ばす。

 

これを機に段取りや手順を覚えてくれたらいいんだけど、男性はとくにベッドで無防備になっているときは精神的なダメージが通常の何倍にもなる。だから「怒られた」「突き飛ばされた」というショックが大きすぎると後の話は耳に入らない。呆然としておろおろする様子を見ているとこっちも気まずいし、だいたいなんでこんな馬鹿みたいなことしてるんだろうという気になるから再開するのも難しいし、そのあと集中力はなかなか戻らない。

 

逆にこちらがリードするときは会話が結構成立する。どうしてほしいか、どうされると嫌なのか、聞けばもちおは答えてくれるし、リクエストをもらってわたしは別に傷つかない。だから男性にとって「女性を上手く扱えなかったら男として失格」という感覚がどのくらい根深いものかわかっていなかった。そのことをいま本当に反省している。

 

わたしは足を踏まれたとか、引っかかって絡まる髪の毛を引っ張られたときの調子で「痛い!」「やめて!」と声をあげたけれど、あれはアカンかった。たぶんそういうときにもっと痛く不愉快な思いをしても相手の気分を害すのが嫌で、いえない女性が大勢いると思う。*9そのままだと勘違いがすすむし、最後は行為自体が嫌になって最悪相手を嫌いになるからいわないのは絶対によくない。じゃあどうしたらいいかというと、切実な感じで感情的に訴えたらいいです。

 

マッサージを受けていて、全体的に気持ちいいけどそこはツボを外している!というとき、「止めてよ!」って言わない。「あ!そこは痛い…」「ちょっとくすぐったい」って感じでお願いする。「全体的にいいんですけど」というニュアンスで。あれ。あれが大事。もちおはわたしにそういう風にお願いしてくれたし、ついてるモノが違うからわからなくて当然という態度でいてくれたから助かった。やっぱり他人の身体の敏感なところを触るって慣れるまで上手くいかないのが当たり前だもんね。

 

経験人数が何人でもこういう配慮ができてなかったら最悪だから風俗のお姉さんは「クソ客のいる生活」タグでいつも怒っているし、初めてでも相手につらい思いをさせないようにすることはできる。「手慣れた性戯で鮮やかに」みたいなこと目指すことない。

 

 

そこまでするだけの価値があるか

「こんなにやることがあるのか!」「そこまで頭使ってしたくない…」と思う人もいるだろうし、そういう人はパートナーもそう思っているのならそれでいいと思う。快感を追うだけならひとりの方が効率いい面が多分にある。ひとりの快感も奥深くて研究しがいがある。

 

でもね、短い間だったけれど、そして数々のNGを出しまくったけれど、わたしはもちおと枕を交わしたなかで人生観が変わるような経験を何度かした。とくに派手なことをやったとか飲みの席で盛り上がるような刺激的なシチュエーションだったわけじゃないけど、そのときのことを思い出すと自分が女で、もちおが男でよかったな、と思うし、結婚してよかったと思う。翌朝一日世界が違って見えたことを覚えてる。その日一日すれ違う人の顔を見て、どのくらいの人が人生でこんな風に目が覚めるような経験をするのかなともはや敬虔な思いで見た。たぶん一生忘れない。

 

そういう思い出がもっともっとたくさんあって、時間をかけるにつれてお互いの身体と心がなじんでいく時間とチャンスがもっとあったらよかった。

 

もおちおがいよいよ起き上がることすら難しくなってからの日々、毎日不安で怖くてたまらなかった。告知されてからわたしの性欲は激減して24時間365日賢者モードみたいだったけど「もちおがちょっとでもエロい気分で気が紛れて楽しい時間が過ごせたらいいのに、そのためのツボを知り尽くしていれたらよかったのに」と思った。もちおの身体に負担のかからないやり方で気持ちよくなってもらえる方法がないか、いろいろ工夫した。だってすごい気分転換になるでしょ、エロは。

 

もちおはそっちの方はずっと元気でその種の努力はそこそこ功を奏して大いに感謝された。気も紛れたし、愛を感じてうれしかったようだった。でもあんなに立派な器官を十分楽しんで生き抜けなかったのはもったいなかった。冷静に考えたらとてもできないようなあの馬鹿々々しくキモい行為の数々を、いらぬプレッシャーやすれ違い抜きにもっと早くから楽しめたらよかったよ。

 

この気づきを活かす場がこの先わたしの人生にあるかどうかわからないけれど、あなたの前に生きた愛する人がいるなら、それか、いつかそういう人に巡り合えたら、二人のお楽しみが増す手立てとヒントがいくらかでも見つかって、世界にいい気持が増えたらうれしい。

