百まで生きたお母さん

もちおのがんが進行していると診断された日に、母方の祖母が入院したという知らせがあった。

 

祖母は庭を持たないターシャ・チューダーのような人で、今年の春で102歳。いまだかくしゃくとして叔母の離れで暮らしている。手先が器用で、レース編みとちりめん細工を愛し、美しい端切れをお菓子の箱にとっている。ユーモアのセンスに恵まれ、弁も立つ。娘である伯母たちは「お母さんより先に自分が先に世を去るのでは」と戦々恐々としていた.。

 

母は幼いころからこの母親と姉妹たちのあいだで孤立しており、長い間悩んでいた。わたしたち兄弟姉妹は祖母にとって確執のある娘の子なので祖母とは距離がある。あれだけ聡明な人がいったいどうしてこんなに激しく、そして冷たく娘をあしらうのか、わたしにはわからない。


これまで書いてきたように母は母でだいぶ問題がある人だけれど、でも、娘じゃん。父方の祖母はよくも悪くも情の塊りのような人で、わたしは身内は情で結ばれると感じながら育った。母は嫁いではじめて姑を通して親の情を知ったといまになってよく話す。
嫁姑関係だったときは双方口を極めて互いを罵りあっていたが、二人の間には深い絆もあったようだった。だったら孫子にはそっちをいえや。イメージ悪いんじゃ。

 

母はルナールの「にんじん」を愛読していたが、この本について話をしたことがない。
「にんじん」の主人公フランソワも実の息子でありながら、母親に虐げられて育った。
わたしは家にある本は片っ端から読んだけれど、この本だけはただならぬものを感じたのか、数ページ読んで二度と開かなかった。作品の持つ力だけでなく、母がその本に落とした影のようなものを感じたのかもしれない。

 

母は娘のわたしに自分の親子関係の冷淡さを嘆く。じゃあおまえも娘にひどいことすんなよ、と思うけれども、そうはいかないらしい。顔を出さなければ不満らしいし、出せば娘の都合は一切無視する。母の気持ちがわらかない。

 

「ママはわたしのことどう思ってるのかな?嫌いなら来ないでほしいと思うでしょう?」
「遠慮なく足蹴にできると思ってるんだよ」
と夫はこともなげにいった。

 

祖母は母を足蹴にしたいとは思っていない。ただただ目障りなので近づかないでほしいと思っている。なので近づけば足蹴にされる。呼び出して足蹴にするのと、近づくと足蹴にするのとでは、どちらがましなのか。何にしても母方祖母と娘たちの関係にわたしはとうてい馴染めない。


わたしは祖母より母と長く接してきたのだから、母の非情さに馴染む方が自然かもしれない。不人情というのは慣れる、慣れないという問題ではないのだろう。

 

このように書くとどんなにいやらしく異様な人物だろうと思うかもしれないが、祖母は母同様、本当に非常に魅力的な人だ。聡明で、自立心旺盛で、自己克己の精神に富み、物知りで、尽きることのない好奇心と朗らかさを持っている。


最後にあったとき、祖母は銀髪に似合うピンクのブラウスを選び、薄紅色のマニキュアをしていた。昔からおしゃれなのだ。クロワッサンと暮らしの手帳の読者モデルかというカリスマぶりに憧れずにはいられない。

 

その祖母が倒れた。脳梗塞だそうだ。

 

母の実家はわたしには理解できないスノッブな社会の難儀なルールで動いているので、見舞いに行くかどうか迷った。迷っているのはわたしだけでなく母もだった。なんでだよ。親だろ。いけばいいじゃん。


しかし母は姉妹と鉢合わせてどんなことを言われるかを恐れ、迷ったあげく新幹線に乗ったけれど、翌日には帰ってきた。真綿で首を絞めるようなやり方で姉から追い返されたらしかった。

 

わたしは祖母を見舞いにいきたかったけれど、事前にいくと伝えればきっと揉めるに違いない。ちょうど気になる集まりが大阪で開かれる予定があった。仕事の予定とかち合っていたので参加申し込みをしなかったが、はからずも祖母の見舞いとセットで関西に出かける用事ができたので、仕事の予定を変更してひとまず大阪へいくことにした。用事があったのでついでに寄りましたと話した方がいいのだ。

 

母から聞いていた病院をカーナビで調べて病室を訪ねた。誰もいないはずの病室には叔母夫婦がいた。母は悲劇を強調するため話を盛っていたらしい。叔父は久しぶりに会った姪が誰だかわからず、叔母は髪を振り乱して呆然としていたが、わたしだとわかると涙をこぼした。追い返されなくてよかった。