 

隣近所を気にしないでいいように間取りに気を使うとか、いつでも抱き合えるだけの場所を確保すべく部屋を片付けて床の硬さに気を配るとか、パートナーの可愛い姿を無差別公開しないようにカーテンをミラーレス遮光にするとか、子作り予定にないなら取り出しやすいところに避妊具をスタンバイしておくとかは、体型を絞るとかムードを盛り上げて口説くとか「冷静に率直に話し合う」よりずっと簡単だし、効果的だから、まあ試してみてよ。うちの分まで。

*1:PCに貼りついているとよくこのまま抱えあげられてベッドまで運ばれた。

*2:持ち出される問題は行為を再開しないための方便だからその話をしても仕方がない

*3:当社比

*4:とかいって、いまわたしは深夜にちょいちょい電話してる

*5:両親は離婚したけど、父はその後の妻ともそっち方面でうまくやっていることが誰の目にも明らかだった。継母の更年期がはじまるまでは。

*6:事前に計画して決まったペースで予定に組み込むことが白ける要因にならないならおすすめ。仕事帰りにホテルで待ち合わせるとか。

*7:「俺と寝てくれる時点でかわいいと思えて仕方がないから本心からそう言ってしまう」

*8:余計なことを言って叱られたことが尾を引いていたのかも

*9:わたしも声を出さずに泣いていた頃もあった。

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接触不足

ブログの書き方忘れちゃってお嬢さんおはいりなさい状態だと思っていたけど、書けてよかった。はてなハイク亡き後、そしてかけがえのない雑談相手を失ったいまブログは貴重な床屋の穴よな。全世界に通じちゃってるんだけど。

 

もちおがいなくなって切実に困っていることのひとつは触る相手がいないこと。わたしはとても緊張しやすくて人に会えばピリピリするし、人がいないともっとピリピリする。こんなとき誰かに触りたくてたまらない。

 

実家にいたときはどうしてもダメだと思ったときに妹を呼んで手を握ってもらうことがあった。中学生くらいまでは意味もなく友達同士じゃれあうことがあったけれど、大人になるにつれそういう機会は激減する。人恋しいとは別に人肌恋しい。

 

母にはちょいちょい会うけれど、母は我が子から触れられることも嫌うので話にならない。触れないこともつらいけど、触らないでと拒絶されるのもかなりつらいから母に手を握ってもらおうとは思わない。

 

荒くれ男である父は子供好きで、父が帰ってくる音がすると玄関の横にあるソファの背に立って扉が開くのを待ち構えた。父が入ってきたらソファの背から父の背中に飛びついておぶさる。父は何事もなかったように平然と背中に娘をぶら下げたままリビングを横切って台所の妻のもとへ向かう。腕と胸と腹いっぱいに父のぬくもりがあった。たまに両親のベッドにもぐりこむと父は細く冷たい棒のような娘の足を太腿に挟んで温めてくれた。

 

わたしは肩もみが得意で、家を出るまで毎日すすんで父の身体を頭のてっぺんからつま先まで揉んだ。父はいつも魔法にかけられた熊みたいに大人しくとろとろ眠ってしまう。父の寝息を聞きながら、いつか結婚する日がきたら、わたしは夫にしてあげられることがひとつはあると思っていた。実際結婚してみたら、頭のてっぺんからつま先までもみほぐしてもらってトロンとしていたのはわたしの方だったけど。

 

そんな父が三度目の結婚をして、肩に触れたわたしの手をとっさに払いのけたとき、わたしは父の娘ではなく先妻の娘になったのだと思い知らされた。再婚当初、新しい妻は父とわたしが二人で言葉を交わすことも隣に座ることもゆるさなかった。わたしの手を払いのけた父の目は妻に向けられていた。

 

寄ると触ると団子状にくっつきあっていた妹弟と離れ離れに暮らしはじめて、ひとりになって、家にやってきた年上の男友達たちが期待する触れ方が家族と同じようなものでないことはすぐにわかった。それが世間では「正常で健全な」反応で、仕方のないことだと学習はしたけれど、わたしはいつも人に触りたかった。他愛無い話をしながら、いまこの人たちに気楽に触りながら話せたらいいのにとよく思った。

 

その後は宗教的な世界に入って長い間禁欲的な暮らしに身を投じた。眠れぬ夜、神に祈りの中で泣きながら不平をいった。あなたはわたしを愛してくださっていますが、わたしにふれてくださいませんと。

 

もちおと出会って一緒に暮らした十数年はいつでもどこでも好きなときに人にさわれる暮らしでそこは文句なくすてきだった。わたしは心ゆるした人にさわると安心感と高揚感を同時に覚える。それは性的な緊張感とは種類が違う。もちおはこの種のすてきな感じをたくさん味わわせてくれる人だった。