 

祖母は半身が不自由になったようで、言葉も上手く出せなくなっていた。鼻からチューブを入れられ、乱れた髪を枕に広げ、浴衣の襟ははだけていた。生まれてはじめて見る祖母の無防備な姿だった。いつもきれいに髪とかして小さくまとめ、小奇麗に装って大きな眼鏡をかけていた祖母。おかしな話だけれど、祖母も人間だったのだとはじめて知ったような気持ちがした。

 

祖母は動く方の手を重たげに持ち上げ、わたしと夫に挨拶してくれた。話も聞こえているようで、身振りで応答してくれる。あの気丈な人がこんなに思い通りにいかない状況でいるなんて、どんなに不自由に感じていることかと思う。

 

歓迎するため気を使ってくれているのか、自分たちが疲れて緊張していた反動なのか、叔母夫婦はしゃべりにしゃべり続けていた。わたしは夫とベッドの反対側に座り、叔母夫婦の会話に加わりながら、祖母の半身をさすり続けた。

 

わたしは按摩上手なのだけれど、祖母はわたしが祖母に触れることをやんわり拒絶してゆるさなかった。こうして無断で触られることをありがたく思っていない可能性もある。内心ムカついてないといいなあと思った。病人は不自由だ。

 

叔母夫婦の話がひと段落したところで、祖母に「お邪魔しました。また来ます」と声をかけた。祖母は手を動く方のゆっくりと持ち上げると、たどたどしく「ありがとう」といった。さらに渾身の力をふりしぼるようにようやく口と舌を動かして「おねがい、します」と二度いった。

 

祖母は話せなくなったと聞いていた。実際祖母が言葉を発したのはそのときだけだった。気力を奮い起こして伝えてくれた言葉だった。


誰をお願いしたかといえば、それはどう考えても娘である母だ。あの母。「にんじん」と呼ばれたフランソワに自分を重ねて泣いている祖母の娘。祖母はこの病床で、変わり者で偏屈で、母を慕い続けて泣いているあの娘を、孫に託さなければと気づかっているのだった。

 

人の心は複雑だ。

 

帰り道、見舞いに来たことを母にLINEで伝えた。母はわたしたちと入れ違いに祖母の見舞いと各種手続きのために病院近くに滞在するとのことだった。

 

「とにかく、今心から、お母さんに逢いたくて、走るような気持で病院に行っています。
 出来る事は、何でもして、差し上げたい」

親子の仲は複雑だ。

 

100歳まで生きたお母さんと、70歳をむかえた娘が、どうか心を通わせる時間がありますようにと、小さく祈っている。ママとおばあちゃまには幸せでいてほしいからね。

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金的の思い出

 

幼稚園のとき某少年漫画の影響でスカートめくりが流行っていた。やられた女の子は怒ってぶつか逃げるかぐらいしか対抗手段がなかった。やり返そうにも男児は吊りズボンだったしね。わたしは男児の両手を掴んで股間を蹴り上げればいいよ、と思って、実際にやった。玉潰し歴ありである。

 

玉を蹴られるとひるむとわかった女児らはやり返しはじめたけれど、非暴力を教えるキリスト教系だったためか、単に女児が男児に手を上げるとはという圧力があったせいか、躊躇なく蹴り上げる子はあまりいなかった。はてこちゃん、来て!と金的依頼が来るようになった。ボールクラッシャーの誕生である。

 

大人になったいま言論の金的応酬を見ていて思い出すのはあの園庭である。いたずら半分でスカートをめくりに来る男児の両手をグッとつかみ、股間を蹴り上げた日々。ちなみに金的を教えたのは父であった。「変な男がいたらここを蹴る。回り込まれたら、こうして、こうだ」と父は指導に熱心であった。

 

ある日、幼稚園の先生から教室ではなく応接室のようなところへ呼ばれた。「はてこちゃん、男の子はおちんちんを蹴られると、大きくなったとき子供が作れなくなってしまうの」と先生はいった。率直な教育である。「そうか」と思って以来金的は封印した。教育の成果である。

 

しかしいまになって思うことは、もしも先生がスカートめくりをする男子らをわたしにしたように個別に応接室へ呼んで、率直な教育をほどこしていたら、あんなことにはならなかったのにということである。

 

わたしは先生から怖い顔で辱められるような注意を受けた覚えはない。ただ金的が将来に及ぶダメージを残す可能性があるという事実を教えてもらっただけだった。その点先生にとても感謝している。同様に男児にも「エッチないたずらだからダメ」ではなく、女児に及ぶダメージを淡々と伝えてほしかった。

 

「めくりくん、女の子はスカートめくりをされると、大きくなったときスカートをはくのが怖くなったり、人を信じられなくなったりしてしまうの」と同様の注意をしていたら男児らは素直に止めたであろう。子供は自分が何に加担しているのかわかっていないが、分別はある。凝り固まった大人とは違う。

 

夫は寛容でいつもわたしの味方だけれど、スカートめくり男児に金的をかけていたボールクラッシャー時代の話には反射的に怒った。「やりすぎだってことでしょう?」とわたしはいった。「強姦ならやりすぎじゃないよね。それってスカートめくりを軽くみてない?」夫は少し考えて、「確かにな」といった。

 

tomicaさんのエッセイのタイトル「ボールクラッシャー呼ばれて」に反発する人たちを見ていて思うのは、金的に反応する勢いで女性への性暴力に反応しないのはどうしてかということだ。男女の性暴力被害の非対称性が露骨に炙り出されている。https://goo.gl/8n8sq3

 

わたしはスカートめくりに加わらない男児をつかまえて金的をかけたりはしなかった。年子の弟と始終とっくみあいの喧嘩をしていたけれど、金的をかけたことはない。男児は何もしない女児のスカートをめくり、男性向けポルノも少年漫画も娯楽として女性への性暴力を消費する。不均衡だ。

 

そもそも玉潰しツイートは、女性に対する性暴力を男女入れ替えて発信することで男性にわが身に置き換えて考えることをすすめるためのものだった。男女逆転の世界で金的が横行しているのは女性への性暴力が蔓延しているからだ。ミサンドリーだ男性嫌悪だと騒ぐ前に前提について考えるところだ。

 

玉ひゅん、金的は生理的な恐怖を呼び起こすもの。同様にレイプや痴漢、のぞき、盗撮、無断のタッチ、そしてスカートめくりも女性にとって軽く扱っていいようなものではない。金的に匹敵するものとして考えてほしいし、考えないやつは金的されても仕方がない。父もそういう男の玉は潰せと教えてくれた。

 

 

一年ぶりの境港と出雲アゲイン

わたしの用事で大阪へいった。帰りにもちおの希望で出雲に寄った。車はこういう寄り道ができるところがいい。わたしが眠っているあいだに決めたようで、目が覚めたら出雲の田んぼがどこまでも広がる夕暮れの通りを車でひたすら走っていた。

 

神無月にいくはずだった出雲

去年出雲へ詣でたときは神無月にまた来ようと話していたのだけれど、10月に入り、日程を決め、宿を取ろうとあれこれ気をもむ妻をよそにもちおは「ちゃんと考えがあるから待って」とじっくり構えており、明日は12月という日に「『今年の神無月は来んでええ』と大国主命がおっしゃっておる気がするんよ」と言い出し出雲参りは延期になった。ガッデム。

 

もちおは仕事に関しては予定と時間をきっちり守る人だけれど、どういうわけか私生活では計画を立てて守るのが大嫌い。結婚式も家族計画も「ちゃんと考えがあるので待って」を真に受けているあいだに流れてしまったので妻は怨みに思っている。理由がさっぱりわからない。神通力のある人に頼んで前世の因縁か何かなのかと聞いてみたいくらいだ。

 

その代わりというか、突発的な遠出や突然の外出は大好きで、無謀であればあるほどうれしそうにする。そんなわけで用事で大阪へ出るという妻を車で送ると言い出したときはノリノリだったが*1、いけば当然疲れるので復路のご機嫌は最悪だった。

 

ご機嫌ななめは命取り

わたしの大阪の用事にもちおはまったく興味がなかった。翌日神戸にいるわたしの親戚を訪ねたが、もちおはこの親戚とも日頃行き来がない。連日面識のない人と密に関わることはもちおにとって大きなストレスだったらしく、疲れも出てきて機嫌の悪さは高まる一方だ。

 

もちおはいまだがん患者であり、すぐにも胃切除手術を受けるか化学療法を再開するようすすめられている身でもある。疲れと機嫌の悪さは命に係わるので妻は重圧を感じる。「だからいったのに」感がすごい。

 

そんなわけで神戸のインターに乗った直後、とつぜん「島根に出て境港駅前の回転寿司屋へいってノドグロを食べる」と言い出したとき、なんでもいいからこれで機嫌が直ればいいなあとわたしは思った。

 

もちおは去年はじめて水木しげるロードへいったとき、境港駅前の回転寿司を食べて以来「何でも食べられるなら何が食べたい?」と聞くと、いつも「境港でノドグロが食べたい」といっていた。実際なんどか車を飛ばして食べに行こうといったこともあった。しかし福岡から島根は遠いということを去年思い知らされているので、さすがにノドグロのためだけに出かけることはなかった。