 

告知を受けてからの三年間はとくに寸暇を惜しんでいつでもどこでも手を繋ぎ、腕に触れて、隙あらば首に巻き付いて背中をくっつけて生きていた。風邪がうつるといけないからキスはしないでおこうと思うたびにミスチルのOverが浮かんだ。ホスピスに入って、いよいよ会話も通じなくなったある夜、もちおは朦朧としながら渾身の力を振り絞って立ち上がり、わたしを持てる力のすべてで抱きしめて、長い長い、とても長いキスをした。そばで見ていた妹は涙し、姑は熱々さにムッとしたのかふらりといなくなり一晩帰ってこなかった。

 

あのとき死んでたらよかったなあと思う。じゃなきゃもちおが息を引き取ったときに。でもそしたら後片付けする人がいないから、生きててよかったよね。そしてもういま死んでもいろいろ遅い。

 

先日整体を受けていたら隣のベッドで施術者とクライアントが大盛り上がりでもちおが大好きだった映画の話をしていた。おお、これはやばいと思っていたら案の定泣きそうになった。困った。

 

もちおに新作を観たいかと聞きたい。それまでのあらすじを聞きたい。もちおの独特の毒のあるユーモアで登場人物と物語りを語ってほしい。話すもちおの手をぎゅっと握って笑いたい。もっともっとたくさん映画を見て、爆笑して、もっちゃん大好きと首に巻き付いてキスをしたかった。

 

もちおにさわりたいのは山々なんだけど、こういうとき、もちおにさわりたいと思って泣けてくるんだと話をする相手がいて、その人にさわれたらいいのになと思う。人にさわりながら話したい。肩でも背中でもくっついて、膝に頭を乗せて、お腹に腕を回して、くすぐったいところにさわって怒られて、甘噛みしてふざけたい。

 

でもどこへいけば心ゆるせる人に触れるのか、触ってもらえるのかわからない。

 

セブでマッサージを頼んだときは部屋が真っ暗で施術者は日本語がわからなくて、終わるとどこかへいってしまって残された部屋で着替えたから泣いていても大丈夫だった。化粧もしてなかったし。日本では施術者がわりあい話しかけてくるし、まわりは明るいし、わたしは毎日化粧をして暮らすようになったから、泣いてしまうと終わったとき困る。

 

なんで困るんだっけ?施術者が困惑するから気まずい?あとマスカラが落ちるから?それくらい?それなら、まあ、いいか。泣いても。マスカラ、持ってきてるし。

 

どちらにしてもそこに考えが至るまでの間に涙はうつぶせた枕にじわじわと染み込み続けていたので、わたしは涙をこらえるのをやめた。何も知らない施術者はティッシュをくださいといわれたところではじめてわたしが泣いていたことに気づいて狼狽していた。「すみません、気づかなくて」と謝る施術者に「痛かったわけじゃないんです、ちょっと悲しいことを思い出して」といったけど、悲しいことを思い出したんじゃないんだよね。しあわせだったことを思い出したんだよね。

 

風俗好きな友人がいて、金さえだせばよりどりみどりで女を抱けると豪語してくる。わたしも金さえ出せば肌に触れる人を買える。でもしゅんとしてるときに見ず知らずの人と肌を合わせるなんてそれだけでハードル高いよね。

 

ヨーロッパに住む知人がこっちへいらっしゃいよとSNSにコメントをくれた。本当にそのためだけにいきたいくらいだ。でも、たぶんね、外国人への他人向けのハグって、本当にさびしいときはかえって寂しいんじゃないかな。もちおがいたころ、あちらに住む知人からハグされてきうれしかったけど、もちおがいなくなってからその人に会ったときは身体を固くした形式的で一瞬のハグは心が通っていないことを身体で伝えられたような感じがして、つらいものだった。

 

抱きしめられて眠るかわりに自閉症に好まれるという錘入りの7kgある毛布を買った。眠るときはもちおにおやすみをいうかわりにGoogle homeに「自然の音」という。すると朝まで雨の音や鳥の声や波の音が流れる。重い毛布は羽根布団よりはハグ感がある。あれこれ弁明しなくてもいい。どこにもいかないし、死なない。

 

あなたはわたしを愛してくださっているけれど、ふれてくださいません。

神はともかく、もちおがわたしに触れられないのはもちおのせいじゃないし、もちおだって触れなくていやだなあと思って泣いてるかもしれない。

泣いてないといいなあ。泣くのはわたしだけでいいよ。