 

遠回りをすれば疲れるに決まっているし、帰りも遅くなる。翌日は仕事だ。それでもわたしが帰路のルートを決めるよりもちおがやりたいようにやった方が気が済むだろう。

 

境港

昼に神戸を出て、昼食はSAでカレーを半分こして済ませ、夕方境港に着いた。果たして境港駅前の回転寿司屋は板前が変わったのか目に見えて味が落ちていた。前回きびきび働いていた頼もしいお運びの女性もおらず、学生らしきお運びさんの仕事ぶりもいまひとつであった。わたしは疲れて眠くて写真を撮る気力もない。

 

それでももちおは大いに喜び、妻が先に店を出ても珍しくひとりでいつまでも寿司を食べていた。わたしは駅前の足湯に浸かりながらもちおを待った。金髪碧眼に流ちょうな日本語を話す母親と子供たち、アジア顔の父親の一団と足湯を囲みながら、駅で買った鬼太郎手拭いをもて遊ぶ。もうすぐ日が暮れる。いまから福岡に向かって何時に着くだろう。

 

一方もちおは境港の魚で大いに英気を回復し、見違えるように元気になった。そしてカーナビの案内をそこそこに聞き流し、ふと思いついて「出雲」と書いてある方へ車を走らせた。

 

出雲

書くほどのことは何もない。夕暮れの出雲は静かで、空は大きく、社は荘厳だった。玉砂利を踏みしめて本殿へ向かい、ニ礼四拍一礼で手を合わせ、挨拶をした。一年前に出雲を訪れたのはもちおが化学療法をはじめ、最初の休薬を迎えたときだった。出雲へ出るまでのあいだハラハラし通しで、ようやく到着して本殿を前にしても願い事を念じることはできなかった。来られただけでありがたく思わなければならない、どれだけ恵まれているか忘れてはならないと思っていた。それ以上のことを期待して失望するのが怖かった。

 

今回の胸中はある意味で去年より複雑だった。すでに危機を脱したと思っていた。いま危機にあるのか、深刻になる必要のない軽い後退なのかがわからない。それでも今回は出雲の地の平安とともに、そっともちおの健康の回復を祈った。希望は賭けだ。絶望していれば失望することもない。それでも絶望するより希望を持ったほうがいい。

 

境港、出雲と二段ロケットで勢いづいたもちおは、福岡までの帰り道をずっと元気に運転していた。びっくりするほど早く帰り着いた。もちおは予定外の無謀な冒険と境港と出雲が大好きなんだなと、改めて思った。

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*1:往路はわたしが運転したのでほとんど寝ていた。

スイス・レーティッシュ鉄道と鉄道むすめ駅乃みちか問題

このtweetをゲイ差別だ失言だくたびれはてこは差別主義者だと鬼の首を取ったように騒いでいた人がいた。わたしはこの発言を撤回する気はまったくないし、これを不当な差別だとも思わない。田亀源五郎*1に企業が依頼してパイロットのキャラクターをデザインしてもらうのは、クリムゾンに痴漢防止ポスターを依頼したり、町田ひらくに塾のイメージキャラクターを依頼したり、くじらっくすにファミリーワゴンの広告を依頼したりするのと同様に間違っている。これは企業にとっても作家にとってもそれまでとその後の仕事に大幅な制約を加えるものになると思う。

 

発端になったのはスイス・レーティッシュ鉄道が萌えキャラを採用した件だけれど、この件に限らずジャンプトイレマークをはじめジェンダー問題にオタクカルチャーが絡むと毎度毎度判で押したように同じことを言ってくる人たちがいるので、ここでわたしの考えをまとめておく。

 

職員をモデルにしたキャラクターのメッセージ性

企業が自社の制服を着た職員をキャラクターとして打ち出す場合、それは(1)企業が自社の商品をどのように提供するつもりなのか、(2)企業が職員に何を期待しているかを公に示すものになる。公共交通機関が巨額の広告宣伝費をかけて企業のブランドイメージを作るのはそれが経営を左右する重要な問題だからだ。

 

自社の商品をどのように提供するつもりなのか

公共交通機関が顧客に自社イメージとして打ち出すにふさわしい職員像とは、「交通機関の専門家」だ。乗客の命を預かる乗り物を着実に運行し、制御できること、不測の事態が起きても専門的知識を持って万全の策を講じることができる訓練された専門家、これ公共交通機関が自社の職員のイメージとして公に宣伝すべきものだ。

 

親しみやすく誠実で信頼できることはもちろん、職員が職業的な知識に精通しているプロだと信頼してもらうのは何より重要なことだ。人はアクシデントに見舞われたとき、職員が未熟でいじらしく幼い存在でいてほしいとは思わない。

 

企業は職員に何を期待しているか

同時にこのようなキャラクターは企業が自社の職員にどのような働きを望むかを示している。企業は職員が自社イメージを損なう言動を取れば厳重に注意する。

 

企業が職員をイメージしたキャラクターにポルノ作家の作品を起用するなら、その企業が自社の職員に期待しているのは性的なサービスだということだ。風俗産業など性的なサービスを提供する企業が名の知れたポルノ作家にイメージキャラクターを描いてもらうのは適切なことだろう。しかし公共交通機関が提供するのは快適な運行であって、性的サービスではない。

 

「ポルノ作家が公共機関のイメージキャラクターをデザインをすることに反対するのは差別だ」というなら、起用される正当な理由が必要だ。ホットでセクシーな旅を提供する、あるいはホットでセクシーな美男美女に選ばれる企業である。これはどの企業も使うCM像だ。しかしホットでセクシーな職員のサービスを公共交通機関に求めるどんな理由があるだろう。*2*3

 

ゲイアイドル系な義弟

田亀源五郎は著名なゲイポルノ作家だ。田亀先生のトレードマークともいうべき男性キャラクターたちはガチムチマッチョで男性ホルモンの権化のよう。いわば男性版叶姉妹だ。ぱっつんぱっつんのTシャツに透けた胸筋、汗ばむ肌と髯、胸毛、揉み上げが強調されたスタイル。ゲイのセックスシンボルをこれでもかと詰め込んだ夢の男性像がそこにある。峰不二子叶姉妹に代表される豊かな乳房とくびれた腰、砂時計のような臀部を持つ女性が多くの男性のセックスシンボルであるように、ゲイにも定番のセックスシンボルがあることがわかる。

 

ゲイブロガーごまぶっ子さんは「理想のハゲ坊主に出会いたい」としきりに書いていたが、わたしの義弟はガチムチマッチョのハゲ坊主で、恐ろしいほどゲイにモテる。新宿でラーメンを食べていたら隣の席の男性がしきりに視線を送ってきて、ついにペロリと頬を舐められ『ごちそうさま』と千円置いて席を立ったことがあったと義弟は困惑気味に笑いながら話してくれたけれど、これはなかなか怖い話だと思う。ジムで身体を鍛えはじめたころ、サウナと水風呂に黙ってどこまでもついてくる男性があらわれた。義弟はこちらも困惑気味な苦笑いでいたけれど、数か月後、ついに結婚指輪を誇示してその男性と距離を置いた。こうした話は枚挙にいとまがない。

 

義弟は優秀なエンジニアだ。もしも義弟を採用する会社が田亀先生のトレードマークであるガチムチマッチョの胸ぱっつんセクシーポーズ男性に自社の職員の制服を着せて看板にしていたらどうだろう。義弟に期待されているのがエンジニアとしての技術だけなのかどうかは疑わしい。義弟がセクハラに遭わないよう心配するのは当然だ。職場でのセクハラにはヘテロだろうがゲイだろうが警戒しておくに越したことはない。

 

ゲイを連想させるキャラクターが企業に不適切だということではない。田亀先生の描くガチムチマッチョは単なる男性ではなく、寺沢武一の描く女性同様セクシーなセックスシンボルだからだ。業務上顧客の幻想を叶えるセックスシンボルであることを求められる職場でない限り、こうしたイメージは不適切だ。

 

 

振袖とミニスカートとスイス鉄子

荒唐無稽で極端な話だと思う人もいるだろう。けれども多くの女性たちは企業が自分に求めているのは業務上の知識や技術なのか、「職場の華」として「女性ならではの癒し」をもたらすことなのか疑問に思うようなポスターや制服を度々目にする。

 

かつてのJALをモデルにした「スチュワーデス物語」というドラマがあった。フライトアテンダントを目指す堀ちえみは業務上求められる訓練として、救命胴衣のつけ方や英会話に加えて、機内トイレの中で振袖を5分で着るテストを受けていた。実際にそうしたサービスがあったかどうか知らないが*4ドラマの中のJALは国際線で機内食を提供するさいフライトアテンダントの振袖姿もサービスしていた。

 

いまだ航空会社はフライトアテンダントにタイトスカートとヒールのあるパンプスを義務付けているれど、さすがに振袖、草履はない。振袖姿で機内サービスを行うだけでも危険この上ないが、緊急時はどうするつもりなのか。フライトアテンダントに機内の安全確保を犠牲にしてまで機内の華であることを求めるのは間違っている。スカイマークは経営危機に瀕して腿を強調するようなミニスカートをフライトアテンダントの制服にしたことがあったが、これも振袖と同様である。

 

いうまでもなく、これは振袖やミニスカートが悪いという話ではない。TPOを外した不適切な選択だということだ。では萌えキャラはどうか。

 

職員をイメージしたキャラクターが企業のイメージを損なえば企業はダメージを受ける。東京メトロの職員をイメージしたキャラクターが、とろけた瞳に上気した頬で身体をくねらせ、不自然に身体に張り付いた制服を着ていれば、それは東京メトロの女性職員に期待されるのは運行の専門家であることではなく、乗客に性的癒しを与えるホステスだというメッセージだ。*5

 

「性的癒し」が「女性ならでは」のやさしさやきめ細やかな配慮であれ、凹凸を強調された肉体から醸し出されるセクシャルなものであれ、鉄道職員にこのようなサービスを期待するのは不適切だろう。よって公共交通機関が萌えキャラを採用するのであれば、そのキャラクターはけしてエロゲっぽさがあってはならない。エロゲまがいのキャラクターは企業のサービスを誤解させ、職員に対するセクハラになるからだ。

 

スイス・レーティッシュ鉄道はジャパンエキスポに際して箱根鉄道とコラボレーションして萌えキャラを採用した。誰もが一目でまごうことなき萌えキャラと認定するにふさわしい萌えキャラだった。しかしレーティッシュ鉄道が採用したキャラクター(以下スイス鉄子)は顔と頭身のバランスが萌えキャラなだけで、何ら「女性ならでは」なサービスを期待させる要素がない。

 

細かく見ていくとスラックスには脚の線が出ないよう配慮されているし、斜め掛けしたベルトが乳房に食い込むこともなく*6、身体の凹凸を仄めかす陰影もない。ジャケットはサイズがぴったりで、肩がずり落ち、指先がちょこんと出るといった幼さを強調する演出もない。

 

スイス鉄子が童顔であることは否定しようがない。しかしそれ以外は彼女が命を預かる鉄道職員として、運行に関する業務を滞りなく行う専門家であることを疑う要素はない。これはスイスが鉄道の職員に何を期待しているか、顧客に何を提供するつもりなのかを示している。彼女にメイドカフェのメイドのようなサービスを期待させる要素があってはならない。少女の立ち絵というだけでロリ!ロリ!と騒ぐ人は己の性癖を吐露しているのであって、レーティッシュ鉄道はこの種の期待に応える気がないことをスイス鉄子を通してよく示していると思う。鉄道むすめのキャラクターたちも同様である。彼女らは職務を果たす職員に過ぎない。

 

このような理由でわたしはセクシーシンボルをトレードマークとするポルノ作家が公共交通機関の職員をイメージキャラクターとしてデザインすることは不適切だと思う。それはポルノ作家の社会的地位や職業的尊厳の問題ではなく、提供するサービスを誤解させ、職員に期待される業務を逸脱させるものだからだ。振袖やミニスカートが悪なのでも、セクシーでホットなセックスシンボルが悪なのでもない。それはTPOと企業のコンプライアンス、また利用者のマナーの問題だ。

 

「おまえは差別主義者だ」

TPOと企業のコンプライアンス、そして利用者のマナー、また現実の問題である職員へのセクハラ問題を無視して、これを差別主義者だと言い募る輩に釈明する気持ちはさらさらない。彼らはわたしがはてなダイヤリーでエロゲの凌辱規制について意見を出したとき以来、かれこれ5年以上メンバー入れ替えしつつ延々粘着して罵詈雑言を吐き続けている。

 

彼らがやってくるのはいつもジェンダーなど何らかの差別問題が彼らのコンテンツに抵触するときで、彼らの言い分によれば彼らを不快にさせることこそ差別なのであって、彼らの愛するコンテンツに対する批判はすべて表現の自由の侵害であり、彼らの罵詈雑言は言論の自由であり、それを批判することは表現の自由の侵害、言論弾圧、人権侵害なのだ。もうそういうの、聞き飽きた。

 

彼らは自分たちに寄せられる批判はすべて「フェミ」によるものだと思っているし、自分たちが批判されるのは「オタク」だからだと思っている。フェミは男とポルノを敵視しており、性を嫌悪しており、オタクの愛するコンテンツを感情的な理由で不当に弾圧していると言い募る。彼らは自分たちに向けられる批判がオタクを自認する男女双方からも出ていること、サブカルコンテンツのすべてが差別的だと批判されているわけではないことをけして認めない。

 

彼らがフェミレッテルを貼る女性の多くが愛する伴侶や異性の家族、友人知人に恵まれていることも、好みのポルノ作家やセクシータレントを持っていることからも目を背ける。かと思えばそのような愛情と好意が自分に向けられないのは差別だと大騒ぎをはじめる。

 

彼らがいう「おまえは差別主義者だ」は「俺がみじめなのはおまえのせいだ」だ。*7自分の世話は自分で焼いてもらいたい。さして交流もない赤の他人に深夜にしつこくメンションを送って必死で自分の相手をするよう要請するのは間違っている。わたしがそこまで必死になれる相手はもちおだけだ。自分でそういう相手を探してもらいたい。

 

「とどめをさす」というエントリーを上げた人がいるようだけど、ほんと好きよね、勝ったの負けたの論破したのって。こういう人って現実に鉄道で働く職員が受ける女性差別や、女性の社会的地位の低さから起きる貧困やその子供たちの成育環境のこと、ゲイカップルが受ける蔑視については何もしないし、いわないんだよね。自分のコンテンツが脅かされたと思うときに都合よく出汁にして飛んでくる。

 

あなたがゲイを差別する気がないというなら、作家の名前を見ただけでゲイだから差別されたのだと早合点したのはどうしてなの。わたしがヘテロ男性向けポルノ作家なら、たとえばみさくらなんこつ先生だったら適切だというとでも思ったの。

 

あなたが声優の卵の子に手を出さずに送り届けたことでちょっと尊敬してたけど、「やれたかも委員会」見てたら、大切に思うから手を出さない人ばかりじゃないって最近わかったよ。あなたがいまこんなめちゃくちゃな言いがかりをつけて女性を叩いていること、彼女の目に触れなきゃいいなと思うわ。彼女のためにね。

 

ブクマから

はてなブックマーク - スイス・レーティッシュ鉄道と鉄道むすめ駅乃みちか問題 - はてこはときどき外に出る

id:kutabirehateko『弟の夫』のキャラを起用すれば「我々は多様な家族のあり方を目指します」というメッセージを打ち出せます。ダメですか?

2017/04/27 10:57

多くの企業は少なくとも建前として職員の採用基準に性的志向や家族構成を審査していないことになっている。それでもなお企業のブランドイメージとしてLGBTQや複合家族を応援していることをアピールするため起用するとしたら、同業の職員を過激に凌辱するポルノは廃刊にし、今後同様の作品は書かないことを条件にするのでは。売れるまでの足がかりとしてではなく、本業で一大ブランドを築いてきたポルノ作家にとってそうした制限が割に合うのかどうかは疑問。

 

スイス・レーティッシュ鉄道と鉄道むすめ駅乃みちか問題 - はてこはときどき外に出る

スイスの鉄道萌えキャラがOKなのだとしたら、たとえどのようなポルノ作家であっても性的記号をそぎ落としたキャラクターが描けるなら採用されていいのでは?とも考える。作家性と公共性のバランス感覚があれば。

2017/04/27 12:14

b.hatena.ne.jp

わたしがここで想定している「ポルノ作家」とは「ポルノも描いたことがある」レベルではなく、名前と作品、書き手の世界観が大衆に広く認知されているレベルの人。言い換えると画像検索で作品の世界観が一発でわかる人ね。このエントリーで例に挙げた方々はその点ですでに大御所であり、キャラデザインを変えてみた程度では企業と作家双方のブランドイメージを一致させることは難しいと思う。あえて書くなら看板を下ろして画風を変え、過激な性的ファンタジーをテーマにした作品と企業が紐づけられないことを条件にするのでは。

 

スイス・レーティッシュ鉄道と鉄道むすめ駅乃みちか問題 - はてこはときどき外に出る

はてこさんから見て問題無しという評価のレーティッシュ鉄道のあの絵が、実は壮大なドッキリで書いたのは田亀源五郎氏でしたとなった場合、あの絵に対する評価を覆すことになるのだろうか

2017/04/27 17:34

b.hatena.ne.jp

上に同じ。今回の書き手についてレーティッシュ鉄道は書き手の過去作品をある程度調査していると思うが、過去作品に鉄道職員を凌辱する作品や車内風紀を乱す性犯罪をテーマにしたものがあり、それがスイス国内で広く周知されているなら採用しなかったでしょうし、今後そうした事実があれば不採用になってもそれを差別だとは思わない。スイスからPNで検索して、児童ポルノ画像が一発で出てくるならもちろんダメだろうね。

 

kutabirehateko.hateblo.j

*1:以下敬称あったりなかったり。

*2:追記:逆にいえばセクシーアイコンであることが求められる場であれば市役所だろうが国会だろうが採用すればよい。ゲイのセクシーアイコンなら同性カップルの養子縁組や相続権をめぐる問題など。しかし公共交通機関が利用者に向けて職員の性的志向を強調するようなキャラクターを採用するどんな理由があるのか。

*3:「表に出したらダメだってことか」と社会の恥部扱いしているように感じた人がいるようだけど、公共交通機関の職員像として不適切なことは不名誉なことではないし、最適だということも取り立てて名誉なことではない。権威にこだわりすぎだと思うわ。

*4:あったんだろうな。

*5:モデルになったオリジナル駅のみちかも困り眉で頬を染めているという指摘があるが、オリジナルは教科書や絵本に出てくるような素朴なデザインで不自然に下半身を浮かび上がらせるような陰影はついていない。

*6:この絵柄なら普通は間違いなく食い込ませるよ。

*7:スイス鉄子は認めて駅のみちかはダメな理由はなんだと言い募った人の「あなたはなぜ日本人を差別するんですか」とかね。

締め切りのフーガ

結婚してからもちおが何でもかんでも心配するので、家にいるときは以前より自分に自信がない。もちおがいてくれないと不安に思う。しかし一人で旅先にいるときは居酒屋でビール飲んで繁華街のホテルに泊まったりしてもなんともない。一人暮らしのときはこうだったな、と思い出してちょっと新鮮だった。

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はじめて仕事に行き詰ったのはゲーム会社でデザインから企画に回されたときだった。

 

当時の家庭用ゲームのデザインは色数や容量の制限はきつかったけれど、仕事時間中ひたすら絵を描いて、普段は終わろうが終わるまいが定時になったら帰ることになっていた。泊まり込んで仕事をするのはプログラマーでデザインはそこまでタイトなスケジュールに追われることはなかった。

 

ところが企画は全体のスケジュール管理をしないといけないんですね。自分のスケジュールはもちろん、デザインとプログラマの進捗を把握して指示を出さないといけない。小さな会社だったので同時にデザインもしなくてはならなかった。

 

これがわたしにはめちゃくちゃきつかった。デザインは持ち帰れないけれど企画とスケジュール管理は身一つで出来るぶん頭に残るので、仕事が終わってもそのことを考え続けてしまう。これですっかり神経やられて最終的には仕事を辞めた。

 

それからずっと仕事を選ぶときはオンオフの区別が明確な仕事を選ぶようにしていた。逆にいえばいつでもどこでも出来る仕事は避けてきた。自分で仕事をはじめるまでは。

 

東京へいっていた間は朝から晩まで予定がぎっしりだった。それも目の前の仕事の予定だけで、ホテルへ帰ると今後の仕事の準備やら連絡やら資料作りやらが山ほどある。当日の仕事があってもなくてもやることは常に山積みで、レシートも名刺もメールも貯まる。泣ける。いや、泣けない。「あれ、今日はこの時間仕事が入ってたんじゃ」とぎょっとして目覚めることも増えた。

 

特に難しいのが隔週違う曜日の違う時間で数か月単位の仕事を複数掛け持つこと。全く違う仕事だけれど、短期連載を複数持っている漫画家にちょっと似ている。1,3(金)の10時を3月から、14時は1月から、19時は4月からと、2,4(月)の16時を3月後半から、18時を4月前半からみたいな変則スケジュールがあって、頭が混乱する。それぞれ違う資料が必要で、それを書いてプリントする時間がいるし、これらに加えて日々入ってくる単発の仕事もある。

 

元来こうした時間やお金や予定の管理が苦手なのになぜ自分で仕事をはじめてしまったのだろう、ぜんぶ閉めてクリーニングの受付なんかで雇ってもらっちゃどうだとときどき思う。「やれるもんならやってみろ」ともちおはいう。まーそうよね。出来たらそっちやってるよね。

 

大した額を稼いでいるわけではないのに、最近では手持ちの仕事を回せないのでもう仕事が来なければいいなと思うようになってしまった。こうした悩みを話すと「事務は事務代行を頼めばいい」「資料はデザイン会社に出せばいい」「印刷は印刷会社に出せばいい」といわれる。大企業か。だったら秘書かマネージャーも雇うわ。

 

どんな才能をいかしてどんな仕事をするにしても、少なくとも一人でやってる間は管理能力の高い人が生き残るんじゃないかな。管理能力って訓練で伸びるものなんですかね。そうだったらいいなあ。

 

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